転校生 二
「ここに来る前は何処に住んでたの?」「イングランド――つまるところ、イギリスね」
「なんでこの学校に?」「父が貿易関係の仕事をしていて、日本に来ることになったから、その関係で短い間だけれどもお世話になることにしたの」
「日本語上手だね!」「実は以前も結構長い間日本で暮らしていたことが有るの。クイーンズ・イングリッシュより、日本語のほうが馴染みが有るぐらい」
「スリーサイズは?」「上から79――」「そこはまじめに答えなくていいの!」
セラフィーナの机には女子と男子が入り混じった人だかりが出来ており、セラフィーナを質問攻めにしている。セラフィーナはそれに、嫌な顔や困った顔一つせず丁寧に受け答えしていた。
集まった生徒達の中で、一番多く質問をぶつけているのは、紅音だ。輪の最前列に位置取り、皆の質問を食う勢いで話しかけ続けている。
「ふん、転校生が外国人の美少女だったぐらいで、騒ぎすぎなんだよ」
「それは騒ぐ理由として十分だ。仕方ない。それに、理由はそれだけじゃない」
そんな人だかりから少し離れた位置。鷲介と文仁は縦に並んだそれぞれの席に座り、頬杖を着いて人だかりをぼぅっと見ていた。文仁の口調は不機嫌そうだ。
今は昼休み。授業の合間の僅かな時間では満たされなかった好奇心と知識欲を、ここぞとばかりに生徒達は満たそうとしていた。
しかし、そうなるのも無理は無い、と鷲介は考える。こんな時期にやってきた転校生というだけでも耳目を引くというのに、あの容姿と出自である。
その上、セラフィーナは午前中の授業でいささか目立ち過ぎるほどに目立った。教師陣も彼女に興味があったのだろうし、彼女の学力的水準を見ておく必要もあったのだろう。授業中、教師が生徒に対して行う質問はその殆どがセラフィーナに向けられたが、セラフィーナはそれに対して、完璧以上の答えを、嫌味なく返してのけた。
数学の教師は笑顔で褒める程度で済んだが、古典の教師は、金髪碧眼の少女が日本の古典に見事な解釈を付ける事に驚愕していた。
午前中の授業科目には、体育も含まれていた。セラフィーナは、そこでも自らのスペックを証明してのけた。サッカーが団体競技であることを忘れさせるほどの活躍ぶりである。
鷲介から見て、セラフィーナが魔術を行使している様子は見受けられない。そもそも、そんな事に魔術を行使できるような状況ではない。つまり、これは彼女自身の実力だということになる。
大したものだ、と鷲介は思う。魔術師は、魔術という外法の知識を得るため何かを犠牲にするものである。何かが欠けている人間も、必然的に多くなる。しかし、彼女が何かを捨てているようには、鷲介には見えなかった。
「まぁ確かに、過度に目立つ女だ。だがそれだけに、厄介なのに目をつけられないとも限らないがな」
文仁は、いかにも不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
「厄介なの、って」
「出る杭は打たれる、ということだ。うちはゆるゆるした学校だが、偏差値的にはそこそこなだけに、あからさまな不良なんかは居ない。だが、女のグループ的社会力学はきっちりと存在している」
「ああ、なるほど。分からないでもない」
鷲介は軽く身震いをする。自分がセラフィーナなら、きっとそうなっている。
だが――
「問題ない」
「ほう、断言するか。根拠はあるのか?」
根拠は、無いわけではない。しかし、鷲介はそれを文仁に説明してやることは出来ない。魔術師同士の事など、一般人は知らないほうがいいのだから。
「根拠はない。ただ、なんとなくだ」
「なんとなく、とは。なんともお前らしくないな」
「そうでもない。と、思う」
「今度は、いつもいつも、言葉が否定まみれのお前らしくもない物言いだ。さてさて、どうしたのやら」
文仁はにやりと意地悪く笑う。
「惚れでもしたか?」
「そんな事はない」
セラフィーナの事が気にかかるのは、事実だが。そういう分かりやすい感情ではないような気がしていた。彼女が理不尽に傷つけられるなら、身を呈してでも守らなくてはと考えてしまうのは――そしてそう行動してしまったのは確かだ。
しかし、ただそれだけでは無い。自らの心がぬるりとすり抜けて、掴むことが出来ない。もどかしさに、苛立つ。ままならないことばかりだ。
二人が眺めている輪から、紅音が弾かれるように出てくる。ぜいぜいと息を切らせながらも、その勢いが衰えることはない。
「お前も物好きだな、伊坂紅音。あんな人の群れに率先して突っ込んでいくとは」
「何言ってんだ、今行かないでどーする! しかしあれだな、なんか良い人だな!」
くりくりとした眼を輝かせながら、文仁に向かって紅音は言う。
「受け答えはてーねーだし、飴くれたし」
「飴をくれたら良い人って、お前馬鹿か? 馬鹿だろう? 馬鹿に違いない」
「同意せざるを得ない」
呆れて半目になる男二人の視線を無視するかのように、紅音は飴の包み紙をくるりと剥いて、飴をひょいと放り投げると、自らの口でキャッチした。
そのまま、幸せそうな顔で飴を舐め始める。
「うめぇ」
「おい、黒神。この女をどうにかしろ。なんかもうどうしようもないぞ。将来的に碌な事になりゃしないに決まってる」
「いや、そうとは限らない。こういうのが、案外世の中渡っていくのかもしれない」
「マジかよ」
「根拠はない」
「だろうさ」
文仁は演技がかったオーバーさで肩を竦める。
鷲介が言ったことに、根拠はない。しかし、鷲介自身の体感として、ああいう人間が道を違えることはないだろうという確信はある。日の当たる道を歩き続けていけるタイプの人間だ。鷲介とは違い。
