未知との遭遇②
日々は瞬く間に過ぎ去っていった。
光陰矢の如し。
本来ならば若いころに比べると年をとった時は時間が過ぎるのが早く感じる、といった意味で使われることが多い言葉なのだが、現在の俺の状況を表すのにこれほど的確な表現もそうそうなかった。
一日の大半を寝て過ごしているのだから実質的な活動時間が短く、その分時間感覚がおかしくなると言ってしまえば身も蓋もないが、それを鑑みても本当にあっという間だった。
気が付けば一歳の誕生日を迎える時期になっていた。
「ジェレミー! フランツのお祝いの準備は大丈夫なの!」
「そう急かすな。俺だってしっかり考えてあっからよ。親戚も村の奴らもみんな呼んで、盛大にお祝いしなきゃあな」
「その料理を作るのは、誰なんでしょうね?」
「う……俺も手伝うし、ジャクリーンおばさんだって呼んでくるからよお」
「それでも材料すらないと何もできないでしょう?」
「それは、まあ……」
「わかったら、ちゃんと買い出しに行ってきてくださいな。私はフランツの世話で忙しいんですから」
「おうよ、任せときな!」
親父殿、最後だけかっこよく見せてもダメなのだぞ。ていうか俺、そんなお祝いよりも予防接種受けたい。髄膜炎怖い。
「ママ、ぼくは?」
「ダメよ。フランツのためのお祝いなんだから、フランツはそこにいるだけでいいの」
「はーい」
俺は既に言葉を喋ることができた。
普通子供が言葉を喋るのは遅くて1歳半過ぎ、どんなに早くても1歳を越えないとまともな意味のある言葉は出てこない。口唇音だけで構成されている「ママ」のような簡易な言葉ならその限りでもないのだが。さらに会話をしようともなると、2歳で片言、3歳でようやく子供らしい会話が成立する程度だ。
つまり、今こうやって1歳にも満たない俺が会話をしていることは完全にイレギュラーである。いくら早熟にしたってほどがあるって話だ。
この夫婦の子育てが初めてでよかった。
俺が少々異常な成長をしていても、ある程度は誤魔化せるだろうから。
問題は弟か妹ができた時だな。俺みたいな最初から自我がある赤ん坊などそういてもらっては困る。イコール弟や妹は俺と同じような成長を期待できないというわけだ。
おかしな話だよな。明らかに俺のほうがイレギュラーなのに、先に出てきたというただその一点で基準点にされてしまう。まだ見ぬ妹や弟だが、生まれてきた時は全力で守ってやらないとな。
あ、生まれてこないという可能性は全く考慮していない。見る限り両親は共に若く健康そうだし、あの仲の良さなら二人目ができるのも時間の問題だろう。俺だって、目の前でおっぱじめようっていうんじゃなきゃ邪魔してやろうだなんて思わんさ。
「じゃあ僕は魔法の練習してるね!」
「フランツは偉いわねえ」
「そうだな、将来が楽しみだ! がはははは」
二人とも本当に楽しそうだ。そりゃ1歳にも満たない子供がこんなふうに喋り出したら鼻も高いだろうが、俺だったら逆に不気味がって腫れ物扱いでもしてしまいかねない。つくづく生まれてくる場所やタイミングが完璧だった。二人には感謝せねばなるまい。
それともあの『声』がそう仕向けたのだろうか。それはそれであり得ない話じゃない。
「今日は水魔法かなあ」
喋って歩けるようになってから心がけていることが二つほどある。
一つは独り言。言葉の発達のためにも、意識的に独り言を言う癖がついた。もちろんこちらの言葉で。滑舌の良さや正しい発音は、コミュニケーションを円滑に行う上で最大の武器だしな。ただぶつぶつと独り言を喋るような奴もそれはそれで気味が悪いので、うまく喋れるようになったらこの癖は封印しないといけない。ちょっと面倒くさい。
二つ目は魔法の練習。主に身の回りに使うことに使う魔法から始めた。
この世界は現代日本に比べて生活水準が随分と低いと思っていたが、実はそういうわけでもない、と気付いたのが魔法を使い始めてからだった。
身の回りのことはだいたい全てが魔法でカタが付いてしまうから、技術が発展しないのだ。
水魔法があれば洗濯機はいらないし、風魔法を使えば掃除はおろか、匂い対策もできれば乾物だってすぐに作れる。ジェレミーに聞いた話によると、上級者にもなると風魔法を移動手段として使うことのできるものすらいるらしい。
そりゃあ地球みたいな技術は発展しねえわ。
もちろん細かい部分で見れば「こういう道具があれば便利なのに」という場面もなくはない。が、魔法という多大な労力を削減する存在からすれば、そんなものは本当に些細なことだった。
