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邪宗の機神、月に吠える  作者: 下降現状
EP3 王国 -Regnum-
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解体

 女性の金切り声にも似た音で、鷲介は眼を覚ました。目覚めてしまえば、それは暴風雨が生み出したものであるとは理解出来た。しかし、理解して尚、鷲介はそれを不気味に感じざるを得なかった。


 ――泣き女(バンシィ)なんて伝承も生まれるわけだ。


 そんな事を考えながら、鷲介は眼を開けて――寝転がったまま、小さく悲鳴を上げて、仰け反った。


「な、何故……」


 少し首を傾ければ額がくっついてしまいそうな近距離に、セラフィーナの顔があった。セラフィーナは眼を瞑って、寝息を立てていた。長い睫毛が伏せられ、何の警戒心も抱いていない、力が抜けたその表情は、あどけない子供のようだ。


 すぅすぅと規則正しい呼吸が聞こえる。細やかな息が、産毛をむず痒くくすぐる。何かもやっとした妙な気分が鷲介に中に沸き上がってくる。


 何故こんな事になっているのか。昨夜、こうなるような予兆はあっただろうか。いや、むしろそうならないように布団を離して敷いたような気がするが。


 そう思って、視線を彼女の下へと向けていく。病衣に包まれた、なだらかな身体のラインが、山脈のように流れるのが眼に入る。セラフィーナが無防備に雪のように白い太腿を晒している様に、鷲介は内側から掻き毟られているかのような感覚を覚え――


「ん? 太腿?」


 そこで気付いた。セラフィーナの身体は、布団から大幅にはみ出している。白い肌が色々とはだけているのも、その所為だ。


 要するに、セラフィーナは死ぬほど寝相が悪いのだ。今現在、それなりに可憐に見える形で寝姿が落ち着いているのは、彼女にとっては奇跡的な事なのかもしれない。


 ――寝相を知る中になってしまった……というと意味深な感じだな。実際そんな事は無いわけだが。


 頭を掻くついでに寝癖に手櫛を入れて、鷲介は立ち上がる。眠りを妨げる程の豪雨の姿は、この部屋からは確認出来なかった。ただ雨風、そして波の音だけが響き続けている。


 周囲を確認すると、一応の備えとして設置しておいた呪具アーティファクトがあちこちに散らばっていた。セラフィーナの犠牲になったのは間違いないだろう。ばらばらに散らかされている以外、呪具アーティファクトに異常は無く、セラフィーナが呑気に眠っているという事は――


 ――天罰はセラフィーナには下らなかったと見て問題ない。


 そんな事を考えながら、鷲介は呪具アーティファクトを拾い集める。使ったのは主に呪符である。寝ている間に倒れたりしないという意味ではこれが一番だ。


「ふぁ……」


 鷲介がひと通り呪具アーティファクトを拾い終えたところで、セラフィーナが眼を覚ました。上体だけを起こし、あくびを噛み殺しながら、セラフィーナは眼を擦る。


「おはよう」


「う、うぅん……おはよう鷲介……って鷲介? なんで! なんで鷲介が私の部屋に居るのよ!」


 伸びをしながらぼんやりと答えていたセラフィーナだが、突然、驚愕のあまりに大きな眼をまん丸にして鷲介を指差した。


「落ち着け、ここはお前の部屋じゃない」


「あれ? ……うん?」


 鷲介に指摘されてから、セラフィーナは周囲を二度三度と首だけで見回した。


「……そうね、そうだったわね。起きた時に誰かが居るのって久しぶりだったから、ついつい」


「まぁ、そう言う事も有るだろう」


「取り敢えず、何も無かったみたいね」


「天罰を下されるのはお前じゃなかったという事になる」


「……って事は、別の誰かが天罰を食らったのかしら」


「お前の言う通りなら、その筈だな。何かが起こってるか、確認に行ってみるか」


「そうね。でもその前に顔ぐらい――」


 セラフィーナが言い終わる前に外からの強烈な声が鳴り響いた。鷲介とセラフィーナは、揃って声のした方へと顔を向ける。


 その声は、絹を裂くような、女性の悲鳴だ。


 鷲介とセラフィーナは顔を見合わせて、走りだした。声がした方向は分かっている。


「顔を洗う暇ぐらいは欲しかったところね」


「一々文句を言っても仕方ない」


「分かってるわよ!」


 二人はそんな軽口を叩き合いながら、走って角を曲がる。眼の前に有るのは、先日千年上宮がパフォーマンスをした場所だ。


 扉は開いていて、中を見ることが出来た。見えているのは、へたり込んでいる女性の後姿だった。へたり込んでいるのは――


「海咲さん!」


 セラフィーナは彼女の元へと異様に反響する足音を立てながら駆け寄って――辿り着く前に足を止めた。


「うっ……」


 手を口元にあて、セラフィーナは震えて立ち竦む。


「何があった!」


 近付いて行く内に、壮絶な臭いが鷲介の鼻に突き刺さってきた。錆びた冷たい鉄のような、それでいてもっと生々しく身体の内側へと潜り込んできて吐き気を覚えさせる凄惨な臭いだ。


