襲撃者 四
――どうすればいいの?
セラフィーナの肉体も精神も、状況を前にして停止していた。
――どうすればいいの?
もう一度自問する。
この状況を招いたのは、この男の言うとおり、セラフィーナの暴走だ。殴るのではなく、雷法なり火炎なり、もっと致命的な攻撃を加えるべきだった。
それを、怒りに煽られて、それをぶつけることに――相手を嬲ることに注力してしまった。
その結果が、この人質だ。
もしも、今からこの男に必殺の一撃を撃つとしよう。この男は倒せる。しかし、それより早くゴードンが死ぬ。
この男を放り出して、ゴードンを助けるとしよう。ゴードンは助けられるかもしれない。だが、この男に背を向けるのは、余りに危険だ。
この男から目を離さず、魔術でゴードンを助ける? 駄目だ、それでは、この男に必殺の一撃を撃つのと変わらない。何も残らない、下策だろう。
この危険な男の戦闘能力、残虐性を鑑みれば、ゴードンを見捨ててでも殺すべきなのだ。戦闘魔術師としての責務はそれである。責務は果たさなければならない。自分の立場を考えなければならない。だが――
――出来るの? 私に、そんなことが?
出来るの、と問う時点で、自分の内心は分かりきっている。出来るわけがない。見捨てたくなど無いのだ。この、気のいい男を。
額から流れる冷や汗が一つ、雫となって落ちた。
「おい、どうした?」
「ぐっ……」
暁人がにやりと笑い、ゴードンが呻き声を上げる。セラフィーナは視認していないが、恐らく触手で全身を締めあげているのだろうと推察する。
「くぅ――」
卑怯な、という言葉を飲み込んで、セラフィーナは暁人に背を向けた。こうやって、自分を囮にする。それ以外に、ゴードンを救う方法はない。攻撃を受けるのなら、それはそれで仕方がない。
跳躍しつつ、袖からカードを抜き撃つ。同時に魔術を行使、カードは回転しながら、戦輪のように魔種の触腕を斬り裂く。拘束から解放されたゴードンは、音を立てて床に転げ落ちた。
攻撃を覚悟して、防護魔術を後方に展開しつつ、セラフィーナはゴードンの元に駆け寄る。
「ゴードンさん! 大丈夫!」
触手による拘束で、ゴードンは酷く弱っていた。息は切れ切れで、顔色も悪い。とは言え、命にかかわるような状況でもない。
「ぐ……嬢ちゃん、俺よりも……後ろだ……」
「え、でも攻撃魔術は別に――」
いや――それはおかしい、とセラフィーナは気付く。
何故、攻撃魔術もそうでない攻撃も飛んでこないのか。わざわざ背を見せて、攻撃を誘ったというのに。あの男が、そんな隙を逃す筈もない。
ならば、何故攻撃魔術が飛んでこないのか。
「違う、奴の狙いは……嬢ちゃんじゃ、ない、んだ」
途切れそうになるゴードンの声を聞きながら、セラフィーナは振り返る。暁人の姿が、先まで居た場所に見当たらない。
「そんな、あの男は一体――」
焦り、セラフィーナは視線を右に左に走らせる。
居た。先の場所から大きく離れた、代演機三機、その内の《ルベル》の足元。暁人は、その手から伸ばした触手付きの魔種を、赤いラインの入った代演機――《ルベル》の首へと巻き付かせていた。
「まさか!」
そして、その魔種によって、勢い良く自分の身体を引っ張り上げる。まるでウィンチだ。
「予想通りだよクソアマァ!」
罵声を聞いて舌をうち、型の良い唇の端を歪めながら、セラフィーナは右腕を突き出す。
その右腕を、瞬時に紫電が覆い、高速で回転する。一回転ごとに一回り大きくなっていく紫電。腕の五倍、十倍となったそれを、放出する。即座に、二発目の雷撃を装填。
暁人はそれを、《ルベル》の胴体を蹴って、大きく振り子のように離れることで回避する。二発目に飛んできた雷撃を、今度は触手を大きく巻き取って《ルベル》に近寄ることで回避する。
