最近の幼女
ひと通り資料に目を通して、鷲介はタブレット端末を異空間に仕舞う。テーブルの前で胡座をかいたまま、両手を後方に着いて天井を見上げた。
千年宮が生まれたのは五年前、メガフロートの購入が一年程前。新参と古参、革新と保守の諍いがどうのといった争いをするには、若い組織だ。
つまり、千年宮はあまりに急速に発展し過ぎている。それが千年上宮のカリスマによるものか、紫藤恭平の実務能力によるものなのか――どちらかと言うと後者よりのように鷲介には見えた。
千年上宮はどこにでも居る似非霊能力者に過ぎない。千年宮の教義も大したオリジナリティが有るものでもない。残るは紫藤恭平だけだ。
崇めている神からして、日本神話が元のようだが妙なアレンジでオリジナリティを出そうとした結果、何者でもない半端者になってしまっているというシロモノだ。詐欺の材料以外に、こんな珍妙なものが何の役に立つというのか。
こんこん、と扉を叩く音が聞こえて、反射的に鷲介は立ち上がった。
――セラフィーナが帰ってきたのか?
いや、それなら声を掛けてくるだろう。だとしたら一体誰なのか。心当たりはあまりない。
「はい」
そう言いながら鷲介は扉を開ける。
「こんにちはお兄ちゃん……あれ? お姉ちゃんは?」
声は下から聞こえてくる。目線を下げると、仔リスのような少女が扉から首を差し込んで、部屋の中をきょろきょろと見回していた。
「子鈴か」
「子鈴だよ―。で、お姉ちゃんはどうしたの? 振られた? 出て行かれた? 捨てられた?」
「勝手なことを。ちょっと散歩に出ただけだ、別に振られてない」
「そうなんだー」
子鈴はにひひと笑う。この少女は、ませた所のある、というかそんな所だけで出来ているように鷲介には思える。もっとも、それは可愛らしさでしかない程度のものではあるが。
「で、何のようだ?」
「用がなくちゃ、来ちゃ駄目な関係なの? 私達……」
「大体合ってる」
年に似合わないしなを作って流し目を送る子鈴を、鷲介は半目で冷ややかに見返した。そうやって身体を無理にくねらせた所で、女というには子鈴が年若過ぎる事は変わらないのだ。
「う、うう……」
冷え冷えとした視線が辛くなってきたのか、子鈴は決まり悪そうに動きを止めた。
「……御免なさい、退屈なので遊びに来ました」
「正直でよろしい」
ぺこりと子供らしく頭を下げられれば、鷲介としても邪険には出来ない。別段、子供が嫌いというわけではないのだ。相手をするのはやぶさかでない。
「入ってもよろしいでございますでしょうか?」
「構わない。さっさと上がれ」
「上がらせて頂きまする」
恐縮するような、わざとやっているような口調は変わらないままだったが、招き入れられるとぴょこぴょこと歩いて着いて来る。
――かわいい妹系と言った所か、悪くはない。
微笑ましく感じると同時に、嫌なことも思い出す。苦い砂利を口に含んだかのような気分だった。
ちょこんと座卓の前に座った子鈴を見ながら、その正面に座った。子鈴はやはりにこにこと陽光のような笑みを発散している。
「ありがと、お兄ちゃん。ところで、こうして部屋の中に入れてくれるのはお兄ちゃんにロリコンの素質が――」
「帰れ」
「本当に申し訳有りませんでした」
「それでよし」
すぐに調子に乗る。だがそんな所が子供らしいとも思う。
先までのやりとりを水洗トイレに流したかのように忘れて、子鈴は頭を揺らしながら鷲介に問うてくる。
「ねーねーお兄ちゃん、それじゃあ何して遊ぶ―?」
「何して……何してと言われても、遊ぶのに使えるようなそれらしい何かを持ち込んでるわけじゃない」
セラフィーナなら色々と持ち込んでいるかもしれないが、鷲介は余計なものは持ってこなかった。まさかこんな所で必要になると予想もしていなかったのだから仕方が無い。
「じゃあお話しよう」
「構わないが……面白いのか、それは」
「割りと」
「……割りと?」
「割りと」
真顔で子鈴は頷く。
――子供のテンションに真面目に付き合うと、やたらめったらと疲れる気がしてきた。
保育士や小学校の教師というのは、存外偉大な職業なのかもしれない。そんな事を鷲介は思う。
「しかし、お話って何を話すんだ? 私がこの部屋の利便性についてでも語ればいいのか?」
まだ使い始めて数時間だが、それなりに便利だと思っている。流石に極めて便利とまでは言わないが。近くに自動販売機があったりもしないし。
「お兄ちゃん……そんな事話されても、別に面白くないよ……センスが感じられないよ……モテないよ……」
「失礼な、この彼女持ち――」
――という設定だ、今回は。
「――の私に向かって」
「そこが問題なんだよね。見た目はまぁ悪くないんだけど、冴えないお兄ちゃんが美人のお姉ちゃんと付き合ってるのか……よし、決まり! お兄ちゃんにいんたびゅーしまーす!」
インタビューと来た。しかし、自分に何か聞かれるようなバックボーンが存在するだろうか、と鷲介は訝しく思う。
――まぁ、子鈴が満足するなら、それはそれで構わないか。
「構わない。何が聞きたいんだ?」
「本当!? 何でもいい!?」
鷲介が言うと、子鈴は座卓に身を大きく乗り出してきた。殆ど体重を座卓に預けきってしまうくらいだ。
「お、おう」
「それじゃあ聞きまーす」
