襲撃者 三
セラフィーナは怒りを込めて、男――暁人を睨みつけた。
長身に黒い長髪。返り血――四人の魔術師のものだろう――に染まったジーンズにジャケット姿の東洋人。おそらくは日本人だろうとセラフィーナは推測する。
サメのように大きく裂けた口からは、まるで牙のような八重歯が覗き、目には喜悦が浮かんでいる。
――この男はッ!
楽しんでいる。今の状況を、四人を殺したことを。自分と対峙している事を、楽しんでいる。そう理解して、セラフィーナの脳内で怖気や嫌悪感を押しのけて、熱が上がった。
左手でロングコートの袖からカードを抜き、放つ。
「百邪斬断! 万精駆逐! 撃ちなさい、神兵!」
道教に由来する、雷撃によって魔を討つ典礼魔術――雷法の、簡易式である。
放たれたカードは、一瞬で暁人の元に到達する――と思われた。
「おっと、残念」
カードの射線上には、存在しない筈の刃魔の口があった。
暁人の手も、片手が空だった。カードを投擲する間に、そこに刃魔を生み出したのだ。
刃魔は飛んできたカードを飲み、ぎょろりと目だけをセラフィーナに向けた。
「造魔師……!」
「ご名答!」
言葉と同時に、暁人の脚がバネのように跳ね上がる。右手のカードによる防護が及ばない位置を狙った蹴りだ。
それにセラフィーナが反応出来たのは、偶然に過ぎない。反射的に後方にステップ。セラフィーナの腹が先まで存在していた空間を、男の足が薙ぎ払う。背中を冷たいものが走る。
何かが空中を飛んでくる。射線上には、セラフィーナの頭――眼がある。すかさずに右手のカードで防御。空中に縫い付けられたかのように停止。停止したそれは大口を開けて、涎を垂らしながらセラフィーナに喰いかかろうとする刃魔だった。蹴りによる回転の流れを殺さずに投擲されたのだ。ぎょろり、と刃魔の眼球がセラフィーナを見つめてくる。心中にこみ上げてくる嫌悪感を隠さず、セラフィーナは舌を打った。
「おいおい、俺を忘れるなよ」
存外に近い位置――下からの声に、セラフィーナはハッとする。
そこに目線をやるよりも、拳が飛んでくるほうが早かった。
「がっ……」
顎を下から銃撃されたかのような衝撃。途切れそうになる意識を、とかく高速の賦活魔術で繋ぎ止める。投擲は防がれることを前提とした、セラフィーナの目線を上げるためのもの。その隙に、自らは姿勢を低くして飛び込む。それがこの男の目論見だったのだ。
――強い。
途切れること無く繰り出された刃魔による刺突をなんとかカードで受け止めながら、セラフィーナはそう考える。
行使している魔術は別段高度なものというわけではない。しかし、それが抜群の格闘センスによって十分以上に生かされている。戦闘魔術師はどうしても行使する魔術の威力によってその実力を図ることが多くなってしまう。戦闘者である以上に、魔術師がその有り様であるからだ。
しかし、この男の戦闘術はそんな評価に真っ向から喧嘩を売るようなスタイルだ。まるで、セオリーから外れることで魔術師を殺すことに特化でもさせているかのよう。
――受けるしかないわ。
軽く浮いた身体を、魔術で強引に空中回転させる。さらに刺突を受け止めた反動を殺さず後方へ飛ぶ。後方受け身のように回転し、滑りながら着地。
セラフィーナが着地した時には、既に暁人が間合いを詰めてきている。縮地か、それに類する歩法による、高速短距離転移であろうと推測し、左手にもカードを持つ。
「ハッ!」
暁人は笑みを浮かべ、刺突を繰り出す。それをセラフィーナは左手のカードで受ける。連続して繰り出される逆の手による刺突。今度は右手のカードで受ける。流れるように暁人の攻撃が続く。上段回し蹴りから左手の刃魔による薙ぎ、右手の刃魔による薙ぎからの投擲、投擲からの膝、膝からの蹴り、蹴りからの軌道を途中で変えた変則蹴り。すべての攻撃が繋がり、まるで独楽のようにその回転は途切れることがない。