人だかりの中から、セラフィーナの声がした。人だかりの中にあっても、鷲介の耳まで届く、よく通る声だ。
「ごめんなさい、ちょっとお手洗いに……」
「場所は分かる?」
「ええ、予め確認しておいたから」
すらりと席から立ち上がり、取り巻く人の波を割るようにしてセラフィーナが歩いて行く。教室から出る前に通る鷲介達の席の前で、セラフィーナは一度だけ視線を鷲介の方に動かした。
それを受けて、鷲介ものそりと席から立った。
「お、鷲介。どーした?」
「トイレだ。午後の授業が始まる前に済ませておかないと」
「はいはーい、いってらー」
無闇に大きく手を振る紅音を背にして、鷲介もまた教室から出た。
「邪魔が入らなさそうな所、ある?」
後ろ手で教室の扉を閉めると同時、横から声を掛けられる。鷲介がそちらを向くと、腕を組み、背を壁に預けたセラフィーナがそこに居た。セラフィーナは問いかけと同時に、小首を傾げた。
「屋上なら、人は来ない」
「じゃあ、行きましょうか。エスコートしてくれる?」
「喜んで……と言っても、然程距離はない」
そう言って、鷲介は廊下を歩き出す。階段はすぐそこで、鷲介達のクラスである二年B組は最上階に位置している。
僅かばかりの階段を登り、ガタつく重い金属の扉を開ける。開けるのには、鷲介でも多少力を入れる必要があった。両腕に力を入れるたびに、扉の裂け目が広がり、そこから陽光が差してきた。
「立て付けが悪いのか、扉がやけに重い」
「その所為で、誰も入ってこない、ってこと?」
「それで間違いない」
セラフィーナが屋上に入ってくると、鷲介は屋上の扉を閉めた。そうしている間に、セラフィーナはペントハウスの壁にもたれかかり腰を下ろしていた。
「ふぅ」
「お疲れさん」
そう言って、鷲介はセラフィーナの隣に腰を下ろした。
「確かに、ちょっと疲れたわ。でも、こういうのって初めてだから楽しい気もする、かな」
セラフィーナは笑う。
――なるほど、特殊な環境の出、ということか。
それなりに名の有る魔術師の家系なら、現代であろうとあり得ない話というわけではないのだろう、と鷲介は思う。まともな学生生活など、望むべくもない。年若くして魔術師になるには、その程度の代償は支払わなければならないのだ。
「昨日はどうしたんだ。野宿か」
「……新聞紙って、結構あったかいのね」
そう応えるセラフィーナは、遠い目をしている。
「……普通に、うちに泊まれば良かったんじゃないか?」
「お願いするわ。何処か、腰を落ち着ける場所を見つけるまででいいから」
その、いかにも真剣な表情を見て、鷲介は溜息を一つ吐いた。この少女、存外考えなしなところがあるようだ。
「それで、なんでまたうちの高校に転校なんてしてきたんだ?」
「上からの指示よ。まだこの事件が終わっていない以上、この街における活動拠点を確保することは必要だもの」
「だからって、わざわざ転校してこなくても」
セラフィーナは顔を横にした。
「それだけじゃないわ」
相対したセラフィーナの視線は、鷲介の瞳を真っ直ぐ貫いている。痛いほど真っ直ぐな視線を受け止めきれず、鷲介は視線を逸らした。それに構うこと無く、セラフィーナは続ける。
「あなたを監視しなくてはいけない――というのも、理由よ」
「私を?」
「そう」
セラフィーナがこくりと頷いたのを、鷲介は影の動きで把握する。
「代演機は現代で考えうる最強の術式兵装よ。それを、シギルムの外側にいる人間が持っているというのは、それだけでシギルムにとっては脅威なの」
「有羅さんの管理下に一応あることはあるんだが。結局は、私も、あの男も、シギルムからすれば然程変わらない。そういうことか」
「ごめんなさい」
そう言って、セラフィーナは目を伏せた。
「君が謝ることじゃない。シギルムらしいやりかた、ただそれだけのことだ」
「それでも、やっているのは私だから。ごめんなさい」
シギルムに対して思うところがないわけでもないが、今更そんな事を言っても仕方がない。出来れば巻き込まれたくなかったが、巻き込まれてしまった以上、シギルムに弓を引くつもりはない。そのやり方に、異を唱えるつもりも。そんなことをすれば、シギルムがどのような対応をするのか、鷲介はよく知っている。
しかし、そんな事を彼女に言うつもりもなかった。
申し訳なさそうに、セラフィーナは口を開く。
「ごめんなさい、のついでに、お願いがあるわ。あの男を倒し、《ルベル》――あの代演機を奪い返すか、破壊するまで、私達に力を貸して」
予想しきっていた願いだった。そして、了解するつもりでいた願いだった。しかし、それを聞いた時、鷲介は即答できなかった。
目を逸らす。喉を鳴らして唾を飲み込む。手が小刻みに震えていた。
シギルムに逆らうつもりはない。逆らった所で痛い目を見るばかりだ。しかし、こうしてその大きな流れの一部に組み込まれていくのも、それはそれで恐ろしかった。無理な望みを挙げているに過ぎないという自覚は、鷲介にもある。
――ならば、そう思うならば何故――
あの時、自分はセラフィーナを助けようとなどしたのだろう。結局、その疑問がまた立ちはだかってくる。自分はどうしたいのだろう。
「……鷲介?」
声に反応して振り向くと、セラフィーナが心配そうな上目遣いで鷲介の方を見ていた。
「あ、ああ。済まない。分かっている。分かっているさ」
手の汗を意識しないようにしながらも、鷲介はそう答えた。自分がどうしたいか、などを無視して、やらなければならないことは有る。確実に。