声は届いているか
あっという間に三日が経ち、笠原高校の臨時休校が空けた。
セラフィーナは一人、通学路を歩いている。鷲介は、用事があるから今日は休むと言っていた。だから、セラフィーナは一人だ。
セラフィーナが歩く姿はのっそりとしているし、肩も落としている。
ふと視線をのろのろと横に動かすと、破壊された家の跡が見えた。いや、見えなかったという方が正しいか。瓦礫が撤去され、そこに有るのは空白地帯となった土地だけだ。
瓦礫の撤去を行ったのは、殆どがシギルムである。無論、慈善事業でも罪滅ぼしでもない。瓦礫の撤去と称して一帯を封鎖し、《ルベル》の残骸及び操者である暁人を回収するのが目的である。
この三日間、セラフィーナも休む暇は殆ど無かった。上に提出する報告書を書き、査問を受け、最初の襲撃で死んだ四人の墓参りに行く。それらが一段落ついて、休校開けの学校に登校してきている。
――でも、終わったという感じは全くしないわね。
セラフィーナもまた、あの動画を見た。魔術の開放を求める集団、アペルトゥスの声明とも取れる動画を。動画は彼等がアップロードしたものだけではない。遠景過ぎたり、ピンぼけしたりもしているが、他の人間が撮った動画も存在している。そういったものもいくつか見た。
現在、シギルムの上層は、それらの動画の存在を無かった事にすることは出来ないと判断している。必死になって削除すればするほど、信憑性が増していってしまうからだ。最悪、代演機の存在は、なんらかの形で存在を公表することになるかもしれない。
――大事にも程が有るわね。
ここ三日で数えるのも嫌になるほど吐いた、溜息。
そんな大事の一端に自分が関わっている――いや、自分が上手く対処出来なかったことが、その原因とも言えることが、重くのしかかってくる。
最善を尽くしたのだろうか? その疑問が、この三日間何度も襲いかかって来た。査問でも、セラフィーナは責を問われることはほぼ無かった。慰めの言葉すらかけられた。だが、その言葉が余計に辛かった。思い出すと、肩が震える。
まるで、自分がシギルムの戦闘魔術師として認められていないようで。まだ半人前以下の、失敗しても仕方がない存在として認知されているようで。そう考えてしまうから、どうして疑問が生まれてくる。
――本当に、私は最善を尽くしたのかしら?
シギルムから、最善を尽くしていないのに、それでも構わないと考えられているのではないだろうか。
もう一度、街の空白地帯を見る。
最善を本当に尽くしたのであれば、あんな事にはならなかったのではないか、と思ってしまう。あの戦闘で、何人が死んだ? 何人が家を無くした? 何人が不安になった?
――私の力が足りないばかりに。私の考えが足りないばかりに。
拳を握り締める。痛みを覚えるほどに。痛みは、時として救いにもなる。そうやってただ辛いだけの感覚を得れば、罰の自覚と許しの錯覚を得られる。
そんな甘くて浅ましい自分の思考に、セラフィーナは反吐が出そうになる。だからもっと拳を握り締める。
と、セラフィーナの後ろから、どたどたという足音が聞こえてきた。
「ぬおりゃあ!」
「えっ」
少女の声とともに、何かがセラフィーナにぶつかってきた。ぶつかってきたのは、勢いの割りにはふんわりと柔らかい、まるで兎のような感触の何かだ。
振り返ったセラフィーナはとっさの事に反応が遅れたが、何とか踏ん張って倒れることだけは阻止した。ぶつかってきた、ふわりとした何かを抱き留める。
「アンブッシュ成功! うっひょー!」
「……紅音ちゃん?」
飛び込んで、というより飛び付いてきてそのまま抱きついている紅音を見て、セラフィーナは声を上ずらせた。
「いやぁ、がっこ来る時のアンブッシュ、最近外してたから、こういうリアクション陰線だな―」
「え? こういうの皆にやってるの?」
「野郎相手のときは飛び蹴りで、女相手は抱きつきだけどな!」
「やってるんだ……」
それをどうこう言う気も無く、セラフィーナは溜息を一つ吐いた。伊坂紅音。あの戦闘で怪我がなかったのは本当に良かったと、セラフィーナは思う。実際の所、紅音は最悪、死んでいてもおかしくはなかった。あの男は明確に、紅音を含むただの見物人を殺そうとしていたのだから。
「それも三日ぶり! セラはこの三日なにしてた?」
「えーっと、予習とかしてたりしたわね。授業受け始めたばかりで、学校から離れることになっちゃったから」
「おう、優等生だな!」
目を泳がせながら言うセラフィーナの言を、紅音は全く疑わなかった。その太陽か向日葵のような様子に、セラフィーナは軽い罪悪感すら覚える。
「そういう紅音ちゃんは?」
「いろいろしてた!」
セラフィーナの臍上周辺に手を回して、胸に顔を埋めるようにしながら、紅音は言う。そうやって押し付けられると、少し胸が苦しい。
「そう……」
「そう! でもまぁ、学校と部活がないと割りと退屈だったなー」
そう言われると、セラフィーナとしては心苦しいものがある。学校が休みになったのも、セラフィーナが上手くやれなかったからだと言える。小さいが、あまりにもあからさまな失敗の証明だ。
「そうね……」
「やー、学校に来れるようになって助かった! これも、あの、剣のロボットのおかげだな!」
「えっ?」
思わず、セラフィーナの喉から驚きが漏れた。
「紅音ちゃん、それってどういうこと?」
自分達が戦った所為で、こんなことになったと、少なくとも紅音にそう言われても仕方がないと、そう思っているというのに。思わず、セラフィーナは続ける。
「あの剣のロボットと、変な化物が出てきたから、学校は休みになったわけだし、死んだ人も家を無くした人も……紅音ちゃんだって」
「なんでそんなこと言うんだよ!」
声を荒げると、紅音はセラフィーナに抱きつけた腕の力を強める。セラフィーナが痛みすら感じるほどに。
「たしかにそうだけど、あの剣のロボットは、変なのから私達を守ってくれたし、他のものだって傷付けないようにしてた!」
セラフィーナは息を呑んだ。確かに、鷲介も自分も、そうやって戦った。そして、それが伝わっていたのは、あの時紅音が送ってくれた声援からも分かっていた。だが、こうやって面と向かって言われると、感じることは違うものがあった。
いやいやをするように首を振ってセラフィーナに擦りつけつつ、紅音は続ける。
「あのロボットが頑張ったから、きっとこれぐらいで済んだんだよ! あのロボットは私達を助けてくれたんだ!」
紅音の拗ねるような怒りは純粋で、それ故にセラフィーナの胸に染み入ってきた。ああ、この娘は、《グラディウス》のために――私達のために、怒ってくれている。
「本当は、あの後ロボットにお礼を言いたかったんだけど、あのあと直ぐに避難させられちゃったから――」
「大丈夫よ」
紅音の声を遮るようにして、セラフィーナは言う。
「えっ?」
「きっと、分かってくれているから。あのロボットにも、想いと声はきっと届いているから。だから――大丈夫」
少なくとも、自分には届いている。痛いほどに、届いている。紅音の純粋な想いがちゃんと届いていたし、今も届いている。
「そうか?」
「そうよ」
無邪気に小首を傾げる紅音に、セラフィーナはそう返答する。
紅音の言葉は、僅かかもしれないが、セラフィーナにとっては救いになった。セラフィーナ達のやったことは無駄ではないと、誰かに感謝されるに値することは出来たのだと。そう思うことが出来た。
――鷲介。
あなたには、届いている? そう、セラフィーナは問う。空に向かって問う。