異世界トリップしたらなぜかブスと蔑まれた6
「まるで廃墟ではないか!」
と、激昂しているのはシンで。
役目を終えたとばかりに踵を返したのは人光体の御者で。
とりあえずわたしは彼に手を振った。
ベールという防御方法を身に着けたわたしにとって、昼間の太陽くらいに許せる光量になった御者はそう無下にする存在でもなくなっていた。
人光体は光の棒を取り出し幾度かこちらに振った。
振り返って手を振った、という想像が正しいかはわからないけど、まあ好きに解釈しておこう。
さて、見送りは終わった。
あとは今日からの住処の問題だ。
シンは怒っているが、わたしにはその意味がわからない。
むしろ困惑している。
なにせ、デカい。
あの権力者どものことだから丸太の掘っ立て小屋でも用意されているかと思いきや、立派な建築物が目の前に。
感謝なんてしないけどな!
屋敷といって差し支えないその建物は確かに少々くたびれていた。
そして案の定、こういった建物には付き物の使用人的な人々が迎えてくれるなんてこともなく。
木々のざわめきの中、ぽつんと建っているこの寂しげな屋敷は、わたしとシンだけで支えていかなければならない生活空間だということだ。
つまり、何をどうしても良いってことよね!
村まで少し距離のある森の中。
緑の隆盛に押されて飲み込まれそうな風情が逆におとぎ話のようでわくわくしてしまった、とはシンには言えない。
屋敷を囲う黒い鉄柵には緑の蔦が巻き付いて、庭には背の高い頑丈そうな野草が立派に存在を主張している。
屋敷の窓ガラスは辛うじて無事のようだけど、確かに手入れは早急に必要だろう。
けれど見た目的には普通に住めるように見えるんだけどな?
「シン、そう怒らないで。きっと二人でやればすぐに快適な住まいになるわ。無理に連れてきたあなたに苦労ばかり掛けるのは心苦しいけど、手伝ってもらえません?」
シンは少し虚を突かれたような顔をした。
「苦労などと思ってはおりません!…それよりもユアさまを働かせるなど」
どうやらそこが引っかかったらしい。
そういえば、シンにとってはマレビト=偉い人だ。
城の発光体どもの「マレビト=国の為に働く奴隷」認識とはエライ違いだ。
確かにこれを一人でなんとかしろと言われたら絶望するかもしれないくらいには屋敷は荒れている。
シンの激昂理由はよくわかった。
「わたしが住むのですから、わたしが動かなくてどうするのです?」
心底そう思う。
わたしにだってかつて住んでいた家はあった。
少々ずぼらなわたしだから、掃除が行き届いているとは言い難かったけど、わたしなりの快適空間は自分で作ったのだ。
凝り固まった既存の概念はすべてナシだ。
マレビトという者がどういう存在で、どう遇されるべきで、どう振舞うべきか、など、この森の中ではどうでもいいこと。
「そうでしょう?」
にっこりと笑って、互いの距離も考えようと伝えれば、シンはしぶしぶ頷いた。
部下と上司のような微妙な線引き。
もうちょっと対等な人間として距離を詰めたいところじゃないか。
「まずは日が沈む前に寝床を確保しましょう」
蔦が絡まって開かなかった門はシンが剣を抜いて蔦を取り払ってくれた。
剣!抜身の刀身は初めて見た!
ちょっとテンションが上がってしまった、反省。
屋敷は定期的なメンテナンスをある程度はしていたのではないだろうか。
そんな印象を持った。
人が住まなくなってからは大分経ちそうだが、放置されたのはそう遠い日ではなさそうだ。
家具類は最低限揃っているけど、他には何もない。
御者が置いて行った荷物の中に数日分の食料と毛布があったからそれで凌いで、その間に何とかしなければいけないだろう。
最悪、森の木の実でも探しに行かなければ。
そこまで覚悟しても、寝床のベッドは使いたくない。
…せめて埃にまみれたマットや掛布団を何日か日干しするまでは。
城では使う機会に恵まれず、道中自分に幾度か使ってみたのみで、いまだに効果のほどの知れない生活魔法『浄化』が大いに役に立った。
はじめて魔法の恩恵に預かったのがこれとか、なにか間違っている気もしないでもないが、シンが目を輝かせて称賛の眼差しを送ってくるからそれでよし。
部屋を一つずつ、とりあえず確保してその日は眠りについた。
新生活一日目。
朝の目覚めは間を取って普通、になるだろうか。
ベッドが使えず、毛布を巻きつけて眠った体の方はバキバキと凝り固まっているけど、心の方は清々しい。
うるさい人の目はないし、空気はおいしい。
やることもたくさんあって、城に居た時とは随分と様変わった勤勉な気分が心地いい。
城時代の書庫通いは、今考えてみれば、もはや強迫観念だった。
恐ろしい場所!
わたしみたいな庶民にあんな高貴で悪意溢れた場所は荷が重い。
「よーし、やるぞー!」
自分に発破をかける。
この場所は自分に許された自由空間だ、城の不自由ない暮らしと引き換えにしても天秤はこちらに思いっきり傾いていた。
今のところは。
さて、人が人らしい生活を送るために必要なもの、衣食住。
衣服はともかく、食…はシンに頼ろう。
残念だが、わたしに出来る事はない。
これっぽっちも思いつかない。
剣を持っているのだ、わたしのような軟弱な現代人には辛い、人の手の入っていない森の中も歩ける、はず。
シンさまと呼ばせてもらいたい。
あと、シンをさらってきた自分の英断を褒めたい。
段々と原始的な生活になってきたけど、まあ、古来から狩猟と農耕と牧畜でひとは生きてきた。
飢えることのない贅沢と、好き嫌いを言える贅沢を知っている庶民は長い人類史の中でもここ数十年に生まれ育ったほんの一握りの人間だけだろう。
いつぞやの時代の王よりよほど恵まれた環境を甘受していた自負がある。
いつか痛い目を見るのではないか、なーんて、たまに豪勢な食事を前に思ってたなあ。
ま、そんな感傷に長く浸っているような性格ではないわたし。
頭を切り替えて考える。
食はシンに任せるとして、ならばわたしの役割は住を整えることだ。
せめてシンに見捨てられないくらいの、目に見える成果を見せたい。
彼がいなければ簡単に死ねる状況だ、これは。
飢餓よりは、主に孤独感で。
だとしたら、こんなところで時間を浪費している場合ではなかった。
昨日の内に見つけて、使えるようにしていた庭の井戸から水を汲んで顔を洗う。
これは中々の重労働だね!
