表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
邪宗の機神、月に吠える  作者: 下降現状
Ep2 恐怖 -Metus-
37/80

屍の山を越え血の河を渡る 一

 背中に強い衝撃を受けて、鷲介は息を吐き出した。どうやら、異界の再構成が終わったようだ。背にざらつく壁面の感触が有る。その壁面に向かって押し付けられていることから、鷲介はそれが壁面ではなく床なのだと理解した。


 ここに、堕とされたのだ。スクルータによって。


 痛みを堪えながら、鷲介はなんとか頭を押さえつつ、上体を起こす。打ち付けられた背中よりも、頭のほうが痛かった。


 まずは、状況を確認しなければならない。今はまだ、鷲介はスクルータの手の内にあるのだから。そう考えて、鷲介は目を開いた。


「何だ、ここは……」


 呆然として、鷲介は周囲を見回した。


 そこは荒野でも草原でもなかった。


 足音と人の声が喧騒を作り出し、流れを持った人の波が畝って居る。ざらつく床面はアスファルトで、周囲に立ち並ぶのは灰色のビル群。


 鷲介が堕ちて来たのは、スクランブル交差点の真ん中だった。鷲介は即座に立ち上がり、人の流れに紛れ込む。


 人の流れに乗りながら、鷲介は思考を回す。


 ここが異界だと言うのならば、どうにかして脱出する方法を見つけなければならない。最悪、代演機――《グラディウス》をこの場に喚んで、異界を両断してでもだ。


 そんな事をすれば、再び一般人の目の前に代演機の姿を晒すことになりかねない。それこそが、スクルータの狙いである可能性も捨てきれない。


 ――それをするのは、最悪の場合だけだ。まず、自らの力で異界を脱出する。今出来るのはそれしか無い。


 そう鷲介が考えた時だった。


 鷲介は自らの背中に、どろどろに溶けるほど熱された鉄が作り出される――いや、刺さるのを感じた。その熱は身体を伝播する事無く、ぐつぐつと煮こむように強くなる。


 足を止めて首だけで後ろを向く。


 そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。二十代半ばと見え、通勤途中なのかスーツを着ている。右手には鞄を持っており、左手は空。ただし、その左手には真っ赤な飛沫――返り血が飛んでいた。その表情は茫洋として窺い知れない。


 鷲介は熱さの元である背中へと即座に手を伸ばした。ぶつかった固い何かを握り、自分の体から引き抜く。打ち水のような音とともに、激痛が襲ってきた。


「が……」


 鷲介は両手を前に回す。そこにあるのは血塗れの包丁であり、それを握る鷲介の手もまた、血で真っ赤に染まっていた。


 ――落ち着け!


 脂汗と寒気と吐き気を撒き散らしながら、なんとか意識を保つ。膝を着きそうになるのを堪える。落ち着くのだ。魔術師はこの程度では死なない。死ぬほど痛かろうが、常人なら三度死ぬ負傷だろうが、死なない。魔術を行使して、傷を塞ぐのだ。


 そうしながら、鷲介は一旦目を離した、自分を刺した女を探す。女は直ぐに見つかった。まるで何事も無かったかのように、血に濡れた手を晒したまま鷲介の前方を歩いている。それが当然だとでも言うかのように。


 ――ふざけるんじゃない!


 苦痛を燃料として、場違いな怒りが鷲介のうちで燃え上がる。人を刺すというのは、もっと気を張って為されるべきだ。自動改札機に定期を翳すような流れ作業でやるものではない。


