剣の神、神の剣 一
「紅音ちゃん!? なんでこんなところに!」
《グラディウス》コクピット内で、セラフィーナが驚愕した。
「見物にでも来たつもりか! あの馬鹿!」
腰を抜かした紅音には、《ルベル》の爪が迫っている。防護魔術の展開を止めれば、それは彼女へと襲いかかるだろう。例え攻撃を受けても、それだけは防がなければならない。
「糞面白くもねぇ! だったらよぉ――」
暁人が咆哮すると、《ルベル》が紅音達野次馬に向けて伸ばしていた爪を引き戻した。
――何を考えている。
こうなると、鷲介は防護魔術を他に回すリソースを削れるようになる。それを差し引いて考えてもしなければならない何かがあるということだろうか。
鷲介がそう考えた時だった。《ルベル》が、四本の足を用いて前方へと跳躍したのは。直線方向への跳躍ではない。《グラディウス》の頭を大きく超え、笠原高校の後方まで届く大跳躍だ。
衝撃が《グラディウス》のコクピットに襲いかかる。上へ、そして横へと引き摺られるような動きだ。《グラディウス》には、《ルベル》の牙が喰らいついたままだ。それどころか、装甲を裂いた後に内部で変形して、釣具のような返しまで作られている。その所為で、《ルベル》の動きに引っ張られる。
「させない……!」
《グラディウス》を、踏ん張らせて堪える。本来、跳躍している《ルベル》の方が力は入れ辛く、《グラディウス》に振り回されてもおかしくない。そうならないのは、牙が食い込んでいる位置の所為で力が伝わりにくい所為であり、単純に《ルベル》の力が《グラディウス》に優っている所為だ。魔種によるパワーアシストの効果である。
《ルベル》が家屋と車を踏みつぶして着地する。道路のアスファルトが破壊され、竜巻が発生したかのように、建材と共に巻き上げられた。
着地の際に《ルベル》の首が振られて、それにまた《グラディウス》が引き摺られる。グラウンドの砂が、擦過音とともに吹き飛んで砂嵐を生んだ。
「そこから出してやるよ! お前等も抵抗出来ない奴らを踏み潰してみろよ! 見てるだけでイッちまいそうになるぜ!」
笑いが轟く。
「あの男! あの男が!」
セラフィーナは猫の口でぎりぎりと歯噛みをしていた。悔しいのだろうと、鷲介は思う。あんなものを自分ではどうにも出来ないことが悔しくて堪らないのだろう。彼女の怒りを表現出来るのは、自分だけだ。
耐えろ、引き摺られるな。あの男の力にも、あの男の言葉にも。そう言い聞かせて、鷲介は《グラディウス》を、前に出した右足を起点に半回転させて《ルベル》に向き直る。
あの男の言う事は、いちいち理解出来てしまう。なるほど、そうやって生きていければ痛快であろう。
――嫌だ。
――“俺”はお前を否定する。否定してやる。
「術式兵装・霊剣フツヌシ――抜刀!」
左腕のシールドからフツヌシを引き抜く。刀身が露出していくのに合わせて、斬断魔術の余波が漏れ出した。
初めて抜いた時と違い、膨大な情報量の共通化術式は送られて来ないが、フツヌシ自体の爆発的な力は変わっていない。濁流の如き制御不能なまでに過剰な斬断魔術が溢れだし、《グラディウス》の装甲とそこに突き刺さる《ルベル》の牙を諸共に斬り裂く。連動して、機体後方へと伸びるハイロゥ・マフラーが余剰出力を光として吐き出し始めた。
この暴れ馬のような術式兵装の力を、制御する。いや、制御しきれないまでも、その力が向く先を定めてやる。
「斬り裂け――!」
逆袈裟に、フツヌシで斬り上げる。剣先が向いているのは、胴体の前方――《ルベル》と繋がっている触腕だ。
既に、魔種のうち《グラディウス》に繋がっている部分は、漏れだした斬断魔術によって斬り裂かれていた。
「はん! もう斬れてるもん斬ってどうす――!?」
暁人の声が驚愕に染まった。
斬り裂かれている。両断ではなく、微塵に斬り裂かれ続けている。フツヌシは重さや歯で相手を斬り裂く剣ではない。斬断魔術を発生させて相手を斬り裂く術式兵装である。
フツヌシに斬り裂かれた触腕は、物理的に接触した部分以外も、内側から斬り裂かれているかのように、あるいは剃刀でやたらめったらと斬りつけたかのように、千切れ、液体を撒き散らしている。刃無しで発生する斬撃という現象が、触腕を伝っているのだ。
その斬撃が、本体――《ルベル》へと向かっていく。まるで、油に塗れた紐に、火を付けたかのように。斬撃という行為、斬断という現象が疾走する。
「てめぇ!」
《ルベル》は前足の爪で、斬り裂かれ続けている触腕を切り落とそうとする。しかし、斬撃が伝播するほうが早い。斬り裂こうとした前足が斬撃を受ける。
「そのまま千斬れろ!」
