忌わしき再開 一
鷲介の目の前には、跪くような姿勢をとった鋼の巨人――《グラディウス》の姿があった。主に跪く巨人の騎士、誰かが横から見ていたらそんな風に見えるかもしれない。
全てを破壊し、突破する力。魔術師が持ちうる最強の力。
凶悪さすら感じるそれを、鷲介は兎角頼もしく思った。
「行くぞ、《グラディウス》!」
そう意気込むと、鷲介は跳躍して《グラディウス》のコクピットに乗り込んだ。即座に機体とリンクして、《グラディウス》を立ち上がらせる。
《グラディウス》の目から見ると、この異界の歪さがよく分かる。異界は相当の広さを持ったドーム型。まるでプラネタリウムのようでも有る。
「随分といい加減な構成だな」
幽霊の正体見たり枯れ尾花、と言った所か。こんなものに苦戦させられていたとなると、腹立たしく思えてくる。
「術式兵装・霊剣フツヌシ――抜刀!」
怒りに任せて、左腕部の盾にマウントされた、両刃剣型の術式兵装、霊剣フツヌシを抜き撃った。その瞬間、斬断魔術が行使され、無差別に猛威を振るう。異界の大地が、ビルが、そして防護魔術越しに《グラディウス》の装甲が、獣が爪立てたかのような傷を付けられる。
フツヌシの斬断魔術が操手である鷲介の意思と無関係に行使され、漏れでたそれが周囲を斬り裂いているのだ。まるで狂犬のように。
「あの時とは違うのか……!?」
まるで個体になった竜巻ででも有るかのように。勝手に何処かへ飛んでいきそうになるフツヌシを両手で無理やり抑えつけながら、鷲介はそう言う。
《ルベル》に乗った暁人との市街戦では、フツヌシが放つ斬断魔術は比較的安定していた。あの時のフツヌシは斬るべきを斬り、斬らざるを斬らぬ、正しく剣であった。
それが何に由来するかは分からない。しかし、今とあの時で何かが異なってしまっているのは事実だ。
「知ったことか……ッ!」
防護魔術を砕かれながら、鷲介は《グラディウス》にフツヌシを大上段で構えさせる。
フツヌシが不調だろうと、斬断魔術を行使する事に問題はない。いやむしろ、魔術の威力という点から見れば、この力が漏れ出ているような状況は好ましくすらある。
フツヌシを振り上げたまま、鷲介は斬断魔術を更に増幅させる。フツヌシの周囲に、魔術が竜巻のように渦を巻く。
「斬られて、消えろ!」
《グラディウス》が左脚で踏み込み、フツヌシを振り下ろす。稲妻のような速度で振り下ろされたフツヌシは、大地を抉りながら斬断魔術を炸裂させる。
硬質な何かが割れたような、破砕音が響いた。
抉られた大地を中心として、四方八方へと蜘蛛の巣状に世界が――異界のひび割れが広がっていった。フツヌシが放つ斬断魔術は、あらゆるものを斬断する。例えそれが、魔術そのものであったとしても。
広がったひび割れはそこから裂けるように大きくなり、そこからは暗幕が取り除かれたかのように光が漏れ出している。
――これで終わりだな。
これで異界は全て斬断され、光の粒子となって消える。無駄に苦戦こそさせられたものの、終わりは終わりだ。
「乗り切ってやったぞ、スクルータ」
散々、嫌なものも恐ろしいものも見せられた。いや、認識させられた。だが、それももう終わりだ。
お前の言うことが正しいのは認める。自分が恐れているものも認める。だが、お前には屈しない。
――むしろ、逆だ。お前は倒さなくてはならない。それしかない。
これほどまで、人の精神をささくれ立たせてくれたのだ。その怒りは、そのままぶつけさせてもらおう。
魔術結社アペルトゥス。そしてその首魁スクルータ・ペルソナ。どちらも、自分の敵だ。
――両断してやる、この異界と変りなく――!
