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ブスと蔑まれていた主人がなぜか美女になった3



わたしの世界は、多分人とは違う。


気付いたのはそう昔の話ではない。

まだ両親が健在で、彼らもわたしも、その異常性に気付いていなかった幸せな時間は、わたしの察しの悪さのせいで少しばかり長かった。


産めよ育てよ、の辺境故に近い年頃の子供は多かったけど。

わたしは人より、多く転び、よく物にぶつかった。


グズというあだ名と、ノロマというレッテルがすぐに張られた。

そう言われても仕方がない。

自分がグズでノロマだから、きっとこんなにも転び、不注意が過ぎてぶつかるのだろう。


その頻度に目を瞑っていても、傷だらけの手足を毎日手当する両親は段々と不安げになっていった。


家の中は自由自在だ。

だってこの家で生まれ育った。

何がどこにあるのか、把握していないわけがない。


だけど、いつもないものが、いつもない所に置かれると、わたしは例外なくそれに気づかずに足を取られる。


「ちゃんと足元を見なさいと何度言ったらわかるの?危ないでしょう?」


そういわれて足元を見る。


常々不思議だったのだ。

外で走り回る幼馴染たちが、あの障害物をどうやって避けているのか。

注意力散漫だと言われて、ぼんやりし過ぎだと怒られて、わたしはいつもみんなの言葉をちゃんと聞いていた。

実践していた。


注意深く歩き、周囲を見渡しながら進んだ。

それでもわたしは転ぶ。


皆はまた転んだぞと指をさして笑う。

大人は言う事を聞かないからだと怒る。


違うんだと叫びたかった。

どんなに注意しても、何一つ変わらない自分が情けなくて口には出来ずにぐっと言葉を飲み込むばかりだったけど。


もう仕方がなく、弱音を吐く。


「おかあさん、なにもないよ。そこにはなにもみえないよ」


目をいくら凝らしても、注意深く目を向けても、わたしを転ばせたものは、転んでそこに何かがあるのだと認識してすら尚、見えやしない。


「え…?」


呆然と声を漏らした母ははっとして、わたしの頬に手を当て、顔を、瞳をのぞき込む。


「目が、見えてないの?」


わたしは必死で首を振る。


見えている。

母の不安を湛えた表情も、台所に置いてある採れたての野菜の形も。


「みえてる、でも、それ(・・)はみえない」


躓いた原因があるであろう方向を指して誤解を解こうと試みる。


見えているし、知っている。

扉に閉ざされた部屋の向こう(・・・・・・)で、窓に飾られている花が風に揺れていることも、庭に生えている木に小鳥がとまったことも。

いま、父が森から帰ってきて、玄関の前で土を払っているところだという事も。


ちゃんと、見えている。


そう伝えると、母は顔を青くして首を振った。


「キリ、それは見えないはずのもの(・・・・・・・・・)よ」


普通は、見えないものなのだと母が言う。


混乱した。

では何が見えているべきで、何を見てはいけないのか。


わたしにとって当たり前の世界は、誰とも共有されないものだった。

わたしの目は、原因不明の病気だったのだ。


母はわたしに目隠しをした。

村人たちはわたしの目が悪かったのだと察して、少し優しくなった。


そしてわたしの世界は変わらない。

薄い布は何一つ、隠してはくれなかった。


布越しに見る世界は、目を開けて見る世界と、なにも変わらない。


わたしはもう、それを誰にも言わなかった。

何が普通で、何が異常なのかすらわからないわたしは、もう口を開く事すら慎重になった。


グズでノロマなわたしが、それからも変わらずそう言われ続けて、そこに不気味という形容詞が加わるのはわたしが両親を失った頃。


村の中は苦手だ。

歩きにくい。

見えない障害物が多すぎて、手探りで歩かなければならない。

あるかないかもわからない障害物を、前に伸ばした手と、そろそろと差し出す足で探すわたしはさぞかし滑稽で哀れで、そして貧乏な村にとってはどれだけ足手まといだった事だろう。


