邂逅 三
鷲介のガンドは、男――暁人にとっては、完全な不意打ちとなった。当然だ。関係者だとは考えていたが、魔術師であるとは考えなかった。もし魔術師であるならば、当然今までの暁人の攻撃に対して、魔術をもって抗しようとするからだ。
故に、その一撃を側頭部に完全に受けることとなった。受けたのは、ただのガンド撃ちでは無かった。物理的な破壊力を持つ、フィンの一撃だ。
「が――!」
まるでボーリングの球でも投げつけられたかのように、暁人の首が捻じれ、バランスを失った肉体が吹き飛んでいく。
それを確認した鷲介は、少女――セラフィーナに駆け寄った。
「大丈夫か!」
そうして、無理矢理セラフィーナの肩に刺さった魔種を引き抜く。
「ん、ああ……が」
魔種は抜けづらいように、変形して返しを持っていた。それを無理矢理引きぬいたことにより、肩の肉もまた諸共に持っていかれることになった。熱っぽい声を上げながら、噴水のような出血を、セラフィーナは手で抑えようとする。
少し間を開けて、セラフィーナは一息吐いた。脂汗が光っているが、先よりは落ち着いたようだった。
「ありがとう……助かったわ」
セラフィーナは息も絶え絶えにそう言う。
「い、いや、私の方こそ助かった」
鷲介は、困惑していた。
――何故、魔術を……!
使う気の無かった魔術を、使ってしまった。何故か、自分でも理解不能な衝動が身体を動かしたのだ。
そんな鷲介の困惑を余所に、セラフィーナは片目を瞑ったまま、傷口を抑えたまま立ち上がった。傷口から、彼女の血管すら透けて見えそうな白い肌を通って赤い道が出来、ぽたり、ぽたりと雫が垂れ落ちている。
「お、おい、何を――」
「決まって、いるわ。あの男を、倒すのよ」
その息が早い。顔色も青ざめている。当然だ。継続的に与えられる痛みは無くなったとは言え、ダメージは大きい。出血も酷い。魔術の行使が阻害されているなら、回復もままならないだろう。その激痛は、嘔吐感すら覚えるほどのはず。
セラフィーナは、その視線を吹き飛んだ暁人の方へと向ける。男はまだ生きている。既に、体勢を直そうとしている。
確かに、あの男は危険だと鷲介も理解している。しかし、こんな戦っても死ぬだけなのが見えている状況で、戦うのは無駄だ。頭に血が上る。
「ふざけるな! お前自分の状態が分かってるのか? さっきの男が言う事が確かなら、お前は賦活魔術もろくすっぽ使えないんだろ! 立ってるのだってやっとって顔してる! 戦う意味が無い!」
「それでも」
セラフィーナは、震える声で言う。
「それでも、私がやらなくちゃいけないの」
「なんでだよ。お前が魔術師だからか? そんな事で命をぶん投げるなんてふざけてる。あり得ない!」
「私にとっては、そんな事じゃないの。責務を果たさなくちゃ、他人には認めて貰えない。そんなのは嫌。だから戦うの」
でも、とセラフィーナを一度言葉を切り、青ざめた頬に僅かに紅を差した。
「ありがとう、あなた優しいのね」
セラフィーナはそう言って、震える足取りのまま、鷲介に背を向ける。
鷲介は呆けていた。セラフィーナの言葉が突き刺さっていた。
「一つだけ言っておくわ。私は『お前』じゃないわ。セラフィーナ。セラフィーナ・ディクスン。覚えておいて」
痛みに耐えながらの声だったが、いや或いはそれ故か、鷲介にはセラフィーナの声に誇りの色を感じた。
死に安らぎを――いや、逃げ場を求めた鷲介とは、まるで違う姿だった。
そう思った時、一歩足を踏み出していた。一つの決意と共に。
「鷲介。黒神鷲介だ」
そうして、彼女の横に並ぶと、魔術で強化した拳を、セラフィーナの腹部に叩き込んだ。
「え――」
大きな目を丸くし、どうして? と言いたげな表情で、崩れるように倒れるセラフィーナを見ることもなく。鷲介はそのまま歩いた。その先には、立ち上がろうとしている暁人が居る。
――どうして、こんなことをしているのだろう。
問う。
少女――セラフィーナ・ディクスンが戦うことが無駄だからか? 少女に言った通り、無駄だから止めさせるべきだと考えたからか? 無意味に死なせたくなかったか?