五杯も汲めば明日は筋肉痛に苦しむこと、想像に難くない。
「ユアさま、こちらにいらっしゃいましたか」
後ろからかけられた声。
住人はわたしとシンだけ。
警戒心もなく、わたしは振り返る。
「おはよう、シン」
果たして見慣れてきたシンの顔があった。
が。
わたしはいつも通りに挨拶をしたはずだ。
うん。
「………」
シンさん?
おーい。
声が返ってこない。
勘違いでなければ、放心、しているような?
シンの目の前で手を振ってみる。
呆然自失、という表現がとても似合う状況だ。
辺りを慌てて見渡してみても危機的状況が起きたわけでもない。
はて?
そのような状況になる事態が他に思いつかない。
「シン?」
一体なにがおきたの!?
恐る恐るもう一度声をかけてみたら弾かれたようにシンが飛び退いた。
え、なんでさ…。
一歩踏み出すと、大げさにシンも下がる。
困惑。
なに、近づかない方がいいの?
なんかシンが、野生動物みたいになってんだけど。
「ユ、ユアさまで、いらっしゃいますか!?」
悲鳴のような問いが飛んできた。
ってか、他の誰に見えるっていうのさ。
「そうだけど。突然どうしたの?」
近眼にでもなったのか?
それはとても心配だ。
自分が苛まれていた問題だけに真剣に心配だ。
「そ、そ、そ、そのお顔はどうなさったのですか!」
意味がわからないよ!
顔がどうしたって!?
相変わらずわたしにとっては普通の顔で、きみたちから見たらブスな、つまり通常運転なわたしの顔に一体今さら何のケチをつけるのさ。
反射的に自分の顔を触って気付いた。
あ。
「…化粧か。」
がっくりと崩れ落ちる。
化粧をする前の、すっぴんがそこにはあった。
そういえば、誰かの前で素の顔を晒すのはこの世界に来て初めてだ。
いや、でもさ、言い訳させてよ。
これからこの場所がわたしの一番くつろげる場所になるわけじゃん?
化粧は女の武装よ?
家では解いたっていいじゃない!
そう、こんなことがなくたってこれからはノーメイクのまま過ごそうと思ってた。
だって、元の世界から持ってきた化粧品は有限だし。
でも、さすがに…これは。
この反応は。
ちょっと、泣きたい。
異世界人にとって、ブスのすっぴんは慄くほどブス。
うん、心に刻んだけど。
「どうか、慣れてください」
切実に頼み込んでみる。
これで断られたらどうしようもない。
ちょっと黄昏ていたら幾分かしっかりしたシンの声が聞こえてきた。
「…それが本当のユアさまなのですね?」
「………はい」
いや、そんなに何回も確認しなくても…。
「よく、わかりました」
ごくりと自分の喉が鳴る。
判決を言い渡される前の気分ってこんなだろうか。
ここで見捨てられたらあとは野となれ山となれ。
死という言葉が俄然現実味を帯びてくる。
「そういうこと、だったのか」
長い息を吐いてシンが言った。
あ、敬語とれた。
シンもスッピンだ。
「そうやってずっと自分の身を守っていたのですね」
……うん?
「こんな辺境の住処を歓迎する素振りだったのも納得しました」
ええと、そうね。
とっても歓迎してるわ。
伝わってなによりだと思うのに、なんか…ボタンを掛け違っているような?
こんな感覚、ついこの間も覚えた気がして既視感。
ブスが本当はもっとブスだったから、ばれないように田舎に引っ込んだと思われている、てーことでいいんだよね?
本当は光が強すぎて逃げてきたのが正解だけど。
ま、特に解く必要もない誤解だ。
「真実を見せてくださったということは、私を信頼してくださったということですね」
いえ、さらってきたというのに恨み言を言わず、付いてきてくれた時からずっと信頼しているけども?
思わないでもないが、そう問われれば嘘を吐く意味もないので真実頷かざるを得ない。
すっぴんを見せられて、信頼されたと受け取る君もかなりの変わり者だね!と言いたいがそんな冗談を言えない雰囲気だ。
「今、私は貴方の強い決意、気高さ、そして純粋さに心を新たにしております。ユアさまの信頼に足るだけの働きを必ずや!」
ばっと勢いをつけて膝を折り、頭を下げる。
騎士みたいだ、なんかときめく!
いやいや、ときめいてる場合じゃない。
シンさん、あなたの目に見えているわたしは、たぶん別の誰かですよ。
教えてあげたいけど、ここで見捨てられても困る!
心を鬼にして真実を口にすることを耐えた。
「あ、ユアさま人前に出る際はあの変化の魔法道具を使うか、必ずベールで顔を隠してくださいね」
刺激が強すぎだからか!この野郎!
もう少しオブラートに包む優しさを所望する!
主人公のテンションが段々と落ち着いてきてしまった…。
ハイテンション難しい。