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陽炎歴乱舞  作者: 朝日菜
炬火のアリア
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第一話 スモールワールドⅡ

 地下に作られた光射さない廊下の奥──一号室の真上に食堂はあった。窓さえない無機質な白い食堂で、椅子に座ったアリアは床につかない足をぷらぷらとつまらなさそうに揺らしている。同室の少女のいぬいは、苛々とした表情のまま舌打ちを繰り返していた。


「すみませ〜ん」


 そんな乾の苛立ちが最高潮になる前に、変わったイントネーションの言葉を話す青年が食堂の自動ドアを開いて足を踏み入れる。


「俺、ここで働く食堂のおっちゃんなんやけど〜。そこのお皿、もう下げてええかなぁ?」


 十一歳のアリアや乾からすれば充分に大人びた見た目の青年は、使い古されたよれよれの割烹着を着用していた。そんな青年にアリアは一瞬だけ怯み、同じく初対面の乾は顔を歪ませる。


「お兄ちゃん、だぁれ?」


「あははっ、さっき言うたやん。俺は食堂のおっちゃんや〜、って」


「お名前は?」


「名前? ……あぁ、ごめんなぁ。俺、君らに名乗ったらあかんねん」


 好奇心で質問攻めにするアリアに向かって、青年は困ったような笑みを浮かべて手を横に振った。


「それに、俺は君らの名前も聞いたらあかん。……せやから、悪いけど名乗らんといてな?」


「あんたに名乗る名前なんかないし、どうでもいい」


 乾はそう吐き捨てて、青年から不快そうに視線を逸らす。

 青年は一瞬だけ驚いたように目を丸くして、一瞬だけ悲しそうに眉を下げて、一瞬で微笑んだ。


「ごめんなぁ。お皿、下げるで?」


 申し訳なさそうに頭を低くして近づく青年に、「消えろ」と乾は言葉で刺す。アリアが恐る恐る青年の様子を伺うと、意外なことに青年はニコニコと笑っていた。


「言われんでも消えるよ。せやからそないな顔したらあかん。な?」


 青年の声に吊られてアリアが視線を乾に向ける。アリアから二席離れた場所に座っていた乾は、言葉にできない感情をありのままに顔に出していた。


 怒り。悲しみ。不安。


 それらを幼いながらに苛立ちに変えていた。


「笑うことが一番。ニコニコは世界を救うんやから」


 空になった皿を給仕の青年が持っていき、食堂には再び二人ぼっちの時間が流れる。しばらく無音の時間が続き、それを破ったのは静かな自動ドアの開閉音だった。


「あっ! おじちゃん!」


「待たせたみたいだね、アリア君。もう施設のどこに何があるのかはわかったかな?」


「うん! ご飯はおいしかったっ!」


「噛み合ってない会話してんじゃねぇよ」


 乾は笑顔を貼りつけた五道ごどうを刺すように睨んだ。五道はアリアを撫でていた手で隣に座っていた乾を撫でる。そして、反吐が出そうとでも言いそうな乾をアリアはじっと見つめていた。


