戦慄の復活
白木の杭は、吸血鬼を始めとする、不死性を有する魔種に対抗する術式兵装だ。突き立てた対象が同一の肉体で復活することを無効化し、滅殺する。
外見は木製の杭そのものだが、突き立てられると同時に変形して、内部に仕込まれた魔術が対象を蝕んでいく。外見が杭の形をしているのは、不死者や、復活者の心臓に杭を突き立てるという行為が、ある種の典礼魔術として機能する為である。白木の杭を突き立てる事が、不死なる者に滅びを与える儀式としての意味をもっているのだ。
今、この状態の紫藤に白木の杭を突き立てれば、この肉体が復活することはなくなり、死者は死体へと戻る。心臓が停止しているのに生きているという矛盾が魔術によって解消され、紫藤の頭部は呪殺される。
――セラフィーナにこれをさせるわけにはいかない。
自分が勝手にやる。それで良い。
鷲介は白木の杭を振り上げる。頂点に達したそれを振り下ろそうとした時――
「駄目!」
その腕を、掴み止められた。
「絶対に、駄目!」
鷲介の腕を止めたのはセラフィーナだった。両腕と身体で鷲介の右腕を抱き込むようにして、眼を瞑り、どうしても動かさせないと言わんばかりに力を込めている。
――ああ。
半ば諦めながら、鷲介は口を開いた。
「他に方法が有るのか?」
「知らないわよ、そんなの!」
「私達は魔術師の殺害も選択肢として与えられている」
「そんなことは分かってるわ!」
「なら――」
「でも駄目!」
こうならないように、何も言わずに白木の杭を取り出した筈なのに。強く叱責されて、鷲介は反吐が出るほどの安堵感を覚えていた。セラフィーナ・ディクスンはこういう人間だと知っている。分かっている。
鷲介の手から、するりと杭が抜け落ちて床を転がって行く。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん……」
「駄目なのよ、そんな事をしちゃ」
俯く鷲介からは、セラフィーナの顔も子鈴の顔も見ることは出来ない。だが、彼女達の声が震えているのは分かる。
「人殺しは、間違ってる。誰がなんと言おうと間違ってる。だから、お願い――間違わないで」
――自分はとうに間違っている。いや、間違いを犯すことを、躊躇わなくなっている。
鷲介はそう言えなかった。
言ったら、セラフィーナは自分の事をどんな眼で見るのだろうか。それを考えると身震いする。
「その通りだ」
響いたのは、男の声だった。鷲介には聞き覚えのない声だ。しかし、セラフィーナと子鈴にとってはそうではなかったらしい。
「紫藤さん!?」
「そんな、なんで!?」
――紫藤恭平?
そうだとするならば、彼の声が今ここに聞こえている理由はなんなのか。魔術師とはいえ、結界内にこうも容易く何かを侵入させることが出来るとは、鷲介には思えない。
のそり、と何かが擦れる、衣擦れにも似た音がする。それは複数のビニール袋が立てている音だった。
全てのビニール袋が、同時に縛りを解く。そうして、内側からバラバラにされた人体が這いずり出てきた。
「ひ」
子鈴が喉を引き攣らせる。臓物や血を引き摺りながら蠢く土気色をした人体は、仮にホラー映画だとしても悪趣味な部類に入るレベルだ。幼い子鈴がどういった感情を覚えるかなど、考えるまでもない。
指や足などに混じって、蠢く人体の中には消えたはずの手首や足首から先、そして頭部も存在していた。
――なるほど。
ここでもまた、木の葉を隠すなら森の中というわけだ。ビニール袋の数は、鷲介達が回収した時よりも一つ増えていたのだ。そしてその中に、持ち去られていた身体の一部を隠していた。
ビニール袋から出て来た後の頭部からは、生命維持に魔術を行使している様がありありと見て取れる。頭部を切り離し、その場に放置しなかった理由がこれだ。これでは見るものが見れば、何が起こったのか丸分かりになってしまう。
頭部が入れられていたビニール袋は、魔術が行使されていることを偽装する呪具だったのだろう。頭部以外の身体の部位が持ち去られていたのは、頭部だけが持ち去られているという印象を薄くするという意味合い以外にも、一緒にビニール袋に詰め合わせ、他のビニール袋と内容量を近付けるために必要という理由があったのだ。
バラバラに解体された人体が、その場で組み上げられていく。それは失った部分が生えてくる、再生ではない。存在するパーツが負傷以前へと戻される、映像を逆廻しするかのような、或いは立体的にパズルを組み上げるかのような復元だ。
内蔵が体内へと仕舞われていき、傷口がジッパーのように閉じられる。後には傷跡すら残っていない。細かい部分がくっついた後、体の各部が空中に浮遊して、その場で人体が組み立てられる。その姿は紫藤恭平のもので間違いがなかった。
「……七十年代アニメの合体ロボじゃないのよ……」
そういうセラフィーナはうんざりした表情を浮かべていた。
衣服まで復元が終わると、紫藤はふぅと息を吐く。同時に、身体の血色がみるみる良くなっていく。失われた血液を魔力で生み出し、心臓を再起動させる事によってそれを体内に循環させているのだ。
「……結界の中に入る必要はなかった、何故なら結界の中に最初から居たからだ、という事か」
「正確には、私が居る所に君達がやってきて結界を張った、だな」
笑いながら、紫藤は言う。その姿は、鷲介が見、セラフィーナから聞いた彼の姿からは離れたものだった。神経質な小悪党には存在しない、余裕が感じられる。
「いや、それにつけても実際見事な推理だった。杭を持ちだされた時は、流石に私も駄目かと思ったよ」
その余裕に、鷲介は違和感を覚える。状況は変わっていない。いやむしろ、正体を表したことによって、紫藤に不利になっている。
――なのに何故、そんな態度を取っていられる?
