紅い華が咲いた
火球が殆ど大破した《トランスアーム》へと肉薄する。そのまま《トランスアーム》を飲み込むかと思えた火球だったが。それはまるで蜘蛛の子を散らすように、火の粉となって消えた。
「さて、もうそろそろ良いんじゃないかしら? 投降してちょうだい」
《コレクティオ》をゆっくりと歩かせながら、セラフィーナは言う。
もういい筈だとセラフィーナは思う。魔術師としての実力も、運用している術式兵装の性能もセラフィーナが優越している事は明らかだ。これ以上やる必要はない。
いや、代演機――《コレクティオ》が出てきた時点で、それは分かっている。魔術師ならば誰でも分かっている筈の事だ。
そんなセラフィーナに向かって、仮面の魔術師は破損した《トランスアーム》から這いずり出ながら言う。
「シギルムの狗め……」
声は大人の女のものだった。魔術師はセラフィーナが哀れみすら覚えるほど、傷ついていた。血と汚れが、白い衣装を汚している。
「だから何よ」
セラフィーナの言を聞いた魔術師が鼻を鳴らす。
「だから、お前には、分からない」
「……どういう事よ」
苦しそうに、一音節ずつ区切るように言う魔術師の言葉は、嘲りに溢れていた。セラフィーナに対する、或いはシギルムに対する嘲りに。
――何が言いたいの?
分からなかった。何故、ここまで明確に敗北して、追い詰められているのに、そんな態度でそんな言葉を吐くのか。そして吐かれた言葉の意味も。
魔術師は笑った。
「分からないか、分からないだろうな。それがシギルムの、そしてお前の傲慢だ」
魔術師は愉快そうですらあった。いや、仮面の下は笑っているだろうと、セラフィーナは確信していた。
歪んだ笑みを想起させる笑い。歪んでいるのは笑みだけなのかと、セラフィーナは思う。
歪みがあるとしたら、何がそれを生んだというのか。
「お前達は強く、巨大だ。だから、分からない」
「だからそれはどういう――」
「弱いものの事だ、小さいものの事だ。お前達には、それらの事が分からない」
分かっている、分かっている筈だと思う。弱いものは、小さいものは、力なきものは守らなくてはならない。それが力あるものが為すべきことだ。
そう、セラフィーナは学んできた。そうあろうとするもの達を、そうであるもの達を、セラフィーナは愛してきた。
魔術師は続ける。
「お前達は強く、巨大だが、正しくはない。いや、お前達の正しさは強さと巨大さによって保証されていると言うべきか」
「どういう意味……?」
「弱いものはその考えが強いものと異なっていれば、そして対立していれば、強いものによって悪とされる」
「そんな事は……」
「ある、あるとも。それは世界の真理だと言ってもいい。ある意味で仕方ないことだともな。だが、その事にお前達はあまりに無自覚だ」
魔術師は糾弾する。その勢いに押されて、セラフィーナは何も言えなくなっていた。
「私達アペルトゥスは弱者だ。強者に踏み潰された弱者の群れだ。そんなものの事など、お前達は理解できないだろう? お前達は強く、正しいと思っている。私達が何をしようと問題無いと思っている」
確かに、シギルムはアペルトゥスの情報戦の面は兎も角として、魔術師の戦闘力には然程気を使っていない。
そして正しさについては――
――そう、かもしれない。
戦闘魔術師として新人であるセラフィーナはシギルム以外の魔術師をよく知らない。ただ、それでもシギルムの事を間違っているとは考えなかったし、シギルムに敵対するならそれは悪なのだろうと思っていた。
それは間違っているのだろうか――?
