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異世界保健協会  作者: 真殿悠
乳幼児期
9/9

交換

前回から3か月ほど空いてしまいました。大変申し訳ありません。

今後も時間の許す限り更新を続けていきたいと思います

「ロバートさん! 大丈夫ですか! ロバートさん!」


 学生時代に教わったBLS(Basic Life Support)の通りに、救命措置を試みる。明らかに生命の危険がありそうな場合に行う、とりあえずの処置である。要は心臓マッサージをするかどうかを決めよう、ということだ。


「胸が……、胸が!」

「胸が痛いんですか?」


 俺の問いかけにがくがくと頷く爺さん。ついでに胸の呼吸運動を見ながら、前腕を触って動脈を触れてみる。

 意志疎通はなんとか可能、発語あり、気道には問題なさそう。呼吸運動も特に異常なし、脈は若干弱くて手の先は少し冷たいぐらい、つまり血圧は80あるかないか。脈拍はざっと120/min でだいぶ速い。今わかる範囲のことを頭の中に並べて整理していく。


「ちょっと良くないね」

「ねえフランツ、何がよくないの?」

「このままだと命に関わる」

「え、それって」

「ほっといたら死ぬ」


 淡々とした俺の言葉に、イマイチ事態が呑み込めていないのか、ソフィアはぼんやりとした顔をするばかりだ。少なくとも、今この場で人の死に直面しているという実感は彼女にはないだろう。だがこういう時にこそ焦ったら負けだ。淡々と診療を進めていくぐらいがちょうどいいし、事態を呑み込めていないソフィアを焦らせても何もいいことはない。


「心電図とれないからわからないけど、心拍速くて脈が遅くて末梢冷感あり胸部痛と末梢冷感あり、ってことを考えると急性冠動脈疾患による心原性ショックで間違いないと思う。一応出血性ショックも鑑別に上げたいけど、それにしては眼瞼結膜に赤みがありすぎる。すぐにカテーテルの準備を……」


 そこまで言いかけて、はたと気付いた。

 病気の診断とそれに対してすべき治療、そこまではすらすらと流れるように出てくる。救急の当直で飽きるほど見てきたような症状だ。何を診たらいいか、どうやって診断したらいいか、最も確実な検査は何か、緊急性の高い病気かどうか。そのぐらいならいくらでも思い浮かぶ。そして治し方だって知っている。本当なら専門の循環器内科医に診てもらうのが確実なのだが、緊急の処置くらいなら俺にだってできる。


 …………それが設備のある病院の話であれば、だ。残念ながらこの世界には何もない。

 心電図もないエコーもないCTやMRIもなければ採血や注射だってできないし、ましてや血管造影なんてできるわけもない。ないないずくしだ。


「フランツ? さっきから難しいこと喋ってるけど大丈夫?」


 心配そうなソフィアの声が遠くから聞こえてくる。


「爺さん、死ぬかもしれない」

「でもフランツがなんとかしてくれるんでしょ? いつもみたいに、よくわかんないこと言いながらさ」

「どうしようもないかもしれない」

「でもフランツなら」

「何もかもが、足りないんだ」


 期待に満ちたソフィアの視線が痛い。が、俺ができるのはあくまで現代の医療者レベルまでだ。道具もない人材もない設備もないこの状況では、それこそ魔法でも使わなければ、事態は八方塞がり手詰まりだ。


 待てよ。


 『魔法でも使わなければ』


 逆に考えれば、他にやりようがあるかもしれない。例えば。


「ソフィ、一つ聞いていいかな」

「いいけど」

「前に人間には血液が流れてる、って話はしたよね」

「したね」

「血液は液体って話もしたね」

「うん、聞いてる」

「水魔法って、正確には水ではなくて、液体を操る魔法なんだよね」

「うん、そうだけど、ってまさかフランツ」

「それって、他人の血液でも操ることができたりするのかな」


 それは一つの賭けだった。

 このまま設備のない処置もできない状態で指をくわえてみているよりも、少しでも可能性があるのならそれに賭けてみるべきだ。もし日本で同じ理屈をこねたとしても、倫理規定や何やらでそんな無茶は許されない。しかしここは異世界、地球の倫理規定はどこにもない。このままロバート爺さんを放置すれば心臓が止まって死んでしまうだろうことは火を見るよりも明らかであり、どうせ死ぬなら、その万に一つにも満たない可能性に賭けてみたっていいだろう。


「ま、ワンチャンあるっしょ」

「ワンチャン?」

「こっちの話」


 そこらへんの大学生みたいなことを呟き、もう一度状況を確認する。


 ロバート爺さんが倒れている。どうやら心臓に原因がありそうだ。おそらく心筋梗塞だろう。

 心筋梗塞ならば、診断も治療もカテーテルをしなければいけない。だがここにはそんなものはない。ならばカテーテルの代わりになるものを使えばいい。血管の中を自在に操作できるもの、つまりは水魔法を、だ。


