神と魔法
鷲介とセラフィーナが自室に戻ると、入り口に白い病衣のような衣服が二着、畳んで置いてあった。信徒が着ていたのと同じものであるようだ。一見した所では、薄手だがそれなりに着心地が良さそうだ。
「これに着替えろって事よね」
その内の一着を持ち上げながら、訝しむようにセラフィーナは言う。
「違いないだろうな」
「早めに着替えたほうが、良いのよね」
「いや、先に方針と分かっている事を纏めよう」
そう言って、鷲介は座卓の前に座った。セラフィーナもその向かいに座りながら言う。
「分かったわ……あの教祖、魔術を使ってたわね」
「ヒーリング治療に魔術が使われていただけで、あの女が魔術を使った魔術師だとは限らない」
魔術を行使している所を実際に見ても、誰が魔術を行使しているかを判断するのは難しい。強力な魔術ともなれば相応の準備や術式兵装を使っている方であろうと検討は付くが、あの程度の魔術ではその方法を使うのも難しいのだ。
「教祖に直接聞いてみるのは――」
「それはない」
なんでよ、とむくれるセラフィーナに鷲介は言う。
「それで答えが出てくる気がしない」
「どういう事?」
「何故私達がここに送られてきたのかを思い出してみるといい」
セラフィーナはテーブルに頬杖をついて、うーんと唸る。
「それは、この教団――千年宮が最近目立ち始めたから、もっと端的に言うと、このメガフロートがちょっと怪しすぎるからよね」
「問題は、最近目立ち始めたって事だ。千年宮自体はそれなりに前から存在しているというのに」
「あ、なるほど」
「ヒーリング治療は千年宮が出来る以前、千年上宮がずっと前からやっている事の筈。最近の異変と関係があるとは限らない」
関係がある可能性もある。例えば、ただの詐欺師としてヒーリングを行っていたが、魔術を使えるようになって――俗に言う超能力者とは、大抵が天然の魔術師である――千年宮を作り始めたのかもしれない。或いはただ単に最近発狂したのかもしれない。
だが全ては可能性の問題だ。何かしらの根拠があるわけではない。
鷲介は首を横に振った。
「何かしら取っ掛かりが、他にあればいいのだが」
「一応、戦闘魔術師になった時に、潜入と捜査の心得っていうか考え方みたいなのは聞いたけど」
「それは聞いておきたい。話して欲しい」
鷲介はシギルムへの参加も戦闘魔術師としての任官も例外的な身。つまり真っ当な教育は受けていない。基礎教養に欠けているのは厳然たる事実だ。
「分かったわ。えーっと、何というか、相手が魔術師で、魔術を使えるということを忘れるな。これが第一だったわね」
「魔術を使える――」
それは何でも出来ると同じ意味を持っている。正確には、魔術は万能というわけではないし、魔術師によって出来る事は異なる。しかし、相手が不明ならば、結局は同じ事だ。
「だから、普通のフーダニットと同じように考えてはいけない……って聞いたんだけど、フーダニットって何?」
「英語そのままだ。誰がそれをやったのか……要するに犯人当ての事だな」
「ああ、なるほど。で、相手が魔術を使えるんだから、物的証拠も証言もアリバイも当てにするな、みたいなことを言ってたわ」
鷲介はセラフィーナの言を聞いて、考えこむ。
「それは、難しいな」
「難しいの?」
「真っ当な手がかりは無い、そう言っているのと大差無い」
しかし、言っていることは間違っていないとも鷲介は考える。
通常の捜査において、それらは推理の手がかりとなり、場合によっては決定的な証拠ともなりうる。しかし、相手が魔術師となるとどうか。
物的証拠の捏造は、自由自在に行える。証言の操作は証人に幻覚を見せるなり、洗脳で虚言を証言させるなりで可能だ。アリバイに至っては、超高速で作業を行うなり、魔術師以外に事を起こさせるなりでなんとでもなる。
つまり、得ることが出来る全てが偽の証拠と言うことだ。
――ならば、どうすればいい? 結局手のうちようが無い。
考えこむ鷲介を見て、セラフィーナは口を開く。
「何というか、謎解きに詳しいのね、鷲介」
「私が何処に住んでいるか忘れたのか? 環境的にも、読む本――それも古いものには不自由しない」
店番の間、暇に任せて本を読みふけった時期もあった。その際に、古めの翻訳ミステリ――エラリィ・クイーン、アガサ・クリスティ、ジョン・ディクスン・カー、ヴァン・ダイン辺りの有名な作品には手を出している。
「なるほどねー」
「だが、そうなると犯人――いや、魔術師をどうやって特定すればいい?」
「えっとね、魔術師の意図を読む、らしいわ」
「意図?」
セラフィーナは頷く。
