二章・怪しく異なる
「それじゃ、今回の怪異について整理しよう」
事件に乃香が関わっていると知った綾は少しばかり落ち込んだものの、伽羅が差し出した本日二本目となるみたらし団子を食べて少し元気を取り戻していた。
何か事典らしきものをパラパラとめくりながら草子は綾にこう尋ねた。
「芹彦や伽羅に聞いた話ではキミを襲った怪異は赤尽くめで斧を持っていたらしいね」
「キャッキャ、芹彦さんよ、そりゃ大雑把すぎますぜ」
それに反応して森彦が笑うと、反対側に座る健が森彦を睨むように表情を変える。
「ごめんなさい。正直怖くて何も覚えてません。ただ、バスケットを持っていて……」
「バスケットってピクニックとかにランチを入れていくあのバスケットでいいのカナ?」
「ええ、そのバスケットです。それでその中にあのニュースで首なし死体で発見された男性の顔が……」
「キャッキャ、確かそいつの名前、七篠権平だったっけ? キャッキャ、ふざけた名前だよなあ」
「黙れ、赤毛猿。死者を悪く言うもんじゃないよ」
森彦を叱りながらも、草子は事典をめくる。
「で草子殿。それだけで何か分かったでござるか?」
「バスケットを持っている神話的要素なんて聞いたことがない。けどだからこそ、それが物語の手がかりになると思うよ」
草子は綾に理解させる気がないのか、わけの分からぬ言葉を吐いた。
「とはいえ、バスケットという要素を外したら容姿だけは当てはまるやつが一匹いた。検証してみなきゃ正確にはわからないけどね」
そう言って草子は事典を閉じて、綾たちが囲む机へと放り投げる。代わりに伽羅が淹れたお茶を手に取る。
「もし、綾を襲ったのがそいつだとしたらかなり厄介な部類に入るよ」
その後、お茶を一杯口に含んだ草子は
「願わくばそうじゃないことを願いたいね」
ぼそりと呟いた。
机の上の書物には『怪物事典』という名前が刻まれていた。
「じゃ今日はこれで解散。芹彦は綾を送って行ってくれ。できれば昨日と同じ帰り道で」
「分かったでござる。ところで草子殿はどうするでござるか?」
「あたし? あたしは伽羅を連れてちょっと調査してみるわ。他のやつらは不要よ」
「キャッキャ、ならワシは部活にでも行くとするか」
森彦が立ち上がると、少し遅れて健が立ち上がり無言で去っていく。
「健さんは無口なんですね」
「ノンノン。余計なことを喋らないだけなのですヨ」
玉臣が指を振り、椅子から立ち上がる。
「それでは草子サン。ミーも部活に行かせてもらうヨ。もうすぐバードマンコンテスト用の飛行機が完成するのでネ」
「そうか。頑張れよ」
***
「さてそれでは拙者らも帰るでござるか」
綾を促して、扉を出ようとした芹彦は、再度生徒会室を振り向き、
「草子殿、くれぐれも無理はなさらぬよう」
草子の身を案じて芹彦は綾とともに学校を出る。
「何、やってんだよ。綾のやつ」
その姿を三階の窓から偶然見つけたその男は思わず呟いた。
手を握り締め、怒りに震える体を押さえつける。けれど我慢できずにその男は自分の太ももを殴りつけ、そして綾を追いかけるべく、走り出した。
男は見当違いをしていた。
男は綾がござる先輩とデートしていると思ったのだ。
だからこそ男は本来、綾が帰る道から一本逸れた道を目指して走っていた。
そこにはゲームセンターに映画館にコーヒーショップ、そういうデートスポットをあった。だからそういうところを片っ端から回って男は綾を探すつもりだった。
けれど綾は本来帰る道を、草子の指示通りに帰っていた。
他愛のない会話をしながら。
「そういえば芹彦さんはどこに住んでいるんですか?」
「川のほうでござるな」
「川? 糸氏川のあたりですか?」
「そうでござる」
「私の家とは正反対じゃないですか!」
「それがどうしたでござるか?」
芹彦はあっけらかんと言い放つ。
「だって私を送ってから帰るとなると、親御さんとか心配しませんか?」
迷惑をかけていると分かっているからこそ、綾は芹彦を労わるように尋ねた。