 ――本当に何があったんだ。


 吐き気を抑えながら近付いて、鷲介もそれを見て――言葉を失った。


 そこにあったのは、血の海の中に放置された、人間の肉体だった。


 ただの肉体ではない。それはまるで、これから料理に使うとでも言うかのように細かく切り分けられていた。手足は指まで関節単位で切断され、その全てから爆裂したかのように血が噴き出し、それは天井まで達している。手首から先と足首から先は、指を残して消えていた。


 スーツを着せられたままの胴体部は真っ直ぐ切り開かれていて、蚯蚓の怪物(ワーム)にも似た臓物がそこから逃げ出そうとして居るかのようにはみ出していた。


 首は辛うじてくっついている。しかし、それをもってこの人体が誰のものか判別するのは困難だった。首から上で残っているのは、下顎だけだったからだ。残された舌には、ピアスが煌めいていた。


「これは一体……」


 鷲介が問うと、震えて顔から血の気を引かせながらも海咲は言葉を絞り出す。


「わ、分からないの。私が拝礼の準備をするためにこの部屋に入ったら、紫藤さんが……こんな事に……」


「この死体、紫藤さんなんですか?」


 鷲介の問いに、視線を人体から外すこと無く海咲は答える。


「うん……舌にピアスが有るし、服装も多分……やっぱり死んでるの?」


「いや、それはまぁ、こんな事になったら」


 そう言いながら、鷲介は紫藤のものらしい人体を眺める。見ていて気分の良い代物ではないが、仕方ない。


 元から紫藤に舌ピアスがあったのかを鷲介は知らないが、この頭部には確かに舌ピアスがされている。変わり果てては居るものの、服装、さらに体格も、鷲介が見た紫藤のものと一致しているようだった。


 ――天罰が下されたのは、この男だったと言うわけか。


 憐れんで良いのか、鷲介には良く分からなかった。


 紫藤恭平が悪人と言ってもいい男だったのは確かだ。千年宮などという詐欺団体を作り出したのが彼である以上、信徒は皆彼の被害者だと言っても間違いはないだろう。天罰が下されるに相応しい男だ。


 だが、だからと言ってここまでされる事は無いとも思える。これは人間が受けるような罰ではない。


 セラフィーナの方へと眼を向ける。少女は、紫藤を初めて見た時から何も変わってはいなかった。口元を押さえ、顔から色を引かせ、子鹿のように足を震えさせている。


 紫藤の圧倒的な存在感に、意識を弾き飛ばされているように、鷲介には見えた。


 ――仕方が無いか。


 過剰な反応とも言えるし、正常な反応とも言える。おかしいのは寧ろ、ある程度冷静に紫藤を観察出来る鷲介の方なのだ。


 出来るのならば、やる他ない。鷲介は紫藤に近寄って、詳しく観察してみる。人間がこうなってしまうのかと考えると、落ち着かない気分になる。周囲を汚染する赤茶の色彩も、酸味ある臭いも、鷲介に攻撃的だ。


 だがそれらに耐えて観察している内に、鷲介は一つの事に気付いた。


「これは……」


 そんな時だった。無数の足音が響き渡る。まるで太鼓でも叩いているかのように、足音はよく響いた。


「さっきの悲鳴は何?」「なんだこれ、どういうことだ!」「何があったって言うんだ!」


 悲鳴を聞いていたのは、当然鷲介達だけではなかった。他の信徒達も悲鳴を聞きつけて、ここにやって来たのだ。


 ――仕方ない。


 鷲介は紫藤から離れながら、周囲を観察する。集まってきた信徒の中には、車崎と藤原の姿もあった。


「紫藤さん、なんでこんな……け、警察! 警察に連絡を!」


 震えながら叫ぶのは車崎だ。金切り声を上げ、四方八方に向かって同じ言葉を繰り返している。眼もあちらこちらに動いており、まるで落ち着きが無い。


「警察、何を馬鹿なことを言っているのですか、車崎さん」


 対して、藤原は奇妙に落ち着いていた。この事態を、まるで些事と言わんばかりに扱っている。その眼はまるで昆虫のそれのようだった。


「だって、人が死んでいるのよ! それもこんな、どう見ても事故なんかじゃない死に方で! 警察を呼ぶのが当たり前じゃない!」


「いいえ、これは――」


「おや、罰が下されましたか」


 藤原の声を、女の透き通るような声が遮った。さしたることもない音量であるにも関わらず、その声は信徒の間を走り抜けていく。


「千年上宮様……」


 歓喜に震える藤原の声。信徒の波をモーゼのように割り、千年上宮がゆったりと歩いてくる。


「紫藤さんは私の最初の理解者。それがアマツテラスホノミコト様の御怒りに触れてしまうとは……残念なことです」


 千年上宮の言葉で、信徒のざわめきがすぅっと収まっていく。


 ――なんて奴らだ。


 彼等は、千年上宮の言葉によって、これを当然の事、仕方の無い事だと認識しつつ有るのだ。セラフィーナが昨日言った通り、千年上宮の言葉は確かにここでは全て真実になってしまう。


「紫藤さんを何処かに安置して上げて下さい。罰を下された身とはいえ、このままにしておくのはあまりに哀れです」


 そう言って、千年上宮は紫藤に背を向けて歩き出した。


 こうなってしまっては、警察がどうなどと言うものはいなくなってしまうのは当然だった。


 ――何にせよ、調べなくては。これが魔術師と関係あるかどうかを。

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