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「原因は、予定外の妊娠ね」
女医がうーんと唸って足を組み、その足の上に肘をついた。波江は視線を落とす。
「それで、彼とはもう会っていないの」
「十日前に家を出ていき、どこにいるのか、今は消息不明です」
「消息不明? すると連絡のしようもないわけだ」
女医がノートの上にペンを放り投げ、腕を組んだ。「女は芸の肥やし、その責任のなさは、まさに芸人ね」
「いえ、原因は彼のせいではないのです」
「なら、あなたのせい……どういうことなの」
売れない芸人の典型だった二人は、私との再会と同時に一気にブレークしました。実際は映画館の前での地道な努力が実ったのでしょうが、彼らは私を福娘として褒め称えてくれました。
そんな幸せのさなかに、あの忌まわしい事件が起こったのです。
どうしても彼の演技が前面に押し出され、演奏に徹する相方は演技に参加するわけでもなく、観客から見れば酒の肴ていどの認識しか持たれなかったせいだと思います。しだいに彼一人がクローズアップされ、相方は完全に壁の染み程度の存在になってしまいました。高校時代は演奏も演技もとにかく群を抜いていたのにどうしたことなのでしょう。
もしかしたらパントマイムを前面に押し出す、たぶんそれを前提とした芸風を目指したからかもしれません。そのため相方は黒子に徹するしかなかったのだと思います。私は相方の才能も人の良さも知っているだけに心を痛めました。
事件当日も彼だけが出演して、相方は舞台に立たないどころか主催者から呼ばれませんでした。彼はコンビだからと異議を申し立てたのですが、主催者はソロでいいといって聞き入れてくれなかったようです。
相方は荒れて部屋へやってきました。酒もかなり飲んでいたみたいです。あいつは自分だけを売り込んで、俺を切り捨てたと喚き、その勢いのまま強い力で私を押し倒してきました。きっと腹いせもあったのでしょう、私を犯して溜まった鬱憤を晴らそうと思ったに違いありません。
ですがどんな事情があろうとも、そんな恥知らずなことを受け入れてしまえば人間として終わりです。必死に抵抗しました。けれど相手は正気を失っています。もがこうにも力で押さえつけられ為すすべもなく衣服を脱がされてしまいました。私は彼の親友である相方に犯されてしまったのです。
そればかりか、女というのはつくづく弱い生きものだと、そのとき嫌というほど実感させられました。凌辱のさなかに肉体が意思を裏ぎり、ある部分がとても敏感になってしまったのです。私は忌むべき男の首に腕を絡め、自ら腰をくねらせていたようでした。
そのことはやがて彼の知ることになり、コンビは解消され、彼はピン芸人として徐々に仕事を増やしていきます。頻繁にテレビにも出るようになり、部屋に帰ってくることが少なくなりました。
ですが相方がいてこそ彼の良さが引き出されるということに、ようやく気づいたようです。のみならず、一つの芸だけではすぐに飽きられてしまいます。彼のブレークは二ヶ月で終わりました。
コンビの解消に結果的に加担してしまった負い目から、私は懸命に彼を支えました。これまで蓄えてきた預金を切り崩し彼に渡しました。そうした生活が続いた頃、私の妊娠が発覚したのです。
私は悩みました。このお腹の生命の父親が彼であってほしいと祈りました。でも自信がありません。医師から告げられた妊娠時期は、ちょうど相方に犯された頃と合致したからです。
彼も苦しんだのでしょう。深夜、私が寝ているときに、そっと出ていきました。
「それで中絶を決めたのね」
「父親から見すてられ、祝福されない子が不憫だと思ったのです」
「勝手なこじつけね。確かに父親から見すてられたかもしれないけど、祝福されないというのは言いすぎよ。だって生まれたら、母であるあなたに祝福されるんだから」
女医は毅然と言い放ち、続けた。「この産院とは別に、シングルマザーを支援する施設も運営してるの。あなたと同じような立場の人が利用してるわ。もちろん有料だけど、それでも他の施設と比べると半額程度だと思う。産みなさいよ。預かってあげるから」
冷えきった手足がストーブの炎で暖められていくよう、静まり返った室内に、女医の声が熱っぽく響く。見すてずにこの子を育てていこうと気持ちが変化する。それも神様の計らいかもしれない。