ヒロイン、野宿宣言
《グラディウス》を置いて、鷲介とセラフィーナは自分達を転送した。出てきた場所は、内藤古書堂、休憩室だ。
人間の姿に戻ったセラフィーナを抱き抱えるようにして着地する。
「大丈夫か?」
と言ってセラフィーナを見て、鷲介は慌てて手を引いた。セラフィーナの背や細い腰に自分の手がしっかりと周っていた。少し離れた場所に、二人で腰を下ろす。
「ええ、身体のほうは問題ないわ。ただ……」
そう言うと、セラフィーナはその白くて細い手指を握ったり開いたりする。
「ただ?」
「あの男が言った、刃魔の毒っていうのは本当みたいね。魔術の制御、少なくとも一人では録に出来そうにないわ」
そう言えば、刃魔で攻撃を受けた時にそんなことを言っていた、と鷲介は思い出す。その時に受けた傷は、多少跡は残っているが塞がっている。
「まぁ、なんでもいい。とりあえず、傷口に包帯でも巻こう」
「お願いするわ。ところで、一つ聞いておきたいんだけれど」
セラフィーナはきょろきょろとあたりを見回す。
「ここは、何処なの? あそこが異界で、あなたが魔術師だった以上、シギルムと無関係というわけではないのだろうけど」
シギルム・グループは、国際的な混合企業である。材料工学から、玩具製造まで様々な業種に参入しており、その全てでトップクラスの業績を出している。しかし、それは表向きの姿にすぎない。その真の姿は、魔術の研究、封印を行う魔術結社である。
太古から、人間は様々な魔術を研鑽してきた。そしてその存在は秘され、それ故に魔術を行使するものは得意技能者として尊敬されたり、背徳者として忌み嫌われたりしてきた。
あるとき、とある魔術師が、魔術が拡散していることの危険性に気が付いた。科学では、何時追いつけるのか謎なほどの、超技術。これが各地で無秩序に研鑽され、行使されていることの危険性。
幾つかの魔術結社や退魔組織が手を組み、魔術を封印するための魔術結社を作った。それが、魔術結社としてのシギルムである。
各地の魔術結社のうち、危険なものを潰し、ノウハウを接収、他の魔術結社に技術的優位を渡さないために、魔術を独自に発展させていく。そのための資金を求めて、設立されたのが、混合企業としてのシギルム・グループである。錬金術を応用した新素材、軽度な未来予知を用いた投資ファンド、その他諸々の魔術を応用した経済活動は、どれも高い業績を上げている。
「内藤古書堂、その休憩室」
「内藤……ってことは、あの有羅さんの?」
「ああ、その有羅さんの」
一瞬で名前が出てくる辺り、有羅はシギルム・グループでも有名なのだろうか、と鷲介は考える。やっていることは未解読魔術書の解読ぐらいだったはずだが。
「とりあえず、奥まで行くとしようか」
「そうね。お邪魔するわ……くっ」
立ち上がろうとして、セラフィーナは細い眉を歪めながら肩を押さえた。
「大丈夫か」
鷲介はセラフィーナの肩を担ぐ。どうやら、まだ痛みは残ったままのようだ。魔術による無理矢理な回復の影響だろうか。
鷲介にかかるセラフィーナの体重は、ひどく軽かった。肩から首に回った手は、細かった。まるでガラス細工のように繊細な少女だった。それを感じて、鷲介は胸に切ないものが走った。
「肩、ありがとう……」
「今更気にするようなことじゃ無い。体重はこっちに預けて構わない」
セラフィーナが身体を預けてくる。それが暖かくて柔らかいのが、妙に辛かった。
靴を脱いで屋内に上がり、近くのふすまを開ける。
「はいはい、鷲介君お疲れ様。お駄賃は出さないけどね……って、あれ? その娘は?」
そこには、あぐらをかいて緑茶を啜っている有羅の姿があった。その視線は、有羅にとっては見知らぬ少女であろう、セラフィーナへと注がれている。