しかし暁人のその連撃を、セラフィーナは何とか受けきっていた。途中で手を弾かれそうになり、刃魔が頬を掠めて血が飛び、体勢を何度か崩しかけながらも、致命的な一撃は避けきっている。呼吸が乱れる。身体が熱を持つ。しかし、倒れる訳にはいかない。
両手にに防護用のカードを持ち、完全に防御に徹する。足りなければ指の間にカードを挟んで、何重にも防護魔術を展開する。それがセラフィーナの取った策だった。とかく、防御に徹すれば、神経を使うことは使うが何とかこの男を留めることは出来る。そうやって時間を稼ぐうちに、研究員は逃げる時間が出来る。加勢は期待できない。半端な腕なら、こちらの集中力が途切れて邪魔になるだけだ。
だが、セラフィーナは殿を務めるだけのつもりはなかった。
隙が欲しい。こちらの行動を挟み込める、一部の隙が。
その隙を見つけるためにも、集中してこの男の攻撃を受け続けなければならない。まるでミキサーの中で斬り刻まれないように立ち続けるかのような行為だ。常識的には不可能な行為である。しかし、条理をねじ曲げ、不可能を可能にし、有り得ざるものを現出させるのが魔術師である。
息が早くなる、荒れる。
「おっと、お疲れかい? こっちはまだまだなんだからよぅ」
「当然、でしょう?」
刃魔とカードを打合せながら、二人は笑う。暁人は楽しそうに、セラフィーナは弱気を吹き飛ばさんとするように。
死の上で、二人は踊る。
「でもまぁ、もっと別のこともやって欲しいもんだね。流石に飽きてくるぜ、何とか生きてる時間を伸ばそうってだけってーのはよ!」
後ろ回し蹴り。
「そう思うなら、防ぎきれないほどの攻撃をしてきたらどうなの!」
両手のカードを交差して、蹴りを受ける。衝撃で大きく後ろに吹き飛び、床を靴で磨くかのようにブレーキを掛けて停止した。
「じゃあリクエストに答えてやるぜ!」
そう言うと、暁人は動きを止める。代わりに、右手には今までの短剣状の刃魔とは格の違う剣が形成されていた。それが除々に伸びていく――
――今ね。
「《グラディウス》! トリガーオープン!」
そう叫ぶと、セラフィーナは右手を前に伸ばした。
同時、三機並んでいるロボット。その内、剣と盾を装備した、灰色のラインの機体のツインアイが、ライトグリーンに発光した。
同時に、伸ばしたその右手が紫電を纏う。炸裂音を連続させ、爆発的な光量を生みながら、それは肩から腕、指先へと螺旋状に回転しながら疾走し――放たれる。
その姿は、まるで雷の龍。
暁人が顔を歪める。
「お前! 代演機の!」
言いながら、刃魔を自分の前に、刃の腹を前にして構える。そこに、雷の龍が激突する。
破砕。
「だったら、何?」
今度こそ、セラフィーナは不敵に笑う。そして左腕を伸ばす。そこに渦巻くのは、炎の奔流だ。
代演機――
それは、あの三機のロボットの事である。代演機は、無論ただのカカシではない。魔術師を操者として動く機動兵器。そしてそれ以上に、魔術師にとっては強力な魔法の杖であるのだ。
魔術とは、世界の法を部分的に歪め、改竄することで、魔術師の望む結果を引き出す行為である。世界という宇宙と、自分という小宇宙の間に類感を見出し、自分の体と同じように世界を操作する。そしてその操作の為に必要なのが、特定の呪文、仕草等なのだ。
代演機には電脳が搭載されており、そこには魔術に必要な呪文、動作などを数秘術によって数価変換したプログラム――共通化術式が搭載されている。魔術師がこれを起動することによって、本来必要な動作も、それを準備する手間も、覚える手間も不要で、無数の魔術を行使することが出来る。いわば、代演機の電脳をサーバーとした、クラウドによる魔術の行使である。
