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邪宗の機神、月に吠える  作者: 下降現状
Ep2 恐怖 -Metus-
30/80

黒衣

 ジェイナス・ロスは自らの机から、目の前の少年を複雑な心情で見つめた。


 以前に会ったのは、五年前。あの地獄のような光景の中以来ということになる。それ以降も、会う機会はあった。この少年が――黒神鷲介が、自分の友人である内藤有羅の元に居ることは、当然知っていた。だが、会いに行く事は無かった。一体、どんな顔をしてこの少年の元へ行けば良かったというのだ――?


 あの時自分がしたことは間違っていない。しかし、正しさが救いになるとは限らない。鷲介は、同世代の少年に比べて暗い目をしているようにジェイナスには見えた。


 それも当然だ。彼はあの年で見るべきではないものを見てきている。その原因が自分である事に、思うところがないわけではない。


 だからと言って、謝罪するわけにもいかない。誤りを認めて、それで救われる場面もあるかもしれないが、そんな状況ははっきり言って少ない。結局、そのままであることしか出来ない。


 彼は何故、ここに来てしまったのだろう、とジェイナスは考える。


 内藤有羅から、何度か少年の様子を聞いていた。引き取られた当初は消え入りそうなほど意気消沈していたが、学校に通うようになってからは少しずつ回復してきているとのことだった。


 最早戻らないひび割れを精神に抱えていても、今後魔術に関わることが無ければ、俗人として生きていけた筈だ。


 そんな鷲介の元に、かの代演機――《グラディウス》が跳んでいったのは――


 ――運命だとでも言うのか?


 ジェイナスの脳裏に浮かぶのは、嘯く有羅の姿だった。


 何はともあれ、彼がここに来た目的を果たさせてやらねばならないだろう。


 ジェイナスは、机の上に置いてあるもの――黒いロングコートを手に取った。シギルムの戦闘魔術師である証、現代の魔術師が纏うマントである。


 これを求めて鷲介がシギルムにやって来るなどと、ジェイナスは予想もしなかった。手に取ったは良いものの、これを渡して良いものかと逡巡する。


 シギルムとしては、何も問題はない。鷲介は代演機を扱ってみせたし、この年代にしては、頭抜けているとまでは言えないが優秀な魔術師だ。戦闘魔術師としては、申し分ない。アペルトゥスという敵が現れた今、戦闘魔術師の頭数は必要だ。


 だが、ジェイナス個人としては、鷲介に戦闘魔術師になってほしくはなかった。そんなものは身勝手な感傷に過ぎないが、捨て去るには難儀なものだった。


 鷲介を見ていると、どうしても同じ年頃の弟子――セラフィーナについて考えてしまう。あの、哀れな少女のことを。


 ――いや、今は考えまい。


 首を振って、椅子から立ち上がり、少年の前へと歩いて行く。


 ジェイナスが足を止めると、鷲介は視線を上げた。表情を変えること無く、身長が大分高いジェイナスの眼を、真っ直ぐと見てくる。


 暗い目は、だが死んでいるというわけではなかった。むしろ、仄暗いまま、異様な熱を持っているようにも見える。


 ジェイナスは痛みを覚えた。この少年は魔術師であることを辞めることが出来なかったのだ。むしろ、魔術師としての有り様はジェイナスがかつて対峙したよりも明確になっている。


 強固な自我こそが、魔術師としての能力には不可欠である。まだまだ先があるのは確かだが、十分であるとジェイナスには見えた。


 信頼でも確信でもなく、諦観がジェイナスの口を開かせた。


「覚悟は有るか」


「有るさ」


 ジェイナスは、さらりとそう言った鷲介を観察する。そして、その腕が小さく震えていることに気付いた。


 ジェイナスの事を恐れているのだろう。そうなるのも無理は無い。だが、その恐怖を押し潰してでも、鷲介はここに来たのだ。


「ならば、これを受け取るがいい」


 黒いロングコートを、ジェイナスは鷲介の前に出した。受け取ろうとする鷲介の腕は、吹雪の中に立っているかのように震えている。自分でもそれに気付いたのか、視線を腕に向けて表情を歪めた。


 しかし、鷲介は直ぐに視線を戻してロングコートを受け取った。歯を食いしばり、己の震えを噛み殺しながら。


「術式兵装も渡しておく」


 ジェイナスが指を鳴らすと、鷲介が受け取ったロングコートの上に、十本の棒――刀剣の柄が現れる。刀身の無い剣の柄は小さく、刀剣のものと言うよりも大きめのナイフ程度の大きさだ。


「……これは」


「シギルムが製造した、魔剣を形成するタイプの術式兵装だ。君が刀印から魔剣を出して使ったと聞いて、用意させた。数打ちだが、性能は保証しよう」


 ジェイナスはもう一度指を鳴らす。すると、十本の柄は全て二人の前から姿を消した。


「これで、術式兵装はロングコート内に装填された。後は好きに使うといい」


 答えを返さず、鷲介はロングコートに袖を通した。やや大きめなサイズだったロングコートは、鷲介が両袖を通した瞬間にその大きさを変えた。まるで蛇が絡み付くように収縮し、ロングコートは鷲介の身体にあったサイズに変形したのだ。


 戦闘魔術師の証であるロングコートは、初めて袖を通した者の専用着となる。


 ロングコートの変形が終わると、鷲介はロングコートを翻らせてジェイナスに背を向ける。そのまま、鷲介は執務室を出て行った。


 鷲介が部屋を出るのを見届けると、ジェイナスは椅子に静かに腰を下ろして、溜息を一つ吐いた。


 巻き込まれて戦った鷲介は、戦い続けるためにジェイナスの元にやって来た。


 恐らく、この世界で最も会いたくない人間であろうジェイナスの元に。


 当たり前だ。鷲介でなくとも、自分の故郷とも呼べる場所、自分の家族と呼べる人間達を、尽く破壊した人間など、憎たらしいだけだろう。


 そして同様に、恐ろしくも有るだろう。


 そんな人間の前に行ってでも、魔術師として戦わねばならない理由は――


 ――セラフィーナだろうか。


 ジェイナスの弟子であるセラフィーナ・ディクスンは、頭抜けている魔術師の一人と言うことが出来るだろう。


 しかし、彼女は戦闘魔術師向きとは言えないとジェイナスは考えている。戦闘に対する勘とでも言うべきものや、センスが欠けている。研究関連の方が、セラフィーナは間違いなく成果を残すことが出来るだろう。


 だが、セラフィーナは戦闘魔術師となることを選んだ。ジェイナスはセラフィーナを止めなかったが、同時にセラフィーナが躓くことも予感していた。


 ――出来るならば、セラフィーナを守ってやって欲しい。


 あの娘を傷付けようとするあらゆるものから守ってやって欲しい。


 しかし、そんな事を頼むわけにもいかない。


 ジェイナスは鷲介が在籍していた魔術結社を、漆黒の代演機――《マギアレクス》によって破壊した人間なのだから。

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