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邪宗の機神、月に吠える  作者: 下降現状
Ep1 開封 -Apertus-
16/80

野獣の理

 小学校に通っていた当時――それが最後の真っ当な社会参画である――高原暁人は自分が既存の社会と相容れないタイプの人格を形成しているのだという事に気付いた。


 とかく、生きているのが窮屈でならなかった。何故、決まった時間に登校して、授業を受け、他人が決めた献立の飯を食わなければならないのか。何故、大人は子供に対して常に優越しているのか。何故、自分はそういったものに拘束されているのか。


 子供らしい疑問である、という指摘が有るとするならば、それは正しい。しかし、子供らしい疑問に対して、暁人が出した結論は子供らしからぬものだった。


 結局は、力の問題にすぎないのだ。しかし、それは個人が振るう腕力ではない。その流れに沿うことを強制する、社会が、体制が、システムが持つ力だ。多くの水滴が、流れという指向性を持つことで濁流という暴力を生み出すのに、それは似ている。


 そして、力の問題にすぎないのなら、力で対抗することは可能であるはずだ。その実験を、高原暁人はした。


 死者二人。入院十五人。軽傷者五十八人。


 それが当時小学生の高原暁人がしでかした事件の成果である。社会的な影響を鑑みて、事件は隠蔽され、暁人は精神病院に入院――と言う名の、監禁を受けることになった。


 そこで暁人は別に後悔したりはしなかった。これもまた、力の不足による結果だ、とだけ考えた。


 力が必要だ。全てを破壊する力が。枷を全て破壊する力が。強大な力とは何か、それをどうやって手に入れれば良いのか。それを知り、手に入れる。それまでは耐える、耐え忍ぶのだ。


 さほど時間はかからなかった。監禁生活に入ってからしばらくして、あの女が面会にやってきたからだ。


 見知らぬ女だった。


 ガラス越しに対面した女は、暁人に来訪の理由を問われて、こう答えた。


 あなたの望むものを与えてあげるため――と。


 そうして、女は暁人にとあるものを渡してきた。本来、この病棟に何かを持ち込むこと、患者に物を手渡すことなど不可能な筈、ここはそういう施設である。今現在、職員――看守も、彼らを見ている。しかし、何故か看守によって見咎められることはなかった。今ならその理由もわかる。魔術師の前では、あのような監視体制は無いも同じことであったのだ。


 女に渡されたのは、複数枚のカードだ。女はその使い方を説明などしなかった。ただ、上手く使うことが出来たら、もう一度迎えに来るとだけ言って去っていった。


 説明は不要だった。カードを見た瞬間に、その使い方と意味が分かった。にやりと笑って、個室の壁にそれを貼り付けると、粘着性がある素材でもないのに、それは壁にピタリと吸い付いた。


 そのカードを中心として、光で図形が描かれる。魔法陣と呼ばれるものだ。その魔法陣が何処かへと繋がる穴となり、そこから奇妙なものが出てくる。どろりとした、高い粘性を持つ液体に覆われた、脈動する肉の塊。魔種と呼ばれる存在を、暁人が初めて視認した瞬間だった。


 おぞましい外見をしていた。忌避すべき存在であると、本能的に分かった。肌が粟立ち、震える。忌避すべき存在と分かった上で――分かったからこそ、それの存在が暁人は嬉しかった。思わず知らず、口角が釣り上がる。


 本能的に人を恐怖させる、禍禍しき存在。それはもはや、存在自体が力を持つものだ。暁人が求めているものの一端だ。


「ようこそ、来訪者」


 そう笑いかけると、肉塊は何処か嬉しそうに身体を震わせた。


 ――あの施設に存在した人間で、この邂逅の三時間後まで生きていた人間は、高原暁人ただ一人である。


 レストルーム。監禁時は来ることがなかった場所で、暁人は椅子ではなくテーブルに腰掛けた。どこの部屋もそうだが、この部屋もまた血に溢れている。ペンキをぶち撒けたかのような有様が床には広がっているし、焼肉屋の冷蔵庫の中のような有様も広がっている。そしてそれらに、暁人が呼んだ魔種が喰らいついている。腸一片すら、喰い残すのは勿体無い、とでも言うかのように。


 暁人の姿もまた、血に塗れていた。魔種に混じって暴れていたのが理由でもあるし、魔種が上手く制御できていなかったからというのも有る。不快では合ったが、それだけだった。服は着替え無くてはならないし、シャワーも浴びなければならない。まったく、運動した後はこれだから困る――その程度の事だった。


 そうして血の海の中に佇んでいる所に、あの女が再び現れた。この先を見たくない? そう言われて、暁人は素直に頷いた。この力こそが、自分が求めている力だった。当然の話だ。そうして、魔術師の師弟が生まれた。


 ある時、魔術の師となった女に、暁人は問うた事がある。


「俺に魔術を教えていいのかい? 俺はあんたを殺せるようになったら、間違いなく殺るぜ?」


 女が憎いわけではない。むしろ、魔術の師として感謝すらしている。尊敬もしている。今まで生きてきて、敬意を払うべき他人など、この女以外暁人は知らない。それでも、この女は力を持って暁人をコントロール下に置いている。ならばそれ以上の力を得たならば、暁人はこの女を殺さねばならない。それが暁人にとって、自然の理なのである。


