神か悪魔か
「ひぁ……」
紅音は尻餅をついた。直ぐ様立ち上がろうとしたが、うまく体が持ち上がらず、精々尻を引き摺ることしか出来なかった。周りに居た見物人達は、《ルベル》が跳躍した時点で、背を向けて逃げ始めている。そっちの方が良かったのかもしれないと、紅音も今は思っていた。
あの赤いラインが入ったロボット――だったものから伸びた爪は、紅音から五メートルと離れていない空中で、まるで獲物を誘う疑似餌のようにガクガクと震えている。その牙には眼球のようなものが幾つか浮かんでいた。その一つがぎょろりと動き、紅音を見る。
「い、いやだ……」
全身が勝手に震える。冷蔵庫の中に入れられたかのように、体が冷える。あれは、あの化け物は、私達を殺すことをなんとも思っていないのだ。そう理解出来てしまう。
さっきの跳躍と、それで踏みつぶした家にも、誰かが居たかもしれない。自分も、そうなるのだろうか。
しかし、爪は空中で震えるだけで、紅音達の元まではやって来ない。空中で震える様は、悔しそうですら有る。
「くそ! くそ! 早く、早く! さっさと逃げないと! あの爪がこっちまで来ちまう! 動けよこの! ……爪が!」
紅音と同じく、腰を抜かした男が泡を食いながら叫び、匍匐前進のような形で這う。這いながら、動かない自分の足を本気で殴りつけている。
あの爪は、間違いなくこちらを――残った人の群れを目指して飛んできていた。
なのに、何故あんなところで爪は止まっているのか――?
――本当に、守ってくれてる?
紅音は視線を爪から、灰のラインが入ったロボットの方へと動かす。先までは、あのロボットはロボットだった化け物の牙を防いでいた。しかし、今は装甲を食い破られて、まるで触手を巻きつけられたかのようになっている。
思い出すのは、あの化け物から流れてきた大音量の声だ。無関係な人間を守ろうとするほうが、余程理解できない――そう、あの化け物は、男の声で言っていた。
あの灰のラインが入ったロボットは、こっちに爪が飛んでくるまでは、あの飛んできた牙を防ぐことが出来ていたように、紅音には見えた。それがこうなっているということは、あのロボットは自らが傷つくことを受け入れて、紅音達を守ってくれたのだろうか。
化け物の攻撃を受けたロボットは、傷口から何かの液体を垂らしながら、それでも力強く立ち続けていた。
戦って、守って、傷ついて――それでも戦って。その姿を見て、紅音は動きを止めた。意識的な行動ではない。傷つきながらも立ち続ける巨人の姿、自分達を守って傷ついた巨人の姿から、目が離せなくなったからだった。
――あのロボットは、私達を守ってくれてる。あの化け物とは違う。
斬り裂かれる鋼が、そこに生まれる醜悪なる引き攣れと傷跡が、流されるどろりとした液体が――あのロボットが受けている痛みが、そしてあのロボットそのものが、とても尊いものに思えた。
見上げる。
空を見るように。太陽を見るように。紅音はロボットを見上げる。