「そう、現場の状況を全て操れるのだとしたら、全ての事象は何かしらの意図をもって配置されている事になる、その意図を読むことが大事……とかなんとか」
「とかなんとか」
「話は聞いたし内容は覚えてるけど、今ひとつよく分からなかったのよ。仕方ないじゃない!」
「まぁ、私は分かったから大丈夫だ、問題ない」
鷲介は思考する。
全ての事象を操ることが出来る――魔術師によっては出来ないことも有るだろうが、今回のようにそもそも魔術師が居るのかどうかすら謎の場合は、そう考えるべきだろう――ならば、全ての事象には意味がある。なるほど、道理だと鷲介は心中で頷く。その意味から、魔術師を逆算する。
魔術師がどのような意図をその事象持って仕掛けたのか、それを辿る。面倒ではあるが出来なくはないだろう。
だがそのためには――
「もっと情報が必要になるな」
「とりあえず聞き込みかしら」
セラフィーナは腕を組んで首を傾げる。
情報収集のためには、それが一番手っ取り早く、尚且つ有効だと鷲介も思う。
「特に、ここに千年宮がやって来る前と後の差が知りたい」
鷲介達が千年宮にやって来たのは、千年宮によるメガフロートの改造が原因だ。つまり、一番最初に魔術師が起こした事象と言える。
それが何の意図で起こされたのかを探ることが、魔術師に迫る手段となるはずだ。
「聞き込みは私がするわ」
「頼む」
どう考えても、鷲介よりセラフィーナの方が人当たりが良い都合上、聞き込みは任せるべきだろうと鷲介は考える。
「その間鷲介はどうするつもり?」
「持ち込んだ資料をもう少し眺めてみる。まだ見落としていることがあるかも知れない」
術式兵装と同様に、資料を纏めたタブレット端末も魔術を用いて持ち込んである。
「じゃあ、そういう感じで行くわね……ねぇ、魔術師が居るとして、その目的ってなんだと思う?」
「……心当たりもない」
顔を背ける鷲介にセラフィーナはきょとんとして問う。
「何で嘘ついてるのよ」
「……嘘などついていない」
「鷲介、貴方結構分かりやすいのよ」
「どういう意味だ」
セラフィーナはくすくすと笑った。
「そうやって、ムスッとする」
言われれば、そんな顔になっているかもしれない。そんな表情のまま、鷲介は応えた。
「――神降ろし」
「えっ?」
「根拠は無い。だが、魔術師の目的は神降ろしだと思っている」
言って、鷲介は口中の苦味を味わった。根拠が無いというのは嘘だ。実際は、経験則から、そうではないかと鷲介は推察している。
そうでなくては、この空気は――
「神降ろし……そう言えば、アマツテラスホノミコトとか言ってたわね」
「日本神話系の神格が元の名前だろうが、まぁそれらしいだけで実際は関係ないだろう」
「この封鎖された空間と一つの信仰……あり得ない話じゃないわ。本当だとしたら、最悪代演機を出す必要がある、かな」
この場合の神とは、魔術によって生み出される神である。
この世界に顕現する神とは、全て魔術による産物だ。
通常の魔術が魔術師という個人が世界に対して行う改竄である。世界と己が等しいという認識が魔術の行使を可能にさせる。それは世界の有り様というルールブック或いは法律書を一時的に乗っ取り、ルールを改竄し、あるいは魔術師に都合よく解釈を違えさせることによって現実化している。
神の顕現は、それとは次元の異なる魔術だ。
基本的には個人で完成させる魔術と異なり、神降ろしは一つの共同体――社会、国家、宗教、小説のファングループ――を必要とする。
共同体に神格という幻想譚が信仰された時に、神は生まれる。世界の有り様という強力過ぎるエネルギーに信仰という形で指向性を与え、器に注いでやるのだ。
世界の有り様は常に揺らいでいる。だからこそ魔術師は魔術という形で世界に干渉が出来る。神も安々と生まれる。
生まれた神とは世界の有り様を決めるもの、即ち魔術の上位存在そのものだ。故に生み出されてそこに有るだけで、世界の形を歪めていく。魔術師の魔術が法律の一時的改竄だとするならば、神の顕現は新たなる法律が施行される等しい。
これは魔術による法――即ち、魔法である。
神という魔法が完全に世界に浸透し、定着すれば、世界はそのように変化する。一つの社会が生んだ世界の見方が、実際に世界を変えてしまう。そういう意味では、神とは一つの社会が、一つの思想が持つ力そのものと言えるかもしれない。
人間が戦って勝てる相手ではない。だが、代演機の操手ならば別だ。代演機に乗っている時ならば神と戦うことが出来るし、勝つことも出来る。
「所詮魔術が産んだ神だ、容易いに違いない」
鷲介は吐き捨てた。