「何を申すか。拙者は男の子でござるからな。多少夜遅くても怒られはしないでござるよ」
けれど、芹彦はそう笑い飛ばす。
「それに祖父母はそんなことを心配するほどへな猪口ではござらんよ。きちんと善行をしていれば、怒りなどせぬ」
「そう、なんですか」
綾は芹彦が父母ではなく祖父母と言ったのを見逃さなかった。だからこそ返答に少し詰まったのだ。
けれど綾はそこを深く質問するのはやめた。そして話題を逸らすように質問を変える。
「芹彦さんの祖父母さんは何をしている人なんですか?」
「祖父母でござるか? まあ普通の家庭なら会社も退職して年金生活でござろうなあ」
綾の質問の内容が可笑しかったのか芹彦は少し笑い、
「けど拙者の祖父母はまだまだ現役でござる。祖父は山野林業という会社に勤めておって、隣の県の山で木を伐っておる。祖母は家の近くにある川野クリーニングで洗濯をしておるでござる。ふたりとも齢七十を越えておるんだが、すごく元気でござるよ」
と自分の家庭について語ってくれた。
その後も綾は気になることを次々と質問した。たとえば部活は何をやっているのか、とか。
すると芹彦は嫌な顔ひとつせず、きちんと質問に答えてくれた。
楽しい時間だった。
だから綾はその道が昨日怪異に襲われた道だということをほとんど意識せずに自宅に着いた。
「今日はありがとうございます、芹彦さん」
綾は素直にお礼を述べる。
「どういたしましてでござる」
返した芹彦は、ところで、と話を切り出す。
「なんですか?」
「綾殿。拙者のことは遠慮せずござる先輩と呼んでいただいて構わぬでござるよ。いや是非呼んで頂きたい!」
「その呼び名、気に入ってるんですか?」
「とっても気に入っているでござる」
「なら……そうします」
とはいえ、ござる先輩とは……そう呼ぶのはちょっと恥ずかしいと思う綾がいた。
***
口新市には死にスポットと呼ばれている場所が点在する。
そこは出店しても客が来ず、二、三ヶ月経てばすぐに閉店してしまうという不吉な場所だった。
綾が怪異に襲われた場所の近くにあった小売店の廃屋も市内に点在する死にスポットのひとつだ。
死にスポットのほとんどは人気の少ない道路に面していて、辺りには電灯もない。
おそらく唯一その死にスポットにお店が開いたときのみ、この道は明るさを手に入れることができるだろう。
だからそこが廃屋である今、その周囲に光はなかった。
もうすぐ冬ということもあり、時間的には夕方だが辺りは仄かに暗い。
そんな薄暗い通りに一筋の強力な光。
「ちょっとその光、強くないか?」
「LEDですから、こんなものですよ」
その光が制服を着たふたりの男女の姿を浮かび上がらせる。
草子と伽羅だった。
伽羅がLED球を使った懐中電灯で辺りを照らす。
そのLED懐中電灯はほんのりと照らす普通の懐中電灯と違い、段違いに明るい。
「うーん、目に悪そうだ」
強烈な光に草子は感想を漏らす。やがて建物が見えてきた。
「目的の居酒屋ってあそこですか?」
「ああ、そうだ」
「確か……あそこって、死にスポット、ですよね? あそこに何の用ですか?」
「死にスポット……というより廃墟に用があるんだよ。たぶん、出るから覚悟しておいて」
出る、というのは間違いなく怪異のことだ。
「怪異の元になった神話的要素におおよそ見当がついているなら、教えてくれてもいいじゃないですか」
「はっ、それは間違った物語の楽しみ方だよ。物語には順序ってもんがあって、その通りに読んでいくから面白いんだ」
伽羅が照らす懐中電灯を奪い取った草子は、手元から放たれる強烈な光を頼りに誰もいない居酒屋へと向かった。
「それに赤尽くめって言ったら、大抵思いつく怪物は一匹だ」
草子は思いつかないほうがおかしいと言わんばかりの口調で言い放つと扉に手をかける。
「黒尽くめだったら、見た目が子どもの方と因縁がありそうですけどね」
そんな軽口を叩いて伽羅は草子の傍に近寄る。
草子が扉を少しだけ引くと、扉は開いた。どうやら、鍵はかけられてないようだった。