それもある。だが、それだけではないとも思っている。先程のセラフィーナの言葉を思い出す。
――責務を果たさなくちゃ、他人には認めて貰えない。そんなのは嫌。だから戦うの。
気の迷いのような気もする。自棄糞のような気もする。
だが、自らの意志で戦いに臨もうとしている。それもまた事実だと鷲介は認識していた。
セラフィーナの言葉に共感したわけではない。しかし、思うところがあったのも事実だ。
頭を振りながら立ち上がる暁人に、鷲介は拳銃を抜くように自分の手指を突きつける。
「代打、私だ」
魔術を行使。人差し指の先端からフィンの一撃を発射。弾丸と化した精神は、矢のような速さで暁人に殺到する。
しかしそれは先とは違い、暁人に命中する寸前で破砕音を残して破裂する。防護魔術の展開だ。
「さっきはやってくれたじゃねぇか。まさか魔術師だとは思わなかったぜ」
「魔術師じゃ無い。少なくともさっきまでは魔術師じゃなかった」
「てめぇの事情なんか知るかよ。まぁ、ぶん殴られた借りは返して――」
暁人の手に刃魔が生み出される。
「やるよぉ!」
投擲された。刃魔は口を開け、歯を剥き出しにして鷲介に向かって飛んでくる。その射線上――顔の前に、鷲介は右手を突き出す。その形は、人差指と中指を揃えて立てたもの。洋の東西を問わず、刀剣の印として扱われる呪印、刀印である。
指から、魔術の刃が伸びる。それに正面から衝突した魔種は、二つに裂かれて左右に吹き飛んでいく。
「あまり舐めないほうが良い」
「へぇ」
暁人が片頬を釣り上げる。
二人が地を蹴るのは同時。中間点で二人は交錯する。
暁人の右腕に握られた刃魔と、鷲介の右手から伸びる魔剣の軌跡が重なる。
二人共同じように片足で着地、それを軸足としてブレーキを掛けながら、ターンして向き合う。
鷲介の魔剣は無傷。暁人の刃魔は両断されていた。刃魔は魔種に刃としての性質をもたせたものである。魔種として応用が効く代わりに、より純粋な斬断の魔術である魔剣には、刀剣としては劣る。
「はっはぁ! お前ェ! あのクソアマよりは楽しませてくれるよ!」
哄笑を上げ、暁人は両手首をくるりと回転させる。次の瞬間には、その指の股に、今まで使っていた刃魔を更に短くしたものが握られていた。片手に各四本ずつ、合計八本。両手を叩きつけるように振り下ろすと同時、それが全て投擲される。
投擲された刃魔は空中で形状を変質させる。ブーメランや戦輪、或いは戦斧、その形状変化によって、投擲の軌道も変化する。
その只中へ、鷲介は駆け込んでいく。左手にも刀印を結び、魔剣を構成。二振りの魔剣で刃魔を切り払う。刃魔は正面、側面、背面と様々な方向から鷲介に襲い掛かってくる。変形を繰り返すことで、投擲の軌道を何度も変化させているのだ。しかし、それら全てを鷲介は切り捨てていた。
後ろから飛んでこようと横から飛んでこようと、風切り音は消えない。投擲された刃魔は、その縦横無尽なコントロールと引き換えに、速度はそれほどではない。飛んでくる方向さえ分かっていれば、目を向けずとも回避は不可能ではない。
暁人は無防備だった。歯を剥き出しにした笑みを浮かべたまま、両手を投げ出して突っ立っている。
――誘っているのか?