「さっきも言ったけれど、今日からアリア君には特別なお勉強をしてもらうことになっているんだ。乾君はもうそれを始めていてね、だいぶいい結果を残しているんだよ」


「へぇ〜!」


「だから、アリア君もすぐに追いつくように。ついてきてくれ」


「わかった!」


 ガタッと勢い良く立ち上がり、アリアは転げるように椅子から落ちる。


「ッ!」


 目を見開いた乾は手足をバタバタとさせて藻掻くアリアを見下ろし、見上げたアリアは見て見ぬ振りをした乾に向けて笑みを送った。


「何笑ってんの……。これから何が起こるかも知らないくせに」


「だって、さっきのお兄ちゃんが言ってたもん。『ニコニコは世界を救う』って。ねぇ、どうだった? 救われた?」


「はぁ!? ばっ、バカみたい! お気楽っ! 能天気っ!」


 乾は拳を握り締める。握り締めて椅子から下りた。


 また、アリアに何も言えなかった。何度も反抗した末の諦めではなかったが、純粋なアリアを前にすると何も言えなくなってしまった。


「二人とも、申し訳ないけれどあまり時間がないんだ。ほら、ここにおいで」


 両手を広げる五道の元へ、アリアは乾にお手本を見せるかのように笑いながら飛び込んでいく。


 その笑顔がいつまで続くのか、乾にはわからない。

 それ以上に、これから先何が起こるのかをアリアはわかっていなかった。それでもずっと笑っていよう──アリアは五道に抱き抱えられながらそう思った。


 自動ドアを開き食堂を出、施設長の五道の案内でアリアと乾は奥へと進む。


「では、乾君はいつものようにこの部屋に入ってくれ」


 乾の胡桃色の髪が揺れた。碧眼が見開かれ、伏し目となり唇を強く結んだ。


「一緒じゃないの?」


 見開かれたのはアリアの蒼目も同じだった。

 中年の男性には不釣り合いな、五道のショッキングピンク色の瞳は静かに閉じる。


「そういうものなのさ。……わかっているだろう? 乾君は」


「わかってる」


 乾の背中が少しだけ震えた。アリアは目を離すことはせずに取っ手を回す乾を見守る。乾が開いた扉の奥は真っ暗で、想像していたものとまったく違う環境に──アリアはここに来て初めて不気味さを覚えた。

 扉の奥へと進む乾は振り向かなかった。あまりにも暗すぎて、乾が扉を閉める様子でさえアリアには見えなかった。


「お、おじちゃん?」


 ぎゅっと五道の白衣を掴む。

 五道はそんなアリアを隣室の扉の前に下ろした。


「アリア君はこちらの部屋だよ」


 アリアの代わりに扉を開く五道は、薄く笑っていた。五道の笑みがアリアに見えたのは、乾の時とは違い部屋に電気がついていたからだった。


「遅いでーすよぅ五道せんせぇ? 私、待ちくたびれちゃいましたぁー」


 すると、黒ずくめのワンピースをバタバタとはためかせた女性が出てきた。給仕の青年よりも年上そうな若い女性は、子供っぽく頬を膨らませる。


「それは悪かったね、亜子あこ君」


「もういいでーすよぅ。……で、この子が私の担当ですかぁ? 小さくて可愛いですねぇ。この子ならすぐに終わりそうでーすよぅ」


「そうか。早く終わるなら終わるで構わないよ」


「なるほどぉ? 了解でーすよぅ。準備しますねぇ」


 二人がなんの話をしているのか、当然アリアにはわからなかった。気づけば五道は部屋から出、アリアと亜子だけが残される。


「お名前聞いてもいいですかぁ?」


「……お名前、言ってもいいの?」


 給仕の青年は断ったのに。

 アリアに背中を向ける亜子は白衣に袖を通し、たんぽぽ色の腰まであるくせっ毛の髪を一つに結んで頷いた。


「当たり前でーすよぅ。名乗ってはいけない、名乗らせてはいけないのは〝彼〟だけですからねぇ」


「アリアだよ! おじちゃんがつけてくれたの!」


 アリアは嬉しくなって声を弾けさせる。五道以外の誰かに名乗り、旧名ではなくアリアと呼んでほしかった。


「アリアですねぇ。私は芽童神かいどうしん亜子でーすよぅ。これからよろしくお願いしますねぇ」


「はいはい! あこりん! あこりんって呼びたい!」


 手を伸ばして元気よく跳ねるアリアを、亜子はたれ目がちな黄緑色の瞳で眺めながら微笑んだ。


「呼び方はなんでもいいでーすよぅ。お好きに呼んでくださいねぇ」


「やった! あこりーん!」


 亜子を強く抱き締めると、亜子は「よぉしよぉしでーすよぅ」と五道のように頭を撫でた。だが、それもすぐに終わりを迎え亜子はアリアを引き剥がす。


「アリア、私はあまり時間を無駄にしたくありませんよぉ。早速ですがこれから始めてもいいですよねぇ?」


「お勉強でしょ? いいよ!」


「それじゃあ、遠慮なくやりますよぅ。アリアは乾と違って初めてなので、こちらへどうぞでーすねぇ」


「うん!」


 亜子が手で指し示したのは、柔らかなベッドではなく固いアクリル製のベッドだった。お勉強と言う割には一向に勉強道具が出てこないことに疑問を抱きながら、アリアは亜子が指示するようにベッドに寝転ぶ。


「さぁ、アリアはこれから生まれ変わるのでーすよぅ。私も五道せんせぇも、成功を祈っておりますねぇ」


 ニコニコと亜子は優しく笑った。アリアはその笑顔に安心感を抱き、青年の言葉を胸に抱いてニコニコと笑い返した。


 これから始まる、この小さな小さな世界を救う為に。

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