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「ああ、地震が起きたとき、僕は祖父と海にいた。防波堤で釣りをしていたんだ。なかなか治まらないから道路まで這いつくばって戻ったことを覚えてる」
友里は顔を強張らせたまま押し黙っている。
「車に乗り込んで僕はすぐにエンジンをかけた。今までの地震とは何もかもが違うように思えたからだ。それは僕だけでなく、現地にいた誰しもが感じた……戦慄めいた予兆だと思っている。案の定、緊急放送が流れて実証された」
友里は相槌も打てずに固まっている。
「ぼくたちは車を走らせ坂を上った。でも人間の考えることは皆同じで、車も人も細い坂道に殺到したんだ。まさか自分が助かるために、避難する人たちを跳ね飛ばして逃げることなんてできない。たちまちウミガメの産卵状態に陥ってしまった。わずかずつしか進めないのだ。そればかりか車を縫うようにして人が避難するものだから、車をあきらめて歩く人もいたのかもしれない。僕らの車は身動きできずに取り残された。降りて走ろうか。祖父にそう言ったとき、周りから悲鳴が上がった。後ろを振り向くと、沖の空が小さくなっていた。釣りをしていた防波堤はあっという間に波に呑みこまれて消え、海がもの凄い速さで迫ってきた。急いで降りて! 祖父に告げ、僕は車の外へ飛び出して助手席へまわった。でも祖父は、いつまでたってもドアを開けようとしなかった」
生唾を、友里が音を立てて飲み込んだ。
「今考えると、そのとき祖父は死を覚悟していたような気がする。足の状態が悪いので走れないし、お荷物になって二人とも死んでしまうと思ったのではないだろうか。僕に向かって行け、逃げろと叫んでいた。それでも僕は何度も取っ手に手をかけてドアを開けようとした。だけど内側からロックされていて開かない。そこへ波がやってきた。僕はボンネットの上に乗ってフロントガラスを叩いた。車が浮き、流されていく。祖父は静かに目を瞑った。最終的に車内が浸水して、僕は近くのビルに逃げ込み、目の前を沈みながら流されていく祖父が乗った車を呆然と眺めていたんだ」
「凄い体験したのね」
友里が鼻をつまらせる。
「うん。それが、僕が老人ホームで仕事をする理由かな」
「そういえば、あのとき言ってた。南相馬の出身だからって。わたしが尾行なんかしなければチャップリンの映画を見て、おじいさんを蘇らすことができたのに、ごめんね。でも、じつは祖母と祖母の恋人もチャップリンで蘇ったの」
「すると君が源さんの前で弾きたい曲というのは……」
「ライムライト!」
見事に友里と声が重なった。
「たがいに因縁があるんだ」
「そう、びっくりするぐらいに」
友里が感慨深く言った。