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異世界保健協会  作者: 真殿悠
乳幼児期
5/9

赤ちゃんと僕

 その知らせを聞いた時のことを言えば、「ようやくか」というのが正直な感想だった。

これだけ仲の良い夫婦ならば、俺が生まれたすぐ後にでも妊娠が発覚していたっておかしくはないのだ。むしろ俺が3歳までその気配がなかったことは遅すぎたとすら言える。


「男の子だったら名前は何がいいだろうか。かっこいい名前がいいな。女の子だったら可愛い名前だな。どちらにせよ生まれたての赤ん坊は可愛いぞ。何せ俺とリンジーの子だからな。それにフランツの賢さもあるとするとこれは相当な子供が生まれるに違いない。将来安泰だな!はっはっは!」

「もう、ジェレミーったらフランツの時もそんなこと言ってたでしょうに」


 幸せいっぱいといったムードの二人だったが、俺は生憎そんな気分には浸れなかった。「本当に出産して大丈夫なのか」という不安を多分に含んだ疑問が解消できそうになかったから。血の気が引いた、とはそういうことだ。


「ママ、大丈夫なの?」

「あら、フランツはちゃんとお兄ちゃんになれるか心配? 大丈夫よ。ジェレミーだって下に二人弟がいるけど、ああやってしっかりやってるでしょう? まあ、完璧かどうかはちょっと怪しいけど」

「そこは完璧だって言ってくれよリンジー」


 違う、そうじゃない。俺が言いたいのはそんなことじゃない。


 繰り返すようだが、この世界の医療水準は決して高くない。現代日本の医療に太刀打ちできるものは、せいぜい外傷に対する治癒魔法ぐらいなものだ。もちろん医療の一分野である産科に関してだってその例に漏れない。まともな産婦人科医など村にはおらず、老年の産婆が一人二人いる程度。とてもじゃないが安心して出産できるような状況じゃない。

 妊娠から出産までは、よく飛行機のフライトに例えられる。妊娠という離陸に始まり、40週間という長い水平飛行を経て出産という着陸へと至る。飛行機事故が最も起きやすいのはこの着陸時であり、出産もまた同様である。

最先端の医療水準たる現代日本でさえ、年に数件は出産時の死亡例があるのだ。まともな医療がないこの村ではどうなるか。考えるだけでも恐ろしい。


「パパは心配じゃないの? もし何かあったら……」

「フランツは心配性だなあ。あんまり頭がいいとそんなこと考えるのか? でも大丈夫だろ! なにせフランツは元気に生まれてきたんだし、きっと次の子だって元気さ!」

「そうねえ。フランツの時はすごい安産であっけなく生まれてきたから逆にびっくりしちゃったわね。きっと私安産する人なのよ」

「そうじゃなくて!」


 どうしてこの二人はこんなにも楽観的なのだろう。全く理解できない。

前回が安産だからといって今回もそうである保証などどこにもないのだ。

例えば血液型。Rh(-)の母親が2回目に妊娠した場合、免疫反応により胎児に貧血が起こり、場合によっては流産する可能性だってある。初回の妊娠にはまず起こらない、2回目以降の妊娠に特徴的なものだ。まともな胎児管理や母体管理ができればそれでもなんとかなると言えるが、最低限の検査機器、エコーすらない状況でまともな管理なんてできるわけがない。


 ……いや? ほんとに不可能なのか?

こちらの世界にはエコーなんてないし、心電図や筋電図だってあるわけがない。原理的に簡単な血圧計ならなんとか作れるかという程度。つまり知りたい検査結果を確認する手段が本当に限られている。はっきり言って無理難題だ。

でもそれは、あくまで『同じ装置で同じものを再現』しようとした時に起きる困難で。妊娠の管理に必要な胎児心拍や胎動、胎児の形態を確認するだけなら、何もエコーに拘る必要なんてどこにもない。もちろんその過程で母体や胎児に害が及ばないようにする必要はあるが、結果だけを求めるなら現代日本と同じ方法を使う理由なんてない。違う方法でも、得られる検査結果が同じならそれで十分だ。


 具体的には、魔法を使う。


 水魔法を使えば羊水の動きがわかるし、血流だってわかる。あくまで理論的には、だが。高度な土魔法なら、血液中の鉄の含有量だってわかるらしい。とにかく魔法を使えば医療機器の代用となるはずだ。

「はず」とか「らしい」のような推測が多いのは、俺がそのレベルの魔法を使えるほどの力がないからなのだが。なのでこれは机上の空論、確証のない推論であり、うまくいく保証はない。けれど水の流れを読む程度なら既に魔法でやっていたし、きっとうまくいくという確信めいた何かがあった。


