世界を捨てた、とある男のよくある話
とある男の話をしよう。
愚かな、夢と野望に生きた俺の話だ。
初めの記憶は貧民街の片隅。
初めの感情は空腹。
俺はその場所がきらいだった。
俺はいつも腹を空かせていて、仲間たちと分け合うには食料が足りない。
仲間たちのリーダーとして君臨していても、自分たちが満足する量以上の食事を喰らう俺を見る彼らの目には憎悪が宿っていた。
これでも随分と控えめにしているのだけどと、空腹に痛む腹をさする。
賢しい子供は、自分が一人で生きていけることを知ると森に居を移した。
危険と隣り合わせでも、弱肉強食の世界で俺はいつでも強者。
孤独とは思わなかった。
多分、それが俺という生き物。
強烈な自我を手に入れた日を俺は忘れない。
一人の少女と出会った。
猿のような感性しかなかった俺が、この世のものかと目を疑ったほどの美貌の少女。
今にも滴が零れ落ちそうな蒼い瞳。
その後に見た宝石の数々に心動かされなかったのはそれよりも美しいものを知っていたからだろう。
水色の髪は彼女の輪郭を曖昧にして、その存在を夢幻のように見せ、俺を陶然とさせた。
目が、合った。
遠く、白亜の建物の上階から、彼女がふとこちらを見た。
雷に打たれた様な衝撃が体を貫いて、俺は踵を返す。
逃げるように森の奥へ。
衝動のままに獣を屠り、食い散らかし、それでも鎮まらない激情を持て余し湖に頭から飛び込んだ。
湖の色は、彼女と同じ青。
目を閉じて、浮かんだ。
俺は毎日その建物を見に行った。
彼女の姿が見えないか、と。
彼女はいつもそこに居た。
一目、俺を見ると窓から離れてしまう。
そんな一瞬の邂逅。
森の強者として満足していた俺は、もっと強くなりたくなった。
無性に、手に入れたい力がある。
彼女の姿は白亜の建物から消え、俺もやがて森を後にする。
できることは何でもやった。
身ぐるみを剥がし、戸籍を手に入れ、誰かの人生を乗り換えながら、俺は上等な服と金と知識を得て、圧倒的な強さを武器に軍門を潜る。
時代は少し、下り坂。
暗雲が立ち込めようとする気配がしていた。
王族の知らない所で、王の権威が揺らぎ始めている。
彼女が、王族であり神子である女が一人、居るからだ。
その姿を見たものは誰もが野心を抱く。
魅せられ、焦がれ、手に入れたいと、誰もが願う美しき神子姫。
触れられないからこそ、欲しくなる。
長きにわたり連綿と続いてきた血に対する畏怖すら凌駕しようと、欲が渦巻いていた。
王位か神子姫か。
あるいは両方か。
誰が最初に名乗りを上げるのか。
最初の一人をきっかけに雪崩を打って崩れ出す。
もうそういう話だった。
不穏な情勢を均そうなどと考えたことはない。
乱世ならば歓迎しよう。
俺に敵う者はいないのだから。
だから俺は嵐を呼び込む努力こそを厭わなかった。
同じ軍部の人間は全員が協力者の様なものだ。
その力を誇示する場を、誰もが欲しがっていた。
やがて戦いの幕が切って落とされた。
俺は嬉々として戦場を渡る。
俺の通る道にはいつも赤い絨毯が敷かれる。
誰かの血で作られた赤い道の中央。
そこを歩く心地よさ。
吸い込んだ戦場の風はいつも俺のために吹いていた。
勲章、叙勲、階級を駆けあがり、踏み込れることを許された王城で一人の女と出会う。
青い瞳は相変わらず美しい。
思わず目を眇める。
誰かに見られただろうか。
知られただろうか。
本当に欲しいものは気付かれないようにするべきなのだ。
世の中は、人の欲するものを横から欲しがる者ばかりだから。
幸いにも見ていたのは一人だけ。
青い瞳が、少しだけ微笑んだ。
欲しいものがある。
あの青い色。
欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、どうしても。
俺のものだ、俺だけのものであるべきだ。
頭が沸騰するようなこの感情。
死ぬほどに焦がれる。
手に入れるためにここまで来た。
待っていてくれ。
必ず手の届く場所まで行くから。
迎えに行くから。
待っていてくれるだけでいい。
青い瞳はいつも、是と答える。
神子は、生涯未婚である。
いつか障害になるはずのそれも、今は彼女を守るもの。
国の命運を左右する戦の指揮権を手に入れた時に思ったことはいつも通り。
チャンスが来たと思った。
ここで手に入れる以上の栄達はない。
斬り、殺し、屠り、殲滅。
倒し、刎ね、折り、弑した。
百を殺して英雄に、千を殺して伝説。