子鈴は何かを――彼女が想像しているのはマイクだろうが――緩く握ったような手を鷲介に向けてきた。
「お姉ちゃんとの関係は?」
「……コイビト」
僅かに詰まった後にそう答える。そういう設定なのだから仕方がない、仕方がないのだ。
「本当に?」
「本当に」
子鈴はジト目で顔を寄せ付けてくる。私は疑っています、をあまりにも分かりやすく、全身を使ってアピールしている。
疑うのも無理は無い、と鷲介も思う。何せ大嘘以外の何者でもないのだから。その上で、上手く演技が出来る自信がないから、真面目に演技をすることを半ば放棄した。まぁ気になる人間からすれば怪しむには充分なのだろう。そんな事を気にするような、精神的健全さを持って他人と接する人間がここには少ないというだけで。
「本当だ、嘘じゃない」
「にしては、お姉ちゃんに比べてお兄ちゃんは何というか……くっついたりなんだりしてないよーな?」
「何というか、くっついてればいいというものじゃないんだ、そういう関係っていうのは」
「まるで大人みたいなこと言うねお兄ちゃん」
「実際、お前よりは大分大人なんだ、私は」
とは言ったものの、鷲介もそれらしい聞こえが良いだけの言葉で誤魔化しただけである。実際どうかなど、知ったことではない。
乗り出していた身体を戻しながら、子鈴はうーんと唸って眉間にしわを寄せる。あまり眉間にしわを寄せると戻らなくなって、せっかくの綺麗な肌が台無しになるぞ、などと考えてもどうしようもないことを鷲介は考えてしまうほどだ。
「うーん、まぁお兄ちゃんが大人なのは、いいでしょう。この子鈴、認めます」
「なんで百歩譲って、みたいな言い方なんだ」
「譲ってるからね」
「そうか……」
評論家か何かのような言い草に、流石に呆れてしまう。
「で、お兄ちゃんがそういう大人なのは良いとして、お姉ちゃんはどうなの?」
「……うん?」
「お姉ちゃんはそういう事、して欲しいんじゃないの?」
セラフィーナがどうかと言われても、セラフィーナもまたそういう設定でここに来ただけなのだから自分と同じ――と言うのは、子鈴には通用しない理屈だ、と鷲介も思い当たる。
そうなると、はてさてどう説明したものだろうか。というか、それ以前にセラフィーナは本当にそういう事を望んでいるのだろうか――?
――そんな筈はない。
「別に、セラフィーナ――お姉ちゃんがそういう事をして欲しいと望んでるわけじゃない」
「それはどーなのかな? 男の人って女心を分からないものなんじゃーないの?」
「むむむ」
「何がむむむだー!」
実際問題、そう言われると男性である鷲介としてはどうしようもない。一方的な決め付けのような気もするが、自分に関しては少なくとも合っているのではないかと思えてくる。
「分かった、私が女心が分からないのは認めないでもない」
「お兄ちゃんも百歩譲るの」
「譲る」
「じゃあ、女心が分からない駄目駄目なお兄ちゃんは、お姉ちゃんが戻ってきたらいちゃいちゃするの?」
「……しない」
「えー、なんでー? 好きなんでしょ?」
小首を傾げる少女を見ながら、鷲介は考える。さて、どう説明したものだろうか、と。この少女にも理解出来て、尚且つ筋が通った話。
――つくり話を拵えるよりも、自分が考えている通りに話すのが一番か。
下手に作り話をして、それを積み重ねていくよりも、真実を混ぜ合せた方が最終的な強度は強くなる気がする。
「好きな相手だからって、求められるままになんでも与えれば良いってものじゃない」
「そうなの? でもきっと喜ぶよ?」
素直な疑問。無知であるというだけの事が、どれだけ貴重な事か、と鷲介は考える。既知を未知に戻す事は出来ない。
「それが相手のためになるとは限らない。喜ぶからって、なんだって与えれば良いってわけじゃない。金魚の餌みたいなものだ」
「よく分からないなぁ」
「金魚は餌を与えれば与えるだけ食べる。自分がどれだけ食べたかなんて考えずに。それと同じで、あのお姉ちゃんは甘やかすともっと欲しがる……気がする」
実際やったわけではないから、鷲介には断言出来ない。しかし、セラフィーナの言動を思い返して見ると、甘やかすのは良くない気がする。基本的に、彼女のメンタリティは子供であるし。
「そうなのかな」
「そうやって際限なく甘やかしていくと、甘えてばかりになる。四六時中ずっとだ。そうなってる所は見たくないし、あの娘がそうなったらそれは私の所為だ」
それを聞いた子鈴は俯きがちになって呟く。
「やっぱり、分からないや」
「自分のやったことには責任を取らなきゃいけない。自分で選んだ事なら尚更だ。だから、何が起こるのかをちゃんと考えて行動しなきゃいけないんだ」
顔を上げた子鈴は、今にも泣き出しそうに笑っていた。
「大人って、難しいんだね」
急に、鷲介は罪悪感に襲われた。格好をつけた所で、自分もまた大人というには子供過ぎる。一体、自分は何を言っているのだろうか。この少女の事を何も知らないのに、何故こんな偉そうな事を言っているのか。
そう思ったから、口を開いた。
「まぁ、単純に滅茶苦茶恥ずかしいって言うのもある」
子鈴は一瞬呆気に取られ、くりくりとした目を更に丸くしたが――今度は素直な笑みを浮かべた。
「なぁんだ、お兄ちゃん、可愛い所も有るんだ」