真実と偽りと
炎のように真っ赤な西日が差し込んでいる。一部だけ妙に明るい内藤古書堂の店内を、セラフィーナはゆっくりと歩きまわる。足を着ける度に、床から埃が浮き立ち、それに気付く度にセラフィーナは渋い顔でスカートや服の袖を叩く。それが終わり、戻ったセラフィーナの視線は、本棚の上の方に向けられていた。
「漫画とか無いのかしら」
セラフィーナの呟きに、カウンターでノートと魔道書を広げていた有羅が答える。
「無いわけじゃないよ。一九八〇年代のジャンプ漫画とかなら、そこら辺に結構並んでるんじゃないかな。うちは漫画とか積極的に引き取る店じゃないからさあ」
有羅の声を聞いたセラフィーナは棚に目を走らせる。確かに、やや日焼けしたコミックスが何冊か並んでいた。その中の一冊、最上段にあるものにセラフィーナは背伸びをしながら手を伸ばす。
「そもそも――っと、本を持ち込む人が少ないのではないのですか?」
「そうとも言うね。うち古本屋としては赤字もいいところだからねぇ。買いにも売りにも人が来ない。別に来なくても良いんだけどさ、折角やってるんだから人が来てお金が入ったほうが嬉しいっていうのもあるよね。どうしたら良いと思う?」
流暢に言葉をまくし立てながら、有羅は魔道書から目を離さない。その魔道書は人肌にしっとりと吸い付く、皮の装丁をされていた。それも当然である。この本の装丁は人の皮膚によってなされている。
「とりあえず店内の掃除をするのがいいじゃないでしょうか」
「えー、でもこう埃っぽいのが、場末の古本屋って雰囲気を出してていいと思うんだけどなぁ、そこのところはどう?」
「場末の古本屋って、人が来るものなんですか?」
「来ないね」
「ですよね」
「それじゃあさ、セラちゃんが掃除でもしてくれればいいんじゃないかな。どうせ待ってる間、暇なんだから。それに、可愛らしい女の子が店内掃除してたら、お客さんだって入ってくる気が出てくるかもしれないしね」
「私は聖闘士星矢読んで待ってますので、有羅さんがどうぞ」
そう言って、セラフィーナは手の内にある漫画をこれ見よがしに振ってみせる。
「いいじゃない、いいじゃない。どうせ待ってる間、暇なんでしょ? それなら居候として、うちの売上に貢献してくれてもいいと思うよ、僕はね」
「暇は漫画を読むことで潰します。それに、そんなに長い時間待つこともないと思いますよ」
二人は鷲介が来るのを待っていた。今日が宣言した三日目、鷲介の答えを聞いて――答えがどうだったとしても、大規模異界を展開して、あの男を迎え撃つ。
――鷲介は、どう答えるのだろう。
その事を考えると、セラフィーナのページを捲る手は、途端に動きを緩める。心から一緒に戦ってくれるなら、それが一番良い。代演機を代演機無しでどうにかするのは、まず無理であるし、鷲介も頼りになる。
しかし、断られたら、それはそれで仕方ない。鷲介はシギルムの関係者ではあるが、セラフィーナと違って戦闘魔術師というわけではない。覚悟もないし、義務もない。そんな人間を、無理に戦わせてはいけない。
「本当にそう思う? 今もずるずると迷い続けてるかもしれないよ。なにせあの子、結構うじうじしてる所有るからねぇ」
くつくつという笑い声が聞こえてきた。
「きっと大丈夫です」
「本当にそうなのかな? 君よりも僕のほうが、鷲介君との付き合いは、長いんだぜ。当然、僕のほうが彼をよぉく知ってるわけだ」
少しだけ視線を漫画からずらして、セラフィーナはカウンターの有羅を見た。その視線は魔道書ではなくセラフィーナの方に向いており、顔には楽しそうで意地悪い笑みが張り付いている。
――この人は、ちょっと苦手だ。
鷲介は何故上手くこの人と付き合えるのだろう、とセラフィーナは考える。それこそ正に、長い時間の共有で培われた技術ということなのかもしれない。人間、どんな環境でも慣れなくてはならないなら慣れてしまうものらしいし。
負けてはならない、と強い語調でセラフィーナは言い返す。
「昨日までは、確かにそうでした。正確には、昨日の昼辺りまでは」
「へぇ」
嘲りにも似た有羅の言葉を、セラフィーナは受け流す。
「昨日までは、肩を落として濁った目で、いましたけど……今日は何か、背筋が伸びているというか、堂々としているというか……」
言っている内に、ちょっとずつセラフィーナの中で自信が削れていった。確かに、自分は鷲介の事をよく知らず、この根拠も結局は印象論でしかない。更に、そうであってほしい、というセラフィーナの希望が混ざっていないとはいえない。
