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絵の中の君へ...

作者: snowman

 七月半ば午後二時、私は散歩に出て後悔していた。

梅雨が完全に明け空が濃く青く澄みきっていた。が、暑い。

この時期では異例の暑さだったそうだ。さすがに町に人はいず、フラフラしながら商店街を歩いていた。もうろうとしていると、路地裏に小さなお店を見つけた。

何故かその店の周りには暑さなんてないかのような空気が漂っている。

引き寄せられるようにお店へ向かうと中は喫茶店だった。

 外で感じたとおり店内は涼しい。

クーラーの涼しさとは違う、爽やかでどこか不思議な空間がそこにはあった。

そして席に座りミルクティーを注文した。



 今年の夏はなにもすることが見つけられず悩んでいた。

大学の夏休みは無駄に長く、何の為にこんなに長くあるのか聞きたいくらいだ。

一・二年の時はバイト・海・バーベキューと忙しなく動き回っていた。

そして今年の夏はといえば、バイトも辞めて友達ともあまり連絡を取っていない。

解らなくなってしまったのだ。今まで考えもしなかった。

私は何のために生きているんだろう。

 小さい頃は、将来の夢がたくさんあった。ケーキ屋さん・お花屋さん・幼稚園の先生・看護婦さん…ころころ変わっていた。

気がついたら高校三年。自信を持ってやりたいこともなく、自分の学力に合った大学を受けた。

大学に入ってからそれなりに楽しかった。

友達もできたし…。

 でもどんなに友達と騒いでいても、もう一人の自分が

 「どうして別に楽しくないくせに無理して笑ってるの?」と問いかけてくる。

いつも心のどこかで自分にしかできない何かを求めていた。その答えが出ないままの自分にイラついてしまう。

家に引きこもっていてもダメだと思い、散歩に出掛けた結果がこれだ。



 もう一度店内を見回してみた。

すると隣の席の壁に絵が飾ってあることに気付いた。木陰で少女が眠っている絵だった。

私は少女ではなく、その絵の中の空気に惹かれた。

絵の中は夏だということがスグ分かるのに、まったく暑さが感じられない。

爽やかな涼しい風が、この絵から店内に流れ込んで店内を涼しくしているのではないかと思うほどだ。

しばらくその絵に見入っていると、店長さんがミルクティーを持ってきてくれた。

それから私はこの店に通うようなり、同じ席でミルクティーを頼んだ。

いつもお客さんは私しかいなかった。

そしてあの絵の題名は不明なことを教えてもらった。



 夏休みも三分の一が過ぎた頃、珍しく涼しい夜だった。

あまり寝付きが良い方ではなかったが、その日はすんなりと眠りにつくことができた。

私は浅い眠りの中にいた。

自分が今夢を見ていると分かっている夢の中。

怖いくらいリアルで、私はもう一人の私として自分の中にいた。

動いているのは夢の中の私。

大学のキャンパスをフラフラと歩いていた。私が通っている所ではないようだ。

私は歩き続け、気持ち良さそうな木陰があるひと気の無い場所に出た。裏庭のようだ。

やわらかい芝生に座りウトウトと居眠りをしそうになった時、夢から覚めた。



 暑い…。私は今日もあの喫茶店に向かっていた。

あれから何度も同じ夢を見た。夢の中は、あの絵と同じ空気が流れていた。

そしていつもの席でいつもと同じミルクティーを飲んだ。

しかし、これからの展開がいつもと少し違っていた。

すっかり顔なじみになった店長さんから、あの絵の作者の個展が隣の隣の街で開かれると聞かされたのだ。

詳しい日時は聞かなかったけれど、体中から変な汗が出てきてドキドキが止まらなかった。

 そしてその日の夜。夢の中でも事件が起きた。

いつもどおり木陰でのんびりしていると、男の人が話かけてきたのだ。

どう見ても知らない人に話しかけるようなタイプに見えないその人は、

