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ブスと蔑まれていた主人がなぜか美女になった8



華奢な体が宙に浮いた。

弾き飛ばされるように後方へと跳んだ体が床に叩きつけられる。

滑るように投げ出されたユアさまの手がぞっとするほど白かった。


庇うように広げた腕。

それに守られて、俺たちの身には何一つ起きなかった。

神術の余波ですら、すべて、彼女が受け止めたのだ。


ユアさまの小さな呻き声にやっと我に返る。


―生きて…おいでだ。


その事実だけが俺の頭を過ぎり、頭の中で安堵に変わる前にユアさまが身を起こそうと床に手を着いた。


同時にふわりと俺を包む風のような気配。

何事かとユタと視線を走らせる。


正体に気付いて泣きたくなった。

それは弱々しい、ユアさまの結界。

まだ、守ろうと言うのだ。

俺たちを。

自分を守る前に。


ふらつく頭を押さえて、必死に意識を繋ぎ止めるのは他の誰でもない、俺たちの為だった。

少しずつ、頑強になっていく結界にユアさまの強い意志を見る。


自分を後回しにしてしまうあなただから。

人のことばかりのあなただから。

あなたが蔑ろにするあなたのことを、一番に考える者がきっと傍には必要なのだ。

俺たちは、そのためにいるに違いない。


けれど、慌てて駆け寄ろうとした足は踏み出せずに終わる。


上半身を起こしたユアさま。

その額からぽつりと生命の根源が流れ落ちた。


赤い、血だ。


震えるほどに恐れを抱く。

吐き気がするほどに、自分を嫌悪する。

こんな事態を防げなかった、不甲斐なさがそうさせた。


「ユアさま、ユアさま…血、が」


神よ、大いなる神よ。

どうかお許しを。

あなたの愛し子を守れなかった俺だけど、まだ、彼女の傍に居たいのです。

願う。

許しを請う。


「う…」

「なんだ、これは」


王子たちの呻き声は意識の遠い場所で聞こえた。


否応なく流れ出すのはユアさまの、本当の、神気。

血は空気に触れた瞬間に、普段はユアさまがその意志で押さえ込んでいるであろう神気を気化させ、辺りに濃密な気配を漂わせた。


王子が神術士に鋭く命じる。


「押し返せ!」

「無理です!し、侵食される!!」


けれど即座に怯えの色濃い悲鳴のような声が返ってきた。


ユアさまが何者であろうとも、俺には関係がない。

そう思っていたとしても、圧倒される奇跡がそこにはある。


息すら許さないような、神の気配。

比重の重いそれは地面から積み上げられ、ゆっくりと俺たちを浸していく。


王子たちと同じように、一個としての生命が持つ本能が一瞬、拒絶の反応を示そうとしたけれど、シェリアとサイラスが目線で制してくる。

それを受けて意識的に肩の力を抜いた。

自分の意志で俺たちを侵そうとする気配に身を委ねる。


そうだ、これはユアさまのお力。

彼女のものならば、何一つ否定する理由はない。

そう腹を据えたとたんに、その神気は溶けるように消えた。

いや、多分俺にとって異物ではなくなったということなのだろう。


そうしてみると、むしろこれほど心地よい空間はない。

息をせずとも空気を全身に送り込まれるような、一種の極限状態。

体は軽く、筋肉はユアさまの気配を糧に今までになく十全に動くことを約束している。


そして俺は結局ユアさまのことを考える。


―これほどの力を押さえ込むのに、一体ユアさまはどれほどの苦労を重ねてきたのだろう。


他のマレビトに比べて劣ると言われる程までに、必死にその身に収めていた力がどれだけ強大なものだったのかを今更知って、ユアさまを想う。


ユアさまがなぜ孤独な地で、尚も人を拒絶し過ごしていたのか。

神気を持たない俺たちだけが傍に居る事を許された理由。

その意味を知る。


あまりにも強すぎるからだ。

一人の人間が持つにはあまりにも、彼女の力は、過ぎている。


