異界の地
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――れています。ただちに戦闘態勢に移行するかオートパイロットモードに切り替えを推奨いたします。繰り返します。敵対勢力と思わしき集団に囲まれています。ただちに戦闘態勢に――
アラートとAIによる警告音が鳴り響くコックピットで漸く目を覚ました少年はメインモニタに映し出される光景に絶句していた。そこには写真でしか見たことが無い様な澄み切った青い空と草花が生い茂る大地があったのだ。満開の桜。今では皇居を始めとする重要文化遺産にのみ植林するソレらを一望せんが為に建てられた日本的な構造の城。警戒心を露に機体周辺を取り囲むように銃火器で武装した女兵士、そして少年がプレイしていた体感型VRロボットゲーム『|BattleFrame』において最初期に搭乗するバランス型の『疾風』のプロトタイプとして設定画像だけ存在していた『隼』と思わしき機体が四機、四方を囲むように展開され肩口に取りつけられたサブウェポンである『JHO-103 十二・七粍固定機関砲』を何時でも発射可能なように『紫電改弐式』へと向けられている。
困惑を隠せない少年。どうしてこんな状況になっているのか、どれだけ考えてもさっぱり分からなかった。
そもそもBattleFrameの舞台となる世界は外宇宙から突如としてやって来た侵略者達によって壊滅させられた地球と酷似した異世界『アスケプラ』を舞台に残された数少ない人類と平虫との生存競争を賭けた戦いをしているという設定で、平虫の大元である母体が発生させる瘴気により大気は汚染され緑は枯れていき防護装備無しでは外もまともに歩けないといった有様だったはずである。
故にプレイヤーのアバターは性別による体型が明確に見受けられるほど肌にぴっちりと密着したラインを強調する少々気恥ずかしいパイロットスーツとスモークの入ったバイザー。超小型の空気洗浄機能を搭載したフルフェイスのヘルメット。左右どちらかの脚に取りつけられた自殺用の自動拳銃がプレイヤーのオーソドックスな装備だ。
ソレに対してモニタに映し出された光景はどうだろうか。防護マスクすら身に付けず悠長に旧世代の異物である銃火器を手に紫電改弐式を取り囲むようにして緊張した面持ちで機体を見上げていた。新種のイベント、もしくは特殊ミッションか何かだろうか? と困惑しながらも思考を積み上げる。
しかしこのままずっとこうして居る訳にもいかず、一度情報サイトで検索をかけるべきだと思い至った少年はサブモニタからネットブラウザを立ち上げるべくショートカットモーションである右手の人差し指と中指を合わせて立てた状態から下へとスクロールさせる様に動かした。
――エラー。現在この機能は使用できません。もう一度確認して再度実行してください。
「なっ!? どうしてネットにアクセスできない!」
何度繰り返したところでエラーを知らせるアナウンスが聞こえるのみで一向に変化が起きない事に業を煮やしたのか少年は一度ダイブアウトするべくホロコンソールを表示するように念ずる。がしかし、表示された薄緑色のウィンドウには『DIVE-OUT』の記述がはじめから無かったようにぽっかりと消え去っていた。
血の気が引くとはまさにこの事か、度重なる異常事態に脳内が何故とどうしてで溢れかえる。そうして、そもそもの原因はと思考を巡らせれば、つい先ほどの謎のドロップアイテムに繋がるのは至極当然の事であった。アレを開封したせいでこの異常事態に陥ってしまっているのだから、その詳細を見れば何事か分かるかもしれない。と急ぎアイテムストレージを表示させる。
ずらりと並んだユニットパーツと平虫のコア。それらをスルーしてスクロールを進めていくとプレイヤー自身に装備するアビリティ群の中、一際目立つ虹色のソレがNEWのポップアップで自己主張していた。
固有名称。『Traitor』反逆者を意味するソレの詳細文は文字化けが激しく読み取る事が困難だ。そして厄介な事に装備している事を表す『Equipment』の頭文字Eマークが表示され、ロックがかけられているのか外す事も捨てる事も出来ない状態と成っていた。
新しい異常に頭を悩ませていると同時機体外部を映し出すモニタにも変化が訪れていた。
「御下がりくださいっここは危険です!」
女兵士の一人が白亜の城から駆け出してこちらへと近づいて来る少女に気付き、静止の声を投げかける。そんな声を物ともせず少女は歩みを止めることは無かった。数人が城へと連れ戻す様に近づいて行くも、何事かその少女が口を開くとすぐさま顔色を変えて道を開け供をする様に付き従った。
「どうかお戻りください、姫様。斯様な場所に御身が参られてはなりませぬ」
「いいえ、戻りません。彼の者がこの世界の命運を握る鍵で有るのならば、皇族として最大のもてなしをする事は当然の事。未熟なわたくし程度では足りぬと申されるやもしれませんが……」
「ッ、その様な事は!」
モニタ越しに繰り広げられる問答から推察するに少女はかなり身分の高い存在で有る事。そして、その声に聞き覚えが有る事が少年は感じ取った。助けを求める声。世界を、未来を変えて欲しいと願う少女の願いが脳内にリフレインする。
「降りて来て下さいませんか? 異世界からの来訪者様。お願い申し上げたいことがございます」
「最大限のもてなしの準備は出来ている。危害は決して加えないと誓おう……姫様のお気持ちを汲み取ってやってくれ」
地に膝をつき、祈る様に手を組んで懇願する少女とそれを見て驚愕の表情を一瞬浮かべ、苦虫を噛み潰したような伏し目がちな顔で頭を下げる兵士。いくらVRゲームだからといってここまで表情豊かに、まるで本当に生きているかのような流れる様な演出が描写された物は二〇年経った未だ存在していない。
ラグ、映像の乱れ、声と口の動きが完全には一致しないなどまだまだ課題点は残されており、風景描写に限って言えば簡易描写やコピペがコスト削減等により必要になる現在の仮想世界において、風が吹き揺れる髪、草木。散る桜の花弁。兵士一人一人の息遣い、構える銃火器の少なからずある揺れ。上げれば際限がなくなるほどの情報量の多さに、少なからず少年のプレイ環境である旧式の『VR-Box』はスペック不足により悲鳴を上げ強制的にダイブアウトさせられるだろうことは想像に難くない。
であるのにも関わらず、今こうしてコックピットで思考の海に没していられるのは些か以上に異常であり、また自主的なダイブアウトを行う事が出来ない事を踏まえ、少女の口にした『異世界からの来訪者』という単語。以前呼んだ著名なファンタジー小説の導入のソレに酷似していた。とは言え少年の読了したそれは剣と魔法の王道な物でロボットが登場することは無かったのだが。
そうだと考えれば全て辻褄が合う様な気がし始める少年。現実世界に未練が有るかと聞かれれば大多数が即断でNOと答える現代社会の中に生きる少年は降って湧いた異世界への渡航権に歓天喜地の至境に達した。防護マスク無しに外出する事も出来ない汚染された空海。コンクリートジャングル。建ち並ぶビル街。不味いが栄養だけは有る人工飯。仮想と現実の落差に失望する事一六年。漸くこれらと決別出来ると強く拳を握りしめ、ガッツポーズを取った。
そして、少年は少女達の要望に答えるべく愛機、紫電改弐式のハッチを開け昇降用のワイヤーを用い大地に降り立った。