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 一心に日記を読み耽っていた友里は、受けた衝撃が強すぎたせいか途中で閉じ、しばらく机に頬杖を突いたまま動けなかった。いつのまにか日が沈んでいた。重い腰を上げて部屋の電気をつけると、ちょうど父が帰宅したところだった。階下からたわいのない会話が漏れてくる。

「お風呂沸いてるわよ」

「やけに気が利くな。よし、たまには一緒に入ろうか」

「やだ、よしてよ」

 頓狂な声とともにパンと乾いた音がしたので、母が照れて、父の身体のどこかを叩いたのだろう。二人は言い争いもするけど根底は深い愛情でつながっている。友里は戯れる二人と、戯れる相手のいなかった祖母を比べ、いったい幸せとは何だろうと考えた。

       

 難しかった。

 二十歳そこそこで、人間の普遍的なテーマである難問の答が出せるわけないのだ。ただ祖母の日記を読んで、そのとき不幸だと感じても思いは変わるということを知った。

 能天気で恥ずかしい父親だけど、性根は腐っていない。父親なりに家族を大切にしているのだと思う。それはたぶん祖母が父の誕生を祝福したからだ。もしあのとき中絶していたら、その場はすっきりするかもしれないが、祖母の胸には消しても消しても消えない傷が残っただろう。産んだからこそ、苦労して育てからこそ、思いが変わったのだ。

       

 でもと、同時に別の疑問がわく。それは認知症の幻視だ。

 なぜ祖母は、まだ初期の段階で全裸になって父に迫ったのだろう。それが彼との勘違いなのだとしても、思いが変わったのならその時間の中にとどまらないはずだ。

 それとも認知症というのは、時間を逆行して印象的な瞬間に漂流するのではなく、それらを一切合切無視して単に記憶が消えてしまう病気なのか。そうだとしたら何も言えないが、それでも友里はもしやと思う。もしや祖母は、その人に再会したから封じ込めていた記憶を解放したのではないのかと。

 ただそれはホームで一緒に暮らした源さんではないような気がする。

 なぜなら心だけタイムスリップして四十五年前に戻ったとしても、ホームでは全裸になっていないのだから有り得ない。それ以前、三、四年前だと思う。認知症になってからだと記憶に残らないらしいのだ。

       

 もう一つ、消えない傷を残したまま去った相手、祖母の恋人も変わったのだろうか。受けた傷と与えた傷では根本が違う。だとすれば、まだ傷を抱えている可能性もあるような気がする。

 また、あのときあんな形で彼の相方に犯されなければ良好な関係が続いていたかもしれないし、父の認知だってしてくれたかもしれないのだ。いずれにしろ時代や目指した芸のせいにしたくないけど、皆が皆、心に大きな傷を負ったのは確かだと思う。

        

 やりきれない思いで部屋の窓から空を見上げ、星を捜した。空気が冴えているせいか両手で足りないほどの星が瞬いていた。星の寿命などわからないが、いつも祖母は星を眺め、いま友里も同じように同じ星を見ている。不思議な感覚だ。

 友里はスケジュール帳を取り出して用事のない日を捜すと、ある決意をもってまたホームへ行こうと思った。そしてその決意が形になるまで、赤裸々に綴られたこの日記を父に見せまいと決めた。

 それはそうと、太一はどうしているのだろう。ふっと、また会いたいと思った。


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