何よりも不幸なのは、ユアさまがそれを自覚しているという事実だろう。

過ぎたる力が呼び込むのはなにも幸福ばかりではない。


世界に影響を与えぬよう、誰かの人生に介入せぬよう。

ユアさまは細心の注意を払い過ごしてきた。


前にいた世界でなにがあったのか。

そんなことは簡単に想像がつく。


だからユアさまは生まれた世界すら捨て、見知らぬ世界で誰とも縁を繋がず、その力の大きさすら誰にも告げず、姿を偽り、蔑まれることを受け入れてきたのだ。


かなしく、さみしく、孤独で、孤高で、そして優しすぎる生き方が胸を締め付けた。


湧き出す感情がある。

後から後から溢れてやまない。


いとしい。

愛おしい。


そのかなしいまでの生き方が。

その痛いまでの優しさが。

いとしくて、胸が痛くて、死にそうだ。

いとし過ぎて、感情が零れだして、泣きそうだ。


まるで俺の心のように、流れ出す血は押さえたユアさまの指の間から零れ、床に落ちる。


そして俺は、まだ起こる奇跡を見た。

重なる奇跡を、見た。

理解したと思ったユアさまの、その身に隠した秘密がまた一つ暴かれる。


―血は、床に当たってこつんと硬質な音を立てた。

ころころと転がる赤い粒。


それは小さな音。

けれど広間は静まり返った。


なにが起きたのかを咄嗟に理解できた者は多分いない。


けれど、その時確かに時間がとまった。


「…ユア、さま?」


誰かの、掠れた声が止まった時間を動かし始める。


はたりとまた一滴。

目を凝らす。

赤い雫は空中を泳ぐ間に、純度の高い神気が表面を覆い、空気に触れて硬質化した。


一つ、また一つ、赤い宝石が床に散らばる。

ユアさまの周りを彩る、美しい光景だった。


隣で喉を鳴らす音を聞く。

サイラスが尋常ではない量の汗をかきながら呟いた。


「…神血石だ」


限界まで目を見張る。

驚きは喉を締め付けて呻き声のようになった。


それは名の通り、神の血が結晶化したと言われる鉱物。

本当のところは誰も知らない。

希少ゆえに、真偽を確かめることすら出来ない。


「純度の高い神気と、血が原料だったのか」


初めて知る、事実。

けれど、その名を知らない者もまたいない。


「血を、止めなければ。今すぐに…」


蒼白な顔で、震える声でシェリアが言った。


今まさに生み出されているそれ。

一つ食めば王になることも出来るだろう。

一つ食めば希代の神術師にもなれるだろう。

病人が口にすればたちまち健全な体を取り戻し、欠損した四肢ですら戻ってくるだろう。

あるいは寿命を捻じ曲げ、容姿すら作り変えることが出来るかもしれない。


「無理、だ」


シェリアの危惧する恐れに、俺は弱々しく否定を返した。


別名、戦乱を招く宝玉。

発見されればたちまち各国が獲得争いに剣を抜く。


彼女に降りかかる災厄を、俺は心底憎んだ。


今更隠したとしても、もう、遅い。

それが作られる過程を目にした者がいる。

この場にどれほどの人がいると思っている?


一人二人なら迷わずその命を奪っただろう。

必要だからだ。

秘匿されるべきだからだ。


けれど、これほどまでに目撃者の多い状況はそれを許しはしない。


「やめてくれ。これ以上ユアさまを巻き込むのは…」


見ればわかる。

この世界に、神以外にこれほどの力を持つものはいない。

成り代わろうと思うことすら出来ない圧倒的な力。

ユアさまが持っているのはそういうものだ。


その事実が示すのは、そう、この奇跡の宝石を生み出せるのがユアさましかいないという事。

つまり、他の誰かから見れば、あるいはユアさまは神血石の材料(・・)なのだ。


どれだけの試練が降りかかればユアさまは解放されるのだろう。

神よ、彼女を愛しいと思うのなら、与えてはいけない。

どうか、これ以上、過ぎたるものを愛の代わりに押し付けないよう、お頼み申し上げる!