そうして万を殺し、俺は救国の士となった。
それでも手が届かない。
国はやれぬと王が言う。
そんなものは欲しくない。
別の女をやると神官が言う。
そんなものは欲しくない。
青い瞳が俺を見る。
諦めるのかと俺を見る。
それでも構わないと俺に自由を許す。
俺はいやだと笑って見せた。
もう俺にとってそれは生きる意味に等しい。
俺に死ねと貴女は言うのか。
青い瞳が柔らかく揺れる。
仕方のない人、馬鹿な人。
そこに少しの喜びの色を見出して俺は天にも昇る気になった。
彼女の青い瞳が言う。
待つと。
まだ待つと。
俺は国を出た。
国を救って手に入れられないものがあるのなら、国を滅ぼして手に入れてみせよう。
殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、いつかこの手に収まった彼女は悲しむだろうか。
それでも構わない。
この腕にたった一つの宝玉を抱けるのなら、それでいい。
予想外の展開が起きたのはこの頃。
焦りが俺の加減を狂わせた。
やり過ぎた。
脅威になりすぎた。
東の帝国がこれ幸いと彼女に手を伸ばしてきたのだ。
国を救う代わりに彼女を妻として差し出せという。
次期皇帝の地位を約束された男。
あの男。
機会をうかがっていたのだとすぐに知れた。
穏やかな見た目の優男。
知っているぞ、お前、俺によく似た目をしていた。
あの男ならば、手段は問わないだろう。
体裁を整え、自国すら悪に見せ、自分を売り込むに違いない。
強国に人身御供のように差し出され、敵だらけの周囲で、唯一の味方として愛を得る。
そんなシナリオすらすぐに思い描けるのは、あの男が俺と同種の人間だからだ。
してやられたと、攻略を急ぐ。
最早猶予はない。
あの国を蹂躙し尽す以外に道はない。
狂ったように殺した。
今まで殺したより多くの命を狩った。
敵はみな、死んだ。
元より、俺には味方などいない。
だから、俺の近くにいる者はすべて殺した。
寄るものはいなくなった。
もう俺は常人とは呼ばれない。
狂人であり、獣であり、血に猛った戦場の申し子だった。
そうして辿り着いた懐かしき王城で、ぼんやりと一人王座に座る王とまみえた。
豪奢なひじ掛けに頬杖を突いたまま、ぴくりとも動かず虚空をみていた王は最後にぽつりと言う。
「あれが生まれた時に気付くべきだった。不吉の兆しだったと。生まれて来るべきではなかった。神の声を聞く異端の娘など殺してしまうべきだった。あれを巡りどれほどの災いが降り注いだ?国を傾け、大陸に戦乱を招き、世界は荒廃した。あれはまさしく『滅びを招く詩』と呼ぶに相応しい」
歴代の神子で神の声を聞いた者はいない。
彼らはただ、神に祈るのみである。
浅ましい人の願いを、ただ神に届けるのみ。
その願いを叶えるかは神の選択、あるいは気まぐれ。
「国を滅ぼしておきながら、あの娘は何を残した?なにを成した?人間は得ることには貪欲でも、失う事には敏感だ。わかるか、暗黒時代の始まりだよ、サイラス」
広げた両手にはなにもない。
剣もなく、王冠もなく、ただくたびれた男が一人。
「あの娘に魅せられた男たちが、いや、『お前』が導いた結果だ。どうだ、嬉しかろう?」
王は俺を憎々しげに見た。
「これ以後、お前たちの名は禁忌となるだろう。神を弑した大罪人。あるいは人を唆し、神を奪った悪魔と呼ばれるやもしれん」
「なに、構わんよ」
王が何を言いたいのか、最後までわからなかった。
気負うこともなく答えた俺に、驚愕の表情を見せた意味すら俺には推し量れない。
一閃した剣が王の首を刎ねた。
転がる首の行く先に興味はない。
かつては邂逅の場であった大広間を後にした。
静かな階段を上る。
まるで世界が眠ってしまったかのような静寂。
この城ばかりではない。
この国だけでもなく。
進軍の足は止まり、人々は肩を寄せ合い、不安に慄く。
何かを失ったことを彼らは知っていた。
王城の一角にある白亜の神殿。
踏み入れることを許されたのはシェリア一人。
けれど俺の足を阻むものはない。
制止の声を掛ける神官も、立ち入りを阻む結界も、今はもうない。
神のいない、いや、加護を失った世界に神に仕える者は必要ない。
神の奇跡は一度だけ世界を包んだ。
神を留める唯一の神子に奇跡を起こして、消えてしまった。
唐突に消えた、世界を繋いでいた力。
そうだろうとも。
これから始まるのは、加護なき歴史。
神術が使えない?
