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陽炎歴乱舞  作者: 朝日菜
炬火のアリア
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第一話 スモールワールドⅠ

 少女は迫り来る業火に涙を流した。熱風が少女の全身を包み込み、煙が視界を霞ませる。それでも少女は息を吸い、掠れた声を上げた。


『パパ……! ママ……!』


 少女は叫ぶ。自分を生み出してくれた、愛しい人たちを求め続ける。


 見知らぬ誰かに手を引かれても。

 煙がすべてを覆っても。


『──……。逃げて……』


 愛しい人たちの最期の言葉に抗っても。


『やだってばぁあぁぁあぁ!』


 声が枯れても。





 少女が次に見たものは、荒ぶる炎ではなく落ち着いた雰囲気の建物だった。それは、陽陰おういん町にたった一つしかない養護施設だ。


 運営しているのは、《十八名家じゅうはちめいか》という町の重要機関を一つずつ牛耳っている、十八にも及ぶ名家の内の一つ──綿之瀬わたのせ家。


 それは、主に陽陰町の研究をしているという謎の一族だった。


 まだ十一歳の少女は、そんな町の仕組みさえ知らずに手を引かれていた。

 紅蓮の炎とは異なる、雲一つない蒼穹が少女の視界に入る。少女は無意識のうちにその空色に癒しを求めていた。


 空色が少女に応えることはなく、少女の手の届かないところで煌々と輝く。周辺の森の木々の葉は、いつの間にか若葉から深紅に色を変えている。陽陰町には森が多く住宅街が一つしかないことからわかるが、この養護施設は隔離されているような場所に建っていた。


 少女は次に、一切喋らずに自分の手を引く女性を見上げる。白髪混じりの女性の名前は綿之瀬乙梅おとめ。刻み込まれた皺の数だけ何かしらの覚悟があるような、そんな印象を抱かせる凛々しい女性だ。

 暗闇の中、少女は女性が名乗ったことを覚えているが──女性が綿之瀬家の現頭首だということは知らなかった。


「──、ここよ」


 少女が知っていることは、──が自分の名前だということ。そして、両親が火災で死亡したということだけだった。

 少女は乙梅と一緒に、温かなクリーム色の壁をした養護施設の中へと入る。そこで少女と乙梅を待っていたのは、白衣を着た乙梅と変わらないような年齢の男性だった。


 前髪を上げて顕になる顔の皺の数は、乙梅にも劣らない。しかし、目元の泣きぼくろだけが厳格そうな彼の印象を和らげている。


五道ごどう、彼女が事前に連絡していた──です」


 低いが、芯の通った声で乙梅は少女の背中を軽く押した。少女は一歩二歩前に出て、五道という名の男性を細部まで見つめる。


「お越しいただきありがとうございます、乙梅様。彼女ですね」


 柔らかな口調の五道は微笑みを浮かべ、そっと少女の前に手を差し出した。


「はじめまして、私は綿之瀬五道。ここの責任者だ。これからよろしく、──君」


 少女は五道の武骨な手を取ったが、言葉は一切出さなかった。

 なんと言えばいいのかわからなかった。


「それでは五道、後はすべて貴方に任せましたよ」


「はい。乙梅様」


 五道は、実姉の乙梅に深々と頭を下げた。少女も五道に合わせて意味も知らずに頭を下げた。

 五道は乙梅が姿を消した後、そんな少女に視線を合わせる為にしゃがみ込んだ。


「──君。──という名前は外国名だね?」


 少女は首を傾げた。同時に少女の、ツインテールに結ばれた金色の髪が揺れる。


「今朝方届いた書類を見させてもらったよ。君はイギリス人の血が四分の三も入っているクォーターの──だってね。日本人の血は祖父イトさんからのものだから、外国名なのは理解できるよ。けれど、日本では馴染みのない名前だから少し気になっていたんだ」


 今度は少女の蒼い瞳が揺れた。顔立ちは日本人に近いものがあるが、瞳の色も髪の色も日本人とは程遠いものだ。


「それで、これは私からの提案なんだけどね。君の育ての親として、君に新しい名前をプレゼントしようと思うんだ」


 プレゼントという単語に少女は反応した。



「──……有愛アリア、というのはどうだろう」



 そして目を見開き、僅かに唇を震わせる。


「……あり、あ?」


 そこから漏れ出したアリアの掠れ声に、五道は肯定するように強く強く頷いた。


「……ありあ。……アリア……」


 確かめるように、何度も何度も自分の名前を声に出した。自分の声を聞いたのは数日ぶりだった。


「気に入ってくれたかな? これなら外国でも日本でも通用するからね」


「うん」


 アリアは五道にぎこちなく笑った。

 五道はそんなアリアの頭を優しく撫でる。アリアの金髪が五道によって乱れるが、アリアは気にもせずに瞳を閉じて五道に甘えた。


「その代わり」


 アリアが瞳を開けると、笑みを浮かべる五道が視界に入った。


「もう二度と外には出ないこと。約束できるかな? アリア君」


 アリアは頷くだけだった。外出先で火事に遭遇してしまったから、外に出たいという願望はもうなくなっていた。


「いい子だ」


 五道はアリアの手を取って、これからアリアが暮らす部屋へと案内した。


 アリアが五道に与えられた部屋には、一号室という番号が付けられていた。五道はドアノブを回して扉を開ける。中には、二段ベッドの下の段で横たわったまま本を読む──アリアと同い年くらいの少女がいた。