シェリアは恐れ、ユタは慄き、キリはユアさまを追い詰める何かに憎悪を燃やし、サイラスは必死に解決策を考える。

苦悩が俺たちを染め上げた。


けれど、やっぱりそれを止めるのは彼女。


「わたしは、大丈夫よ?」


涼やかな声。

顔を上げれば、微笑むユアさまがしっかりと床を踏みしめて立っていた。


いつもと変わらない調子で、いつも通りの顔で。


俺たちの前に再び立つ。

守るように、庇うように、矢面に立つように。


彼女は王子達を睨め付けて、不適に笑った。


「次は、もう通じないわ」


その言葉に虚を突かれた。

何を指してそれを言うのか、ぽかんとして、やっと気付く。


―ああ、そうか。


「試してみたら?」


ユアさまの意志が神気を動かし神術になる。

俺たちを覆う強固な結界。


ユアさまにとって大切なのは、生み出される宝玉でも、その身に秘めた力でもなく。


この短い時間で起きた目まぐるしい出来事の数々。

彼女が選ぶのは、一番小さくて、一番影響のない、『俺たち』。


守りたいのは、俺たち。

怒るのは、暴かれた真実ではなく、王子たちが俺たちに向けた刃。


不意に笑いが漏れて、俺たちは顔を見合わせた。

そこに同じものを見て取って頷き合う。


「わたしの大切な人たちを傷つけようとしたわね?許さないわよ。」


ユアさまは大丈夫。

心は折れない。


―きっと、俺たちがいる限り。


俺たちこそが、世界を背負う彼女が、世界を身近に感じられない彼女が、代わりに選んだ身近な『支え』。

この命が、ユアさまの心を守っているのだ。

特別を作らない彼女が、『大切』だというこの命。


「悲嘆に暮れてる場合じゃない」


キリが自分の頬を両手で叩いた。

容姿と裏腹に直情的な彼女らしい気合いの入れ方だった。


「誰かを守るだけでは足りない。自分の命すら守らねばならなくなるとは」

「命を賭けることも許されない状況になるなんて思わなかったわ」


ユタとシェリアが可笑しそうに。


「力を求め続けた人生だったが、今となってはいい選択だった」


サイラスが得た力を自慢げに振り回した。

少しばかり羨ましい。


だが、それは俺も同じ事。

俺とてユアさまに出会うまで、力ばかりを求めていた。

今はそれが役に立つ。


ユアさまが顔を覆っていた血を無造作に拭った。

露になる、美しい容姿。

張り付いた赤い血が余計に、肌の白さと髪の艶やかな闇色と、瞳の中の無数の瞬きを際立たせた。


ああ、忘れておられるのだな、と俺は口元に苦笑を刻む。


案の定、ユアさまを目にした王子が呆けた後に、思わず口から零れたような言葉を漏らした。


「貴様が、我が国のマレビトだと?」


そうだとも。

ユアさまこそ、この地に降りたったマレビト。

優しさ故に比類なき力を振りかざすことのできない、愛しい人。

畏敬の念を捧げるべき相手だ。


先ほどまで偽者だ、魔女だと騒いでいた彼らでも、神血石を生み出すほどの神気を持つ者がマレビト以外に居るわけもないことくらいは明白。

それは皮肉にもユアさまの身を証明するこれまでにない証拠となった。


まあ、当然のこと、王子にとって衝撃だったのはそんな自明の理染みた事実ではない。


「馬鹿な、なんだその顔は。お前はもっと!そんな、嘘だろう…?」


今までその容姿を罵ってきただけに認めるのは容易ではないらしい。

だが、美しい(かんばせ)はもはや隠しようもない。


全てを察したのか、王子の声は足元が崩れるかのような響きを持っていた。


「!?っシン!どうしよう、ベールを!」


王子の反応に疑問を抱いたのか、自分の顔を手で触り、ユアさまは声にならない叫び声をあげた。

素顔を晒していることにやっとお気づきになられたようだ。


