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邪宗の機神、月に吠える  作者: 下降現状
EP3 王国 -Regnum-
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鋼の毒矢

 《コレクティオ》によって継続して吐き出される焔と雷は、確実に凶神を構成している建築物と文字列を削り取っていた。


 それは、《グラディウス》の斬断魔術も同じだ。《グラディウス》が術式兵装・フツヌシを振るう度に、海面が二つに割れて水で出来た谷が出来る。そこを、斬断魔術が走り、凶神へと襲い掛かる。


 凶神は二機の代演機による攻撃に、対応を迷っていた。どちらを防御すればいいのか、或いは、攻撃すればいいのか。どちらかを疎かにしては、片方の攻撃によって致命の一撃を受けかねない。その迷いが、凶神が受けるダメージを加速させる。


 だが、それだけではない。


 ――私達、何か調子良い?


 セラフィーナは《コレクティオ》に術式兵装をフル稼働させている。で、あるにも関わらず、全く負担を覚えていなかった。むしろ普段よりも調子が良いくらいだ。視界の全てがまるで自らの手の内のように感じる。焔と雷は、以前に数倍する勢いで空間を蹂躙している。上空から撃ち下ろされる雷と火球は、悍ましい天変地異の様相を化していた。


 鷲介と《グラディウス》も、それは同じのようだった。慣れも有るのかもしれないが、フツヌシの斬断魔術が以前よりも遥かに強力になっているにも関わらず、《グラディウス》本体への反動は遥かに小さくなっているように、セラフィーナには見えた。以前は下腕部全体が、猫科の動物に爪立てられたかのようにささくれだった傷だらけになっていたが、今の《グラディウス》は精々手指が傷付いている程度だ。


「いけるわ」


「違いない」


 セラフィーナの声に、鷲介が答える。


 本殿と凶神は、既にその身のほぼ全てを削り取られ、炎上している。文字同士の結合が解れていく様は、書物を燃やしているかのようだ。


 ――この調子でいけば……


 凶神を落とすまでに然程時間は掛からないだろう。そう、セラフィーナが推測した時だった。


 音ならぬ音が響いた。


 空間そのものが震えるようなそれを認識して、セラフィーナは――


「な、あ……あぁ……」


 脳の中で血液が沸騰しそうになる。知的生命体である事を辞めたくなるほどの、苦しみ。痛みなのかどうかすら良く分からない、精神を掻き毟る波長。


 それは、凶神の呼声コール。精神波を用いた、禍歌だ。


 ――こんな広範囲に、放射出来たなんて。


 完全に予想外ではあったが、対処できないわけではない。《コレクティオ》両腕部の術式兵装・ストーリーサークルが、再度魔術を行使、両腕脇に旧神の印(エルダーサイン)を盾のように展開する。即座に、セラフィーナの身体に与える影響は消え失せる。


 だが――


「く、あ……」


 《グラディウス》は膝を折り、フツヌシを海面に突き立てて杖としていた。


 鷲介は精神攻撃サニティ・スクレイプの影響を受け続けている。魔術師が最も恐れるのは、正気を失う事である。魔術を真っ当に行使出来なくなれば、それは脳髄を破壊されたのと同じく、即座に死に繋がる。


「鷲介!」

 旧神の印(エルダーサイン)を展開しながら、《コレクティオ》は急降下。《グラディウス》の前に降りる。


「しっかりしなさい!」


「済まない……防御が……」


 ――旧神の印(エルダーサイン)じゃ、《グラディウス》まで防御しきれないの……!


 《コレクティオ》は《グラディウス》の前面に立って、両腕のストーリーサークルで旧神の印(エルダーサイン)を展開している。しかし、それでも《グラディウス》への影響を遮断出来ていない。


 ――この精神波は、水妖の神気を持つクトゥルフ(C)邪神(C)眷属郡(D)に寄るもの。だったら――!


