ブスと蔑まれていた主人がなぜか美女になった5
この森は豊かだ。
魔物は少ないし、動物は多い。
自然界の摂理は崩されず、ただ苛烈で、そして当たり前の日々が繰り返される。
彼らの営みを支えるだけの芽吹きがここにはあり、木々は隆盛を誇っていた。
なによりも、神気が穏やかだ。
王都はなぜ王都と呼ばれるか。
辺境は何故辺境なのか。
それがこの奇跡の答えだ。
神気の偏りとは気候や天気のようなもの。
嵐が襲わない土地があり、温かい地域がある。
同じように神気もまた偏在するものだ。
一年中穏やかに一定量の供給を得られる場所もあれば、ひたすらに薄い土地もある。
そういった意味で人々は住みやすい土地を探し、過ごしやすい場所を探し、神気の質が高いその場所に居付く。
なぜなら、神気と気候天候は密接した関係性を持っているからだ。
故に国は、その中心は、選択肢などなく、そこから始まる。
やがてその場所から広がっていくのが国。
それがこの世界の国々で、例外のない建国史。
ではこの辺境はどうか?
ここは嵐のような場所だ、いや、「だった」。
神気がひたすらに薄いわけではない。
濃すぎるわけではない。
ただ、一年中、大風に見舞われているかのように神気が荒れ狂う場所。
吹き溜まりが出来たと思えば真空のように変わる。
そんな目まぐるしく、生きにくい場所。
けれど、いま。
「美しい森だ。王都よりよほど過ごしやすい」
共に見回りに出たユタがぽつりと呟いた。
まったくその通りだと息を吸い込めば、ここに来た当初にあった、神気の偏在に由来する少しの息苦しさはない。
きれいに均された神気は、自然界では在りえないほどに穏やかだ。
王都にすら出来る、水たまりのような偏りでさえ、この森にはない。
木々も動物も、栄えないはずがない。
過不足なく行き渡る神気に、この森は爆発的な成長を見せていた。
そして神気の吹き溜まりで生まれるとされる魔物など、生成される余地がない。
「マレビトさまのお力は凄まじい…」
安定した天候の空を見て、生い茂る森を眺め、最後に俺を見てユタが苦笑を刻む。
マレビトさま以外に成せるはずのない奇跡だった。
その言葉に否やはない。
ただ一つ、付け加えさせてもらうなら。
「ユアさまだからだ」
「ん?」
「他のマレビトさまでは作り得ない環境なんだ、これは」
「…そう、なのか?」
「アルストメリアは凍土になったと聞く。エルドランは安定したが、隣接国の神気が根こそぎ薄くなったことで争いの気配が色濃い」
「それは、また、…なんとも」
ユタが言葉に詰まって、意味のない声を漏らす。
アルストメリアのマレビトさまは氷使いだと聞く。
自分の力を万全に奮うために、環境すら変えた。
もとより寒冷地だったそこを、凍える土地に。
エルドランは昔から少しばかり厳しい土地だ。
周囲の国々より少々神気が薄い。
周りが安定している分、災害はエルドランに集まりやすかった。
だからマレビトさまはエルドランに神気を行き渡らせたのだろう。
多分、周囲の国から奪って。
先日、ギルドで手に入れた情報だ。
最近、とみに馴れ馴れしい輩が増えて、聞いてもいない情報をべらべらと喋ってくれるものだから情報の取捨選択に苦労させられていた。
吟味した結果だ、この情報は正しい。
「ユアさまの価値がいか程かわかるだろう?この国には最も素晴らしいマレビトさまが降り立ったんだ」
「国は、それをどこまでわかってるのかな」
ユタの的確な返しに俺は思わず特大のため息を吐いた。
答えを言葉にするなら、その価値の一欠けらも理解していないと言おう。
でなければユアさまをこんなところに無防備にさせておくはずがない。
最も、これこそがユアさまの望み。
そのために自分を隠し、無価値を演じ、外見さえ偽った。
「俺たちの使命はユアさまの望みを叶えることだ」
言い切るのは覚悟を決めるため。
いつかきっと、誰かにユアさまは見つかる。
このまま、穏やかな生活が続くわけがないことを俺たちは知っていた。
ユタも、キリにしてもわかってる。
見回りを終え、邸に帰るとユアさまとキリがソフィーの花を見てはしゃいでいた。
ソフィーの花。
別名、稀なる希望。
その花の色は味気ない。
神気の偏差激しい場所にも群生する生命力の逞しさから重宝されることもあるが、見た目で敬遠する者の方が多いだろう。
その花の色は灰。
キリの、元はモノを映さない目と同じ色。
けれど、時々、ほんとうに稀に、ソフィーは灰色以外の花を咲かせる。
その頻度は、一生に一度すら見られない者の方が多いほど。
あまりにも珍しいために、それを目にした者には幸運が訪れるとまで言われている花。
