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邪宗の機神、月に吠える  作者: 下降現状
Ep1 開封 -Apertus-
7/80

内藤古書堂

 ――こんなところにずっと居たら、肺を悪くしそうだ。


 黒神くろがみ鷲介しゅうすけはそんなことを思いながら、ぼぅっとカウンターに座っていた。店名すら入っていないエプロンを着けた以外は、ブレザータイプの学生服そのままだ。店番をする時はマスクでも着けるべきかと考えないでもないが、面倒さの方が先に立つ。


 店内は手狭で薄暗い。壁面にはずらりと本が並び、それ以外にも二つ本棚が設置されている。棚は全体的に汚れて埃っぽい。


 そこに並んでいる本も、一体誰がこれを買いに来るのだ、と鷲介が思わざるをえないようなものばかりだ。


 古いだけのもの、鷲介には価値が有るようには見えないもの、そしてどう考えても売る訳にはいかないもの。


 内藤古書堂――


 鷲介はその店番をしている。しかし、カウンターに座ってから二時間。来客はない。仕方なく、何をするでもなく、入り口のガラス戸から差し込む光を見ていた。光が差し込んでくるところだけ、埃が舞っているのが、まるで切り取って貼り付けたかのようによく見える。


 カウンターに突っ伏して、埃が空気の流れに沿っていくのを、ぼんやりと眺める。やや長い前髪が、視界を僅かに覆う。無為に時間を消費しているだけ、という実感はある。しかし、別に無為でも構わないという気がしている。


 そうやって死ぬまで流され続けるのだ。それが一番いい。そうに決まっている。


 がらがらと音を立てて、横開きの扉が開いた。鷲介は慌てて背筋を伸ばす。まさか客が来るとは――


「いやー、店番ご苦労様」


 入ってきた、和装に眼鏡の優男の姿を見て、鷲介はまたカウンターに突っ伏する。


「なんだ、有羅さんか。びっくりして損した」


「なんだとはなんだい。君の保護者に対して」


 有羅は手を両袖の中に戻すと、そう言って笑う。鷲介がこの男のもとに来て五年が経つが、初めて見た時から容姿が余り変わっていない。二十代後半から三十代前半と見える、年齢不詳の男。皺が増えるでも腹が弛むでもなく、同じ人相を維持し続けている。


 それが努力の結果なのかどうか、鷲介は知らない。外見は若々しいので、所謂、老けている男は歳を取っても容姿が然程変わらない、というものではないのだろうということは分かるが。


 よく分からない、と言えば、有羅が掛けている眼鏡もそうだ。乱視用のチェーンが付いているが、この男が眼鏡を外しているのを見たことがない。いやそれ以前に、屈折の度合いを外から見るに、眼鏡には度が入っていないようにも鷲介には見える。


 有羅は踏み台の表面を袖で軽く拭う。段が一つ増えたかのような綿埃が拭われるが、代わりに袖が灰に染まった。顔を顰めながら埃をはたき落とし、有羅は踏み台に腰を下ろす。みしり、という軋みが聞こえた。


「誰か来客はあったかい?」


「有るわけ無い。月に一人来れば良い方なんだから、当たり前だろ」


 冷めた横目で鷲介は有羅を見る。にこにこと笑っているが、腹の底では何を考えているのか分からない男だ。その印象もまた、容姿と同じく五年経っても変わることのないものだった。


「まー、そうだけどね。で、その間君は何をしてたの?」


「ぼーっとしてた。他に何もすること無いから」


「まだ若いのに、そんな枯れたご老人みたいなこと言ってさぁ」


 僕じゃあるまいし――と、有羅はその目を細め、口の端を三日月のように釣り上げる。狐、という単語が、鷲介の脳に浮かぶ。


「私はもうやることやったの。だから何もやる気なんて無い」


「燃え尽き症候群でもないでしょ」


 当然、違うと鷲介も思っている。ただ、もうそれでいいと思っているだけだ。はぁ、と溜息を吐いて、鷲介は頬杖を着いた。


 返答の拒否、とそれを受け取ったのか、有羅は口を開く。


「でもそれってさぁ、逃げじゃないかって僕は思うんだよね」


 有羅はとかく饒舌な男だ。口から生まれてきたと言われても、鷲介は、まぁそうだろうなとしか思わない。喋り過ぎで喉が渇く、他人が口を挟む隙を与えない、相手が聞いていなくとも気にしない。壊れたラジオのような男。