少年少女の悪戯は見えないものばかりで避けようもなく、大人たちの陰口は不自由なく聞こえる。


わたしは村を敬遠するようになった。


代わりに父の仕事に同行するようになる。

森の中で見えないものは少ない。

狩りはお手の物。


そこではわたしは全能だった。

木々の向こうのウサギも、小山の向こうの親子連れのイノシシも、見えないものはない。


村でのわたしは転んでばかりのグズだけど、森の中では十全に走り回ることができる。

乱立する木々の輪郭は仄かに輝いて、わたしの目にその存在を主張するからだ。

何一つ足を取られず、自由に駆け回る常と違うわたしの様子に、父は嬉しそうだった。


やがてわたしの目を頼りに、父は村一番の猟師と呼ばれ、欠陥を持った娘を産んだことを黙認された。


そんなある日のことだ。

まだ朝の準備をしている時間。


わたしの目には異様なものが映っていた。

緑色の、二本足で歩く巨人。

魔物だ。

それが村に向かっている。


悲鳴を上げて父母に伝え、父母は慌てて村の人々に伝えた。


村は混乱に陥り、そして誰かが疑わしそうに口にした。


「…本当にオークが来るのか?誰が見たんだ?あとどれくらいで村に現れる?」

「わたしが」


見たのだと。


真実だ。

他に何を言えばよかったのだろう。


村人たちはぎょっとして、それから性質の悪い冗談だと怒りだした。

目の見えない娘が一体何を言うのかと。


「全部が見えないわけじゃない」


目隠しをしたまま答えたわたしに、まだ言うかと若い男が詰め寄る。


「早くしないと、アイツが村を見つけてしまう!」


焦りで初めて誰かの言葉を遮った。

この目には、森を出ようとする魔物が映っている。


「キリのいう事は本当だ、信じてくれ」


父が加勢してくれたけど、わたしはもう遅いことを知っていた。

魔物は村に気付いた。

そこに十分な食料(人肉)が蓄えられていることに。


狂喜に咆哮を上げる。


村人たちは耳を劈く轟音に、やっと脅威に気付いてくれた。


悲鳴を上げて三々五々に散っていく。

まるでいつものわたしのように躓き、転び、逃げ惑う。


「とにかく、村からアイツを離さないと。みんなで力を合わせて、森へ―」


誰かがわたしの背を突き飛ばし、父の背を押し、母を人垣から追いやった。

村人たちが作る人壁から弾き出されて、何が起きたのか分からないわたしたちは怯えるように手を繋ぐ。


「お前が呼んだんだろう!」

「そうだ、目が見えないくせに、オークが来ることを知っていた!おびき寄せたんだな!」

「普段から、恨みがましそうにわたしたちを見てたもの!きっと嫉妬した復讐心ね!」

「目の見えないお前をここまで面倒見てやったのに!恩を仇で返すとは!」

「そんな娘を産んだ責任がお前たちにはある!」

「なんとかしろ!」


犠牲になって死ね、と聞こえた。

誰かが死ぬのなら、お前たちだと誰かが叫んで。

死にたくない者が同意の声を上げる。


それからどうなったか。

父は魔物と相打ちした。

母はその時の傷がもとで床に伏して、程なくして父の後を追った。


そしてわたしは、村を追い出されなかった。


村人だって知っていたのだ。

わたしが魔物を呼んだなんて事実はないことを。

ただ、犠牲者を決めるための言い訳。

わたしたちにとってはひどい言いがかり。


後ろめたさから、村にとって負担にしかならない生産性のない『目の見えない娘』が住む事を黙認している。


わたしはそれから一人。

村人にとっては、目が見えないはずなのにたまに遠くを見る、グズでノロマで、不気味な娘。


転機は、もう一度訪れた。


森に食料を狩りに行く以外にはほとんど部屋に籠っていたわたしが、その存在に気付いたのは偶然じゃない。


見えるものが見えず、見えないものが見えるこの目に、それ(・・)はあまりにも鮮明に映った。


最初は波紋のように広がる淡い光。

建物も、木々も、人も、何一つ光を遮らず、それは幾重にも広がった。


「…なに!?」


突然足元を通り過ぎた光に驚いて、一人の部屋で思わず椅子を倒して立ち上がる。


世界が変換する瞬間に、わたしは何一つ特別なことはできず、だた呆然と目隠しの下の目を見張った。


光は広がり。

そして、光の後には、何かが見えた。


「なに、これは」


何かが、見える。