 それに対して、女は笑いながら答えた。好きにするがいい、出来るようになるのならば、と。女は今も生きている。未だ、師は師のまま、弟子は弟子のままだ。暁人にとって、師は偉大なり、ということであった。力は得た。しかしまだ、完全というわけではない。己の力を高めるその姿は、魔術師としてある意味純粋だ――とは、師の弁である。


 そうして研鑽を積んで魔術師となり、今はあの時と同じ血の海に居る。もっとも、自分も血を流しているのではないかというほどに血を浴びた、あの時とは大分状況が違う。


 暁人は一軒家の居間で胡座をかいていた。場所は全く血に濡れてなどいない。しかし、空気は別だ。鼻孔に突き刺さるような鉄錆の匂いが濃密に漂っている。まるで、魚市場のような生臭さもそれに混じっていた。


 それは、この家の持ち主であった家族の流した、血の残滓である。暁人の魔種によって肉を食らわれ、血を啜られて跡形もなくなった彼らの血液が、まるで怨念のように漂っているのだ。


 セラフィーナと同じく、暁人も身を落ち着ける場所が必要だった。だから、民家を一つ貰うことにした。中には家族が住んでいた。蜜柑を食べるためには、蜜柑の皮を剥かなければいけない。そういうことである。


 暁人はこの家の電話を見つけると、その子機を手に取った。そして電話をかける。


「あー、俺だよ、俺。あ? 詐欺じゃねぇよ、高原暁人だ。何処からかけてるって、あれだよ、親切な人に電話借りたんだよ。ついでに家も借りる事にしたぜ。返さねぇけど」


 ケラケラと笑った後、暁人は表情を真剣なものに切り替えた。


「んで、送った代演機の修理はどれぐらいかかる? 何、二日? まぁしょうがねぇか。データ取るのも色々くっつけるのも結構なんだけどよ、修理の方も頼むぜ、ってあいつらには言っておいてくれ。流石に装甲抜いたまんまで戦う気にはならねぇ」


 電話先の相手と会話しながら、暁人は立ち上がって居間からキッチンへ悠然と歩いて行く。まるで、この家が元から自分のものであったかのように。


「急ぐ理由? 出られねぇんだよ、この街から。あのクソアマ――迎撃に来た代演機の操者に、なんか呪われちまったみたいでよ」


 キッチンの冷蔵庫を開け、腰をかがめて中身を物色する。なかなか調理なしで口に入れられるものが見当たらず、暁人は苛立ちを表情に滲ませた。


解呪ディスペル? 何言ってんだぶっ殺すほうがはええだろ。でもまぁ、代演機相手に代演機無しで挑んでも勝てねぇからよ――っと」


 中からプラスチック容器に入った野菜スティックを取り出すと、テーブルの上に置く。一緒に、牛乳パックも取り出した。


「はぁ? 専門の人員を送る? 解呪ディスペルのか? ……だから要らねぇって、さっきも言ったけど、ぶっ殺すほうが早いし、何より借りは返さねぇといけねぇからな、あいつらにはよ」


 コップに牛乳を注ぎ、暁人は獅子のように歯を剥き出しにして笑う。


 代演機という力は、強大なものだ。ありとあらゆるものを捻じ伏せる、まさに暁人が求めた力そのものであるといってもいい。この力ならば、ありとあらゆるものを破壊することが出来る。破滅的な暴力、個が全を破壊する、水滴が河川をせき止めることを可能にする、魔術という力の局地。狂った力だ。


 しかし、それは自分に限ったことではない。代演機の操者たる魔術師全てに言えることだ。だからこそ、代演機を潰すには代演機をもってするしか無い。それは相手にしてみても同じ事だろう。今、彼等と暁人の関係は敵対――それも絶対的なもの以外あり得ない。


「じゃあ、さっさと技術屋どものケツ叩いといてくれよ。俺の気が短いのは、あんたもよく知ってるだろ? んじゃあな。ああ、一応言っておくけどよ、ここには電話しないでくれよ。面倒なことになっても困るからな」


 電話を切ると、暁人は子機をその場に乱雑に放り投げた。そうして、椅子があるにも関わらずテーブルに直接腰掛けると、コップに入れた牛乳を飲みながら、野菜スティックをバリバリと齧る。本当は肉が食いたかった――魔種が食事を平らげるのを見ていると、ついついそう思ってしまう――が、生肉を食う趣味はない。


「今夜はすき焼きだったらしいな」


 冷蔵庫の中にあった牛肉を思い出し、暁人はそう呟く。牛肉はありがたく頂くとしよう。他にも、貰えるものは貰っていく。


 ここは一家殺害の現場ではあるが、指紋も微細証拠物件も何も気にしてはいない。死体が見つからなければ、世の人間は殺人事件ではなく不可解な失踪事件として処理することを、暁人はよく知っている。


 それ以前の問題として、仮に警察に追われるようになった所で、暁人は何も恐ろしくなど無い。魔術という力は、暁人を社会的規範やモラル、それを強制する力から自由にした。だが、まだまだだ。


 更なる力を。全てを破壊してでも、己が存在しうる。全てを凌駕する力を得なければならない。


 喉を鳴らしてコップの中の牛乳を飲み干し、暁人はコップを放り投げた。遠くで、弾けるような音が鳴るのを、暁人は心地よく感じていた。

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