罅割れが加速し、異界の全てが光の粒子に包まれ、それら全てが舞い上がっていく。まるで、雪が逆しまに降っているかのように。
それらが溶けるように消えた後、鷲介の眼の前に広がっていた光景は――
「あり得ない……」
何も変わっていなかった。光の粒子となって消えたはずの異界は、ドームの中に存在する街という、元と同じ姿を取り戻していた。
フツヌシが生む斬断魔術の出力なら、この程度の異界は破壊できるはずだ。現に、斬断魔術による罅割れは異界を確実に蝕んでいた。
であるにも関わらず、今鷲介が見ている異界は斬断魔術が行使される前と、寸分狂わず変わっていないのだ。
冷や汗が一筋。
代演機を――《グラディウス》を出せば、力尽くで何とか出来る。鷲介は心の中でそう考えていた。だが、現実はこれだ。
「だが!」
鷲介は《グラディウス》にもう一度フツヌシを振りかぶらせる。その剣先から、斬断魔術が迸り、再度渦を巻く。
――もう一度やるしか無い。
今の鷲介に、他に取れる方策はない。その事を思うと、鷲介の額から再び冷や汗が流れた。もうどうしようもないのかもしれない。そう思う心を無理矢理に鞭打ち、萎えそうになる膝を保つ。
出力が足りなかっただけかもしれない。もう一度の斬断で、この異界を破壊しきれるかもしれない。
幻想であろうと認識しつつ、幻想を杖とせねば戦えない。
――だがまだ立っている。戦えないわけではない!
「今度こそ、叩き斬る……」
そうして再度フツヌシを振り下ろそうとして、鷲介は気付いた。何かが蠢いていると。
《グラディウス》の背後、感覚器の端で、それは蝿が飛ぶような微かな、それでいて人間を確実に苛立たせる反応を示していた。
その反応を無視してフツヌシを振り下ろす事は容易い。しかし。
――なんなんだ、この感覚は。
何かがそれを許さない。これをそのままにしておいてはならないという、危機感や不安感がある。まるでそこにスズメバチが飛んでいるかのように。注意を払わなければならないと、本能のような何かが自分に言っている。
フツヌシを振り上げた姿勢のまま、鷲介は《グラディウス》の頭部を僅かに後方へと回した。
視線の先で蠢いているものを、鷲介は今度こそ確認し、言葉を失った。
そこで蠢いていたのは、先に鷲介が斬り捨てた人間――その形をした異界の、骸だった。それらはタールのようにどろりと粘性のある黒い何かへと変質しながら、アメーバのように流動している。
それらは流動しながら一箇所に集まり、そこでもまた蠢いていた。人の群れが集まって何かの形を取ろうとする、歪んだマスゲーム。鷲介はそんな事を思う。
肌が粟立つ。
直ぐ様、《グラディウス》の左脚を大きく外に踏み出し、腰を捻ってバットスイングのようにフツヌシを横薙ぎに振った。
――これは、斬らなくてはいけない。斬らなくては――
ビルを薙ぎ払い、コンクリートを周囲に撒き散らしながらフツヌシの剣先がコールタールの塊のような死体に迫る。
剣先が到達する寸前。黒い塊から、何かが突き出てきた。突き出してきたそれは、フツヌシの剣先を平然と掴んだ。
「な……!」
鷲介は息を呑んだ。
黒い塊から出てきたのは、甲冑のように硬質な腕だった。その腕がフツヌシをがっしりと掴んでいる。
鷲介はその腕に見覚えがあった。忘れようとて、忘れようがない存在だった。かつて、自分を打ちのめした存在。あの、黒い代演機。その左腕だ。
フツヌシを掴んだまま、腕は黒い塊から、まるで水面をわって何かが出てくるように這い出てくる。
腕。肩。胴。頭――
悪魔のような、竜のような、甲冑のような姿をしたそれは、間違いなく鷲介を打ちのめした黒い代演機だった。
「フツヌシ! 奴を斬れ!」
鷲介が絶叫すると、フツヌシからは斬断魔術が迸り、刀身を掴んだ左腕に向かっていく。
――消えろ! 私の前から消えて無くなれ!
しかし、鷲介のその願いは届かない。斬断魔術は黒い代演機の左腕に届く寸前、紐が解けるように霧散した。
「くっ……!」
鷲介が思い出すのは、炎の槍が霧散する光景だ。あの時と同じ、魔術の解体が行われたのだ。
全身を表した黒い代演機は、フツヌシを放り投げるとふわりと空中に浮いて、《グラディウス》を見下ろすような高さで静止した。
あの時と同じように。