屍の山を越え血の河を渡る 三
鷲介が走って行く先には、武器を持った人間が居た。
今度のそれらは、鷲介を取り囲んで襲って来る。囲んで、殴るかのように。それらの中心地点に、鷲介は走り込んだ。
「――!」
鷲介の喉から、音が鳴った。悲鳴とも絶叫とも咆哮とも、鷲介自身にも判断が付かない、ただの単なる音が。
術式兵装が形成した魔剣が肥大化する。長剣や大太刀を超えて、もはや馬鹿げた長さの黒いラインとなる。
空間を埋め尽くすようにやってきた人間の群れに対して、鷲介は声を上げながら、魔剣を振り回した。
振るわれた魔剣は、剣筋以上に荒れ狂った。それは、鷲介を中心として、直巻数メートルの黒い竜巻が生まれたかのような有様だ。そしてその竜巻に触れたものや渦中に居たものは、ミキサーの中に入れられた野菜のように撹拌される。
鷲介の周囲で、無数の人体が裂け、同数の血華が咲く。まるでバラ園の内側に居るようだ。
「ッ!」
鷲介が息を吐ききると同時に、黒い竜巻が止む。辺りには、元が何だったのかを認識することすら困難な形状になった肉の塊と、血の水溜りだけがあった。
荒い息を吐きながら、鷲介は膝を着いた。
――なんとも思わないのか。
セラフィーナを、セラフィーナの姿をしたものを叩き斬った時と比べると、鷲介の精神には全く波風が立たなかった。
これは確認でもあった。セラフィーナを斬る前と、斬った後で、何かが変わるのかという。何も変わりはしなかった。
魔種だから、異界の産物だからと割り切れるわけではないのは、セラフィーナを斬った時の事から分かっている。しかし、それ以外の人間は斬っても何も思うことはなかった。
むしろ、爽快感すら覚えていた。ただ、敵を圧倒的な力の差で捻じ伏せる快感。
だが、自分以外の人間はどうなのだろうか、と鷲介は考える。普通は、人間の形をしているというだけで、斬り殺すことを躊躇ってしまうのではないだろうか。
――セラフィーナを前にした、自分のように。
敵が周りに居ないからか、ついついそんな事を考えてしまう。もしかしたら、この襲撃の間すらも、スクルータの策略なのかもしれない。襲撃を止めることによって、考える時間を与えさせるという策。
――あの時、現れたのが誰だったら、私は斬れたんだ? 或いは斬れなかったんだ?
例えば、セラフィーナ以上に付き合いの長い有羅ならば、斬れなかっただろうか。クラスメイトである、紅音や文仁であったならば、どうだっただろうか。
――結局同じだったんじゃないか。
セラフィーナの時と同じように、最初は躊躇うが、実際に攻撃を受ければ攻撃を返す。そうなるのではないか。鷲介にはそう思える。
顔見知りを斬るのは平気ではないが、見知らぬ人間ならば敵だと割りきって斬れる。いやむしろ、鷲介は敵としての関係を歓迎してすら居た。
普通の人間はどうなのだろう。そう考えると、鷲介にはまた別の怖気が走った。普通の人間は、いくら敵意を向けられた相手だとしても、殺害するのには躊躇する。敵意を向けられた相手を嬉々として斬殺するのは、おかしい。
――そんな事だから、そんな風に歪んでいるから。
へたり込んで、両腕の震えを止めようと自分の身体を抱く。恐ろしい、何もかもが恐ろしくてたまらない。
自分が周りの人間とは違い過ぎている事が恐ろしい。
自分を取り巻く何もかもが恐ろしい。
それでもこんな場所に居るしか無いのが恐ろしい。
いっそ、敵が現れでもすればまだ救われる。何も起こらない静寂もまた、恐ろしかった。
周りが恐ろしくて仕方ない癖に、周りから受け入れられないことも恐ろしい。そんな矛盾を、突きつけられたような気にさせられる。
――この矛盾を解消する方法が、スクルータの言う破壊なのか。
鷲介はそう考える。
なるほど、確かにそうだ。存在も、受け入れられないことも、破壊してしまえば関係がない。
破壊して、自由になる。鳥籠を壊して鳥が羽撃くように、足枷を引き千切って囚人が逃げるように。自由になる。自由になれと、スクルータは言っている。
スクルータがこの場に居ないにも関わらず、最初の説得以上に、その声がはっきりと、そして甘露に聞こえる。
その甘さが、憎たらしく感じた。スクルータの言うことは正しいのだろう。だから何だ。そのやり方が、その考えが気に喰わないことには変わりが無いのだ。
その結果、例え痛みを覚えることになったとしても構わない。
「お前の思うようになんて、してやらない」
お前の望みどおりに、破壊してやる。ただし、お前の望み通りのものは破壊してやらない。
鷲介は立ち上がる。震えが止まったわけではない。しかし、ふつふつと湧き上がる怒りでそれを塗り込める。失敗した油絵に、上から絵の具を塗るように。重油のようにベタつく怒りを燃やす。
「《グラディウス》――トリガーオープン!」
鷲介の声と同時に、その頭上に大規模な空間の歪みが生まれた。陽炎のような、波紋が消えない水面のようなそれの向う側にあるのは、巨大な金属の脚部だ。それは少しずつこちら側にやってきており、やがて界面を超えてこの異界に現出する。その姿は、鷲介の代演機――《グラディウス》のものだった。
「来い、《グラディウス》!」
《グラディウス》の持つ術式兵装・フツヌシならば、異界を斬断出来る。それで、異界を破壊する。また《グラディウス》の姿を世に晒すことになるかもしれないが、構うものか。ここから脱出するほうが先決だ。
大地を震わせながら、《グラディウス》が着地する。鷲介は魔術で身体能力を強化して、跳躍した。人ならざる高さの跳躍で目指すのは、グラディウスのコクピットである。
「行くぞ、《グラディウス》!」
頬に熱いものを伝わせながら、鷲介は咆哮する。
――私を、助けてくれ。