 セラフィーナは術式兵装・ストーリーサークルを再度起動させる。ストーリーサークルは、防御魔術の属性を変化させる事が出来る術式兵装だ。セラフィーナが選択した属性は――


「いあ! いあ! はすたあ!」


 水妖神格クトゥルフと敵対する、風魔神格ハスターの風だ。セラフィーナの呪文スペルに呼応し、大気が悲鳴を上げる。《コレクティオ》と《グラディウス》を包み込むように、広範囲に風が――鎌鼬を生み出すほどの高速の竜巻が発生したのだ。ただの風ではない。生み出されたのは風魔神格ハスターの魔風、水妖の気を退け、斬り裂く力を持っている。


 刀を杖として、《グラディウス》は立ち上がる。《コレクティオ》の産み出した魔風は、精神波の影響を断ち斬る事が出来たのだ。


「……さっきの精神波と言い、どうやら向こうは一気に決着けりを付けたいみたいだな」


 鷲介はそう言い、《グラディウス》の視線を前方へと向けた。魔風の壁を抜けた向こう側で、凶神は新たな変化を遂げていた。


 千年上宮本殿から、黒い竜巻が立ち昇っている。いや、違う。


「脱皮……なの?」


 セラフィーナは呟く。


 本殿という殻を脱ぎ捨てて、凶神は文字列だけの存在へと変化したのだ。脈動する文字の群れ、黒い竜巻は、その先端部に爬虫類の頭部を持っていた。それはつまり――


「なるほど、龍も水妖の神格だな」


 東洋龍。


 クトゥルフ(C)邪神(C)眷属群(D)とは異なる、東洋系の神格であり、積み重ねてきた歴史の関係上、クトゥルフ(C)邪神(C)眷属群(D)よりも遥かに強力である――が、それ故に対処法も既に先人が多数編み出している。


 龍と化した凶神は、空を泳ぐようにのたくりながら飛び回っていた。まるで誕生を喜び、踊り狂っているかのように。凶神が飛んだ後に雲が生まれ、その雲から雷と雨が海に向かって叩き付けられる。神なる力が、世界を歪めている。


「クトゥルフならぬ九頭竜ってところかしら? アレは正確には、八大龍王の蛇神ナーガか何かが源流だった筈だけれど」


「あれが何にせよ、もう余裕は無いな」


 鷲介はセラフィーナに向かって言う。余裕が無い、には二重の意味がある。今までやらなかった広範囲への精神攻撃、そして急な形態変化。凶神は早期決着の為に、余裕を失っている。


 もう一つの余裕の無さは、凶神の急な形態変化に端を発する。急な形態変化は、内部にも大きな影響を与えているだろう。千年上宮が真っ当な人間で居ることが出来る余裕は、如何程有るだろうか。


「その通りね。なら――決着を着けに行きましょう。《コレクティオ》を盾に、突撃して一撃必殺――出来る?」


「やってみよう」


 空を泳いでいた凶神は、その動きを脱皮直後とは変化させていた。《コレクティオ》と《グラディウス》の上空を周回する。それは誕生を喜び乱舞する赤子の動きではなく、獲物を見定めた捕食者プレデターの動きだ。


