襲撃者 一
高原暁人は口笛を吹いていた。口笛を吹きながら、ジャケットのポケットに手を突っ込み、軽い笑みを浮かべて街を歩く。平日の昼、住宅街の道路には人通りが無かった。時折、自動車が走っているだけである。
暁人が吹いているのは、ヴィヴァルディの『春』。暁人の足取りと同じく、軽やかな曲調の曲が、静かに響いている。
今から成そうとしていることを考えれば、不敵とも言える態度である。
「お」
ふと、暁人が足を止め、腰をかがめる。
そこに有るのは、マンホールだ。至って普通のマンホール。それを、暁人は拳で二度叩く。
「ここで間違いはねぇんだろうな」
首を傾げながら、マンホールの蓋を撫ぜる。風雨や靴底の摩擦に傷ついた、ざらざらした手触り。
右手のその動きをマンホール中央で止めると、暁人は掌を広げて、手形をつけるかのように押し付ける。
「んじゃ、やるか」
左手で、ポケットからくしゃくしゃの紙片を取り出すと、その内容に目を通す。
「えーと、ああ、こうしてこうか。意外にザルだな」
そう呟くと、紙片を放り投げて両掌をマンホールにぴたりと触れさせる。
「こうして――よっと!」
そう呟いた瞬間、暁人の周囲の光景が一変した。
閑静な住宅街は消え去り、冷たい金属製の床と天井、壁面を持つ通路――どこか建物の中のような光景が広がっている。
「侵入成功――っと。シギルムの工房っても、まぁこんなもんか」
暁人は再び両手をポケットに突っ込んで、口笛を吹いて歩き始める。無人の通路に、口笛と靴が床を叩く音だけが鳴り響く。
――さぁて、これからどうしたもんかね。
侵入方法は知っているものの、侵入した先の内部構造などの情報は持っていない。適当に歩き回っていても別に構いはしないが――
暁人のものではない足音、それも複数が廊下の向こう側から聞こえてきた。
――ちょうどいいじゃねぇか。
口の端を釣り上げる。
僅かの間の後。通路の先、T字路の両側から四人の男達が走ってやってきた。全員が黒いロングコートをアレンジしたような服装をし、右手に、銃型の端末を携えている。
「止まって両手を上げろ」
「おっと、怖い怖い。けどよぉ――」
集団の先頭に立つ男が、そう言って銃を暁人に向ける。それを受けて、暁人は両手をポケットから出した。その手は空手で、掌を表にしている。
一つ目の要求は受け入れた暁人だが、歩みを止めることはない。むしろ、姿勢を低くして大きく足をあげる。
その足が地に着いた瞬間、暁人の姿が消えた。そして銃を向けた男、その鼻先に現れている。
驚愕する男に向かって、暁人は、にぃと笑った。
「嫌だね」
暁人が用いたのは縮地法――歩法を用いた典礼魔術による、瞬間移動である。
再度、男が銃を向けるよりも暁人の腕が跳ね上がる方が早い。
中空に肉の塊と血煙が舞う。吹き飛んだのは、男の両手、血煙は男の腕から。
先まで空だった暁人の両手には、二振りの短剣が握られていた。正確には、それは短剣ではない。刃を持ち、男の両腕を切り飛ばしてはいるが、それは金属の輝きを放ってはいない。蟹のハサミ、肉食獣の牙や爪、あるいは鹿の角。それらのような質感と、奇妙に捻れた造形をした、異形の剣。
その剣の一部が、花咲くように開いた。そこから覗くのは、眼球である。
暁人の手に有るのは、刃魔。暁人によって生み出された、刀刃の性質を持つ魔種である。
流れのままに体を捻らせ、暁人は回し蹴りを先頭の男に向かって放つ。胴に突き入れられた蹴りは、男の内蔵に損傷を与えるに十分な威力を持っていた。男は口から詰まるような息を吐き出しながら、後方に倒れた。
「あんたは殺さねぇよ。あんたはな」
そう言いながら、暁人は身を屈める。その瞬間、屈めた暁人の背、その上を右と左からの光線が走り、交錯した。
北欧魔術のガンド撃ち――相手を指差し、精神の断片を飛ばすことで、体調不良の呪いをかけるという魔術である。強力なものはフィンの一撃と呼ばれ、物理的なダメージを与えることも可能になる。
――なるほど、あの銃は、ガンドの補助をする術式兵装って事かよ。
