Prisoners
そこは牢だった。
シギルムが所有する土地の一角から入ることの出来る、異界。そこに作られた、牢獄としての機能のみをもたせた空間。そしてそこに存在する小部屋。
その小部屋の中に、四方を鉄格子で囲った檻があり、その中に理容椅子のように、身を横たえることが出来る椅子がある。高原暁人は、その椅子に座らされていた。いや、それは正確な表現ではないだろう。暁人は椅子に備え付けられた白い拘束衣で羽交い締めにされ、口に拘束具を嵌められて居るのだから。死刑囚でも、ここまでの拘束は受けないだろう。
暁人が捉えられている部屋に入ることは、基本的には出来ない。故に、ここにやってきた鷲介は、強化ガラス越しに暁人と対面した。
シギルムによって捕らえられた暁人は、魔術による身体拘束と精神拘束をかけられた上で物理拘束を受け、徹底的に魔術で脳内を精査された。これは拷問や尋問などよりもよほど効率的に情報を吐かせることができる。しかし、これによってシギルムが得た情報は極々僅かであった。
そうなった理由は、暁人にかけられた精神拘束等による自白防止ではなく、記憶操作による忘却が原因だと、精査を担当した魔術師――十戒の一人、パトリシア・マゴーンは言ったらしい。つまり、囚われた暁人本人も、重要な部分は忘れさせられているのだ。少なくとも、アペルトゥスに関わる部分は殆ど全ての記憶は消去されていた。これでは、情報の出しようがない。
全ては済んでいる。故に、鷲介がやって来たのは尋問などのためではない。暁人からの要求である。本来、答える義務などは無い。しかし、鷲介はここに来ていた。
口に嵌められていた拘束具が外され、暁人がべろりと舌を出した。
「似合わねぇなクソガキ」
暁人がせせら笑う。
牢の前にやって来た鷲介は、黒いロングコートを羽織っていた。シギルムの戦闘魔術師である証、セラフィーナも羽織っていたロングコートを。
「そっちはよく似あってるな」
鷲介は暁人の白い拘束衣を見て、吐き捨てた。この男は憎たらしい。殺してやりたいほどに憎たらしい。だが、或いはそれ故に、無視することは出来ない。
「それで、私になんの用だ?」
「お前に聞きたいことがあってな」
「……一体何だ」
「お前自身のことだよ。あの糞アマは分からんでもねぇんだが、お前のことはわかんねぇからな。お前、なんでそっち側に居る?」
返答できなかった。鷲介は奥歯を噛み締めて、男を睨みつける。
「あの糞アマは、なんつぅかいい子ちゃんだよな。いい成績とってパパに褒められたいの! っていうガキみてぇなもんだ。はん! 可愛らしい」
嘲り笑いながら、暁人は続ける。
「だが、お前は違うな。お前は魔術師だ。魔術が使えるから魔術師だってぇんじゃねぇ。気質が魔術師だ」
「何が、言いたい」
「てめぇも分かってるだろ、魔術師ってのが何なのかをよ。魔術師ってのは、俺が一番、それ以外は皆死ねってぐらいでちょうどいい。そう分かってて、なんでそんなもん着てやがるんだ?」
――お前はこっち側だろうが。
鷲介は背筋に怖気が走るのを実感していた。
「教えてやるよ。魔術師のあり方を分かっていて、それ以上にそんなあり方が間違ってるのを知ってるからだ」
「はぁん?」
「個人の力は、個人の力でしか無い。より大きな力、より多くの力の前では叩き潰されて終わるだけだ。力で出来る事は力で叩き潰されることでしか無い。だから――」
「本当にそう思っているならなんでてめぇは今も魔術師なんだ?」
「くっ……!」
本当に、心の底からそう思っていたのなら、魔術を使うことなど不可能だ。そう、自らを呪う。魔術師の心とはそういうものだ。だが、鷲介は魔術師である。魔術師であることを放棄しようとして尚、魔術師であり続けている。
