忌わしき再開 二
フツヌシを構え、鷲介は黒い代演機を見上げる。あの時と姿は同じであるように見える。だが、同一の機体、存在であるわけがない。
――あの時の魔王と違う存在なら、倒せる筈だ……
そうは考えていても、どうしても手が震える。思い出したくないことを、無理やり穿り返されている感覚だ。
だが、戦う以外ない。戦わなくてはならない。どれだけ恐ろしくともだ。
鷲介は《グラディウス》を跳躍させ、同時にフツヌシで下段から斬り上げる。しかし、それはもう一度黒い代演機の手の内に収まった。斬撃と同時に発生した筈の斬断魔術も、やはり消失している。
同時に繰り出される、黒い代演機の鋭い前蹴り。《グラディウス》はそれを腹に受け、体勢を崩しながら後方に落ちていく。
「く……!」
無茶苦茶な体勢で、フツヌシを下方に振るう。すると、《グラディウス》の落下がまるでクッションに受け止められたかのように止まった。斬断魔術で、機体にかかる重力を斬ったのだ。
体勢を直し、《グラディウス》は水泳選手がターンするように中空を蹴り飛ばす。そしてそのまま、黒い代演機に斬りかかった。
斬断魔術を纏ったそれは、再度片手で受け止められる。しかし――
「パターンが変わらないな!」
フツヌシが掴まれるよりも早く、鷲介は《グラディウス》にフツヌシを手放させていた。そして自由になった右腕で、拳を作る。
鋭い拳打が黒い代演機の左腕関節部に突き刺さる。その一撃でパワーロ
ストか誤作動が発生したのか、黒い代演機がフツヌシを取り落とした。それがこぼれ落ちるよりも早く、《グラディウス》は右手を伸ばす。
「斬り裂けフツヌシ!」
鷲介の言葉に呼応して、空中に浮いたフツヌシが斬断魔術を行使する。それは触れたもの全てを削り斬る光の粒子として顕現し、黒い代演機の左手に襲い掛かった。まるで挽肉製造機に手を突っ込んだかのように、黒い代演機の手指が弾け飛ぶ。
吹き飛んだ左手からは、粘性のある墨汁のような、黒い液体が泡立って噴き出していた。その様を、黒い代演機は不思議なものでも見るように首を回して見ていた。
「よそ見をしている暇など与えない!」
《グラディウス》が斬断魔術を行使し続けるフツヌシを掴む。斬断魔術は《グラディウス》へも襲い掛かるが、《グラディウス》は自らの刃で滅びないための防護は十分にしてある。腕がぎちぎちと悲鳴を上げるが、無視して鷲介は黒い代演機へと剣撃をぶつけた。
狙うは胴体部。一刀両断して決着とする。
しかし、決着となるはずのその一撃は黒い代演機へと届かない。まるで泥を掘り進んでいたかのように斬撃の速度が急激に鈍り、停止してしまったからだ。
関節部に液体の鉛が流し込まれたかのように重くなっていき、じわじわと腕が下がっていく。いや、腕だけではない。機体が段々と泥沼に沈むように落とされていく。
重力制御魔術による影響だ、と鷲介は理解する。《グラディウス》に異常な重力をかけることで、行動を著しく制限しているのだ。
《グラディウス》の高度が下がり、同時に黒い代演機が距離を開ける。
「その程度なら何という事もないッ!」
地面に叩き付けられる以前に、重たい機体と剣を振り回して重力を斬断すると、《グラディウス》は即座に黒い代演機に向き直ってその姿を捕捉する。
黒い代演機は《グラディウス》に、掌を向けていた。その中には、ダンゴムシにも満たない大きさをした黒い球体があった。
黒い球体は、木材にヤスリを掛けるかのような奇妙な音を立てながらその場で回転している。それも、すりこぎ鉢に入れられた独楽のような、不規則極まりない回転運動だ。
「アレは……マイクロブラックホールか!」
極小のシュバルツシルト半径と極大の質量を持つ、異形の存在。真っ当な物理法則を超越した、大食らいの悪鬼である。
黒い代演機は魔術によって重力に干渉した。このマイクロブラックホールは、重力干渉魔術によって生み出されたものだろうと、鷲介は推測する。
掌が軽く押し出され、黒い代演機からマイクロブラックホールが撃ち出される。まるでシャボン玉のようなゆったりとした速度。しかし、そんな生易しいものではない。マイクロブラックホールが進行した空間は、いやその周辺全てが、蟻にすら満たないマイクロブラックホールに音を立てて吸い込まれていくのだ。それはまるで、黒い穴が腹を鳴らしているかのような音だ。
ビルの残骸が、残った死体が、空気が。全てが渦を巻いてマイクロブラックホールの中に引きずり込まれていく。
当然、《グラディウス》も例外ではない。
引き摺られる。いや、必死に踏ん張らなくては持ち上げられる。錬金物質で構成された代演機、それも重装型で相応の質量を持つ《グラディウス》がである。
もし持ち上げられてマイクロブラックホールにぶつかったら、どうなるか。
――よくは分からないが、ろくな事にはならない。
鷲介は歯を食い縛る。マイクロブラックホールの中に引き摺り込まれてティッシュペーパーよりも薄く引き伸ばされるのか、或いは事象の彼方だかなんだかに行くのか。結局、死ぬことには変わりないだろう。