「さて、前代未聞の水魔法カテーテルがついに始まりますよっと」


 誰に語りかけるでもなくそう呟き、目の前で苦しむロバート爺さんへと向き合う。もしかしたら自分に気合を入れるために、


自分に言い聞かせていたのかもしれない。


「(しかし、4歳の子供がこんなことしなきゃいけないなんて世も末だよな)」


 そんな因果に苦笑しながら、俺は魔力を練り始めた。




ーーーーーーーーーーーー



 この世界の魔法には、大きく分けて二つの種類がある。

 一つは詠唱が必要な定型魔法。もう一つは詠唱が不要な非定型魔法。詠唱の手間だけを取り出してみると、非定型魔法のほうが便利に思える。しかしながら世の中の圧倒的主流は定型魔法だ。

 定型魔法の特徴は、その名の通り、決まりきった型にはまった一定の種類の魔法を、魔力がある者なら誰でも同じように扱うことができるというものである。誰が使っても同じ魔力の消費で同じ効果が得られるのが定型魔法の最大の特徴であり特長でもある。

 一方非定型魔法はといえば、中には詠唱を必要とするものもあるが基本的には詠唱はおろか一定の儀式すら必要としない。ただ体内で練りこんだ魔力を自分なりの方法で具現化するだけだ。つまり定型魔法とは全く異なりその魔法は使う者によって千差万別、むしろ同じ人間が使った魔法でもその日の調子によっては全く効果の異なる魔法が出来上がる。それが非定型魔法だった


。よく言えば応用性に富んでいるが、実際は大きな不安定性も同時に抱えていた。

 一流の魔法使いが使えば、非定型魔法は定型魔法よりも効率的に様々な効果をもたらしてくれる。だが大部分の魔法使いにとっては、使うたびに細心の注意を払いながら魔力を練成しなければならない非定型魔法は、なんとも扱いずらいものでしかなかったのだ。そのため非定型魔法は段々と表舞台からその姿を消していき、今では一部の魔法使いが」使う以外は書物の片隅に載っている程度となってしまっていた。


 さて、なんで俺がこんなことを知っているかというと、俺がその「一部の魔法使い」だからに他ならない。正確には「俺たち」と形容すべきか。俺やソフィア、そしてロバート爺さんがそれだ。

 俺とソフィが魔法の練習を始めた当初は、そんな定型魔法や非定型魔法の区別などできず、ほぼ闇雲に魔力のコントロールの練習をするばかりであった。結局はそれが非定型魔法の練習そのものであると気付くのに、だいぶ時間がかかったわけであるが


。最低限の魔力の扱いを理解したあとは、どんどん新しい定型魔法の詠唱を覚えていくのが、本来のオーソドックスな魔法の勉強であるらしい。


 今回俺がやろうとしているのは、明らかに過去の事例にはない、この世界にも元いた世界にも存在していない医療行為だ。定型魔法があるはずもなく、非定型魔法を使うより他にない。その点で見れば非定型魔法の練習をしておいてよかったと言えるだろう。



ーーーーーーーーーーーー



「(さて、どこから手を付けましょうかね)」


 とりあえず心臓の血管がどうなっているか知りたいところだが、いきなり心臓に手を付けると慣れない魔法で手元が狂った場合、大変なことになってしまう。


「(とはいえでかい血管はどこも危ないしなあ。ま、危険性はどこも一緒か)」


 ひとまず操作はおいといて、流れの読み取りに全力を注いでみる。ロバート爺さんの胸に手を当て魔力を込めると、弱いながらも動脈に血が流れているのがよくわかる。そのまま心臓の中の血流も確認していくと、一部分に血流が澱んでいる場所が見つかった。


「(前壁、かな。いや側壁も微妙か。ちょっと広いな)」


 おそらく心臓の壁の一部が動きが弱くなっている。そしてここを支配する血管が詰まっていると考えていいだろう。すぐに心臓の血管へと魔力の意識を移す。するとそのうちの一本で流れが完全に止まっているのがわかった。


「やっぱり左前下行枝、か」


 どうやら俺の予想は見事的中していたらしい。心臓にある3本の血管のうち、太い一本が根本で完全に詰まってしまっている。うーん、そこまではわかったが、さてどうしようか。