「タイミングはこっちで図る」


「お願い」


 セラフィーナは鷲介にそう答える。戦闘の勘は、鷲介のほうが明らかに優れている。ならば任せるべきは任せてしまうべきだ。


 ――その分、私が出来る事は私がやる。


 セラフィーナが今するべき事は、敵の攻撃を防ぎきること。防御魔術の行使である。


 凶神が頭上を旋回する。セラフィーナと鷲介は、その動きをじっと観察している。それは凶神もまた同じ事。深淵を覗くものは深淵からも覗かれているのだ。


 セラフィーナは、自らの肌が湿っているのを感じる。呼吸の一つ一つを感じる。《コレクティオ》がそれに合わせて肩を上下させる。


 まるで空気が重油になってしまったかのような濃密さを纏っていた。時間も同じように、どろりと引き伸ばされている。


 凶神が咆哮する。それは精神波となって空間を震わせ、魔風を揺るがせる。


 ゆったりとした長い/短い時間。それを――


「今だッ!」


 鷲介の声が破壊する。


 反応。真上に向かって、弾かれたように二機の代演機が飛ぶ。凶神が直上から、落雷のように落ちてくる。


 凶神が生んだ雲から雷が落ちる。


「ストーリーサークル!」


 術式兵装・ストーリーサークルがその属性を変じさせる。雷は木気、ストーリーサークルが生んだ防御魔術は金気。指揮者の如く、《コレクティオ》は両腕を開く。両腕の外側に、金気――擬似金属の盾が生み出され、魔風を突き抜けてきた雷は、金気の盾に誘導されて、蜘蛛の子を散らすように霧散した。


 即座に凶神の顎から、水が放射される。


「もう一度!」


 滝のようなそれに、セラフィーナは再度対応する。今度は腕を交差させ、金気の盾を変容させる。水気に克つのは土気、金属の盾は岩の盾へと姿を変じる。放水を、真っ向から受け止め、弾き飛ばす。


 多大なる水を弾き飛ばしながら、《コレクティオ》と《グラディウス》は上昇を続け――水が晴れた、その瞬間だった。


 セラフィーナの眼前にあったのは、大口を開ける龍の顎だった。


 絶句し、動きが止まる。龍の顎は、そのまま代演機を丸呑みに出来るほどの大きさだった。


 ――こんなの、どうすれば――


「受け止めろ!」


 セラフィーナの思考を抉じ開けたのは、背後からの声――鷲介の声だった。


「分かったわ!」


 ストーリーサークルの属性変更をせず、土気の盾を保ったまま、それを二つに分割した。そして右腕と左腕――土気の盾を得た各腕を上下に、空手で言う天地の構えに開いた。


 土の盾に、龍の牙が突き立てられる。鋼の両腕が、その衝撃で軋む。コクピットのセラフィーナすら揺さぶられるほどの衝撃。だが、それだけだ。そのまま《コレクティオ》の両腕を噛み切ることも、口を開けたまま飲み込むことも、凶神は出来なかった。


 《コレクティオ》は凶神を受け止めたのだ。


 だから――


「鷲介!」


 セラフィーナが叫ぶよりも早く――


「言われるまでもない!」


 《グラディウス》は飛び出していた。


 斬断魔術によって刀身をオーバーコートし、光の刀剣となったフツヌシを突き出し、《グラディウス》は凶神の内側へと突撃した。


 それはまるで、斬断魔術という毒を塗った、鋼の毒矢。


 フツヌシによって、凶神が裂かれる。まるで、上顎と下顎の間に刃を入れて引いているかのように、一直線に開かれていく。


 紙を千切るようかの異様な音声が響いた。それは悲鳴だ。凶神が自らの身を裂かれて絶叫しているのだ。


 斬り口から斬断魔術が伝播し、凶神を構成する文字列を破壊していく。文章が単語に、単語が文字に、文字が記号に、そして意味を成さない線の群れに解体されていく。


 ――ああ……


 もはや受け止める牙を失った《コレクティオ》は、そしてセラフィーナはそれを見上げていた。美しくも無惨で一方的な、剣による蹂躙の様を。文字の雨、水の雨に打たれながら、剣を付き進めていく《グラディウス》の姿を。


 ただ刀剣で相手を破壊する。それだけの事が、あまりにも美しく――


「私達の、勝ちね」


 最後まで斬り抜け、フツヌシを振り抜いた《グラディウス》を見て、セラフィーナはそう言った。


 勝利を誇るかのようにフツヌシを一振るいした《グラディウス》の手には、ぐったりした人間の女――千年上宮愛子が乗せられていた。

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