そのうち改善・発展していくであろうことは容易に想像できるのだが、現在は魔法で十分だし、それが日本の生活水準に特段劣るものではないというのが事実であった。
そんなわけで頑張って魔法を練習しているのだが、なかなかどうして難しい。特に力加減がどうにもうまくいかない。
一応の師であるジェレミー曰く
「手がもう一本あるようなもンだ。その手で体ン中の魔力をこねくり回して、どパーッと放出するンだ。すると、なんかが出てくるから、あとはそれを風とか水とかに変えればいいわけだな」
まるで要領を得ないどころか余計に混乱しそうな説明だった。
それでも体内の魔力を使う、という部分だけは伝わってきた。逆にそれ以上は伝わってこなかった。
一応はその説明の通りにぬんと力を込めて色々とイメージしてみると、魔法の発動自体はうまくいく。しかしその実態はといえば、水球を作ろうとすれば水は弾け飛び、風を起こそうとすればかまいたちでさっくりと椅子の脚を切ってしまう。火魔法を試そうとしたときには危うく辺り一面を焼け野原にしてしまうところだった。
魔法が使えないわけではないので訓練次第だとは思うのだが、特に火魔法や風魔法に関しては慎重に練習を重ねないと、下手をすれば死人が出る。こういう魔法の事故で死んだものはどれだけいるのだろう。少ない数ではなさそうだ。
ともかくそんなわけで、最初は比較的危険性の少ない水魔法に的を絞って練習を進めていた。今では小さな水球を一つ、宙に浮かべるくらいはなんとかこんとか安定するようになってきた。これが発展すれば、水流操作や水圧操作すら可能になるらしい。
まだ一から水を生み出すほどの魔力操作はできないので、近くの川の水を使って練習していたところ、不意に声をかけられた。
「ねえ君、どこの子?」
ちらりと振り返ると、おそらく3歳ぐらいであろうか。女の子が興味津々といった様子でこちらを見つめていた。
「えっと、あそこのうちの、フランツっていうんだ」
「もしかしてエスターライヒさんとこの? 私はソフィアっていうんだ。ソフィア・ホーエンベルク。よろしくね」
「うん、よろしく」
その年でそれだけの挨拶ができるとは、よほどしっかりと躾がされているのだろう。ってまだ1歳にもなっていない俺が言うセリフではないか。
あと我が家の姓がエスターライヒっての、初めて知ったぞ。
「ねえねえ、フランツはここで何してたの?」
「魔法の練習」
「まほうのれんしゅう! すごいね。私もはじめたばっかりだよ」
「そうなんだ」
「そうだよー。なかなかうまくいかなくてさ。ママなんか『火魔法と風魔法、土魔法は危ないから使っちゃダメですよ』って言ってぜんぜんつかわせてくれないし」
「僕はそんなこと言われなかったな」
「ほんと? じゃあやっぱりうちのママがきびしいんだ。あたしも魔法つかいたいなー」
「僕も水魔法以外使えないよ」
「あれ、そうなんだ」
「そうなんだよ」
水球に集中したまま適当に相槌を返すが、ソフィアは引き続き俺に興味を示している。何がそんなに面白いんだ?
「フランツは今いくつなの? 私は4歳だけど、私よりちっちゃいよね?」
「1歳」
「うそだ! うちのルードも1歳だけど、ぜんぜんしゃべってないし、ようやく立ったばっかりだよ」
「ごめん嘘」
「だよねー。ほんとはいくつ?」
「0歳」
「ええー!!? またうそだよね?」
「今度はほんと」
「え……ほんとにほんと?」
「うん」
ソフィアは唖然としていた。そりゃそうだ。うちの両親が脳天気過ぎるだけで、近くにちゃんとした比較対象がいれば、1歳でこの成長は明らかに異常だとわかる。
「ルードってのは弟?」
「うん。ルードってもしかしてちょっとおくれてるのかなあ……」
「ううん、僕が早過ぎるだけだよ」
「そうなんだー。フランツはすごいね!」
「かもね」
何気なく話したけど、これ話してしまってよかったのだろうか。変に俺の噂が広まると、面倒なことにならないだろうか。具体的には天才少年の噂を聞きつけた人さらいが、とか。考え過ぎか。
「暇なの?」
「うん、ママは冬支度でいそがしいから、外であそんでなさいって」
「ふーん」
「……」
「…………」
沈黙が気まずい。こちらとしてはソフィアに用はないのだが、彼女が一向に立ち去る気配もないので、そのまま沈黙が続いている。さすがに4歳の子に「暇なの?」の一言であっちへいってくれという言外の意図を感じとらせるのは無理だったか。
そういえば自分が子供の頃も、大人がしている仕事に手を出そうとしてはよく怒られていたっけ。それを考えると彼女はじっと見ているだけな分、よほどよく言い聞かせられているのだろうな、と勝手に考えていた。