「っざけんじゃねぇ!」
《ルベル》が大顎を開く。そのまま、奈落の底のような大穴で、斬断が伝播した左腕に食いかかった。
「嘘でしょう……!?」
セラフィーナの驚愕を余所に、《ルベル》は左腕を一息で食い千切ると、横にそれを吐き捨てた。傷口は、周囲から魔種が集まってきて、元とほぼ同じ形に埋める。
いや、元と同じ形ではない。うねり、質量が増大し、それが腕以外の部分にも伝播していく。骨格が再度変形し、《ルベル》の有り様が変質していく。
変質しているだけではない。周囲の砕け散った建材や道路、車、更にそれに乗っていた人間の死体を、《ルベル》は組み込んでいく。肉の川に乗せられるようにして、全ての物質が食われていく。
「うっ……」
飲み込まれていく人体を見たのか、セラフィーナが口元を前足で抑えた。鷲介もそうしたい気分だった。あまりにも、あまりにもおぞましい光景だ。
――目を逸らすな。
歯を食いしばって、フツヌシに傷付けられながらも。鷲介はその光景から決して目を逸らそうとはしなかった。あのおぞましさが、あの男の本質だ。あの男の有り様そのものだ。自分はああなってはいけない。あんなものになどなりたくない。
恐怖を薪として、怒りという炎にくべろ。怒りという炎で、討つべき敵への道を照らせ。さもなくば、あの男を討つことは叶わない。
先の斬断魔術を伝播させるやり方は、もう通じないだろう。あれは一度きりの奇襲で、恐らくは相手も警戒してくる。寄ってきてもらわなくては斬ることは難しい。そして《グラディウス》に遠距離用の術式兵装は存在しない。ガンドなり雷法なりを代演機経由で放つことは出来るが、決定打にはならないだろう。それ以上に、街への被害が甚大となってしまう。
《グラディウス》は、フツヌシの運用に特化させた機体だ。ならば、最後にあの敵と討ち果たす際に頼るのも、フツヌシ以外にない。フツヌシによって行使されるのが斬断の魔術であるならば、術者がその効力を従えることも可能なはず。
《ルベル》の変質は、概ね収まっているようだった。その姿は、先までの四足獣をはるかに超える異形の極みだ。両前足は武器として肥大化、後ろ足は統合され、針付きの鞭、或いは三本目の腕として背を通り越して前方へ伸びている。無くなった足の代わりか、胴体部両脇から小さな昆虫の足が無数に生えて、身体を持ち上げた。その姿は、まるで獣の頭部を持つ蠍のようだ。
《グラディウス》は《ルベル》をフツヌシ見据えて、フツヌシを八双に構える。《ルベル》が大きく両腕を掲げる。
「――来い」
「死ィィィィィィねよォ!」
暁人の咆哮に合わせて、《ルベル》の尾が鞭のようにしなり、叩き付けられる。フツヌシの剣先が伸びる。
二つがぶつかり合うと見えたその刹那、《ルベル》の尾が二つに割れる。その真中を、フツヌシの斬撃が走る。
「そんな!?」
「喰らえや!」
セラフィーナの驚愕と、暁人の咆哮。二つにわかれた尾は、両脇から《グラディウス》を打ち据える。斬断魔術の結界で保護されているとはいえ、その衝撃は大きくコクピット内を揺さぶった。
「このッ!」
切っ先を返して切り払おうとするが、尾の動きのほうが早い。ときに戻り、ときに撥ねるようにして、《グラディウス》を打ち据える。回避しようにも、あまりに大きく動けば街や校舎に被害が及ぶ。あまりの速度に、尾が振るわれる度に大気が悲鳴を上げる。
《ルベル》の攻撃はそれだけではない。腕が、肥大化した蠍の両腕が飛んできていた。まるで蜂のように、空を自由に飛びながら、前から後ろから襲い掛かってくる。《グラディウス》の装甲が破壊されて錬金物質が宙を舞い、フレームが歪んでいく。
「防ぎきれない……!」
ありとあらゆる方向からの衝撃に揺さぶられ、鷲介は呻く。
これをどうにかする方法は、鷲介が思いつく限り一つしか無い。フツヌシの斬断魔術を完全に解き放つのだ。フツヌシは抜刀された時から強大な斬断魔術を無差別に行使しようとしている、その力を光に変換してハイロゥ・マフラーから排出し、それでも使い切れなかったものが斬断結界として敵と《グラディウス》自信を傷付けている。
これを全開放すれば、攻撃してくる尾も腕も全て斬り払うことが出来るはずだ。しかし、その威力は《グラディウス》自身にも襲い掛かってくる筈だ。
――大丈夫なのか。
そうなれば当然、鷲介だけでなく、セラフィーナの身にも危険は及ぶ。鷲介は横目で、セラフィーナを見る。セラフィーナがその視線に気付いたのか、見返してくる。
「……あなたを信じる」
「……分かった」
頷く。
彼女の期待に、信頼に、想いに応えたい。だから――
「お前も応えてみせろ! 霊剣フツヌシ!」