奇跡を願えない?
裁く神がいない?
だからどうしたというのだろう。
神なくば、人の力で生きていけばいい。
それだけのことをなぜ嘆くのかがわからない。
俺は苦も無く生きていけるだろうから、わからない。
皮肉なものだと思った。
そうして神に縋らない人生を人々が生きていくことが、彼女の望みだったというのに。
彼女の存在こそが人の足を留めていたのだから。
踏み入れた神域。
「やあ、遅かったね。乱世の英雄殿」
優男が祭壇に座り込んでいた。
「随分と焦っていたようだ。そんな姿を見るのはとても愉快だったけど」
笑っていた男は顔を上げているのすら億劫だというように地面に目線を落とす。
その顔色はひどく悪かった。
「間に合わなかったよ。君も、僕も」
艶やかだったはずの長い髪は乱れてその憔悴具合を伝えてくる。
「失ってしまった。こんなことになるなんて思ってもいなかったんだ。シェリア、シェリア、シェリア、顔が見たい、声が聞きたい、会いたい」
かつて彼女が居た場所で、その思い出に浸る男には何の感情も浮かばない。
振られた女々しい男の泣き言など聞いている暇はなかった。
シェリアを待たせてしまったのは俺の不甲斐なさ。
彼女から待つ時間を奪ったのはこの男。
誰のものにもなれず、なりたくないから、逃げた。
俺の手を掴めないなら、世界すらいらないと。
そんな女をどうして諦められる?
「神よ、聞こえるか」
供物を捧げよう。
絶望に塗れた世界の嘆きを。
万の血を。
命を。
捧げてきた。
「俺の声を聞け」
シェリアが、彼女が神子と誰が言った?
神子の役目は祈りを届けること。
神の声を聞く神子などいない。
歴代の神子を神子と言うのなら、多分俺こそがそう。
人の声を神に届ける、それが出来る唯一の人間。
神は、あるいは悪魔と呼ばれてもいい存在だ。
神子たる俺と、シェリアだけが知る真実。
神は清廉潔白な人間を愛するわけではない。
シェリアと俺がその証拠。
人として外れた俺たちを遇する神の歪さ。
シェリアはいつも危惧していた。
気まぐれな神に頼る人間の危うさを。
だからこそ人は自らの足で歩くべきなのだと。
神はシェリアの願いを聞き届けた。
神なき世界を、作って見せた。
ならば聞け。
俺の願いを、聞け。
「連れていけ」
俺を、彼女の居る場所へ。
神が囁いた。
扉を開く鍵が必要だと。
望まれた意味を正確に捉えて血まみれの剣をもう一度構える。
「サイラス?なにをしている。もう勝負は決した。私たちは互いに敗者、争う必要などもうない。もう、ここに彼女はいない」
だから何だ。
答えず剣を向ける俺に、男は叫んだ。
「…サイラス!狂ったか!?」
何を今さら、と。
口を開く。
「生まれた時からだ」
神と共に生きてきた。
神なき世界では、そんな人間を何と呼ぶか知っているか?
そう、狂信者だ。
首を刎ねて、髪を掲げ持つ。
血を落とした祭壇は赤く染まり、扉が開いた。
「長く待たせた。今迎えに行く、シェリア。」
世界を渡り、降り立った地はまだ神の色濃い気配がした。
遠く遥かな地にシェリアの気配。
それだけで息を吐く。
安堵に心が溶けていく。
だがまだ早い。
気を引き締めた。
俺が気付いたように、シェリアもきっと気付いただろう。
今度こそ失敗しない。
今度こそ慎重に。
彼女の手を取ることを、もう誰にも阻まれぬよう。
そう、まずは世界を手に入れよう。
国をまとめ、侵されぬ唯一の高みへ。
その頂点へ。
決して奪われぬと確証を得て、やっと君の手を取ろう。
失えないからそうしよう。
君もきっとそうするだろう、シェリア?
そういうわけで現在野心全開のお二人。
シェリアさまは色々吹っ切った末に男を操る悪女になりました。
サイラスは初めから悪魔のような男だったので特に変わらない。
こんなのに挟まれた夕陽さんがかわいそう。
でも大丈夫、負けてない。主に周りが。