そうやって暁人が飛びついた先には《ルベル》の胸部がある。暁人はナックルガード型の魔種を空いている左手に生み出し、飛びつく勢いのまま《ルベル》の胸部に突き立てた。
代演機の装甲は、複数の錬金物質によって構成されている。それは確かに強固では有るが、物理的な耐衝撃性に関しては、戦車に勝るほどではない。魔術師が搭乗し、防護魔術が装甲を循環することによって、代演機は物理的な手段による破壊をほぼ不可能にするほどの防御力を得る。魔術師の居ない今ならば、その装甲を砕くことは難しくないのだ。
《ルベル》胸部装甲が破砕し、砕けた錬金物質が空中に舞う。細かく破砕されたその欠片は、光を反射して銀の星屑の如く煌めいた。その中心には、大穴が開いている。
更にもう一発飛んできた雷撃を、暁人は《ルベル》の胸部に開けた大穴に滑りこむことで回避する。雷撃が外壁に着弾し、爆発的な閃光が生まれた。
「代演機、タイプ:プログレディエンス二番機――《ルベル》、貰ってくぜ……確かこうだったな。《ルベル》、トリガーオープン」
暁人の哄笑が響き、《ルベル》のラインアイが、ライトグリーンに発光する。暁人が《ルベル》の制御系を乗っ取ったのだ。
次いで、《ルベル》を中心として、魔力が拡大する。それは物理的な衝撃となって、轟音とともに地を舐めつくした。
「くっ……なんて事!」
セラフィーナは、自分とゴードンを覆うようにして防護魔術による障壁を展開する。衝撃によって瓦礫や埃が吹き飛んでくるため、片膝を付き、片目を閉じて、手で前方を保護しながら――それでも、《ルベル》から目を逸らさなかった。
《ルベル》を中心として、床面には巨大な図形が描かれていた。典礼魔術の中にも数多く存在する、特定の図形を発生させることによる魔術の行使。即ち、魔法陣の展開。そして展開されたその魔法陣に、セラフィーナは見覚えがあった。
それは大規模な転送魔術に用いるものだ。
――逃げられる!
セラフィーナは歯を食いしばった。
それだけは、許してはならない。
代演機は破壊兵器としても魔術師の支援兵装としても、威力が有り過ぎる代物だ。それをこんな危険な男に渡す訳にはいかない。
そしてそれ以上に、心情的に逃がす訳にはいかない。
衝撃波を受けながら、防護魔術を展開して足を踏み出す。身体が重い。まるで大波に逆らって進んでいるかのようだ。
衝撃波で吹き飛んでいる、ルーカスの首が視界に入った。
この男のために、四人が死んでいる。
もう一歩。防護魔術が衝撃を受け止めて異音を連続する。
「嬢ちゃん……」
呻き声と大差の無い、ゴードンの声が掠れて聞こえる。
この男のために、ゴードンが傷つけられている。
精神がヤスリにかけられてでもいるかのように、直接的に憔悴していく。代演機に補佐させていても、魔術は無限に行使出来る力というわけではないのだ。
この男を捕らえなければならない。
後もう少しで、魔法陣の内部に入る事が出来る。
この男を捕らえなければならない。シギルムの戦闘魔術師という、己の責務故に。セラフィーナ・ディクスンという家名故に。そして何よりも、セラフィーナの心中で生まれる、この男を許すなという叫びのために。
「じゃあなクソアマ! 悔しかったら追ってきな、その《グラディウス》ごとぶっ壊してやるからよ!」
暁人が嗤う。
「言われなくてもッ!」
魔法陣が発光する。噴水のような、光のシャワーが魔法陣から吹き出す。
魔法陣の中に居れば、多少の時間差はあっても同じ転送先に出ることが出来る。それに、異物が入ることによって、転送先に干渉することも出来るはずだ。
「間に――合って!」
転送魔術が行使される――