 荒ぶる息を無理やり整える。傷は完全に塞がったわけではないが、動けないという程でもない。


 あの女が敵なのか。こうやって、人混みに紛れた刺客で襲ってくるというのが、あの男の策略なのか。


 ――どっちにしろ、あの女を追うしか無い。


 そう考えて、鷲介が一歩踏み込もうとした時だった。全てが止まったのは。


 まるで空間が凍結させられたのではないかというほどに。人の流れも音も、全てがぴたりと、いっそ機械的なまでに止まった。


 何が起こったのか理解しかねて、鷲介も動きを止める。すると、周囲の人間がくるりと向きを変えた。鷲介へと向き直る方向へと。


 皆が、鷲介を見ている。感情も興味もない目で、歯医者の待合室でアクアリウムを眺めているような目で見ている。無数の目が鷲介を見ている。


 怖気が走る。ここはまるで怪物の胃の中ではないか。


「なんだ、なんなんだ」


 なんで、そんな目で見てくるんだ。鷲介の皮膚が粟立つ。視線が、衣のように鷲介に絡んでくる。


「そんな目で見るな……」


 引き攣れたような情けない声を出しながら鷲介は後ずさる。


 そんなに興味もなさそうな目を向けるなら、見ないでもいいだろう。なんで私を見てくるんだ。やめてくれ。やめてくれ。


 ――俺はそっち側には入れてくれないっていうのか。


 鷲介を囲む者達は、誰も身動き一つしなかった。そんな事実もまた、鷲介を震えさせた。鷲介は知っている。この感情の名を知っている。


 ――怖いんだ。怖くて怖くて堪らないんだ。


 膝が己のことを嘲笑っている。そのまま膝を着いてしまいたくなる。泣き出してしまいたくなる。


 こんなことがスクルータの狙いなのだとしたら、あまりに嫌がらせが過ぎる。


 静寂は容易く破られた。鷲介を取り囲む皆の一人が、手荷物を弄る。そうすると、他の皆もその動きに続いた。あるものは上着の内ポケットを、あるものはジーンズの後ろポケットを。それぞれがそこから何かを取り出そうとしている。


 取り囲む者達が皆、一斉に手を出す。そこに握られているのは、皆刃物だった。包丁、ノコギリ、カッターナイフと差はあれど、日常生活で使われる刃物ばかりだ。


 それらを光らせながら、鷲介を囲む者達はその環を狭めてきた。砂糖が溶けるように、包囲網が狭まる。


 にじり寄ってくるそれらを見て、鷲介は――安心していた。


 こいつらが手に持っているのは、凶器だ。こいつらは、自分を害そうとして手に凶器を持っている。つまり、こいつらは自分の敵なのだ。


 敵なら、分かりやすい。どういう方法を持って相対すれば良いのかなど、誰に聞かずとも知っている。分かっている相手の方が、いくらか相手をするのは心地良い。


 ――ああ、こっちの方が、ずっと楽だ。気を使う必要も無い。


 自分が鮫のような笑みを浮べている事を自覚しながら、鷲介は剣型術式兵装を抜いた。もう、身体のどこも震えてなど居ない。仮に震えるとしても、それは今までとは意味が違う。


「来ないのか?」


 鷲介のその声に反応してか、一番手前に居た男が包丁を振り上げて飛び込んでくる。


 しかし、その包丁が鷲介に突き立てられることはなかった。男の腕から先は切断され、シャワーのように血を吹き出していたからだ。男はそのまま倒れ込み、鷲介を囲む者達にぶつかって、弾かれた。


「その程度なら、殴り掛かる意味が無い」


 男の手首から吹き出る返り血を僅かに浴びながら、鷲介は剣型術式兵装を構えた。そこには既に魔剣の黒い刃が形成されていた。魔剣を振るい、鷲介は男の手首を切り飛ばしたのだった。


 弾き飛ばされた手首と包丁が地に落ちて、野菜のように転がる。


 それを合図とするかのように、鷲介を囲む人間達が揃って鷲介に襲いかかって来た。表情を変えること無く、刃物を持った片手を掲げて。まるで蟻の行進のように規則正しく駆け寄ってくる。


 彼等は薄気味悪くは有るが、同時に敵として心地よくもある。鷲介はもう一本の剣型術式兵装も抜き、魔剣を形成。近くに来た女に向かって振るった。


 実体を持たない魔剣は鞭のようにしなり、女の首を刎ね飛ばした。女が倒れるよりも早く、鷲介は魔剣を振り回しながら前方に走りだす。


 鷲介が手を振るう度に、人体の部位がはじけ飛び、血華が咲き乱れる。魔剣の刀身は物理的な制約が存在しない。自在に伸び、うねり、まるで独自の意思を持つ生命体のように鷲介の敵を切り裂いた。


 死体と血で道を作り、その生暖かさと柔らかさを踏みつけにし、踏みつけにした物を撒き散らしながら、鷲介は駆け抜けた。


 刃物の一つも、鷲介に届くことはなかった。両手の魔剣で対応しきれない敵は蹴り飛ばして、飛ばされた先でぶつかった相手諸共に真二つにした。敵の動きはあまりにも緩慢で脆弱。鷲介を止めるにはあまりにも足りなすぎる。


 無数に切り伏せられて尚、悲鳴は上がらなかった。


 ただ、死体と血だけが、鷲介の行く先に作り出された。赤い河を鷲介は走った。鷲介の表情もまた変化しなかった。鮫のような笑いで、鮫ですら避ける程の殺戮を繰り広げ続けていた。


 敵は敵だから、倒してもいい。殺してもいいのだ。噴き出す血と、そんな単純な関係性に、鷲介は酔った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