だとしても、鷲介に出来る事は多くない。
誘いだろうと、乗るしか無い。暁人までの左手を振る。暁人は魔剣の間合いからは外れているが、魔剣は斬断の魔術であり、ただの剣ではない。そのまま放てば、触れたものを斬り裂く矢となりうる。斬断魔術を追いかけるように、鷲介は走る。
破砕音。魔剣は暁人が展開した防護魔術と衝突する。しかし、それは完全に防がれたわけではなかった。防護魔術は、今、完全に消滅していた。斬断魔術と対消滅したのだ。そこに、鷲介が走り込む。
「死ね!」
魔剣の刺突が、暁人の脳天に飛ぶ。
「それじゃ死んでやれねぇなぁ」
暁人はそれを、身を反らして回避する。突き出された魔剣と並行になるほどの反り。そこから体勢を戻そうとせず、更に見を反らせる。そのまま手を地に付き、マット運動の容量で足を振り子のように振るい上げる。
暁人の靴先が鷲介の顎に入った。
「あがぁッ!」
痛みと衝撃が稲妻のように走り、首が上を向く。無限の高さを持つ天井が目に入った。
――体制を立て直す? いや、間に合わない!
足音。それも走る足音が聞こえる。
暁人の次の攻撃が来る方が早い。それを防ぐには、読みしか無い。考えろ。次にあの男が狙うとしたら、何処だ。自分があの男なら、何処を狙う?
鷲介は左手で刀印を結び、それで見えていない下を高速で薙ぎ払った。
「ち」
舌打ちと、擦過音が。
どうやら、上手く暁人の狙いを潰すことが出来たようだ。顎をかち上げ、視線を上げた上で下から攻める。分かりやすいが効果的だった。
暁人が動き始めるよりも早く後ろに飛び跳ねて、鷲介は体勢を立て直す。
両手を払うように叩き合わせながら、暁人は立ち上がる。鷲介がその表情を見ても、そこから動揺や焦燥を見出すことは出来なかった。
「思ったよりはやるじゃねぇか。なら、もうちょっと上げていくぜ――《ルベル》! トリガーオープン!」
暁人がそう言うと同時、鷲介の視界から消える。
即座に、鷲介は跳躍する。寸残まで居た場所を、背後から暁人の刃魔が斬り裂く。歩法すら用いない、無拍子での短距離空間転移だ。
暁人は鷲介の方に顔を向け、歯を見せる。その姿がまた掻き消える。
冷や汗を垂らしながら、今度は前に跳躍する。低く飛び込むように地を蹴り、回転しながらの受け身で直ぐ様体勢を直す。
高速で、動作や呪文を必要としない魔術。鷲介はこれを、知っている。これは、代演機の共通化術式によるものだ。
顔色が青ざめていくのが自分でも分かる。
やはり、無謀だったのか。
怯える兎のように飛び跳ねながら、鷲介は思う。代演機の操手なのは分かっていた、代演機の操手がどのような強さを持っているかも分かっていた。
なのにどうして、戦おうとしたのか。無駄だ、意味が無い、どうせ潰される――そんなことは、分かりきっていたのに。
迷いが肉体へと伝播し、足が縺れた。
正面に、暁人が現れる。両手の指の股全てに捩れた刃魔が挟められていた。まるで、獣の爪のように。
「さよならだ、糞ガキィ!」
振り下ろされるそれに、鷲介は目を瞑って両腕を交差させつつ防御しようとする。意思よりも本能が先に立つ動きだった。
自分の両腕がずたずたに斬り裂かれる様を、鷲介は幻視した。
その幻視は直ぐ様現実と重なるはずだった。しかし、そうなったことを告げる激痛は訪れなかった。
代わりに聞こえたのは、にゃあ、という猫の鳴き声だった。
目を開けると、暁人の足首に、白金色の毛並みをした猫が噛み付いているのが見えた。
暁人は見るからに困惑していた。鷲介もそれは同様だった。何故、こんなところに猫が居る――?
困惑を斬り裂くように、噛み付いた猫の口からぱちぱちという炸裂音が鳴った。同時に、やや青みを帯びた光も生まれる。
「まさか――」
「てめぇッ!」
暁人と鷲介の驚愕を余所にして、猫はその口から光と音――雷光を迸らせた。猫の歯は、僅かとはいえ暁人の皮膚を破り、血管に達している。血管を導線として、雷撃が暁人の体内を駆け巡る。
「が……糞が!」
噛み付かれた足を振り払い、猫を吹き飛ばす暁人。
その間に鷲介は距離を取り、吹き飛ばされた猫は空中で体勢を整えて着地する。
「どう? 一矢報いてやったわ」
猫のその声は、間違いなくセラフィーナのものだった。