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「やはり、その源さんという人が、祖母の恋人だった可能性もあるのね」
電車の中では経緯を話す太一にまったく目を合わせようともせず、車窓の外をぼんやり眺めていた友里が、ロータリーへ出たとたん問いかけてきた。晩秋の日差しを浴びて、青かった銀杏の葉が所々枯れて金色に輝いている。
「そう、君の祖父という可能性も残しつつね」
「で、どうなの。源さんは父と似てるのかしら」
友里が、ホームの手前で少し歩を緩めた。情報しだいで闇に埋もれていた友里のルーツに光が当たる。なら、相応の心の準備は必要だ。それだけに太一としては迂闊に返事できなかった。
「似ているといえば似ているし、似ていないといえば似ていない」
「相変わらず煮えきらない返事ね。それ、きみの欠点よ」
友里が口をとがらせる。
そうじゃない。慎重なんだと反論したかったが、相手にしてみればまどろっこしいことに変わりがない。だからといって、太一の主観的な情報を伝えて無意味に混乱させても仕方ない。代わりに、新たに発見した確実な情報を知らせた。
「バイオリンのほかに、古い日記も出てきた」
「祖母の日記? ホームでもつけていたの」
「僕の知る限り、ホームでは日記をつけていなかった。ただ表紙が擦りきれていたから、かなり昔のものだと思う」
「思うって、読んではいないのね」
「もちろん。それを読む権利があるのは家族だけだ」
「嘘じゃないでしょうね」
友里が太一の目をまじまじと見返した。おそらく以前から日記の存在は知っていたのだろう。ただ日記というのは、ある意味その人の人生誌でもある。そこには友里も、友里の父も知らない波江さんの内面と生きざまが記されている。波江さんが亡くなったから家族に読む権利が与えられたが、存命中ならその家族ですら触れられないものなのだ。
「バイオリンも日記も、事務所のロッカーに鍵をかけて大事に保管してある」
太一は扉に手をかけた。そして友里のスリッパをシューズボックスから出し、自分専用の室内靴に履き替えると事務所へ向かった。遅れまいと友里が寄り添うようについてくる。
室内に涼子さんと尾崎さんがいた。太一と友里を見て、わざとらしく二人の距離を置いた。
「あら、可愛らしい女性だこと。もしかして彼女?」
涼子さんが取り繕ったように友里へ目を当てた。
「まいったな。この人は波江さんの孫で、偶然会って案内してきただけです」
「波江さんだって?」
気まずく背を向けた尾崎さんが、突然椅子を半回転させて声を荒げた。「なぜ、それを先に言わない」
「すみません」
「だとしても、へらへらしすぎだ。君はいったい何を考えているんだ」
太一は困惑した。この人は、どうしてこうも絡んでくるのかと思ったのだ。別にやましい関係でもないし、たまたま駅で会って、それで紆余屈折を経て連れてきただけのことだ。特に問題になることではない。
けれど、それを真正面から反論する強さも気概も太一は持ち備えていなかった。
「すみません」と、また謝った。
「案内してくるのは構わない。だが恋人と間違えられるようでは君の品性を疑われるぞ。それはつまり、このホームの信用が疑われることなんだ。注意したまえ」
三度、すみませんと頭を下げたとき、聞くのに耐えられなかったのだろう。友里が憮然とさせた。
「あなたが怒り、なぜきみが謝るのかがわからない。むしろ歓迎されてもいいはずよ。おかしいわ」
「部外者のあなたには、彼の日頃の行いを知らないのでわからないでしょう。できたら口を挟まないでほしい」
尾崎さんが友里の横やりをけんもほろろに一蹴した。けれど友里は引き下がらない。
「ううん。だいたいの見当はつく。彼の入居者に接する態度も、あなたの理不尽ぶりもね」
「理不尽。おもしろいことをいう人だ。あの大人しかった波江さんの孫とは到底思えない」
「あなたも、相当おもしろいと思うけど」
友里が言い返すと、尾崎さんのこめかみが一瞬ピクリと動いた。涼子さんがやめさせてと太一に無言で目配せしてきた。
気持ちはわかるけど、無理だ。たぶん彼女は我慢の限界を超え自制心を失っている。言いたいことを言いきらないうちにとめれば、火に油を注ぐのと変わらない。むしろ口撃の対象が広がって、それこそ収拾がつかなくなる。
それよりも尾崎さんのどこがよくて惹かれたのか知らないが、他人との対応に定評のある涼子さんが、完全に涼子さんらしさを失っていることに心配させられる。
反して友里は、人目も憚らずに堂々と友里らしさに満ちていた。
「だって、あなたは自分が理不尽で下劣なことに気がつかないもの」
「何だと!」
ついに尾崎さんがきれた。顔を引きつらせて椅子から立ち上がる。慌てて涼子さんが間に入った。太一も今度ばかりは狼狽えて友里をなだめた。
それにしても見た目のキュートさからは思いもつかない言動だ。波江さんは物静かだったから、両親のどちらかに似たのに違いないが、ここまで歯どめが効かないと戯れでは済まなくなる。
けれど太一の心配をよそに、友里の言動はますますエスカレートしていった。
「あなたの言い分では、彼とわたしが恋人に見えたら、ホームの信用が疑われるのよね。なら、あなたたちも恋人に見えるけど……品性を疑っていいのかしら」
禁句だった。尾崎さんが何も言い返せずに黙った。涼子さんも思いつめたように押し黙る。太一はどうしていいかわからなくなり、とりあえず友里を廊下に押し出して「波江さんのバイオリンと日記を、彼女に返します」と、二人の横を通り抜けた。