代演機の使用により、魔術師は行使可能な魔術と魔術を行使する速度が爆発的に増える。また、その制御による負担も軽減される。
代演機の操者であるセラフィーナは、暁人に隙を作り出させて、その間に代演機を起動させた。
その結果が、この雷撃と火炎である。
「もう一撃!」
左腕を殴るように突き出して、火炎の龍を前方に発射すると、セラフィーナは地を蹴って跳躍した。
その結果が生むのは、弾丸のような前方への突撃だ。身体強化魔術による、超身体能力が成しうる、超人的な突撃。
「このクソアマァ!」
火炎と電撃を受けてダメージを受けた長刀型の刃魔を、暁人は投擲する。空を駆けるそれは、しかしセラフィーナの肌に達する前に弾かれ、ひしゃげて横に飛んだ。強固にして展開の早い防護魔術がセラフィーナを覆っている。
セラフィーナと暁人の間合いは、極端に詰まった。暁人の引き攣った顔に手が届く。後方に重心がより、すぐには行動に移れないその体にも手が届く。だからセラフィーナは手を――拳を伸ばした。
「四人の――仇ィ!」
魔術によって強化された右拳は、少女の拙いモーションでも十分過ぎる破壊力を生む。拳の速度で風が裂け、悲鳴を上げる。その勢いのまま、暁人の腹に拳を突き立てた。
破城槌のような一撃。
「ぎ」
それを、暁人は歯を食いしばって耐える。
「形勢逆転、ね」
すぐに次の拳が出る。暁人の流れるような連撃とは違う、稚拙な連撃を無理やり高速化したような動きだ。
腕を、足を、頭を――殴り、吹き飛ばしては跳躍して追撃を加える。一撃毎に、拳に怒りが乗っていくのが、セラフィーナには分かった。
――こんな男に、皆、殺されたの?
そう思うと、更に熱が増していく。
魔術師である。世の理を捻じ曲げることを是とする人間である。己と世界を等しいと見る人間である。善なる人間なのかと問われれば、セラフィーナも首を捻る事がある。だが、それであんな死に方をしなければならないということにはならない。
「ルーカスの! オージの! セドリックの! エドワードの! 無念を! 思い知れ!」
そうやって、寝転がった暁人の顔に何度目かの拳を突き入れようとして、セラフィーナは動きを止めた。
「へは」
笑っていた。暁人は、ここに最初に入ってきた時と同じように、笑っていた。
「何が――おかしい」
「ふ、はは……なんていう漫画だったかなぁ、こんな感じの科白が有るんだよ。魔法使いはパーティーで一番クールじゃなきゃいけないってな」
「それが一体――」
「いい言葉だと思ってよ。そうだよな、魔術師は常に冷静じゃなきゃあいけない。全くもってその通りだぜ。座右の銘にしたいぐらいさ。それからしてみればよぉ――てめぇみたいに、怒りにかられて相手をぶん殴るだけなんてぇのは、三流なんだよな!」
そう言われて、セラフィーナは気付いた。
寝転がる暁人の手から、刃魔とは別の――肉で出来た植物の蔦のような、蛸や烏賊の触手のような魔種が伸びているのを。その先に有るのは――
「すまねぇ、嬢ちゃん」
セラフィーナはその声のする方、魔種が伸びている先を振り向く。
そこに有るのは、魔種の触腕で身体をぐるぐる巻きにされたゴードンの姿だった。
他の研究員は逃げ出した。しかしゴードンは逃げ出さなかった。逃げる素振りを見せなかった。暁人はそれを観察していた。だから利用した。
代演機をセラフィーナが使い、形勢逆転した時も、なんとかして逆転しようと考えていたのだろう。報復に血が上り、有利な状況に胡座をかいたセラフィーナを見て、暁人は死なない程度に防御を張りながら、魔種を密かに生み出していた。
「ゴードンさん……」
自分の頭が、過剰に冷えていくのをセラフィーナは実感していた。