「ふう……」
「あれ、もうやめちゃうの?」
「今日はちょっと気分が乗らなくて」
「そっか、ざんねん」
嘘は言っていない。気分が乗らない具体的な原因がソフィアだということを言っていないだけだ。
「それじゃ、こんどは私がれんしゅうするね!」
そう言うと彼女は俺の前に踊りだし、川の水を魔法で汲み上げた。
彼女が作った水球は、俺のものと比べると小さく動きも緩慢だった。
だが、そんなことが気にならないぐらいに、その水球は美しかった。
真円を幾つも重ね合わせたようなその水球は、煌く陽の光を浴びて真珠やダイヤモンドなんかよりも遥かに眩く輝いていた。この真球は、細緻な魔力操作がなければ作ることはできまい。
そこで、俺は初めてしっかりとソフィアの顔を見た。
子供らしいあどけなさや薄い皮膚による頬の赤みはあるものの、ゾッとするぐらいに透き通った肌と整った顔立ち。青い瞳に金色の髪。そして何より目を引くのは、その耳だ。
「(とんがってる……!)」
古来より続くファンタジー世界では皆勤賞とすら呼べる種族、エルフのそれだ。
「耳……!」
「どうしたの? あ、もしかしてこの耳がきになるんだ」
ふふん、と自慢気に両の耳を見せびらかすソフィア。そんなもの気にならないわけないだろう。いや気になるどころじゃない、目が釘付けだ。だって今まで見てきたどんなものよりも、即物的に「異世界らしさ」を体現しているのだから。
「これねー、エルフっていうしゅぞくのしょうこ? なんだって。よくわかんないけど、こんなふうに耳がとんがってると、ほかのしゅぞくよりも長生きできるんだって! すごいよね!」
「う、うん」
うわあ、本物のエルフだ。ていうかこっちでもエルフって名前なんだ。
この異世界に転生してきて驚くことは数あれど、実際にエルフがいるという事実が最大の驚きだ。いや魔法も大概ではあったけど。
「お姉ちゃん、魔法うまいね」
「そう? れんしゅうはしてるけど、おっきいのが作れないんだー」
「でも、すごい綺麗」
「そ、そうかな。ありがと」
あまりの衝撃に何故か口説いている風になってしまった。4歳を口説く0歳児ってなんなんだ。
「…………」
「…………………」
先程以上に気まずい沈黙が流れる。さっきからどれだけの天使が通り過ぎたっていうんだ。こうなったらより人生経験豊富(?)な俺が、なんとかするしかあるまい。
「ね、ねえ、お姉ちゃんって明日もここに来る?」
「たぶんくるとおもうよ」
「それじゃあさ、僕にも魔法を教えてもらえないかな!」
「いいけど……私よりすごい人いっぱいいるよ?」
「僕はお姉ちゃんがいい!」
「そっか、そうなんだ。うん、わかった。そしたらまた明日、おしえてあげるね」
「ありがとう!」
とりあえず当面の気まずい空気は回避できたようだ。代わりに明日以降も顔を突き合わせることになったわけだが。
とはいえこうやって教えを請うたのが苦し紛れかというと、まるっきりそういうわけでもない。少し年上の同年代の友人という存在は非常に大きく、言い方は悪いが非常に役に立つ。あ、別に利用してやろうとかそういうのじゃあないってことは言っておく。部活でも何でも、教えてくれる先輩がいるのといないのでは上達効率がまるで違うのだ。
魔法を教えて欲しいというのも本当だ。
両親は二人ともとても子煩悩ではあるのだが、如何せんそのおおらか過ぎる性格は教育者には向いていない。魔法も畑仕事や家事で使う程度らしいので、高度な魔法を教えてもらうことも難しいだろう。となると、彼らとは別に魔法の教えを請う相手が必要になってくる。そういう意味ではソフィアはきっと俺に色々と教えてくれるに違いない。いやだってエルフは魔法が上手いってのが定番じゃん。
「それじゃ、また明日!」
「うん、またね」
また変な空気になる前に、いそいそとその場を離れる。
この世界に来る前の日本では、俺はオカルトは信じない人間だった。
世に言われる不可思議な心霊現象だって、科学が進めばどうせ解明されるだろうと思っていた。
しかしこの世界にきてからは、そんな常識が本当に偏ったものであると思い知った。わからないものはわからないのだ。無知に対しては謙虚な姿勢を忘れずに。そんな大学時代の恩師の言葉が蘇る。
そんなオカルト、せいぜい勉強させてもらうとしましょうか。
髄膜炎:髄膜に起きる炎症。髄膜とは脳や中枢神経を包む膜だと思ってくれれば結構です。原因は様々で、この段階のフランツぐらいの年なら肺炎球菌やインフルエンザ菌が多いです。