――あの時は、あんな魔術による攻撃はなかった。
黒い代演機はマイクロブラックホールを射出した姿のまま、空中に浮いている。眼の前に居るものは、あの時遭遇した魔王とは別の存在だ。そうであるにも関わらず、どうしてもあの時の事を思い出してしまうその度に、敗北の予感――否、確信に肌が粟立つ。
何とかしなくてはならない。何とか――
――最後に頼るのは、結局お前か。
鷲介はちらりとフツヌシを見る。フツヌシは、そしてそれが生み出す荒れ狂う斬断魔術はマイクロブラックホールを斬断することが可能なのか。
やるしかない。マイクロブラックホールが生み出す超重力の影響下では、機動による回避は難しい。ならば――
鷲介はあえて《グラディウス》をマイクロブラックホールに向けて翔ばせた。マイクロブラックホールの吸引力と合わせて、爆発的な速度を《グラディウス》は得る。
「斬り裂けフツヌシ!」
弾丸の如き突撃の勢いを乗せ、機体右下から、斬断魔術を纏ったフツヌシの刃が跳ね上がる。ゆったりとした速度で直進するマイクロブラックホールをフツヌシの斬撃が捉えるのは容易い。
《グラディウス》に遅れるように着いてくるフツヌシを、腰の捻りを加えながら前に出す。
フツヌシの刀身がマイクロブラックホールを捉えると同時に、刀身の周辺に渦巻いていた斬断魔術が、姿を変えた。渦を巻いたまま五本が枝分かれするように伸び、マイクロブラックホールに食らいついたのだ。まるで竜巻で作られた牙のように。
フツヌシが斬断するのは、マイクロブラックホールそのものではない。マイクロブラックホールを構成している魔術である。食らいついた斬断魔術の牙は、その任を果たした。
魔術による制御を失ったマイクロブラックホールは、自らの重力に飲み込まれて瞬間的に消失する。
同時に、黒い代演機は右手の掌中に二発目のマイクロブラックホールを作り出していた。先のマイクロブラックホールが消えてから出現させたのは、マイクロブラックホール同士の干渉が起こらないようにするためだろうと鷲介は読んだ。
そう、読み通りだった。
時間は十分あったのに、二発目を発射しなかった時点で、同時に二発はマイクロブラックホールをコントロール出来ないことは読んでいた。そして、一発目が霧散すれば二発目を撃ってくるであろうことも。
読んでいたから、当然それを利用もする。
作り出されたマイクロブラックホールに向かって、《グラディウス》は飛ぶ。引き寄せられる勢いを得て、その速度は更に上がる。
「喰らえ――!」
先の斬撃の勢いをそのまま、機体を一回転。一回転分の加速が加わった斬撃が、銀孤を描いて黒い代演機の右腕に襲い掛かる。
その火炎にも等しい勢いに、黒い代演機はまるで恐れるかのように右腕を引こうとした。
だが――
――もう、遅い!
暴風の如き魔術を纏った斬撃が疾走し、黒い代演機の掌表面を掠める。僅かに表面が剥がれ、黒い泡が空中に舞う。人間なら皮一枚程度の傷。しかし、それだけあれば十分だ。
フツヌシに斬り裂かれた表面とマイクロブラックホールを中心として、黒い代演機の右手に亀裂が走り、更に周囲に不可視の剣が存在して斬りつけているかのような斬撃痕が生まれる。
フツヌシの斬断魔術が、伝播しているのだ。
「このまま斬り裂かれて消えろ!」
そしてそのまま、もう二度と姿を現すな。回転しながら、黒い代演機の後方へと斬り抜けて、鷲介は眼だけで後方を――黒い代演機を確認する。
伝播した斬撃は指を削ぎ、手首を辛うじて繋がっている程度まで切断しながら、右腕を昇っていく。それが肘まで到達するよりも早く、事は起きた。
上腕部の半ばから、果実が腐り落ちるように黒い液体を滴らせながら右腕がもげたのだ。
「本体に達する前に、自分で落としたのか」
地面を削り落としながら着地して、鷲介は吐き捨てる。
一撃必殺とはならなかったが、これで十分なダメージにはなった。このまま行けば勝てる。勝ててしまう。
背が粟立つ。高揚なのか恐怖と拒否感なのか。冷たくも熱いものを感じる。
しかし、その期待は裏切られる。
黒い代演機の傷口から、黒い液体が伸びる。伸びる液体は、人間の体へと形を変えた。
黒い液体が変形した人間の身体は、両腕を伸ばし、這うように進んでいた。まるで、蜘蛛の糸を辿って血の池地獄から抜け出ようとする亡者のように、複数の上半身が伸びる。伸びた上半身を押し退けるようにして別の上半身が伸びる。押し退けられた黒い人体は、黒い代演機の失われた右腕へと変化していった。
鷲介が斬り捨てた名も無き人間の群れで構成された黒い代演機が、名も無き人の群れによって再生していく。
嫌悪感が汗のように吹き出てくるのを、鷲介は実感していた。
あの、黒い代演機を倒すことは出来るのだろうか。何度斬りつけても、あの黒い代演機は名も無き人間達の力によって再生を続け、《グラディウス》に――鷲介に襲い掛かってくるのでは無いだろうか。
もしそうなのだとしたら――
いや、そうだとしても、闘うしか無い。恐怖に身を竦める事よりも、戦いに身を晒すほうが、まだ楽なのだから。例え、勝ち目などはなからないのだとしても。