「初めまして、内藤有羅さん。シギルムで戦闘魔術師をしている、セラフィーナ・ディクスンと言うものです。ジェイナス・ロスに師事しております」
「ジェイナス・ロス……」
「ああ、ジェイナスのところの。そういえばそうだったねぇ、あいつがちょっと前にそんなこと言ってたっけ。そうかそうか、君がその娘か。ふふふ、因果だねぇ。因果ってやつだねぇ」
鷲介の呟きを無視して、有羅は手を派手に打ちつけながら言う。
「で、そのセラちゃんが、なんでそんなに怪我まみれでこの古本屋に居るのかな? そして鷲介君に頼んだ事は?」
「それに関しては私が説明……うっ」
「いや、私が説明するから、無理はしなくていい。有羅さん、上がるから」
そう言って二人で和室に上がると、鷲介は有羅に、先あったことを語った。地下の異界に入った後、代演機と共に魔術師――暁人がやってきたこと。暁人が襲いかかってきたこと。それを追ってセラフィーナがやって来たこと。代演機同士の戦闘が起こったこと。そして、その結果異界が崩壊したこと。それら全てを。
「妨害を受けた転送魔術が、不安定だったうちの異界と繋がっちゃったかな? もう少し早く札を置いてたら……どっちにしろ駄目だったかな。まぁ、異界の中にワープアウトされただけ、むしろラッキーだったと思うことにしておこうかねえ。で、その襲ってきたハリキリボーイは何者なのかな?」
「それに関しては分かっていません。ただ、代演機を奪うために、工房に攻撃を仕掛けてきたということだけは確かです」
苦しそうに言うセラフィーナを、楽しそうに目を細めて眺めながら、有羅は口を開く。いつも通りの楽しそうな様子に、鷲介は自らの拳を、痛みを覚えるほど強く握った。
「代演機ねぇ。あれはさあ、危ないよねぇ。パワーと汎用性がありすぎるよ。振るう人間を、神の如き力の担い手に変化させる、機神。オーバーキルだと思うんだけどねぇ」
有羅の言葉に、途端にセラフィーナは不機嫌そうに眉を顰めた。
「シギルムの批判ですか? 代演機は、他の魔術結社に対する絶対的なアドバンテージです。他の魔術結社に対する抑止力として、必要です」
「言いたいことはわからないでもないけどねぇ。ある程度個人で運用可能な戦術兵器級の代物なんて、どう考えても正気じゃないよ。アドバンテージなんて、組織力と資金力で十分だって思うんだけどなぁ」
「それに関してはシギルム上層部の方針の問題です。私達が考えることではありません! ……私は少し、シギルムに連絡を取ります」
そう言って、勢い良く立ち上がると、セラフィーナは部屋の外に出た。
「あはは、ちょっと怒らせちゃったかなぁ。若い子は短気で良くないよねぇ、もうちょっと人の話と自分の意見の妥協点って奴を見出していこうとしなきゃ駄目だよ。折角、他の動物と比べてやたらと強力なコミュニケーション能力を持ってるんだからさあ。そう思うだろう、鷲介君?」
「無駄に煽ったあなたが言う資格は無い」
「おっと、相変わらず手厳しいねぇ。でもまぁ、ご当人が出て行っちゃったから、そこら辺はまぁどうでもいいや。ところで、どんな気分だい?」
「何の話だ?」
有羅はニヤリといやらしく笑い、その両手の内側で湯呑みを回転させる。
「魔術はもう使わない、なんて言ってたのに、気付いたら代演機まで動かしてるみたいじゃないか。どういう風の吹き回しなんだい?」
言葉ではなく、舌打ちと視線を逸らすことによって、鷲介は返答とした。それを見なかったかのように、有羅は言葉を続ける。朗々と語る声の調子は、舞台に一人立っているかのようだ。