「入るよ。用心しな」
草子が声を潜めて呟いた、その言葉はまるでそこに怪異がいると断定しているような雰囲気があった。
扉を大きく開き、ふたりは中に入る。
元は居酒屋だったとはいえ、もう内装ははがれていた。テーブルも椅子もない。
当たり前だが、この部屋には誰もいなかった。
白いタイルの床を歩くと砂と埃が舞う。
その部屋の大きさは一般的なコンビニ程度だ。さらにその奥に部屋があった。扉はなくそのまま進めるので、おそらく厨房だった一角だろう。
「奥へ進むよ」
草子の言葉に伽羅は無言で頷く。入る前とは違って軽口は叩かない。
草子がその厨房だった部屋へと入った瞬間、
「ババアアアアアアアアアアアア!」
横から金切り声をあげて、斧を振り上げて怪異が襲いかかってきた。
草子は慌てずそいつを見据える。
「こいつが綾を襲った怪異で間違いないかい?」
草子に尋ねられた伽羅は部屋を覗く。
怪異の姿を確認した伽羅はええ、そうです、と頷き、
「って、のん気に観察している場合じゃないですよ、草子さんっ!」
怒鳴り声をあげた伽羅は草子の腕を引っ張り、最初の部屋へと引き戻す。
「落ち着け。伽羅。慌てたって何もいいことないぞ」
草子はあくまで冷静にそう告げる。怪異の斧は草子が先ほどまでいた場所を、切り裂いていた。
「何、言ってるんですか。危なかったくせに」
「伽羅こそ何を言ってるんだよ。あんなの余裕で避けれたさ」
その言葉にごまかしは一切なかった。だから実際に伽羅が腕を引っ張らなくても避けることができたのかもしれない。
「でもまあ、なんにせよ、ありがとな」
それでも草子は伽羅を労うようにお礼を述べた。
「ところで、伽羅って宗派は?」
「さあ。祖父母は仏教だった気がしますけど」
「じゃ、持ってないよな」
伽羅の答えから勝手に納得した草子は、ブレザーの胸ポケットからキーホルダーぐらいの大きさの小鎚を取り出す。
「ここはあたしが引き受けるから、伽羅は外に出て、今からあたしが言うものを持ってくるか作ってこい。早いほうを選べよ」
自分が振るった斧が空を切ったと理解した怪異は草子たちを追いかけ、最初の部屋へと姿を見せる。草子に飛びかかり、斧を振り下ろす。
それを受け止めたのはいつの間にか草子が右手で握り締めていた鎚だった。
その鎚は日曜大工で使うようなごく一般的な鎚とは似ても似つかない。柄の長さが百二十センチメートルぐらいあった。
そして酒樽を三十センチメートルほどの大きさにしたような鎚頭がその上方の先端に、五百円玉ぐらいの大きさのバット鉄突が下方の先端についていた。
その鎚は草子が胸ポケットから取り出した小鎚が大きくなったものだ。
草子はこれを『ウチデ』と呼んでいる。
草子がそのウチデで迫る斧を払い、伽羅へと自分が今必要としているものを告げる。
「分かりました」
草子が必要としているものを聞いた伽羅は、外に飛び出した。
草子は懐中電灯を口に咥えると、ウチデを両手で持ち、つの字のような軌道で振り回し、怪異を牽制。しかし振り回した際の反動で草子の身体はよろめく。
その隙にその怪異は草子へと近づき、頭突きをぶちかました。草子の額からじんわりと血が流れ、身体がふらつく。それでもなんとか押しとどまる。怪異の頭は石頭というより鉄頭だった。
目の辺りまで血が流れてくるのが分かったが、ふき取ることはせず、すぐさま怪異を蹴る。
ニタニタと不気味に笑いながら怪異はその蹴りを避け、「ババァァァアアア」と奇声をあげて斧を振り上げた。
草子は後ろに跳躍して斧が届く範囲から逃れる。
強力な怪異と戦ううちに草子の息づかいは荒くなっていた。
ここぞとばかりに怪異の振り降ろした斧を倉庫は横に跳んで避け、斧は空を切り、床へと叩きつけられた。
草子が咥える懐中電灯の眩い光が、ギラギラと目を輝かせ、舌なめずる怪異を映していた。
***
居酒屋から出た伽羅は、全力で走っていた。