いぬい君、彼女が君のルームメイトのアリア君だよ」


 乾は本からアリアに視線を移した。

 眼鏡の奥の瞳は嫌悪しか残っていない。乾はアリアに何も言わず、五道に口も聞かず、布団を被り直して姿を隠した。


「……?」


「乾君は恥ずかしがり屋なんだよ。あまり気にしないでくれ」


「うん。わかった、おじちゃん」


 五道は繋いでいたアリアの手を離し、アリアを部屋の中へと入れる。名残惜しむアリアに気づかない振りをして、五道は無慈悲に扉を閉めた。


 扉を眺めていたアリアは深呼吸をして、乾の方へと向かう。らしくもなく緊張しながら、アリアはその膨らみに話しかけた。


「こん、にちは」


 返事はなかった。


「こ、こんにちは」


 アリアの二度目のそれにも返事をせずに、布団の中の乾は黙々と頁を捲る。それはさっきまで黙っていた自分のようで、目に映るすべての物に興味を示していた自分とは正反対のようでもあった。


「……こんにちは!」


 叫びにも似た挨拶に、乾はようやく布団から這い出てアリアを見上げる。


「あんた、朝からうるさい」


 それが乾の第一声だった。

 第一声がどんなものであれ、乾の声でアリアは再びぎこちなく笑う。両親を亡くしてから初めて出会った同い年くらいの少女は、アリアにとって早くも心の支えとなっていた。


「……チッ」


 アリアの笑顔に未熟な舌打ちをして、乾はアリアから視線を外さないまま眉間に皺を寄せる。


「なんで金髪なの? あんた。不良?」


「これ?」


 乾の問いかけで両方のツインテールを掴んだ。首を傾げると、乾は無言で頷く。


「あのね、ママがそうなの」


「ハーフってやつ?」


「違うよ。くぉーたーだよ」


 乾は眼鏡の奥でまばたきをして、そのまま興味なさげに視線を逸らした。





 翌朝目を覚ましたいぬいは、視界に入った見慣れない天井に目を見開いた。次の瞬間、真下から聞こえてくる寝息にほっと息を吐く。


 生まれて初めてのルームメイト──いや、生まれて初めて同じ施設で暮らす孤児に下のベッドがいいと駄々を捏ねられたことを思い出して、乾は梯子を下りた。


 綿之瀬わたのせ家が養護施設を開設して以来二人目となる孤児のアリアは、日本人ではない。綺麗な金色の髪なのに同い年の子供よりも幼い顔で、今まで大切に育てられたことがよくわかる美しい肌は陶器のようだった。

 乾は生まれて初めて出会った外国人の寝顔を観察し、その蒼目を視認する。


「あ、起きた」


 乾と目が合ったアリアは飛び起きて、呆然と彼女を見つめた。状況を把握し終わったアリアは口を開けたり閉めたりを繰り返して──


「……おはよう!」


 ──ようやく言葉を振り絞った。


「ちょ、あんた! 朝からうるさ……」


 ぐぅぅという腹の音が一号室に鳴り、乾はゆっくりと口を閉める。


「お腹すいた」


 自分の目の前にいる外国人はお腹を押さえて眉を下げた。自分以外の腹の音を聞いたことがなかった乾にとって、アリアという存在は生まれて初めての塊だった。

 乾はそんなアリアを惹きつけられたかのようにして見ていたが、ノックの音が彼女を我に返らせる。嫌悪感が彼女の中から湧き上がり、幼子らしく隠そうとはせずに振り返る。


「おじちゃん!」


 乾の感情とは裏腹に、明るく五道ごどうを迎え入れたアリアはベッドから這い出て五道に駆け寄った。


「おはよう。アリア君、施設にはもう慣れたかな?」


「うん!」


 大きく頷いたアリアの頭を撫でつつ、五道は乾へと視線を動かす。問うような視線だ。乾は五道の視線を避けて舌打ちをした。


「さっそくだけれど、今日からアリア君には特別なお勉強をしてもらうよ。食堂で朝ご飯を食べ終わったらまた迎えに行く。だからしばらくそこで待っていてくれ」


「わかった」


 五道にどこまでも従順なアリアを横目に、乾はベッドの方へと引き返そうとする。それを止めた五道の声は、柔らかかった。


「乾君、君もだよ」


 乾は何も言えなかった。

 それは何度も何度も反抗した末の諦めだった。


「…………チッ」


 それを返事だと受け取って、五道は部屋を出る。

 ルームメイトを食堂へと案内するのは自分の役割だと言わんばかりの行動に、乾はさらに不快感を募らせていった。


「……ねぇ、お勉強って何?」


 乾は取っ手へと伸ばしていた手を一瞬だけ止めた。自分とは違う無垢な少女が、自分と同じ勉強をさせられるのかと想像して心の底から吐きそうになる。


「まだ、知らなくてもいい」


 先に一号室を出て廊下の空気を吸い込んだ。


 少しだけ楽になった息苦しさをまだ感じない少女が、少しだけ哀れで。これから穢されていく少女が、少しだけ哀れで。

 乾は少女がどんな表情をしているのかと思い、不意に振り返った。乾と目が合ったアリアはまばたきを数度繰り返した後、慌てて乾の元へと駆け寄る。


 離さないでくれと言いそうな手が、乾のパジャマの裾を強く強く握っていた。

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