「ねえソフィ、ソフィって土魔法も得意だったっけ」

「得意じゃないけど、少しはわかるよ」

「じゃあ聞くけど、土魔法って脂も操れたっけ」

「できたはず。あぶらもこうぶつも、一応土魔法のはんいだもの」

「そっかありがと」

「どういたしまして」


 こういう時に余計なことを聞かないでくれるあたり、ソフィアは本当によくできた子だと思う。下手したら元の世界の俺よりも精神年齢が成熟してんじゃないだろうか。

 とはいえありがたい情報をもらった。脂と鉱物が土魔法でいけるなら、おそらく血管が詰まった原因になっている血の塊も土魔法でいけるはずだ。


「(ええと、土の塊を解体するときは絡まった糸を解きほぐすイメージで……!) これからちょっと痛いですよー」

「うがあああああああああああああああああああ!!!」


 詰まった血管が再開通するとき、人は心筋梗塞において最も痛みを感じるという。ロバート爺さんの場合も例に漏れず相当な悲鳴を上げている。しかしこれで再開通はできたってことでよさそうだ。

 再び血流を見てみると、今度は心臓が細かく動いて全く血が流れていない。


「おっと心室細動か。じゃ今度は雷魔法で、っと」


 再開通時に起きた合併症として、心室細動が起きていた。これは非常に危険な不整脈であり、電気ショックによってリズムを戻さなければすぐに死が見える。もちろんこの場にAED(電気的除細動器)などないので、雷魔法でその代用をする。要はある程度の強い電流を一瞬流せばいいわけだから、細かい調整など考えなくてもいい。

 電気を流した後は忘れずに心臓の流れをまた水魔法で読み取る。


「おっしゃ心拍再開! 補助循環は必要なさそうだな。呼吸補助はさすがに必要だから、こっちは風魔法でいこうか」


 思わず声が出るが、まだこれは一つの治療が終わったに過ぎない。これから起こりうることについて、対策を打っておく必要があるまずは術後管理の方針だな。しっかし現実なら1時間はかかるカテーテル治療が、魔法を使ば10分とかかっていない。うーん、まさに魔法といったところか。この後本当なら詰まったあとの血管に網目状のステントを入れて、再び詰まることを予防するのだが、今のところそんな技術はないのでとりあえず普段の術後管理を行う方針とした。


「薬もないし、とりあえずこれでいいかなー。ねえソフィ、風魔法が使える村の人、誰か連れてきてくれないかな」

「わかったけど、何するつもり?」

「とりあえずロバートさんの呼吸が落ち着くまで、付きっきりで見ててもらおうかなって」

「……フランツって、本当にかんじんなところで抜けてるね」

「え、どういうこと?」


 元の世界ではこの呼吸管理は機械の役目なのだが、この世界には人工呼吸器がないのだから、誰かに付きっきりで見てもらう


より他ないだろう。心苦しいがどうしようもない。だというのにソフィアは呆れた目でこちらを見ている。


「要するに、その爺さんの口に一晩中風を送り続ければいいわけだよね」

「いやいやそうじゃないよ。爺さんが息を吐いたら風を弱めて、息を吸ったら風を強くするんだ。そうすることで楽に呼吸がで


きるようになるだろう?」


 本来の目的は呼吸を楽にすることよりも、肺に圧力をかけることのほうが主なのだが、ここでそんなことを説明してもかえって話をわかりにくくするだけだろう。


「それでも一緒じゃない。魔法石を使えばいいのに」

「魔法石?」

「うわー、やっぱりフランツ知らなかったんだ。フランツってばそんなに変なこといっぱい知ってるのに、そういうじょうしきてき?なところにうといよねー」

「知らないものは知らないからな」

「はいそこでいばらなーい」

「で、魔法石って何?」

「急に話を戻すわね……。まあいいわ。魔法石ってのはね、あらかじめ魔力を込めておけば、最初に命令した通りに魔法を使い続けてくれる石なのよ。もちろん、込められた魔力が尽きるまでの間、だけどね」

「何それずるじゃん」

「ずるも何も、そういう石があるんだから仕方ないじゃない……」

「でもその石って、結構珍しいものだったりするんでしょ?」

「そんなことないわよ。ほら、この家にだっていくつか転がってるじゃない」


 見ると、確かにロバート爺さんの家には、普通の置物とは様子が違う、角ばった宝石の原石にも似た石の塊が、いくつか転がっていた。


「へえ、これが」

「そうよ。それを使えば、さっきフランツが言ってたようなこともできるんじゃないかな?」 

「そういうことなら、『風よ吹け。しかして流れには逆らわず、決して休まず』っと。こんな感じ、で、いい……」


 ありったけの魔力を込めて、魔法石に命令を送り込む。すると体中の力がすっと抜けていく感覚とともに、視界がぼんやりと揺らぎ始めた。


「……ねえフランツ? フランツってば!」


 今度こそソフィアの声が遠くなっていく。その心地よい声を聴きながら、俺の意識は深く落ちていった。


BLS:一次救命措置。本文中でも言う通り、心臓マッサージをしたりAEDを使ったり。


ショック:出血性ショック、心原性ショック、神経原性ショック、敗血症性ショック、アナフィラキシーショックetc。要は血がまともに流れてないという話。


カテーテル:血管に管を入れて薬品投与やワイヤーで治療をするのですが、その管をカテーテルといいます


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