あれほどの奇跡を起こしておきながら、それに関してはやっぱり慌てるらしい。

不敬ではあるが、あわあわと詰め寄ってくるユアさまが少し可愛く見えた。


「ユアさま、恐れながらもう遅いかと…」


苦笑と共にそう意見すれば、ユアさまが不安そうな顔をした。


「諦めましょう、ユアさま。そもそも突発的事態で誰もベールやその代わりになるものを持っていません」

「ユアさまの心中ご察し致しますが、ユアさまはユアさまです。隠すこと自体が間違ってると思います」


ユタとキリに言い募られてユアさまは勢いをなくした。

肩を落とした悄然とした姿。

きっと、力と同様に、その容姿も、ユアさまに幸福は運んでこなかったに違いない。


だけど、俺は誓ったんです。

だから安心させるように微笑んだ。


―大丈夫です。

そんな意味を込めて。


「何があろうとも必ずお守りいたします」


ユアさまの目が一欠けらの嘘も見逃さないような真剣さで俺を覗き込む。

その視線の強さは俺には少し毒だった。

吸い込まれそうな気分になって慌てて気合いを入れ直す。


ユアさまは観念した様に小さな息を吐いた。

それからもう一度俺を見る。

縋るような、あるいは約束を違えることは許さないと言われているかのような目。


どちらにしても俺は決意を持って見返す。

必ず支える。

必ず守る。

必ず、あなたの傍にいてみせる。


固い表情をしていたユアさまが、ふわりとほころぶ様に笑った。


「信じます」


ああ、どうしようか。

あなたの後ろより、あなたの前より、隣に並びたいと、そう思うこと。

触れたいと思うこと、薄い肩を抱き寄せたいと思うこと、誰の目にも触れさせたくないと思うこと。


―ああ、困ったな。


ユアさまが俺を信じて、真正面から王子たちに向き直る。


「…つまりそういうことか。俺はお前にずっと騙されていたということか。なんと滑稽なことよ、この俺が道化を演じさせられていたとは!ははっははは!」


ユアさまと向き合った王子が一頻り、追随のない笑いを広間に響かせ、やがてがっくりと膝を折った。


自分たちが蔑んでいた者が何者であったのか。

今更だ。

全てが遅い。


「彼女の信頼を勝ち取れなかった時点で命運は決していたのだな。自業自得とはこの事か」


彼女が身を隠し、偽り、真実を告げることなく傍を離れた意味を、やっと理解したらしい。

信用を得る機会ならば与えられていた。

それを拒絶したのはユアさまではなく、彼ら自身。

だから王子は自らを嗤う。


「…だが俺とて国を背負う者」


紆余曲折あったが、終局は目の前。


王族としての自覚を呟いた王子は、もう笑ってはいなかった。

鋭い目線で、俺たちを見定める。


王子の言葉に俺は手に持っていた剣を再び構えた。


シェリアとサイラスに降伏を迫られ、頼りのマレビトの力は借りられず。

この国はもう瓦解したに等しい。


それでも彼らには降伏以外にまだ選択肢があった。

ここには神血石が無造作に転がり、それを作り出すユアさまも無防備だ。


もちろんそれを許す俺たちではないが、追い詰められた人間の心理や行動など予想外の連続だ。

どんな事態でも対処できるように低く身構えた。


けれど、そうはならなかった。

宮廷神術士が王子の隣に跪き、傷だらけの兵士たちもそれに倣う。


最後に王が、かつては俺の王でもあった男が玉座から降りてユアさまの前で頭を垂れた。


「エルスティアはここに降伏を宣言する。われら自らの罪を知り、恥を知る。罰は如何様にも受け入れよう。責任はわれらにあり、どうか民には寛大なるご慈悲を」






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