だが、この邸では色付いた花はすでに見慣れたものになっていた。
もう見たことがない色はないのではないかと思う。
もちろん灰色の花も咲く。
ユアさまはとても喜んでおられた。
「見て、今日はキリの瞳と同じ色ね!なんだかとびきりいい日になりそうな予感がするわ!」
キリの、ぐっと引き結んだ口元が印象的だった。
それからは灰色ですらこの邸では幸運の花だ。
今日は白だという。
まったくもって有難味が薄れてしまったソフィーの花に心は惹かれない。
それを見て、眦をわずかに和らげるユアさまの表情だけが今も見慣れぬもののように心を騒がせる。
神気が掻き乱される気配に乱入者の存在を知ったのは、そんな穏やかで心騒ぐいつもと変わらないはずだったある日のこと。
王都からの使者だった。
ユアさまの結界に引っかかって身動きが取れなくなっていた男の身分は高い。
襟に飾り付けられた家紋は、王都で見たなら即座に膝をついて頭を垂れなければならない家格を示していた。
そんな主要人物を使者として立てた以上、内容は知れている。
「さすがゴキ○リホイホイ、良くくっ付くわねぇ」
男がじたばたと暴れても脅威の粘着力を発揮している結界をそう評して、ユアさまは自らの外見を虚飾し、男を邸に招き入れた。
男は文句が多かった。
そして無礼だった。
何より、ユアさまを当たり前に侮辱した。
王の使者である意味、それから使者として自分が選ばれた理由、その内容。
少し考えれば、マレビトさまを立てるべき場面だと想像がつくというのに。
いや、そんなものはどうでもいい。
表面を繕われても、考えているのなら同じだ。
一つ、わかるのは身分が高いだけの、考える頭のない男だということ。
それは何の免罪符にもならない。
立場や身分を別にして、ただ純粋に、目の前の存在に怒りがわいた。
お前ごときが何を、と胸から熱いものが溢れる。
ユアさまの作る平穏に胡坐をかいて、自らの傲慢を顧みない無知は最早罪。
ぶわりと、毛穴という毛穴から何かが飛び出て鎌首を掲げた。
多分、憎悪とか、害意とか、悪念だとか、そういう類のものだろう。
明確なる罪人がここにいる。
どう処するべきか。
断罪だ。
賜るのは死であるべきだ。
魂すら輪廻許されぬ重罪人と、神に報じよう。
黒く塗りつぶされていく感情が、ふとユアさまを視界にとめた。
彼の人は、彼女は、何一つ思うところのない表情でいつも通りただ穏やかだった。
その心に傷は付かず、この感情は揺らぎもせず。
突然、男が憐れに思えた。
そして心の底から沸き上がる歓喜を感じた。
優越、というのだ、これは。
なぜなら、ユアさまにとってこの男は「無」だ。
言葉に耳を傾ける価値もなく、心を揺らすほどの意味もなく。
目の前にいる、というだけの、吹けば飛ぶような存在。
けれど、男が次に発した言葉でユアさまの心は反転した。
「なぜ『準罪人』がこんなところにいる!?私に近づくな!穢れが移るだろう!」
俺たちを目にとめた男が大げさにのけ反った。
なるほど、彼ほど神気が強ければ俺たちに対する忌避感もいや増すというもの。
納得はできたが、言われ慣れた言葉でも、久々に耳にするとその言葉の強さに少しばかり驚く。
神気を持たない人間を、準罪人、あるいは贖罪人と呼ぶ者がいる。
蔑称だ。
前世で罪を犯したゆえに、神からの愛を得られないのだと囁かれている俺たちは、彼らにとっては、『その生をかけて罪を償う者』なのだ。
生まれた瞬間から知りもしない罪を贖う人生とはいったい何なのだろう。
今なら疑問も抱けるが、俺もユタも、ユアさまに出会うまでは自分が悪いのだと思い続けていた。
自分を痛めつけるように鍛錬に励み、愚かであっただろう前世の自分の行いを恥じて生きてきた。
そんな苦い思い出が脳裏を過る。
それも一瞬の出来事。
常より低い、心を侵食するような強い声が聞こえた。
「言葉は選びなさい?誰の前だと思っているの?」
込められた感情は、紛れもない怒り。
純粋な、怒気。
優雅な笑顔に秘めたその強さ。
目眩がした。
何を言われようとも柳のようだったユアさまが、豹変した理由。
息が詰まって死にそうだ。
幸福が、ここにある。
ああ、俺たちのためにその感情を簡単に動かしてくれる優しい人。
もう十分だ。
だから、そんな男に心を傾けないでいいのです。
俺だけ、見てくれたそれでいいのです。
冷や汗を垂らしながらでも、反論してみせた男は称賛に値する。
言葉は上滑りし、あまりにも的外れ。
愚行も、ここまでくると滑稽で笑えてきた。
ユアさまを無能と言う、その口を縫い付けてやろうか。
隣でキリが目を抉ろうかと、なかなか物騒なことを呟いている。