違う。

何もかも。

全てが、見えた。


世界が、見えた。


見えなかったはずのものが目の前に。


「家」


天上を見上げる。

埃の積もった桟が見えた。

だって仕方がない、家は見えなかったのだ。


「バケツ」


水を汲むためのバケツ。

いつも見失うから同じ場所に置いていた。

凹みが目立ち、一か所裂けるような穴がある。

あれが昨日指を傷つけた犯人らしい。


目隠しをかなぐり捨てて、外にまろび出た。


見るものすべて、目にするものすべて。

艶やかに存在を主張して、目を焼くように鮮明だった。


見えていたものにすら変化が。


「色、だ。花の、いろ」


赤い花弁。

白い、小さな野花。

萌える木々の葉。


家は木材で作られ茶色い。

玄関から続く灰色の石畳は、いつも躓く原因だった。


庭の耕したばかりの土は黒く、踏み固められた土は黄土色。


「まぶしい」


太陽の光。

見上げて、視界に広がる空に圧倒された。

流れる雲。

風の色すら見えるような気がした。


「青、白、緑…」


空。

それが青。


白。

あれは雲。


緑、それは森の色。


聞いたことのある、けれどわたしの知らないその概念。


その世界しか知らなかったから、例える術を知らなかった。


だけど今。

あの世界は黒と、淡い緑の輪郭だけで出来ていたのだと知れる。

寂しい世界だ。

思ったことはなかったけど、とても孤独な世界だった。


突然、世界は姿を見せて、その鮮やかな光景をわたしの目に焼き付ける。


「これが、みんなが見てる世界…?」


灰色の瞳から零れ落ちる。

涙は透明。


「なんて、なんて、きれいなの」


世界は美しい。


見下ろした自分の手は、輪郭だけが淡く発光していたりはしない。

手の平の向こうの光景が透けて見えたりもしない。


これを奇跡と言わずに何と言う?


世界を色付かせた波紋のような光は、今も絶えずわたしの目に世界を映す。


その正体は一体何だろう?

知らなければならないと衝動的に思った。


知らなければ、やっと手に入れた世界が消える恐怖に耐えられない。

この奇跡は一瞬の神の顕現か。

あるいは人の手で作られた神器かもしれない。


弾かれたように駆け出す。


転ばずに走る。

森の中であるかのように、全ては視界に。


波紋の中心を追って、村外れについた。


見慣れない、気配が三つ。

誰もが皆、村人ですら見慣れないけれど、明らかな余所者が村人たちに囲まれていた。


男性が二人に、女性が一人。


「彼女だ」


目が、勝手に吸い寄せられる。

近付くのを躊躇うほどに清廉な光が彼女の足元から絶えず揺れ出ていた。


風のない湖面を揺らす精霊の歌のように柔らかで、穏やかで、優しい光。

高い、鈴の音のようを聞いたような気がした。

邪気を払い、世界に色付け、万物を愛おしむような。


わたしにとっての、神さま。

奇跡。


本当は、それを何て言うかなんてどうでもいい。


その場所に辿り着いたのは、彼女が顔にベールを下す瞬間だった。


村人たちがひそひそと残酷に評価を下す。


「なんて醜い顔なんだ」


だけどその感想は、わたしには何の感慨も与えない。

わたしの世界は、わたしの目に映る世界だ。


不思議と、ベールで覆われたはずの彼女の顔が見える。

薄いガラスのような隔たりも、目を凝らせば消えてなくなる。


美しい人だった。


誰よりも、綺麗な人だった。

まるで今、目にしている、この世界そのもののように。


涙が出るほどに、心が歓喜する。

彼女の存在が奇跡なのではなく、きっとこの出会いこそが奇跡。


強烈に思った。


傍に居たい。

離れたくない。


世界を見せてくれるからではなく。

ただ彼女を目にした瞬間に運命だと。


わたしが生まれた訳。

わたしの目が、おかしかった訳。

わたしが孤独だった訳。


全部。

全部、きっとこの人のためだったのだろう。


「あなたは、わたしの光です」


こんなわたしの頼りない手を取ってくれる優しい人。


「あなたは、わたしの世界、そのものです」






視野が狭いキリに猪突猛進されたユアさんは運が悪い、という話。

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