小さな木の実
「というわけで、アギの実って何?」
翌日、ソフィアと会った俺はアギの実とやらが何なのかを聞いてみた。
「お父さんは教えてくれなかったの?」
「知らないって。そんなに珍しいのかな? アギの実っていうからには木の実か何かだよね」
「私も詳しくは知らないよ。でもちょっとだけ聞いたことある」
「ほんと!?」
いきなり金脈を掘り当てたか、と思ったが、続く言葉で肩透かしを食らうことになる。
「て言ってもお母さんにちょっと聞いたことがあるくらい」
「そう……」
まあそううまくは行かないか。逆にこれでソフィアが知ってたら、うちの親父はどれだけ物知らねえんだって話にもなるから当然なのだが。
「一応知ってることだけは教えとくね」
「うん、知りたい」
「なんでも昔はあちこちの木に生ってたんだけど、今は全然見かけないんだってさ。私も見たことないもん」
「そっかあ。色とか形とかは知ってる?」
「全然」
「ほんとにそれだけなんだ」
「言ったじゃん、ちょっとだけって」
「ううん、別に責めてないよ。ありがと」
「そう? ならいいけど」
「他には何か知ってる?」
「ぜーんぜん。そのお爺さんも、そんな変な木の実じゃなくてディアの実でも食べてればいいのに」
「ソフィはほんとにディアが好きだね」
「私はディアが好きじゃないっていう人のほうが信じられないけどね」
「まあ、人の好みはそれぞれだから仕方ないよ」
ソフィアに胡乱な目を向けられるものの、好きじゃないものを好きだというのはあとで弊害が大きすぎる。あまり美味しくないお菓子をお世辞で褒めたら田舎のおばあちゃんに毎度用意されて歯がゆい思いをした経験、ない話じゃないだろう?
ディアの実とは、子どもたちに甘味として人気の、秋の味覚としてここらで好まれている木の実だ。収穫は簡単であり、保存も利く。ちょっとペーストにすれば料理にだって入れられる。しかも丁度子どもたちが手に取りやすい低い位置に実をつけるので、子どもたちは秋になるとこぞってディアの実を取りに行く。そんな万能の木の実だった。
俺も嫌いとは言わないが、やはり日本のよくできた洋菓子や品種改良された果実と比べたら格段にその味は劣るので、わざわざ取りに行くのも面倒だなあ、ぐらいのことは思っている。
しかし昔は生っていた、か。となるとロバート爺さんが若かったころに食べた味だったりするのだろうか。きっとあの爺さん、俺の試験にかこつけて自分が好きな食い物を持ってこさせようとしたに違いない。ま、そのぐらいは試験を課す側の特権みたいなものだから、いいんだけどね。それで試験の難易度が大きく変わるわけでもなし。
「何それ。相変わらずフランツって変なことわかってるよね」
「なんとなくこうじゃないかなーって思ってるだけだよ。それとアギのこと知ってそうな人、心当たりない?」
「とりあえずお母さんに聞いてみる」
「ありがと、助かるよ」
俺のほうも、もうちょっとジェレミーに聞くことにしますか。
「そうは言ってもなあフランツ、俺もほんとに知らんぞ」
「ちょっとだけ! 誰かが言ってたとかこんな感じのイメージとか、そういうのでもいいから」
「しかしなあ……」
案の定ジェレミーからはろくに手がかりを得られることもできなさそうだった。まあいい、そんなことはわかっていた。
「ママー、ママはアギの実って知ってる?」
本命はこっち。食料の話なら実際にそれを扱う女手のほうがより詳しく知っているはずだ。
「どうしたの急にそんなこと」
「どうしても必要になったの。ママはアギの実がどこにあるか知らない?」
「知ってるけど……」
ビンゴだ。
こんなことなら余計な遠回りせず最初っからリンジーに聞いておけばよかった。まあそんなことを後から考えたって詮ないので、今度からはちゃんと身近の大人にもっと頼ることにしよう。
「教えて!」
「あのねフランツ。人に何かを教えて欲しいときは、ちゃんとその理由を言うの。それで丁寧に頼まなきゃダメなのよ」
「あっはい」
まさかこの歳(前世と合わせて30歳)にもなって礼儀作法でお説教されるとは。しかもそれが全くの正論だから余計に恥ずかしい。
「それで、アギのことについて聞きたいのよね」
「うん。お願いします」
「偉い偉い。ジェレミーもちゃんとフランツのこと見習うのよ?」
「リンジーさん?」
この二人、本当に仲の良い夫婦なんだよな? 実は険悪とかないよな?