そう考えながらも、自分を撃ってきた男達に向かって、暁人は刃魔を投擲する。刃魔は両側の男達に向かって飛び、頭部に到達する直前にその姿を変えた。
先ほど腕を切り飛ばした時の硬さからは想像も出来ない、まるで熱したバターのように歪み、半ばから大きく裂ける。裂けた部分には小さな刃――いや、歯が無数に並んでおり、てらてらと濡れて光っていた。
刃の形をしていても、刃魔の本質は魔種――魔物である。
刃魔はその大口で男の頭を人のみにすると、ガリガリと音を立てて噛み砕いていく。悲鳴を上げる間もあればこそ。
噛み付かれた瞬間こそ刃魔から逃れようとした男達もあっという間に動かなくなり、膝から崩れ落ちる。そんな男の身体を、刃魔は豚のようにぐちゃり、ぐちゃりという音を立てて貪り食っていく。通路には血が、波紋のように広がっていた。
「ひ、ひぃ!」
最後の一人、唯一無傷の男は、そんな光景を見て銃を取り落とした。怯え、恐れに表情を歪ませながら、尻餅をついた。
腰が抜けたのか、立ち上がることも出来ず、虫が這うように下がろうとしている。
そんな男の姿を見て、暁人は歪んだ笑みを浮かべた。
「おいおい、仲間が命懸けで戦ったんだぜ? お前も少しは気張ってから殺されてくれよ。つまんねぇだろ?」
暁人がくるりと掌を返すと、まるで手品のように、その両手には先とは別の刃魔が収まっている。
尻を引きずって後退りする男に、暁人はすたすたと歩み寄っていく。
「馬鹿だなあ。お前、なんで武器から離れていくんだよ。そんな状態じゃ逃げらんねぇんだからさァ、百に一つか千に一つか知らねぇけど、それぐらいの可能性にかけて攻撃すれば良かったじゃねぇか。そうすれば、生き残れたかもしれねぇぜ?」
絶望的でしかねぇけどな、と付け加えて、暁人は高笑いを上げる。
愉悦以上に、侮蔑と嘲笑が混じったそれを終え、暁人は言う。
「さて、俺としては、生き残らせるのは一人でいいんだよなぁ」
「た、助けてくれ! なんだってする!」
藁に縋りつくかのように、男は暁人に向かって懇願する。
その男の額に、刃魔が突き刺さった。男の目が点になる。
「じゃあ死んでくれや――ったく、油断も隙もありゃしねぇ」
男の額に突き刺さった刃魔は、そのまま刀身だけが脳髄内部に向かって伸びていく。それは脳髄に達すると、大口を開けて食事を始めるのだ。
魔術を使える限り、魔術師は不死といっても良い存在だ。どんな身体のダメージも魔術で回復される可能性がある。故に、魔術師を殺すならば何よりもまず脳を破壊しなければならない。
この男は、何らかの魔術を行使しようとしていた。そのための時間稼ぎとしての命乞いだったようだ。伊達に戦闘魔術師として出てきたわけではない。
「さぁてと」
男が白目を剥き、口から泡を吐き始めるのを確認してから、暁人は先頭に立っていた男の元に足を向けた。そして、気を失っている男の頭を蹴り飛ばす。
「おい、起きろよ」
「ぐ……」
苦痛の呻きを上げながら男が覚醒したのを見ると、暁人はしゃがみこんだ。
「よぉ、お目覚めか。あんたのお仲間よりは早かったな。んじゃ、質問に答えてもらおうじゃねぇの」
「貴様……何が目的だ……」
暁人の拳が飛んだ。
「おいおい、質問に答えてもらおうじゃねぇのって言ってんのに、なんであんたが質問するんだよ。おかしいだろ?」
もう一度、暁人の拳が飛ぶ。
「本当は精神系の魔術で調べられれば良いんだけどよぉ、俺苦手なんだよね、そういうの。だからまぁ、こういう方法で聞くわ。こっちも師匠ほどは上手くねぇんだけど」
見てみな、と暁人は男の身体を指差す。その先に視線をやって、男は喉を鳴らした。男の身体――切断された両腕の傷口、さらに両足には、鱗のない爬虫類にも似た生物――これもまた、暁人が生み出した魔種――が食いついていたのだ。
「血が出てたからな。止血代わりだよ。これで中々死ななくなった。身体を動かそうとすると、それに反応してがぶりとやるようにしてある」
絶対安静ってやつだよと言って、くつくつと暁人は笑った。
「さて、それじゃ答えてもらおうか。この工房で作られてる代演機――タイプ:プログレディエンスが、何処にあるのか、をよ」