 『ここでなにしてんの?』

 『ここの学生じゃないでしょ?』

と立て続けに聞いてきた。

私の口は勝手に喋りだした。

 『ここの空気が好きなの。』

 とくにビックリする訳でもなく、私はサラッと答えた。

その瞬間、強い風がふき夢から覚めた。

目が覚めた私はボーっとしてなかなか起き上がれなかった。

思い出してみた。いきなり現れた人。

彼はスラリと背が高く、少し神経質そうで大人びていた。

 「何で急に現れたんだろ」

私は独り言を言い、空を眺めた。



 次の日にはいつも通り喫茶店に行き、同じ席でミルクティーを飲んだ。

ここでバイトでもしようかと思ったりしたが募集もしてないようだし、客が私しかいないから私が店員になったら客がいなくなってしまう。

いつもミルクティーだけしか頼まないが、私は貴重なお客様なのだ。

今日はチーズケーキも頼んでみることにした。



 それからいつも夢に彼が登場するようになった。

と言っても私の座っている木陰から少し離れたベンチに腰掛け、何かを描いているだけでとりわけ会話することもない。

ただ穏やかな時が過ぎるだけ。

そんな夢の何日目か、彼は私に一枚の紙を手渡してきた。

その紙には木陰でうたた寝をする私の姿が描かれていた。

とても気持ち良さそうに寝ている私がそこにいた。

 『貴方が描いたの?』

また私が勝手に喋る。

 『あまりにも気持ち良さそうに寝てるから』

それから穏やかな会話が始まった。

 『ここはいつも涼しくて気持ちがいいね』

 『あぁ…』

 『貴方はここで何をしているの?』

 『分からない。でも君を描きたくなったから』

 『そう…』

ゆったりとしたテンポの会話。

あまりにも穏やかで、会話をしながら私はまたウトウトとして夢から覚めた。



 それからもお店に行ったりしているが、まったく元気が出てこない。

夢に出てくる彼がいつも頭の中にいる気がして。

夢に出てくる人を好きになるなんて、本当に病んでる気がして認めたくない。

彼の真っ黒でサラサラと風に揺れる髪・たまに遠くを見つめる瞳・冷たそうに見えて優しい笑顔を持っているところ…。

本当にヤバイ。重症だ。



 ある日の夢。

いつも通りゆったりとした会話の中で、絵のモデルになってほしいと言われた。

少し恥ずかしい気もしたが、嬉しくもあった。

ただ木陰に座っていたり、たまに立ち上がってみたり。

会話はなかったが、彼に見つめられ描かれているのは少しくすぐったかったが心地よかった。

毎晩・毎晩彼のモデルになったり、少し会話をしてみたり。ただ二人で風を感じたり。

とても幸せだけれど、夢から覚めると寂しくて怖くなる。

いつか夢から抜けられなくなるのではないか…。

逆にある日突然夢を見ることができなくなるのではないか…。

私にとって後者のほうが怖かった。

 今日もまた夢で彼に会う。その分不安もつきまとう。

夢の中の二人の私も、いつしか私だけなっていた。でも私からこれが夢だとは決して言わなかった。

言ったら彼が消えてしまうと思ったから。



そんな日々の中で店長さんからあの絵の作者について聞かされた。

今度開催される個展は彼の追悼式典でもあると。彼が亡くなって十二周年。十二年後の個展は彼の望みでもあったという。

享年二十一歳。脳腫瘍だったそうだ。

その話を聞きながら、私は手の震えが止まらなかった。なんとなく分かってしまった。

あの絵の作者は彼なんじゃないかと。

その日の夢にも彼は変わらずやってきた。サラサラの髪をなびかせながら。

彼は明らかに元気の無い私を見て、静かに平然と話しだした。

 自分は画家を目指していること

 私の夢をいつも見ていたこと

 夢から覚めては私の絵を描き続けていたこと

 自分はもうすぐ死ぬということ…

静かに聞いていた。涙さえ音もたてずに流れつづけた。私も静かに言った。