草子は戦闘のプロではない。伽羅よりも戦えるが、伽羅はある一点において草子を上回っているため、それをうまく使えばなんとか立ち回ることはできる。
だからこそ草子は誰よりも勝っている知識を活かす。
ゆえに、怪異を一目見ただけで神話的要素を見出し、伽羅にあるものを持ってこいと命じたのだ。
そして伽羅がそれを持ってきてくれると信じているからこそ、草子は危険を顧みず怪異と戦っているのだ。
だからこそ、その期待に応える。伽羅は強くそう思った。
伽羅は常日頃から周囲を観察している。まるでそれが役目だとでも言わんばかりに。だから、先ほどの居酒屋へ行く途中に雑木林があることに気づいていた。
闇夜のなかに月だけが顔を見せていた。伽羅はその光を頼りに雑木林へと走る。
雑木林へと入ると月の光が木々によって阻まれ、さらなる闇が伽羅を包み込む。
予備の懐中電灯を持って来るべきだったと思いつつも伽羅は歩き出す。目がそのうち慣れるはずだが、今はその時間ももったいない。
手探りでそれを見つけようと身体が勝手に動いていた。
落ちた赤い木の葉は積もり積もって、まるでクッションのような弾力を持つ柔らかい地面を作っていた。
しゃがみながら、それを掘り返す。堆積した木の葉と土の地面の間にそれは埋まっているのかもしれない。
手探りで掘っていく間に目がようやく暗がりに慣れてきた。
それでも目を細め、凝らしながら周囲を見回す。
すると木の葉に埋もれたそれが見えた。伽羅は走り出し、すぐにそれを引っこ抜く。
張りついた土や木の葉を払い、さらに握って振ることで細かい土などを払い落とす。
あと一本。伽羅はそれを左手で握り締めながら探し始めた。
歩いていると足の裏に少し硬い感触。もしやと思って木の葉の地面を掘り返す。
すると二本目のそれが、顔を見せた。
拾い上げ、一本目と同じく木の葉や土を払い落とすと伽羅は再び居酒屋へと向けて走り始めた。
***
草子は脇に挟むように柄を短く持ち、鉄突を怪異へと向けていた。
怪異が斧を打ち込むと、草子は長い柄を野球のバットのように操り、迫る斧を受け流す。
斧の軌道が逸れ、怪異が体勢を崩した。草子はそのまま、足を払うように怪異の膝を狙って柄を振った。
怪異はそれに気づき、崩れる体勢をそのまま活かすように前へと飛び込んでくる。
そして床にぶつかる直前、怪異は左手を床につき、前転をしてそのまま着地した。
恐るべき身体能力だった。怪異の左腕にはバスケットがぶら下がっていたにも関わらず、左手を軸にして怪異は前転したのだ。しかもバスケットに入っている生首をひとつも中から零さずに。
最初から敵わないって分かってたけど、あたしの攻撃がかすりもしないなんて――悔しさが懐中電灯を咥えた草子の口から舌打ちを飛び出させる。
草子も怪異も、外傷はほとんどない。けれど草子は怪異と違い、息を切らせていた。横腹を押さえ、精いっぱい息を整える。
対する怪異はまるで無邪気な子どものようににこにこ笑いながら草子を見つめ、再び駆け寄ってきた。右手に持つ斧は既に振り上げられている。
草子は横腹から手を離し、ウチデを両手で握り締めた。今度は鎚頭が怪異のほうを向いている。
伽羅はまだか。誰にも聞こえないような声で草子は呟いていた。
伽羅が外に出てからまだ十分ぐらい経過しただけだ。
けれど草子はその十分が一時間ぐらいに錯覚してしまうほど長い間、怪異と命のやりとりをしていたような気がしていた。
怪異の斧が振り下ろされる。
ぎぎっ、と軋む音。草子はその斧を柄の中央で受け止めていた。しかしその柄は怪異の圧倒的な力をあびて、少しだけ曲がっていた。
草子はその状態から左へと体を逸らし、ごろんと床に転がり、斧から逃れる。
その時だった――、
「お待たせしました」
伽羅が両手に太い木の枝を持って店の中に飛び込んできた。
待ってたよ、草子は思わずそう叫ぶ。
草子は怪異が注目するよう、あえて懐中電灯で伽羅を照らす。
伽羅は強烈な光に少しだけ目を細めるものの、ふたつの木の枝で十字を作った。