本音としては、鷲介には手伝ってほしい。あの男はあまりにも危険だ。あそこで仕留められなかったのは、仕方のない事かもしれない。しかし、あそこで仕留められなかったことによって、そして土地縛りの呪いをかけたことによって、なんらかの被害が出ているかもしれない。あの斎藤さんという子が、そうである可能性もある。
シギルムでも死人は出ている。あの男を野に放っておく訳にはいかないのだ。
有羅の片眉が、ぴくりと上がった。
「どうやら、セラちゃんの勝ちみたいだ。ふふん、鷲介君もやる時はやるって事なのかな」
有羅の視線の先――内藤古書堂の入り口へと、セラフィーナも目を向けた。
その扉が、がらがらと音を立てて開かれる。そこに立っていたのは、黒神鷲介だった。いつもと同じように、眠そうというわけでもないのに半分ほどしか開いていないが、そこに宿る色は常とは違うもののようにセラフィーナには見えた。
鷲介は皮肉気な笑みを口の片端に浮かべながら店内へと足を進めていく。その進行方向には、セラフィーナが立っていた。
「分かったよ」
「そうですか」
言いながら、セラフィーナは本を棚に戻して、鷲介と向かい合った。胸が高鳴るのが分かる。期待と、それを押し潰す程の不安で。鷲介が得た答えとは、一体何なのだろう。
「では、教えてくれる? あなたが私を助けてくれたその理由を。あなたが戦える、理由を」
「君が好きだから」
「は?」
「えっ」
表情を変えること無くさらりと出た言葉に、セラフィーナと、横で聞いていた有羅が目を丸くした。
――す、好きってあれよね? つまりはそういう……!
「君を失いたくない、一目見たときから君に夢中だ」
すらすらと、まるで用意されたテンプレートを読み上げるウェイターのように鷲介は言う。
「あ、あわわ……」
セラフィーナは、自分の顔が熱を持っていくのを自覚した。こんなふうにストレートな告白を受けるのは、初めてだ。一体どう対処したらいいものか。
――そもそも、そういう目で鷲介を見てなかったし……!
では、そう言う目で見たら、鷲介はどういう存在だろうか? 今まで見てきた印象からは、存外悪くない気もする。
――で、でもやっぱり! 出会って数日のよく知らない相手でもあるわけで! 良い人だとは思うけど、早いと思うっていうか。
――早いって言うなら私達まだ子供だし! いやいや、でもそんな事もない年頃といえば年頃なの? 一般的には? そう言えばクラスの子達がそう言う話で盛り上がってた気もするわね。カレシがどうのこうのって……
「まぁ冗談なんだけど」
何か聞こえた気がするが、どうにも頭まで浸透してこない。焼けるように熱い頬に手を当てつつも、セラフィーナの思考は迷宮を徘徊する。
――カレシ……彼氏ってアレよね、アレ。空想上の生き物じゃなかったのね。でもそういうのって何をするの? で、でぇととか? 二人で出掛けて、一体何をするっていうの!?
「あ、あのー、セラフィーナ=サン?」
――待って待って。それって一般家庭の話よね!? そう考えると、私はそういうことには慎重じゃないとダメよね。ディクスン家の再興のためには、相手は優秀な魔術師じゃないといけないわけだし! あれ? それなら鷲介でも良いような?
「セラフィーナー、私の話聞いてるか―?」
鷲介が目の前で手を振っていた。
「き、聞いてるわよ! とりあえず、うちは入婿募集の予定はあるけどまだ早いかな―って」
「いやだから、冗談だって」
「そうよね、冗談よね――ハァ!?」
思わず鷲介の肩をガッシリと掴む。セラフィーナの後ろで、有羅が笑いを漏らすのが聞こえたが、今は構っている場合ではない。全力で鷲介を揺さぶって問い質す。
「冗談って何よ!? 冗談にしても、言って良いものと悪いものがあるでしょ!? ねぇそこの所分かってるの!?」
「ストップ……セラフィーナ、ストップ……」
ロデオマシーンに乗っているかのような勢いで、鷲介の首が上下に振られる。まるで首がゴムの人形のようだ。その目からは生気が消え失せている。
「分かってるの!?」
「私が悪かったですすみませんでした……」
それを聞いてセラフィーナはやっと肩を離した。
「分かればいいのよ。で、実際どうなの」
「何故助けたのか、分かったのは本当だ。けれど、それが何なのかは教えない」
「――分かったのならいいわ。それで、私と一緒に、戦ってくれる?」
そう言って、セラフィーナは右手を鷲介の前にゆっくりと差し出した。不安はある、だが、手を伸ばさなければ掴むことも掴んでもらうことも出来ない。
「喜んで」
鷲介がその手をとった。鷲介の手を温かく感じることが、セラフィーナはなんとなく嬉しかった。