――いいえ、そんな事はないわ。
「それはそうかもしれないけれど、あなた達は間違っている。私は知ってるわ、アペルトゥスが何をしたのかを。あの男が奪った代演機で、やったことはあなたも知っている筈よ」
奪われた代演機――タイプ:プログレディエンス二番機。そして奪った魔術師であるあの男。あの男は、代演機を奪う過程で何人もの戦闘魔術師を殺し、代演機を使って甚大な被害を出した。
何を言おうと、あの男が間違っている事は間違いない。そして、あの男を肯定しているアペルトゥスという組織も。
「過激な手段に走らなくてはならないのは、それだけ私達が弱者だから。強ければこんな手段に頼らずともいいのに。そんな事も、強者には、シギルムには分からない」
「だからってあんな……!」
「そうやって弱者を制御しようとする。制御できると思っている。いや、出来ているわけだ」
シギルム自体がそういう組織であることを、セラフィーナは否定出来ない。魔術という技術を、それを使う魔術師を制御するための組織。そしてそれを為すために、強大な力を運用している。
「だが、お前達にも絶対に制御出来ないものがある」
そう言うと、魔術師は両腕を前に大きく翳した。
「何をするつもり!」
何らかの魔術が行使されようとしている事を、セラフィーナは理解した。直ぐ様、《コレクティオ》の術式兵装を起動させる。
――対抗魔術? いえ、防御の方が確実ね。
起動させたのは術式兵装・ストーリーサークル。防護魔術が機体に展開される。
そんな様子を無視しているかのように、魔術師は陶酔したように言葉を続ける。
「投降しろ? 巫山戯るなよ、狗が。そんなものまで、自分の自由に出来ると傲っているのか。自由になどさせるものか、魔術師の意思だけは自由にさせるものか!」
魔術が――行使される。
そして、セラフィーナは見た。
「えっ……?」
紅い華が開くのを。
魔術師と、魔術師が纏った装束が一瞬で火の球になり、燃え尽きて即座に焼失するまでを。
炎によって焼かれたのではない。まるで氷を湯に入れたかのようなそれは、物質の変性が魔術によって起こった証だった。
魔術師の肉体を構成する物質が、魔術師によって一瞬でプラズマへと変性した。その結果。肉体と装束が瞬間的に焼失することになったのだ。
人体発火現象とも呼ばれる怪奇現象を、自分の魔術によって起こしたのだ。
「えっ……」
そういった事は全て、セラフィーナにも理解出来ていた。しかし、セラフィーナはその言葉を放たずには居られなかった。
「何で……?」
魔術師の言うことは理解できる。いや、理解できる事もある。間違っていることも多くあるとセラフィーナは感じている。
だが、だがである。
「何で、死んじゃうの?」
声と、手が震える。
人が死ぬのは間違っていることだ。死んだ人間は絶対に戻ってこない。だから、人が死ぬのは間違っていることだ。
自分がしているのは、正しいことの筈だ。なのに何故人が死ななくてはならない?
「私、間違ってたの?」
あの魔術師が言ったことが正しかったのだろうか。自分が正しいと思ってやったことが、シギルムと自分がやったことが、あの魔術師にとっては、ただ奪い、支配するということ、そしてそれを維持するということでしかなかったのだろうか。
そんな事をするつもりは無かったのに。
「どう、して……?」
自分に向かって、セラフィーナは問いかける。
自分は正しいことがしたかっただけだ。誰かに死んで欲しかったわけではない。むしろ、人を守りたかった。
あの敵対した魔術師だって、可能な限りの便宜を図るつもりだった。
なのに、どうして。
魔術師の言葉を思い出す。
――弱いものはその考えが強いものと異なっていれば、そして対立していれば、強いものによって悪とされる。
――ある、あるとも。それは世界の真理だと言ってもいい。ある意味で仕方ないことだともな。だが、その事にお前達はあまりに無自覚だ。
そうだというならば――
強い事が悪なのだろうか。
弱い事が悪なのだろうか。
いや、善悪とはそんなものの外側に存在する概念の筈だ。なのに、どうして――
「どうして、こうなっちゃうの?」
セラフィーナは《コレクティオ》のセンサーで《トランスアーム》の残骸を見た。燃え滓すら残さず消えた魔術師の、最後の名残を見た。