草子が必要としていたもの、それは十字架だった。
怪異が光に釣られて伽羅を見る。そして伽羅の胸元で作られた木の枝の十字架を見た。
――途端、
「ババアアアアアアアアア、バアアア!」
と怪異は苦しむように叫び声をあげる。
伽羅の脳裏に怪異が逃げ出した昨日の光景が蘇った。
昨日、怪異は芹彦が何をしたときに苦しみだしたのか。
確か、芹彦はふたつの刀を交差させて、十字を作っていたのではないか。
だから草子さんは十字架を作れるようなものを探してこいと言ったんだ。
そう気づいた伽羅は思わず、草子に尋ねていた。
「草子さん、この怪異の神話的要素ってもしかして……ヴァンパイアですか?」
「違うよ」
草子は即答だった。しかもどことなく呆れている。
そんな会話をしている間に、怪異は厨房のほうへと逃げていく。
「追わないんですか?」
「いまさら追いかけたところであいつには到底追いつけない。今日のところは神話的要素が何であるか分かったから、良しとしよう。それに怪異は一日一回しか人を襲わない。今日は大丈夫だろう」
「でも明日以降、誰かを殺すかもしれません」
「ひとりで出歩くな、としか言えないよ。あいつは最悪の怪異だ」
そう言って草子は懐中電灯で床を照らす。何かを探しているようだった。その間にも話は続く。
「怪異絡みの事件は絶対に犠牲が出る。物語ってのは常に悲劇的なんだ。物語の主軸に関わらないモブキャラはいくら死のうとも主人公が死ななかったらハッピーエンド」
まるで自分を納得させるように草子はさらに言葉を続ける。その間にも懐中電灯は主役を照らすスポットライトのように床をゆらゆらと照らす。
「そんなこと、伽羅が一番分かってるじゃないか」
「だからって〈絞首斬首人〉の時のようにはなって欲しくないです」
「分かってるさ。だからこれ以上被害者が出ないように、あたしらで巡回するしかないよ」
「また、睡眠不足の日々が続くんですか?」
呆れたように伽羅が尋ねると、草子は、ああ、と頷き、でも、と言葉を続ける。
「今日だけはゆっくり寝れるさ」
ですね、と伽羅が頷く傍ら、草子の懐中電灯はようやくある場所で止まる。
草子はしゃがみ込み、その場所に落ちていたものを拾う。
伽羅は懐中電灯が照らすそれを見て思わず「なんですか、それ?」と尋ねていた。
「これか? これは歯だよ。歯」
***
次の日の放課後。
芹彦によって生徒会室に呼び出された綾は、以前と同じようにソファーに座る。
正面には足を組んだ草子の姿。左右には芹彦、健、森彦、玉臣が座っている。
「綾。また呼び出して悪かったね。とりあえず、まずは串団子でも食べてくれ」
綾に勧めると、草子は自分の前に置いてある串団子を頬張った。
生徒会室に来たら、いつも団子を食べているので、綾はためらいもなく手を伸ばした。
ヨモギが持つ独特の匂いと餡の甘い匂いが綾の鼻まで届き、食欲を刺激した。
「いただきます」
小さく呟いて、綾は草団子を頬張る。
ヨモギの草団子を噛む度に少しばかりの苦味を感じるものの、その苦味は口の中でとろける、程好い甘さの餡と混じり、旨味へと姿を変える。
串団子を堪能している綾へと草子は言った。
「怪異の正体が分かったよ」
いきなりだったため、綾は驚き、団子を口に詰まらせたのか咳き込み、急いで湯呑みに入った緑茶を飲む。
熱くもなく冷たくもなく飲みやすいように調節されたその緑茶が綾の喉元を通り、喉の違和感をなくす。
「……本当ですか?」
綾の質問に草子は、ああ、と簡単に一言。
「と言っても物語は何か分からない。あくまで神話的要素が分かっただけだ」
「物語……? 神話的要素……?」
「ああ、そうか。言ってなかったね」
怪訝な顔をする綾を見て、そういえば教えてなかったというような面持ちで草子は答えた。
草子が芹彦へと視線を送ると、そもそも、と芹彦が草子に代わって説明を始める。
「怪異というのはでござるな、人の喜怒哀楽を使って人が造り出したものなのでござる」
「キャッキャ、でも人っつっても、作れるのは御伽造師って呼ばれる特殊な人間だけなんだけどな」
