戦鬼
オカルトとは秘されしものである。何故秘すのか? その理由は大きく二つある。
一つは、オカルト、魔術とは強力過ぎると言うことだ。個人が振るう力としては破滅的、場合によっては都市や国家の一つや二つ破壊しかねない。過去にそういう事態も起こっている。
二つは、オカルト、魔術とは非力過ぎると言うことだ。魔術で出来ることで、科学的に出来ないことはそれほど無い。故に魔術師は魔術の存在を隠し、一般人との情報格差を武器とする。そのやり方はある意味では、手品師と変わらない。
一人の魔術師が異界に立っていた。その魔術師はアペルトゥスの構成員である魔術師であり、ローブと仮面を纏うことでその姿を隠している。
その魔術師は、元々とある魔術結社の構成員だった。彼がかつて所属していた魔術結社は、シギルムによって潰された。
もっとも、潰されたとは言っても戦闘の末に人員事潰されたわけではない。
彼が所属していた魔術結社は、交渉によってシギルムの内に組み込まれたのだ。主に交渉を担当したのは、シギルムの十戒が一人、『錬金女帝』だった。
構成員がシギルムの中ではそれなりに良いポストに着く事を条件に、魔術結社が蓄えた技術、研究は全てが奪われた。その中には、当然の事ながらこの魔術師が行った研究も含まれていた。
魔術師はこの併合に反対した。自分が行っていた研究の価値と無価値を理解していたからだ。それなり以上に価値があり、しかしそれは公開されれば大したものではなくなってしまう。
自分の実力を、自分の研究を、魔術師は理解していた。
だから、秘しておきたかった。
その願いが叶えられなかったから、魔術師は魔術結社を去ることにした。
恐らく、魔術師の研究はさしたる価値を認められないだろう。あの『錬金女帝』が自分の研究を冷たい目で放り捨てる様が、魔術師には容易に想像出来た。
秘しておけば、そんな事にはならなかった。なのに、自分の全てを暴かれて、否定された。魔術師にとっては、そうとしか思えなかった。
だから、こう思ったのだ。皆そうなってしまえばいいのだと。全ての魔術師が、持ち合わせている全ての秘を公開されてしまえばいい。自分と同じ思いを味わえば良い。
自暴自棄でもあったが、その想いは真実でもあった。
アペルトゥスからの誘いは、渡りに船であった。魔術をシギルムから解き放つ。なんと素晴らしいことであろうか。
既に、アペルトゥスは成果を上げている。あの代演機同士の市街地戦、そしてその戦闘の動画。あれがこの世界に与えた影響は小さくない。魔術の存在が公開され、シギルムが崩壊するのも満更冗談ではなくなってきている。
アペルトゥスは勝利へと向かっている。全ての魔術師は秘すものを失い、その特別性を失う。魔術師は手品師と変わらぬものとなる。
アペルトゥスは巨大な勝利を得た。だから、今のこの行動もアペルトゥスの勝利へと繋がっている事は疑いようもない。
魔術師は、自らの隣に存在する巨大な機械を見上げた。
シギルムで作られた呪具――術式兵装とは異なる発想で作られた魔術兵装だ。この魔術兵装の思想が、魔術師は気に入っていた。
この思想によって作られているが故に、シギルムに、そして魔術師に対して大いに有効であり、致命的なダメージを与えることが出来る。
「ふむ、それが君達の道具かね」
急に響いてきた声の方向へと、魔術師は即座に頭を向けた。先までは、誰も居なかった筈だ。そもそも、ここは異界である筈。気軽に誰かが立ち入れるはずもない。じわりと汗が滲む。
視線を向けた先、五メートルほどの距離に立っているのは男だった。黒いロングコートと手袋を纏い、サングラスを着け、顎鬚を生やした壮年の男。
「やぁ、初めまして」
男の笑顔に対して、魔術師は即座の行動で返答する。
何者かを問う必要すらない。ここに居て、味方でないのならば間違いなく敵だ。あの代演機と、その操手である魔術師を救出に来た、シギルムの戦闘魔術師に違いない。
魔術師は袖から小石を複数取り出して、男に向かって投げつける。投げ付けられた小石には、刻印がある。ルーンを始めとした、魔術を行使する図形だ。刻印は一つの小石に一つではない。複数の魔術体系から選んだ様々な刻印が、複合して付けられているのだ。
刻まれた複数の刻印は、複合して新たなる意味を持つ刻印となる。魔術師が投げた小石の刻印が意味するのは、爆裂である。
高速で男の手前まで飛翔した小石が弾ける。ただの小石が、手榴弾であったかのように、噴煙と炸裂音を立てたのだ。それは、破裂した小石自体が礫となって敵に襲い掛かることにより、クレイモア地雷のような破壊力も持つ。
この礫による攻撃は魔術によって引き起こされているが、相手に与えるのは物理的な衝撃である。故に、魔術師にはそのダメージを避けづらい。魔術師は、基本的に魔術の腕、魔術による攻撃をこそ重要視するからだ。