 私たちの時間は十二年ずれていること

 もうすぐ貴方の個展が開かれること

 私は貴方が好きだということ…

彼も静かに涙を流し私を好きだといってくれた。



 それから私たちはできるだけ長い間一緒に過ごした。夢の中だけとわかっていた。

眠くなくても布団にもぐり、少しでも早く彼のところへ行こうとした。

目が覚めている間は、あの喫茶店に行き彼の絵の前で過ごした。

何故気がつかなかったのだろう。

 そうこの絵の少女は私。

個展の開催日は聞かなかった。それは彼とのお別れの日だから。

夢の中で私たちは笑顔で穏やかな日々を過ごした。

もう夏休みも終わる頃。夢の中。

彼は静かに私に言った。

 『十二年後の君に手紙を書くよ。最初で最後のラブレターを』

そして私たちは最初で最後のキスをした。


 朝、目が覚めて静かに深呼吸をした。

喫茶店へ向かい、ミルクティーも頼まずに個展の開催場所を聞いた。

取り乱すわけでもなく、私は電車で隣の隣の街に向かった。

夏も終わる涼しい日だった。

とくに看板も出ていない会場の前に着いた。それでも私は彼の空気を感じた。

中に入るとあまり広くない会場にたくさんの絵が飾られていた。

すべての絵に白いワンピースを着た少女が描かれていた。

 私。

木陰で昼寝をしている私。芝生に寝転んでいる私。彼に笑いかける私。

私は色んな表情で彼の前にいる。どの絵にも微笑みながら私を描く彼の姿が見えた。

涙なんて出なかった。

それは彼に強く抱きしめられているかのように、ただ胸が苦しくて苦しくて息さえできなくなりそうだった。

 

 最後は彼が夢の中で始めて私にプレゼントしてくれたスケッチ画。

その隣に一枚の紙が貼られていた。


 「このすべての絵を愛する君に捧げます。名前も知らない、存在しているかさえ分からない愛しい君へ。

  僕が二十一年間生きてきた意味が、証が、この絵と君に対する想いです。少しだけ生きる時間がずれて

  しまっただけ。君を愛した事実は変わりません。いつか君は結婚して子供を生み幸せになることでしょう。

  それを止める権利は僕にはありません。ただ僕が君を愛したこと、君が僕を愛してくれたことを忘れないで。

  それだけで僕は幸福です」


やっと私の目から涙がこぼれた。朝起きてから何故か出てこなかった涙たちがいっせいに。

静かに、やっと流すことができた涙。



こんなにも愛されたこと。こんなにも愛せたこと。



 私はまた退屈な学生生活に戻る。

ただ想うのは、彼のまっすぐな瞳と穏やかな笑顔。

週末にはあの喫茶店で彼の絵を、彼を感じながらミルクティーを飲む。

そして自分はとても満たされていると確認する。

 私は心に誓った。

これからやりたいと思ったことすべてを全力でやろう。自信なんかなくても、やりたいことが変わっても。自分が生きた証を、意味を精一杯残してやろう。たとえ誰の目にも止まらないとしても、彼は見ていてくれるから。


 「遠いところにいる貴方へ。貴方の瞳・貴方の声・貴方の笑顔。決して忘れず心の奥にしまっておきます。

  貴方と出会い・貴方を愛して私は生きる意味を知ることができました。これから他の誰かを愛する時が

  来るかもしれない。でも私は貴方に愛されてそして愛することができて、心から幸せを感じることが

  できました。生きる時間はずれてしまったけれど、夢の中だけでも貴方に出逢うことができてよかった。

  いつか貴方の居る場所に行く時がくるでしょう。その時私がおばあちゃんになっていたとしても、また私を

  描いてくれますか?

   これから私は貴方を想い、詩を綴ります。そして次に会う時、たくさんの愛と絵のお返しに貴方へ

  捧げます…。」




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