芹彦の説明に森彦が補足する。
「その御伽造師が怪異を作るときに用いるのが、物語と神話的要素でござる」
「物語って言うのはその怪異の軸になる動きデスよね、草子サン」
「ああ。怪異ってのはだいたいがその物語に沿って目的を果たそうとしている」
「物語って何でもいいんですか?」
「ある程度はね。でもだいたいが御伽噺や怪談、寓話とかだね。それも完結してなきゃ駄目だ」
綾の質問に草子が答え、さらにこう補足を入れる。
「もっとも漫画や小説を“物語”にした怪異に出遭ったことがないってだけで造ろうと思えば造れるのかもしれないけどね」
なるほど、と綾が納得したのを見た芹彦が草子に代わって続ける。
「次に神話的要素についてでござるが、綾殿は神話についてどれぐらいご存知でござるか?」
「ピンとはこないです」
「有名なので言うと、バハムートやシヴァ、オーディン……」
「あ、なんとなく達人くんがやってたゲームで見た気がします」
芹彦の言葉を遮るように、聞き覚えのある単語に反応する綾。
「キャッキャ。つまり神話ってのはそんな名前の人物や怪物が活躍する物語だって思えばいい」
「で神話的要素というのは、その人物や怪物のことを指すでござる」
「つまりですネ、簡単に言うと怪異というのは物語を軸として生み出され、実際の生き物のように動く神話上の人物や怪物ってことですヨ」
「それは簡単に言いすぎな気もするが、でも綾はその程度知っていれば十分だね。深入りさせる気はないから」
棘のある草子の言い方に少しムッとしてしまった綾だったが、すぐにそれが危険な目に遭わせないための配慮だと気づき、胸中で反省する。
「とまあ、怪異の説明が終わったところで、早速判明した怪異を教えるとしよう」
草子の言葉で、綾だけでなく他の生徒会一同も草子に注目する。
「今回の事件の怪異に使われている神話的要素はレッドキャップだ」
「なんだかマヌケそうな名前ですね」
「確かに、ケルベロスやヘカトンケイルなんかと比べたら名前負けしていると思うよ」
「キャッキャ。つーかゴブリンとかよりも名前的には弱そうなんだが……」
「森彦サン。昔からシンプルイズベストというではないデスか。シンプルな名前のほうが強かったりするのかもしれないデス」
「ああ、その通りだ。名前で判断してはいけない。こいつは芹彦と引き分けたんだからな。あたしだって昨日は危なかった。油断はできない」
「……久々の強者」
呟いたのは健だった。芹彦と引き分けたと聞いて興奮したのだろう。少しばかり髪の毛が逆立っている。
「興奮するなよ、健」
「……初めて、喋った」
綾は初めて聞いた健の力強い声になぜだか感動していた。赤ちゃんが初めて立ったぐらいの感動がそこにはあった。
「なんにせよ、あたしがレッドキャップだと断定した理由は三つ」
右手の人差し指、中指、薬指で三を示し、まずは一つ目、と人差し指だけを残す。
「怪異が現れたのはどれも廃墟の近く。レッドキャップは廃墟や人気の少ない場所に迷い込んだ冒険者を襲うって習性がある。七篠さんの殺人事件や、他の失踪事件の被害者も調べたら、全員が死にスポットや空き家の近くで襲われていたよ」
二つ目、という言葉とともに中指を立てる。右手がチョキへと変わり、二を示す。
「レッドキャップってのは色んな文献を見たけど倒したって例がほとんどないんだ。しかし十字架を見て逃げ出したって叙述はあった。芹彦が戦ったときも芹彦が刀を十字に交差したときに逃げ出しただろう?」
瞳を左上に向けながらその時の光景を思い出した芹彦は、
「……確かにそうだったござるな」
「あたしのときも伽羅に命令して、十字になるようなものを持ってこさせた。それにこの街にある空き家やらを調べてみたら、教会の跡地なんかに住み着いたホームレスは襲われてなかった」
「十字架があったからですね」
「ああ、他にもおそらく誰かが悪戯でやったんだろうが扉に交差させるように木の板を打ち込んだ空き家も棲みついた形跡がなかった」