「ママ、生まれる予定の日っていつ?」

「そうねえ、産婆さんの話だと来年の春先って言ってたけど」

「もっと詳しく!」

「え、え? そんなこと言われても、産婆さんでもそんなのわからないわよ」

「じゃあ最後に月経、月のものがあったのは?」

「おいフランツ!」

「パパはちょっと黙ってて! 今大事な話をしてるから」

「うーん……」


 俺が遊びで聞いているわけじゃないとわかったのか、ジェレミーは押し黙り、リンジーは困った顔で考えこんでしまった。

いきなりこんなことを聞かれて、リンジーはどう思っただろう。しかも4歳の息子にだ。多少強引なやり方だったかもしれないが、うまいやり方など思いつかなかった。


「なんでそれを聞きたいの?」

「予定日が正確にわかるから。最後の月経から40週、280日が予定日」

「そこまで正確にわかって、何ができるのかしら」

「お腹の子がちゃんと成長しているかわかる。成長してなかったら、頑張って成長するまで待たなきゃいけない」

「そう……」


 うまく言えた、わけもない。自分の言いたいことをぶつけるだけになってしまった。患者と接する時には一番やってはいけない態度なのに。

あまりにバツが悪くて、問いただした相手であるはずの母親にすら、うまく顔を見せられなかった。

本当に何をしているんだろう、俺は。


 そんな自責の念にかられていたとき、溜息とともにリンジーが声を出した。


「6の月の10日」

「え?」

「最後に月のものがあったのは6の月10日よ」

「ほんと!?」

「嘘いってどうするの……。それでフランツ、あなた本当にそれで大丈夫なの?」

「えーっと、まだまだ知りたいことはあるけど、これで計画が立てられると思う!」

「リンジー、いくらフランツが賢くても、さすがに妊娠と出産は産婆さんに任せたほうが……」

「あら、もちろんお任せするつもりよ。でもフランツがやりたいって言ってるのだから、やらせてみればいいんじゃないかしら」

「やらせてみれば、って……」

「大丈夫よ。ねえフランツ、いくつか約束してくれない?」

「うん、するよ」

「まず産婆さんの言うことをちゃんと聞いて。あなたはまだ4歳なのよ。産婆さんにちゃんと聞いて、ちゃんと勉強して」

「わかった」


 中身は26+4歳なんだけどな。学生実習や研修である程度はお産に立ち会った経験だってあるわけだし。とはいえこちらの産婆さんだってただの素人というわけでもないだろう。素直に話を聞くぐらいはわけないことだ。


「それと、何かするときは必ず産婆さんに聞くこと」

「約束する」


 正直な話いちいちお伺いを立てるのは面倒だけど、それでリンジーが納得するというのなら、それは必要な労力だ。


「最後に、何かあっても絶対に抱え込まないで。それはあなたのせいじゃない」

「いやだ」

「フランツ!?」

「何かあったら、それは僕のせいじゃなくても、僕が考えなきゃいけないことだと思う。だから、別の何かのせいにして、僕のせいじゃないって言うのは嫌だ」

「フランツ……」


 過度の責任はパフォーマンスを低下させるが、責任がなければ隙が生まれる。4歳児にしてみれば行き過ぎた責任かもしれないが、転生を経た俺にしてみれば、この程度の責任は適当、むしろ軽すぎるとすら言えた。


「僕は、自分のできることをする」


 はあ、とリンジーの呆れた視線が突き刺さる。ジェレミーに至ってはさっきから一言も喋らず、俺とリンジーのやり取りを眺めるばかりだ。


「もうわかったわ。あなたの好きなようにしなさいな」

「ありがとう、ママ!」

「忠告しておきますが、あなたはどれだけ賢くてもまだ4歳なんですから、なんでもできるとは思わないこと」

「わかった!」


 リンジーの言うことは最もだが、大事なことで勘違いをしている。4歳児がなんでもできるわけじゃない。できることはとても限られている。だがその上でなお、やるべきことが山積しているのだ。


 さて。

 やるべきこととやりたいことが一致した。これから約9ヶ月、慣れない妊娠管理のスタートだ。

Rh(-):血液型不適合妊娠に際して重要な血液型。子供もRh(-)なら問題ないが、一人目、二人目が共にRh(+)だと胎児貧血が起こりうる。治療は輸血など。


エコー:超音波による画像。慣れないと何が写ってるかまるでわからない。胎児に対しては放射線の影響でCTやレントゲンは使えないし、胎児が動くのでMRIも使えない、ということで非常に有用な検査。胎児の形や大きさがわかるので、成長の目安や奇形の診断で特に有用。


心電図・筋電図:心臓や筋肉の電気的な動きを見る検査。どんなもんかは実際にググって写真を見てもらったほうが早いです。


40週:よく妊娠期間は十月十日と言われるが、正確には最終月経から数えて280日。もちろんある程度育っていれば、少しくらい早かったり遅かったりしても問題なし

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