あ、あれか。サディスティックマゾヒスティックなあれか。そういう関係か。なるほどー。
…………なんか二人のそういう光景を想像してしまったら気分が悪くなった。やめよう、誰にとっても得がない。
そんな俺の苦悩を知ってか知らずか、リンジーはジェレミーを無視して話を進める。
「そもそもなんでアギの実なんか欲しいと思ったの?」
「それはだなリンジー」
「私はフランツに聞いてるの」
「はい……」
……仲がいい夫婦だなあ。
「で、どうなのフランツ」
「えっと、僕が魔法を習いたいって言ったの。そしたらパパがロバートさんてお爺さんがいいよって言ったから、ロバートさんにお願いしたら、そのアギの実を持ってこいって。話はそれからだって」
「ジェレミー、あなたそんなこと言ったの?」
「だってフランツが俺からは教わりたくないって……」
「またそうやって言い訳ばっかり! もしフランツがそう言ったとしても、ロバートさんてあんまりいい評判聞かないじゃないの。やめたほうがいいと思うわ」
「それはいやだ!」
俺が急に上げた大声に、場がシンと静まり返った。ジェレミーもリンジーも目をまん丸くしてこちらを見ている。ちょっと過剰反応過ぎたか。
「大声出してごめんなさい。でも僕はロバートさんにお願いしたんだ。僕がお願いしたのに、今更やめるのは、ずるいと思う。だから、僕は頑張ってアギの実を探すし、ロバートさんに魔法を教えてもらいたいと思ってる」
「フランツ……」
先程とはうってかわって、二人とも俺の瞳を見定めるように真剣な顔でじっとこちらを見ている。そうやって起きた少しの沈黙の後、リンジーがゆっくりと口を開いた。
「ねえフランツ、それは本当にあなたがやりたいことなの?」
「うん。魔法を使えれば、もっとママの役に立てると思うから」
「今のままでも十分よ」
「ううん、全然足りない。魔法を使えたって足りない。だから、魔法を勉強しなきゃいけないんだ」
これ以上は何を言っても無駄だと悟ったのだろう。軽い溜息を付くとリンジーは諦めたように語りだした。
「アギの実はあなたもいつも食べてるわよ」
「え!?」
それは初耳である。
確かにこちらの世界の食材は味も微妙に違えば名前も聞きなれぬものが多かったので、知らず知らずのうちに食べているということはあるかもしれない。しかしいつも食べているとなると、いくらなんでもわからないわけがない。どういうことだ?
「アギの実ってのは、ディアの実の若い頃を言うのよ。青臭いけど下処理が要らないから、昔は我慢して食べられていたわ」
「あーあれかあ。言われてみれば確かにそんな呼び方もあったなあ」
おいおいジェレミーさんよ、さっきは知らないって言ったばかりじゃあないか。今になってそれはどうよ。
「じゃあ、ディアの実を探せば、アギの実があるの!?」
「まあそうね。今は夏だし、ディアはなくてもアギならあるんじゃないかしら」
うわあ、そういう話だったか。
確かに今は食べられていない思い出の味ってのは間違っていないんだろうけど、その理由が青臭くてまずいから、か。そりゃうまかったら絶滅の危機に瀕していても食っちゃうよな、人間だもの。鰻や鮪を食べるために日本人がしてきた涙ぐましい努力を俺は知っているからな。食わない理由はまずいから。当然だ。
しかしなんだってあの爺さんはそんなものを欲しがるのだろう。まさか性格につられて舌まで偏屈になったってことはあるまいに。
「わかった! ありがとうママ! 探しに言ってくるね!」
「暗くなる前に帰るのよー」
「いってきまーす!」
こうなれば後はアギの実を取るだけだ。
大丈夫、いくら大して好みじゃなくても皆に混じって遊んだ分実の取り方は覚えている。
木を揺らして落ちてきた実をとる。簡単だ。その青臭い実をロバート爺さんのところに届ければミッションコンプリート、晴れて魔法使いの弟子入りとなる。
魔法の勉強かあ。なんだかワクワクしてくるな。
…………ま、そんな甘い期待はすぐに打ち壊れることになるんだけどね。