「ふふん。だから言っただろう、因果は巡ってやってくる、演者は舞台に上がらなければならない。君は、魔術師であるという事実から、逃げられなどしないのさ」
有羅はひらひらと蝶のように舞わせた左の平手を、右の拳で撃ち抜いた。
「それは悲劇なのかな? 喜劇なのかな? まぁ、筋書きは僕じゃあ無いし、悲劇とか喜劇なんてのは割りと観客の見方で変わるものだから、分からないんだけどね――それで君は、どうするつもりなんだい?」
「どう、って?」
「まさか今さら知らないふりも出来ないだろう? 代演機の操手は、シギルム全体で見てもそんなに数が居るわけじゃあない。そのはっちゃけた魔術師とやらを止めるのは、間違い無く君の役目だよ。あの娘は……どうやら、今は魔術がろくに使えなさそうだしね」
人差し指を額につきつけられても、鷲介は返答しなかった。
何故、自分はセラフィーナに手を貸したのか。その答えが、上手く見つけられないまま、舞台から降りられなくだけなっている。
そのことに、思わず怖気を覚えた。魔術を捨てたのは、どうせ何も出来はしないと考えたからだった。そんなもので抗し得ないものの存在を知ってしまったからだ。そしてそれに巻き込まれないようにしたつもりが、またそれに絡め取られている。
それは、有羅が言うところの運命や因果等というものではなかった。もっと具体的でありながら、存在を実感することが難しいものだった。
「失礼しました」
襖が開いて、セラフィーナが戻ってきた。先ほど声を荒げた様子は、綺麗に漂白されている。
「おやおや、相談は終わりかい? 意外と早かったねぇ。で、どうするつもりなんだい」
「本日は近くに泊まります。明日以降の事は、シギルムから指示が出ているので明日以降に」
そう言うと、立ったまま鷲介に顔を向けた。
「《グラディウス》を、修理のためにあの崩壊した異界から工房へ送るわ。場所は私が指定するから、転送魔術をお願い」
「ああ分かった」
セラフィーナが差し出した手、その滑らかな甲に触れる。《グラディウス》の電脳に転送魔術の共通化術式を走らせ、少女の手から伝わってくる情報が示す位置へと《グラディウス》を飛ばした。
「――これで良いのか」
「ええ、ありがとう。それじゃ、私は出るわ」
「……泊まる場所の安全性はどうなんだ? あいつが襲ってくる可能性だってあるだろう」
「そこの所は、僕もちょっと気に
なったかなぁ。君達を襲ってきたそいつって、多分だけど、民間人の被害とか気にしないんじゃないの?」
鷲介と有羅が続けて問う。
「それに関しては」
と、セラフィーナが自分の顔を広げた手指で隠す。それで顔をつるりと撫でると、次の瞬間にはセラフィーナの姿が消えていた。代わりに、足元には白金色の毛並みをした、猫がちょこんと座っていた。まだ、変身魔術は使えるようだった。
「こうしてしまえば、一晩くらいなら大丈夫。私からしたら、場所が割れているあなた達の方が心配だわ」
「まぁ、そうだねぇ。うちは正直、襲ってくださいって言ってるのと変わらないからねぇ。そのくせ、真っ当な戦闘要員が鷲介君しか居ないっていうね。まぁ、一応程度の魔術的防護は有るから、まぁそれが働いてくれることを祈るしか無いねぇ」
「ああ見えて、あの男は抜け目無いようでした。恐らく、無闇に突っ込んでくることはないでしょう。それでは、また明日」
「あっ」
おどけたように肩を竦める有羅を横目で見ながら、前足で器用にふすまを開けて、セラフィーナは出て行った。
それに鷲介は手を伸ばそうとして、中途半端なところで止まった。掛ける言葉が、喉の手前にすらやってこなかった。
「ところでさぁ、猫姿で一夜明かすって事は、あの娘今夜は野宿するつもりってことなのかねぇ」
「あっ」