反対側では生きたまま骨という骨を砕こうかとユタが目を細めて笑っていた。
「お前如きに侮られるほどマレビトは安くはないわ」
じん、と背筋が震えた。
ユアさまが、正しくマレビトであることを示す支配力を持った声。
優しく穏やかな気性が強大な力を使いたがらなくても、秘められた力は確かにそこにある。
「…ああ、ユアさま」
キリの陶然とした声が聞こえた。
ユタの吐息は熱く、俺の息はひどく乱れていた。
男に募らせる憎しみは、ユアさまの視線を一身に受ける嫉妬。
男に沸き上がる嫌悪は、怒りという感情でユアさまの心を向けさせたその狡猾さに。
彼女のその白く細い腕を掴んで引き寄せたなら、その男のことなど忘れてくれるだろうか。
「ある意味、幸運ね。あなた」
そうだろうとも。
幸運を幸運とも知らずに感受する愚か者。
ユアさま、あなたの心が勿体ないから、もうその男のことは放っておこう。
また四人で幸せな箱庭に籠ろう。
「ねえ?それが欲しいわ。いい?」
男に掛けるユアさまの言葉に目の前が赤く燃えた。
甘い声だ。
ねだるように発せられた言葉は俺ですらかけてもらったことがない。
ユアさまから望まれるものがある男。
視線で殺せたならきっと奴は今頃消炭になっていた。
男の喉が鳴る。
ごくりと、嚥下するのは恐怖だけではないような気がした。
色がある。
外見を偽っているはずのユアさまの正しいお姿が見破られている?
いや、それはない。
ない、はずなのに。
「…は、はい」
小さく呟かれた了承の声には少しの歓喜が見える。
男の悲鳴は聞くに堪えないものだった。
いますぐに邸から放り出したい。
ユアさまの目の前から消し去りたい。
行われていたのは神気を奪う、という荒技。
奇跡の一端を目にしてももう驚きはしない。
俺たちを罵った男が、俺たちと同じ存在に落ちる。
その罰をユアさまらしいと思うだけ。
ぐったりと力を失った男の茫洋とした目にはユアさまが映っていた。
何もかもを失くした男に、残ったのは視界に入るあの方だけ。
ああ、ユアさま。
あなたはわかっておられない。
自分が何をしたのか。
男の目に熱が宿る。
ああ、殺してしまいたい。
あなたをそんな目で見る男を。
「…見た、私は見たぞ!失うはずのないものを失うという尋常ならざる状況で、見えぬものが見えた。あれは世界の理。あるいは真理、それとも摂理か!」
神気を奪いつくされた男が何を見たのか、それは言葉から容易に知れた。
「張り巡らされた糸、あれが神気。世界を繋ぐ者、それが貴女」
男の心が震えている。
歓喜に迸る感情を持て余してその口が語ってはならない言葉を語る。
「あなたに、愛を、捧げたい」
この身のすべて、髪の一筋から血の一滴までも。
騎士のようにユアさまの前に跪く。
神気を奪われて、心まで奪われたと思い上がるその性根に苛つきがぶり返した。
その権利は俺たち三人だけのものだと反射的に、けれど明確に思った。
それはきっと独占欲と名付けるべきもの。
俺たちの心を慮ってくれたのか、ユアさまは男の愛を受け取ることはなかった。
その手を取ることも、頷くことも、言葉を返すこともなく、一片の許しも与えない。
ああ、この邪な驚喜。
これは何と名付けよう。
男の豹変に戸惑うユアさまに変わって三人で男を追い返す。
憐れを誘う態度でユアさまの慈悲を請うても無駄だ。
ユアさまとを隔てる壁となった俺たちに向けられた、ぎらついた嫉妬の目は心地良くすらあった。
扉の向こうの気配が去ってから、ユアさまは疲れたようにため息を吐く。
その声が予想外の展開を嘆いている。
「どうしてこうなったのかしら?」
俺たちが神気というものに置いている価値を、ユアさまはご存知ではないのだろう。
それを奪うという行為の意味も。
恐怖を転換させて信仰にすら至ったあの男の心情も。
ユアさまにとっては困惑にしかならない。
いい気味だと思う俺は段々と性格が悪くなっているような気がした。
それともこれが素の俺なのだろうか。
「さすがユアさま」
あの男と最も似通った変遷を辿ったキリが、わが身を顧みて苦笑を混ぜる。
「相変わらず罪なお方ですね、ユアさまも」
知らず人を魅了する。
ユアさまの怖さは稀なる力でもなく、その一点に尽きる。
「当然と言えば当然の成り行きのような気もしますが」
惹かれないわけがないのだとユタが言う。
世間知らずで、優しくて、平穏を愛する、強大な力を擁したこの美しい人に。
ユアさまが、困ったように笑った。
ほら、ユアさま。
あなたはわかっておられない。
我らが主よ、どうか深化していくこの心を留める術を教えてほしい。
そろそろ、自ら囚われるために足を踏み出しそうだ。