暁人は鼻で笑った。
「はん、なるほど。良く分かったぜ。お前そうやって、まともなフリがしたいってことか。なんつぅか――馬鹿じゃねぇの? 意味ねぇよそんなん。羊の皮被ったってなぁ、狼の匂いは消えねぇんだよ」
へらへらと暁人は笑う。鷲介を嘲笑う。
暁人の言う事が正しいのかもしれないと、鷲介も分かっている。分かっている。だが――
――理解出来るから、受け入れられるとは限らない。
ましてや、受け入れようという気になるかどうかは、完全に別の問題だ。拒絶する。強固な去勢で拒絶する。
「今のお前が言っても、何の説得力もないな。お前は負けた、負けてそうなった。お前の思う所に従った結果がそれだ。それでも、お前は私を間違っていると言えるのか?」
「勝ったとか負けたとか、そう言う問題じゃねぇんだよ。勝った奴が常に正しいなんてぇのは、誤魔化しもいいところだろうが。勝つために曲げることもアレば、曲げたくねぇ所為で負けることも有る。てめぇだってそれが分かってるから、勝つとか負けるとか持ちだしたわけだ。てめぇを誤魔化すために、歪みを見ないために」
「この……ッ!」
その通りとしか言い用がなかった。だから鷲介は反論が出来ない。暁人を睨みつけることしか出来ない。
そのまま人を射殺せそうなほどの、邪眼にも近い視線を受けて、暁人は笑う。
「よく分かったぜ。てめぇは傷つくのが怖いだけの臆病者だ」
炸裂音が鳴った。鷲介が、拳を強化ガラスにたたきつけた音だ。
「黙ってろ」
「おいおい、久しぶりのお喋りなんだ、楽しませてくれよ」
「黙ってろって言ってんだよ……ッ!」
拳を押し付けられた強化ガラスが軋むのを、鷲介は感じていた。
「そうやって、ガラス割って俺を殺してみるか? 今なら余裕だぜ、なんせ俺は精神拘束の所為で抵抗なんか出来やしねぇからな。まぁ、それをすればてめぇもこっち側だけどな!」
このガラス一枚が――常人にはあまりに厚く、魔術師にはあまりに薄すぎるガラス一枚が、その分水嶺だった。狂気と正気か、狼と羊か、狩る者と狩られる者か――そのどれもが正しく、間違っているように鷲介には思えた。
ただ、何も言い返さず、鷲介は暁人に背を向けた。
「お、帰るのか? また来いよクソガキ」
「鷲介」
ポツリと零すように鷲介は言う。
「黒神鷲介だ。覚えておけ、糞野郎」
「そうかよ。俺は暁人だ。ただの暁人。覚えておけよ、クソガキ」
暁人の哄笑を背に、鷲介は歩き出した。
暁人の言葉は、あまりにも自分の身に突き刺さるものだった。暁人の言うとおり、自分はあちら側なのだろうと考えてしまう程度には。
だが、例え臆病者と罵られようとも、それが事実であろうとも、あの男――高原暁人とは同列に並びたくはなかった。
あの牢獄から、何らかのきっかけで暁人が出てくる時、そしてもう一度鷲介と暁人があった時、どちらかが死ぬことになる。鷲介はそんな確信を抱いていた。あの男は否定しなければならない。なんとしても、何があっても。
――セラフィーナ……
少女のことを思う。今にも折れてしまいそうな脆さを持った、真っ直ぐな少女のことを思う。
自分はかつて、セラフィーナのようであったことがあっただろうか。あったかもしれない。違ったかもしれない。確かなのは、彼女のようにはなれないだろうと言うことだ。暁人の言うように。
見知らぬ大勢の誰かは、自分に優しいだろうか。彼等は暖かなものだろうか。セラフィーナはそうだと言うだろう。迷うこと無く言うだろう。鷲介は何も言えそうにない。
自分が誰かに優しくなれば、誰かも自分に優しくしてくれるだろうか。それぐらいの希望は許されるだろうか。
鷲介は思う。切に思う。
――私はセラフィーナが羨ましい。
――私はセラフィーナが妬ましい。
――俺はセラフィーナが憎らしい。