そして三つ目、と薬指を立てて、三を示す。
「怪異は赤尽くめだった」
「それって綾さんと僕が襲われた時点で、分かってたことですよね?」
「ああ。でも一〇〇パーセントという確証はなかった。あっても九五パーセントぐらいだ」
「それ、ほぼ確定ですよね」
「それにあたし自身もこの目で見て確認したかったんだよ。それに動きを少し見れば物語を確認できそうな気がしたからね」
「……それで物語について確認はできたでござるか?」
全然、と草子は首を横に振る。
「キャッキャ。そりゃとんだ無駄足だったな。素直に部活に行っといて良かったぜ」
「それよりもこれからの対策はどうするんですか?」
「綾に関してはこれを持っていればたぶん大丈夫だ」
そう言って草子はポケットから何かを取り出す。
「それ、昨日の……」
伽羅が近寄り草子の人差し指と親指につままれた“それ”を見る。
「ああ、そうだ。昨日拾った歯だよ」
「昨日も聞きましたけど、そんなもので大丈夫なんですか?」
伽羅がそう思うのも無理はない。草子がつまむ歯は見たところ自分たちに生えている歯と何も変わりがなかった。
「レッドキャップは一度襲った場所に歯を置くって習性があるんだ」
「なんでそんなことをするのでござるか?」
「さあね。ただ、もしかしたら同じ場所では人を襲わないなんてこだわりがあるのかもしれないね」
「キャッキャ。変なこだわりだな」
「ところで草子サン。草子サンはなんでその歯を持ってきたのデスか?」
「この歯は、自分がここで人を襲いましたよっていう目印だ。つまりレッドキャップは絶対にこの歯がある場所で人は襲わないんだ」
そこまで聞いて玉臣は理解したのか、
「なるほど。つまりそれを綾サンが常に持っていることで、綾サンがいる場所で人を襲ったと錯覚させるのデスネ!」
「その通り。とはいえそれだけじゃ不安だろうから、昨日と同じように下校時は芹彦が送るし、登校時は伽羅が見張るから安心してくれ」
そう言って草子は綾へとその歯を渡す。
「なんか守ってもらってばっかりで……すみません」
「気にしちゃいけない。依頼を解決したのに依頼主が死んだら、こっちの気分が悪いって話なだけさ」
綾に気を遣わせないように草子はそう言い放った。
「ありがとうございます」
それでも綾は頭を下げた。
その姿を見ていた草子は綾へとニコリと笑った後、思い出したように、ああ、そうだったと呟き、
「それと怪異のことやこの事件のことについて誰にも言わないことを約束してくれ」
分かりました、と綾が頷くのを確認した草子は、剛毛の男のほうへと向きを変える。
「さあて、お前の出番だよ。森彦」
「キャッキャ。意味分かんねぇ」
「言ったろ。レッドキャップは廃墟なんかに迷い込んだ冒険者を襲うって。さらに詳しく言うと冒険者がひとりの時に現れるんだ」
「おいおい、依頼者やあんたが襲われたときはふたりだったじゃねぇかよ」
「お前がいうふたりのうちひとりは伽羅だからな」
「キャッキャ! そうか。そういえばそうだったな」
「ということでお前はこれ以上レッドキャップの被害者が出ないように、まだ被害が出てない死にスポットや空き家などを全て見張れ。当然、ふたり一組でな」
「ケッ、面倒くせぇ」
森彦が小さく毒づくと、それが気に食わないのか健が森彦を睨みつけていた。それに気づいた森彦は、
「オイオイ……ワン公。そんなに睨むなよ。面倒くせぇだけでやらないとは言ってないだろ」
健はその言葉を聞いて、睨みつけるのをやめる。
「相変わらず、犬猿の仲ですネ」
「犬と猿でござるからな、致し方ないのかもしれぬ。とはいえ、もう少し仲良くしてほしいでござる」
玉臣と芹彦が呆れる一方、
「もっと前向きに考えろ。ふたりは喧嘩するほど仲が良いんだ」
草子は豪快に笑った。
「キャッキャ。なんだよそれ」
森彦が笑い、フッ、と健の顔にも笑み。
少し険悪だった雰囲気は一気に吹っ飛んでいた。
気づけば綾も皆につられて笑っていた。