「紫藤さん、本当にあなたが魔法使いなの?」
「少しばかり違うんだな、子鈴ちゃん」
震えながら問う子鈴に、紫藤は笑いながら答える。
「私は、君の知っている紫藤恭平ではない。一年半ぐらい前からね」
「殺して、成り代わったのね!」
セラフィーナは今にも噛みつかんばかりの勢いで、紫藤に言う。しかし、その火のような視線を受けて、紫藤は全く動じていなかった。
「いや、それは誤解だ。彼は今頃、常夏の島でバカンスの真っ最中だと思うよ」
「……は?」
「入れ替わったのは事実だけどね、ちゃんと本人に納得して貰って、相応の金を払った上でのことだ。俗人であるところの彼にとっては、七面倒な教団運営よりも手軽に金が入るほうが余程良かったらしい。大体、私は言ったじゃないか、その通りだ、って」
あれは、セラフィーナの言葉――人殺しは駄目、と言うものに呼応した言葉であったらしい。
――想像と違うのが出て来た感が否めない。
目的のためには手段を選ばない――それこそ、自分の人体を斬り刻んででも。そんなタイプが出てくるのを想像していた鷲介は拍子抜けしていた。魔術師にそういう思想は珍しくないだけに、尚更だ。
だが、納得も行く。誰か適当な人間を殺し、その人間と入れ替わるという行為に出なかったのは、『顔のない死体』による安全圏への移動の他に、倫理的に殺人を犯したくないからだったのだ。
――しかし、まだ分からない。
「何故、そんなに余裕がある? お前はもう私達の手の内に有る。逃げることは出来ない」
「私が姿を現したのは、仕掛けが割れたからだけれどね、逃げる気がないからと言うのも有るんだよ」
「……どういう事だ?」
「策とは十重に二十重にと重ねておくものだ。鬼札はきっちりと伏してある。私は――負けないのさ」
にやりと笑って、紫藤はその右手を掲げた。
その指が打ち鳴らされ、乾いた音が部屋の内部に響き渡ると同時に、変化は起こった。
紫藤の頭が、消失したのだ。
「え、なにこれ……」
消失した頭部の替わりに、そこからは白い靄で出来た獣の頭部が覗いている。それは人間どころか、生物ですら無い。魔種――造魔の頭部だ。紫藤の頭部には獣型の造魔が巣食っており、それが内側から彼を喰い破ったのだ。その獣の眼と、鷲介の眼が合った。鷲介の肌が粟立つ。
「伏せろ!」
危険を感じ取った鷲介はそう言葉を発すると同時に床に臥せった。セラフィーナも、子鈴を押し倒すような形で床に臥せる。
獣はそれよりも早く動いていた。紫藤の身体から抜け出ると、鷲介達を追ってきた文字の群れへと変形し、扉へと突撃する。
結界は、外からは兎も角内側からの攻撃には脆い――
即座に扉は破壊され、文字の群れは部屋の外の文字の群れと合流、巨大化して廊下を駆け抜けていく。
「追うぞ!」
頭欠した紫藤の死体――今度こそ本当に死んでいる――が倒れるのを横目に鷲介が言うと、セラフィーナは頷く。二人――そして、セラフィーナに抱えられた子鈴は、部屋から外へと駆けた。