マギアレクス
「これって……」
階段を二、三段残して飛び降りたように。軽い足音をたてて、流れる白金色の髪を抑えながら着地したセラフィーナは、目の前に光景を見て、呟いた。
そこに有るのは、日本の市街地のような光景だ。但し、半透明のぶよりとした膜がドームのように覆っている街だが。反対側に目を向けると、一回り大きい同様の膜が同様の形で内側のドームを覆っている。その間である、セラフィーナが立っている場所は、見てみた限りでは内側のドーム内部と変わりないようだった。
「要するに、この異界はメロンパンと同じ構造なんだよ」
セラフィーナが声がした方に振り向くと、そこにはサイモンが音も立てずに降り立っていた。
「メロンパンって、あの菓子パンのメロンパンですか?」
「そう、あのメロンパン。あれ、形が似てるからメロンの名前付いてるだけで、果汁とか使ってないんだよね」
そんな事を、サイモンは自らの顎鬚を弄りながら言う。
「今は結構使ってるのありますよ」
「あ、そうなの。まぁそれはそれとして、だね。メロンパンっていうのはパン生地の上からクッキー生地を被せて焼成するんだ。二つの生地で焼き上がる温度が違うから、クッキー生地が焼き上がらなくてふにゃふにゃしてるわけだ」
「……それはつまり、この異界においては内側の膜がパン生地で、外側の膜がクッキー生地ということですね」
「そういう事だね。そうやって二重に異界を展開して、内側に黒神鷲介を捕らえた。異界は「二つ」あったッ! とでも言っておこうか」
「それが《グラディウス》を使っても異界から脱出出来ていない理由……」
「恐らくはそうだろうね。内側の異界を破壊しても、外側の異界が広がっている。だから、異界を破壊出来なかったと錯覚する。その隙にもう一度異界を作りなおす、と。その間の時間稼ぎは、アレに任せればいい」
そう言って、サイモンは内側の異界を指さした。その先には二機の代演機の姿があった。
ビルの谷間に浮かぶ黒い代演機。そして、それに向かって長剣を構える重装の代演機。その二機――特に黒い代演機を見て、セラフィーナは思わず目を丸くした。
「《マギアレクス》……」
セラフィーナが呟いたのは、彼女が知る代演機の名前だった。シギルムの十戒筆頭であり、彼女の師でもある魔術師、ジェイナス・ロスが駆る黒い代演機の名前だ。
《グラディウス》が見上げるように対峙している黒い代演機は、彼女が知る《マギアレクス》に瓜二つの外見をしていた。
「だが、《マギアレクス》がこんな所に有るわけがない。あれを動かせるのはジェイナスだけだ。それに――」
「《マギアレクス》が本気で《グラディウス》を倒すつもりなら、《グラディウス》は三分と保っていない」
サイモンの言葉を引き継ぐようにセラフィーナは言った。
代演機は、基本的には操手である魔術師の能力を拡張するものである。強力な術式兵装をいくら搭載していようと、それは変わることはない。魔術師の能力が高ければ高いほど、代演機の戦闘力もまた高くなる。
故に、最強の魔術師であるジェイナスが駆る代演機、《マギアレクス》は最強の代演機でもあるのだ。
その上で、《マギアレクス》の性能も非常に高い。得意魔術の合性によって有利不利が大きく変化するのが魔術師同士の、そして代演機同士の戦闘における基本であるが、ジェイナス・ロスと《マギアレクス》に関してはその基本が当てはまらない。それぐらい、《マギアレクス》は圧倒的だ。
鷲介やセラフィーナは勿論の事、同格である他の十戒でも、あの機体だけはどうしようもない。それぐらい実力差が開いてしまっている。
「本物の《マギアレクス》が相手なら、十戒の代演機が三機で相手をして何とか撃退させられる――かも知れない。それぐらいの性能になっちゃってるからね。自分で作っておいてなんだけど、あそこまで圧倒的になるとは思わなかったよ」
はは、とサイモンは軽く笑った後に続ける。
「さて、問題は彼をどうやってここから開放するかだ」
「方法は有るんですか」
問うたセラフィーナに向かって、サイモンはまた笑う。しかしサングラスは付けたままなので、セラフィーナからはサイモンが本当に笑っているのかは分からなかった。
「この異界がメロンパン構造になっている。そして今もそうあり続けている以上、何かが行われた筈だ。この、外側の異界でね」
「何かって、それは――」
異界の修復。内側の膜が、セラフィーナ達がやって来た時点で存在していた以上、恐らくそうであるはずだ。だとするならば。
「ここに魔術師が居て、異界を作りなおしたっていうことですか」
「君は中々良い生徒だね。と、いうことは私達がしなくてはいけないことは何かも分かるね?」
諭すように言うサイモンに、セラフィーナは勢い良く頷いた。魔術師が再構成を行っているのなら、それをどうにかしなくては異界は修復され続けてしまう事になる。ならば――
「魔術師を倒して異界を破壊する」
言葉が走って出ていこうとするのを、セラフィーナは理解する。方法が分かったのなら、直ぐにでも動き出したかった。鷲介を自分の手で助け出したかった。
セラフィーナのそんな様を見てか、サイモンは静かに笑った。
「焦ることはない。あの《マギアレクス》が本物じゃあない以上、《グラディウス》は早々簡単に落ちることはない。大事なのは、適切に動く事だ」
「適切に……」
適切。この場合の適切とはなんだろうかとセラフィーナは考える。兎に角、魔術師を早々に排除することではないのだろうか。
「私達がこの場に侵入してきた事は、向こうにも分かっている筈だ。侵入者なんて無い空間である以上、目立つのは仕方がないからね」
「なら尚更、早く行動を起こさないと!」
思わず食って掛かるような言葉を投げるセラフィーナの前で、サイモンは人差し指を振りながら舌を鳴らした。目上の人間なのは理解しているし、尊敬もしているのだが、流石にセラフィーナも苛立ちを覚えた。
「実は、相手の位置は把握しているんだ。先に出しておいた眼でね」
「……流石ですね」
「もっとも、捕捉しているのは一人だけ。敵が複数居る可能性も考慮しなくちゃあいけない。だから、私がそっちを潰しに行く間、反対側に行って索敵と陽動を行って欲しいんだ」
そう言って、サイモンは右側を指差した。
セラフィーナ達の推測通りの構造をしているならば、この外側に存在する異界は、ちょうど内側に穴が開いたドーナツや陸上競技のトラックに似た構造をしている事になる。右側を行くのならば、反時計回りでそのコースを進むことになる。
「私が反時計回りに回って――」
「私が時計回りに進みながら、敵を倒す」
そう言ったサイモンに向かって、セラフィーナは頷いてから問うた。
「それで私の方が敵と遭遇したら――」
「まぁ、そこは君に任せるよ」
「分かりました。私だって代演機を与えられた、シギルムの戦闘魔術師です。正しい判断は下せるつもりです」
そう答えながら、セラフィーナは敵と遭遇したら倒すことを決めていた。シギルムの戦闘魔術師が、早々逃げるわけにはいかないし、助けを呼んでいる間に鷲介がやられてしまう可能性だってある。
会敵が無ければ、一周して後ろからサイモンを援護すればいい。
適切な行動を迅速に取る。それが一番いいに決まっている。
「ならば、君自身とその言葉を信じよう。行き給え。私も直ぐに逆回りに行く」
「はい」
そう言うと、セラフィーナは地面を蹴って、ロングコートと長髪を翻して異界を走り出した。