しかし――
「ふむ、なるほど。悪くない。物理的な攻撃を主とすることで魔術師を倒すことを主眼に据えたわけだ。魔術師の中には、物理的な防護を魔術的防護に比べて軽視する物も多いからね」
噴煙が収まった後には、無傷の男が立っていた。ロングコートを、まるで闘牛士のマントのように前面に翻して、平然と涼やかな笑みを口元に浮かべている。
「ま、シギルムの戦闘魔術師にそこまでヌルいのは居ないかもしれないけどね」
「貴様……何故!」
「自分が使うものだからね。防弾加工ぐらい、一応追加でやっておくよ」
そう言って、男はまた笑い声をあげる。
この男は、不味い。そう魔術師は確信する。魔術師が持つ思想の外側からの攻撃を容易く防ぐこの男には、全力をもって当たる他無い。
「調子に乗っていられるのも、今のうちだけだ!」
魔術師が右手を振り上げる。これは起動の合図だ。
合図を受けて、巨大魔術兵装が起動する。全身が分割線に沿って大きく展開し、その姿を変形させる。完成したのは、四本の脚と二本の大型アームを持つ甲殻類のようなマシンだった。
これこそがこの魔術兵装――《トランスアーム》の真の姿なのだ。
変形は瞬時に終わり、《トランスアーム》は勢い良く跳躍した。
それに合わせて、男も跳躍する。《トランスアーム》には操縦席がある。操縦自体は機体の外からでも出来るが、中に乗り込めば《トランスアーム》の装甲を盾として用いることも出来る。
上空で魔術師は《トランスアーム》に乗り込んだ。同時に機体を制御して向きを変える。
狙いは、ここから魔術でどうにかすることではない。跳躍軌道の頂点に達した《トランスアーム》は、重力に引かれて落ちる。その先に居るのは、当然あのサングラスの男だ。
「潰してやる!」
「ほう」
男は吐息を漏らした。しかしそれは恐怖や絶望によるものではない。男の顔には笑顔が浮かんだままで、そこから判断するに、男は精々、興味深いもの、面白いものを見ることが出来た、という程度にしか考えていないようだ。
魔術師の頭に血が上る。
――ふざけやがって!
この男が何者かは知らないが、如何なシギルムの戦闘魔術師とて、《トランスアーム》は初見である筈だ。それがこのような攻撃を仕掛けているのに、緊張感すらろくに無いとは。
だが、そんな事もどうでもいい。
《トランスアーム》の超質量は、とても受け止められるものではない。男が何者だろうと蟾蜍のように潰れて死ぬ。
《トランスアーム》が、隕石のように男に向かって墜落していく。後数秒ほどで、この魔術兵装は男を押し潰し、地面と衝突して轟音を響かせる。
そうなる筈だった。
実際に鳴ったのは甲高い金属音。機体内部の魔術師が受ける振動も、地面に墜落したそれではなく、壁にぶつかったかのようなものだった。
「な、何故だ!」
冷や汗が垂れる。何が起こっている。何らかの魔術が行使されたとでもいうのか? いや、そんな様子はない。であるにも関わらず予想とはまるで違う事態が起こっている。これではまるで――
ぐらり、と機体が揺れた。いや、まるで下からジャッキか何かで持ち上げられているかのように、機体全体が後方へと斜めに倒れこんでいる。重力が奇妙な方向にかかっているのを全身で感じる。
「なんだ!? 何が起こっていると言うんだ!?」
周囲を確認しようとした、その時だった。
「やれやれ、どうやら君は良い生徒では無いようだな」
男の声とともに、魔術師の視界が回転した。
「か――」
《トランスアーム》は更に後方へと倒され、今度こそ轟音を鳴らした。先とは比較にならない衝撃が、魔術師の全身に襲いかかる。
そんな状態に陥りながらも、なんとかして魔術師は生き残っている外部センサーと自分の感覚をリンクさせた。機体を持ち上げるよりも、外部の状況を確認するほうが優先だ。
そして、魔術師は見た。
そこには、先ほどと殆ど変わらない姿の男が立っていた。違っているのは二点。伸ばした右手の手袋が破けていることと、サングラスが何処かへと飛んでいることだ。
「なんなんだお前は……」
魔術師の声は自然と波打っていた。
表に晒された男の体は、ただの人間ではありえないものだった。
露わになった男の右手は金属光沢を放っており、関節部からは機械が覗いていた。サングラスの下は片目が空。空の眼窩からは、機械的な接合部が見えていた。
何が起こったのか。魔術師は理解した。男を踏みつぶそうとした魔術兵装は、男の右手に受け止められて、そのまま投げ飛ばされたのだ。魔術ではなく、男の腕力で。
「シギルムの十戒が一人、『機人教授』サイモン・ディーヴァー。まぁ、俗にいうサイボーグさ」
男――サイモンはぺろりと舌を出した。