「いやぁ、だってそうじゃない。何せこれは――君にとっての運命みたいなものなんだからさ」


「運命なんて、無い」


 思わず知らず、鷲介は口を挟む。運命という言葉は、ガラスに爪を立てるかのように不快な音として耳に響いた。


 そうとも、運命なんて、無い。


「運命なんて無い。いい言葉だね。でもまぁ、無いことはないのさ、運命ってやつはね。いや、運命なんて言葉にするから、無い、なんて言い訳が出てきちゃうんだよねぇ。もっと適切な単語が有るじゃないか。うん、そうだよねぇ、言葉っていうのは適切に使われなくちゃあいけないよ」


 因果――


 有羅はそう口にする。鷲介に口を挟む間も与えずに。


「因果律、といってしまえば、運命とニアリーイコールだよね。それは、原因があって、結果が有る、その結果が起こるのは、何らかの原因が有る。そういうことだろう」


「……何が言いたいんだ?」


「定められた運命なんて理不尽はない、って言うことが言いたいのは分かる。よおく分かる。でも、それが自分に原因のあることだとしたら、どうなる?」


 何が言いたいのだ、この男は。有羅の言葉が、鷲介の精神を少しずつささくれ立たせていく。


「因があれば果がある」


 有羅は両の手を顔の高さまで上げる。その形は両手共に狐、その口をぱくぱくと開閉させながら、有羅は続ける。


「つまり、己に因のあるなら、いずれ結果がやってくるのさ」


 右手の狐が、ぱくぱくと口を開きながら左の狐に近づく。


「どれだけ逃げた所で――」


 左の狐が、後退りするように、右手と距離を取った。


「迂回して戻ってくる」


 有羅の右手がくるりと回りながら左手の背に回ると、こつりと狐の口でそこを突いた。左の狐が、悲鳴を上げるように口を開く。


「私が逃げている、そう言いたいと」


「そうさ。君は自分が何者か知っているだろう。そして、それから、それが引き起こすべきものから、鼠みたいに逃げ回っているのさ」


 ち、と鷲介は舌を打ってカウンターから立ち上がった。刃を突き立てるのではなく、削るようにして精神をささくれ立たせていく。この男の言葉は、それ故に苛立ちを募らせる。


「鼠みたいだろうがなんだろうが、私の勝手。もう店番も終わりの筈。ここにいる必要も無い」


 そんな鷲介の言動を聞いているのか居ないのか、有羅は陶酔的と言ってもいい勢いで、まるでピアノの速弾きのように言葉を並べ立てていた。鷲介もまた、それを聞き流すように、店の入口に向かって歩き出す。


「因果! そう、因果からは逃れられない! だからこそ、因果に決着を付ける必要はただひとつ。対決だ。因果の到来に覚悟を据え、それと対峙して克服する。まぁ今度こそ決定的な敗北を味わう羽目になるのかもしれないけど、それとこうやって逃げ回っているののどっちがマシかなんて――まぁどっちだろうね。そんなことはどうでもいいさ。いずれ対決の時が来る、舞台に上がらなければならない時が来る。その時のために、覚悟はしていたほうがいいよ――あ、そうだ、忘れてた」


 有羅の前を鷲介が通り過ぎようとした時、有羅はそう言って胸元に手を入れて、数枚のカードを取り出した。奇妙な紋様と術式が描かれたそれは、呪具アーティファクトのカードである。


「鷲介君、君にやっておいてほしいことが有るんだけど」


「なんです?」


 振り返った鷲介の手に、有羅はカードを渡す。鷲介が見たカードに描かれている文様と術式は、以前見たことがあるものと似ているような気がした。


「これは、空間制御用の?」


「そそ、地下の安定性がものすごく低くなってるからね。あんまり使うことはないといっても、直しておかないと、シギルムの上の人に怒られるよ。ジェイナスとか」


「私は、魔術を使う気はもう無い」


「まぁ、ね。だけど心配はいらない。これは特別製でね、とりあえず置いておけば効果が出る類の代物だ。その後は、別の魔術師に来てもらってなんとかするさ」


 護符タリスマンの役割を持ったカードということなのだろうか。鷲介はカードを見つめる。この手の呪具アーティファクトには、それほど明るいわけではない。行使される魔術は分かっても、それがどのように行使されるか、までは把握できない。


 有羅は追加で、折り畳まれた紙片を鷲介に手渡す。


「このメモの通りに置いてもらえば良いらしいよ」


 紙片を開いて、鷲介はその中身を確認する。置くべきカードは五枚。それによって五角形を作るように、カードを配置する。五芒星、晴明桔梗、旧き印(エルダーサイン)……そう言った名で呼ばれる魔術的図形を生み出すのが目的なのだろうと鷲介は推測する。


「はぁ……分かったよ」


「うん、頼むよ。あんまり空間が不安定だと、良くないものが出てきちゃうかもしれないからね」


 有羅のそんな言葉を背に、鷲介は踵を返してカウンターの奥へと向かった。

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