12
何にだって生きがいはある。くらげにとっても、だ。
チャップリン
友里を送って正面玄関に戻ると、涼子さんが気だるそうに立っていた。
「嫌なところを見せちゃったね」
「いいえ、僕のほうこそ事を荒立ててしまって、すみませんでした」
そこまで言って太一は、まだ二人の関係が友里の推測を交えた嫌味でしかないことに気づいて、口に手を当てた。
「いいのよ。ほんとうのことだから」涼子さんは言った。「私って、いつもそうなんだけど、あくの強い男につい惚れてしまうのよね」
太一は返事をせずに頷いた。確かに尾崎さんはあくが強い。でも男にしろ女にしろ好みは千差万別だ。それがいけないと言い切れないのが男と女の不思議なところだと思う。事実、世の中見渡せばそんなカップルで埋めつくされている。
猿同士で結びついている者たちもいれば狐同士のカップルもいる。だから二人に当てはめるわけではないが、猫と狐が結ばれても少しもおかしくない。それで多少なりとも世界は均衡を保っているのだ。
「個性っていうのかな。彼、弱いくせに人よりも毒が強いでしょ」
「ええ」太一は口に出して肯いた。
弱さをカムフラージュするために毒を吐き出す人種が稀にいる。尾崎さんはその典型だろう。理に適えば切れ者と評価されるかもしれないが、尾崎さんに関しては単に高慢だと太一は思っている。
「最初は、その毒が細谷さんとか太一くんに向けられていたから、反発心しかなくて、それで懲らしめてやろうと思い言ってやったの」
「何て、ですか」
「さっきの友里さんと同じ言葉を……」
「もしかして、下劣?」
「そうね。私と友里さん、似てるのかもしれない」
どきっとした。そういえば涼子さんも友里も見方によっては美形の部類に属しているであろうし、考え方もひどく酷似している。
「でも大丈夫よ。尾崎と違って太一くんは誠実だから」
「待ってください。僕たちは、さっきも言ったように恋人でも何でもないんです」
「あれ、てっきり出まかせで、交際しているとばかり思ってた。だって、すごくお似合いなんだもの」
「そんなこと言われても、僕たちには、もう接点なんかありませんよ」
「あるじゃない……ここに」
涼子さんは人さし指を下にまげて、接点は暗にホームにあるという仕草をした。
おそらく波江さんの荷物がまだ残っているからだろう。その荷物がある限りかろうじて接点はつながっている。しかし友里が引き取りにくる確率は低い。つい今、尾崎さんと衝突して断ちきれたばかりだからだ。もう来ないだろう。源さんと祖父の関係を確かめられなかったのが唯一心残りだと思えるが、それもバイオリンと日記で埋められる。
「ゲームオーバーです」
「そうかな。もしだけど、彼女がほんとうに私に似てるなら終わってないはずよ」
何だろう。涼子さんの頭の中には何が浮かんでいるのだろうか。気がつくと太一は、芽生えはじめた感情に戸惑いつつ考えた。
すると、下劣という二人に共通するキーワードが浮かび上がってきた。
もし二人がほんとうに似ているなら……答は尾崎さんだ。それだったら太一にも彼に対する反発心という接点がある。
「彼女は、尾崎さんを懲らしめるために、またここへやってくる」
「そうなんだけど、似てる私がしたからといって、彼女がするとは限らないのよね」
涼子さんが、行楽地に着いたとたん天候が急変したときのような、複雑な笑みを見せた。
考えてみればその通りだ。いくら似ているといっても涼子さんと友里では立場が違う。ここで仕事をしている以上、涼子さんには尾崎さんを懲らしめるという気持ち以前に、同僚、いや仲間に対する友情なり連帯感があったはずだ。それが友里には当てはまらない。
「このまま帰るんでしょ。尾崎にはそれとなく言っておくから気にしないで」
涼子さんが窮屈そうに笑み、背を向けた。
帰るんでしょ、気にしないで。それは裏を返せば、尾崎さんが荒れているから顔を出すなということだ。さらに言うなら尾崎さんに指示されたとも考えられる。きっと涼子さんは、逆らえないほど尾崎さんに惚れてしまっているのだろう。
太一は困難な恋に陥る涼子さんのうしろ姿と、友里を重ね合わせやるせなくホームを後にする。そして歩きながら、その気持ちを実感として理解した。