(4) 自炎落つ
【お題】悪、人工、馬鹿
何かもっと、楽して金が入ってこないかなぁ……なんてことを思ってはいた。
一応二流だがマイナーな大学を出こそしたものの、馬場はずるずるとこのフリーター生活
を続けていた。
貧乏といえば(やりくり次第では)そうでもないし、しかして相対的にみればそうなのか
もしれない。だが少なくとも、馬場自身は気の置けない友人らもいるし趣味の機械弄りさえ
できれば結構楽しい。ただもう少し、もう少し自由に遊べる金があればなぁと思っていた、
それだけだった。
「──高額バイト?」
それは学生時代の先輩からふと掛かってきた一本の電話から始まった。
曰く、とあるバイトに参加してみないかという誘い。働き次第では数十万──数百万を荒
稼ぎすることも可能だという。
最初こそ、馬場は携帯を首と横顎に挟んだまま訝しんだ。
そんな旨い話がそう転がっているものなのか……。
だが彼の賢明な思考はそこまでだった。曰く、先輩もそのバイトでたんまりと給金をせし
めたのだという。
久しぶりにその先輩に会った。機嫌がいいのか、焼肉を奢ってくれた。
二人して煙上る焼き網を囲んで肉を突く。よほど先輩はいい思いをしたらしい。
「まぁ……守秘義務ってやつ? それであんまり詳しいことは言えないんだけどな」
もぐもぐくちゃくちゃと。互いに食べながらの話だったので掻い摘むと、件のバイトとは
要するにインターネットへ書き込みを行う人員の募集らしい。
当人が言うように、具体的に何をするのかはとうとう教えて貰えずじまいだった。訊ねる
度に彼が何処となく緊張しているようにも思えた。ただ彼曰く、他にもたくさんの参加者が
いるとのことだった。
ぐらりと気持ちが揺れた。
金銭的余裕欲しさと、他にもいるんだというこの国の人間らしい集団に埋もれる安堵感。
結局この日、馬場はこの先輩から紹介状と銘打った連絡先のメモを受け取った。
『申請有難うございます』
連絡先、その電話の向こうから聞こえてきたのは聞く限りは丁寧な、しかし多分営業用の
それなんだろうなと思われる男性の声だった。
馬場は先輩から紹介を受けたこと、詳しくはそちらから説明を受けられることを話し、こ
のバイトについて幾つか訊き・訊かれるのを繰り返した。
『はい。当方ではインターネット上で書き込みをしていただくお仕事となっています。勿論
初心者の方の為にこちらで相応の各種対策とマニュアルを用意しておりますので、内容自体
はさほど難しいものではございません』
先日との先輩との焼肉の時、何となく脳裏に過ぎらせていたが、やはりそうなのかと馬場
はぼんやりと思った。
──サクラ。そんなフレーズが思い浮かんではそそくさと喉元で引き返していく。
ならば高額の報酬も納得だろう。むしろリスク対策を向こうでやってくれている分、まだ
良心的であるのかもしれない。
前向きな返事をすると、一週間もせずに一度面談をしたいということで出掛けた。待ち合
わせ先である、とある雑居ビルの一室で待っていたのは三人ほどの黒服達だった。
ここで馬場は、ようやくこれは面談というより値踏みなんだなと感じた。
こちらの突っ込んだ質問には最初、全く答えてくれなった。ただ参加の意思はあるのか、
途中放棄しないかを念入りに確認されたからだ。
……引き返すのが怖くなった。リスクは向こう持ちと銘打っていても、ここで突っ撥ねて
帰ってしまえば何をされるか分からない。馬場は思い、遂に期間契約の書面にサインをする
ことになる。
「ありがとうございます。それでは具体的なお話といきましょうか」
「当方ではインターネット上での書き込み作業をしていただきます。馬場さんはネット上に
おける“炎上”というものをご存知ですね?」
「ええ……。さっきも言いましたが、自分も結構頻繁にネットは使ってるので……」
「結構。というのも、他でもなく我々はそうした案件を扱っているのですよ」
「……はい?」
数拍、室内がピリリと沈黙したような気がした。
馬場が目を瞬き腑抜けたように聞き返すと、黒服達は一度軽く咳払いをし、その瞳に強さ
を込めて言う。
「今こうしている間にも、世の中にはインターネットを介した不法行為・不道徳な行為がの
さばっています。我々はそれらを人海戦術で見つけ、拡散・批判、場合によってはこうした
者達にしかるべき裁きを与えることを目的としているのです」
馬場はほう……と唸る一方、思った。
正義感、か。だが人を雇ってまで民間がやることなのか? 高給なのはやはり──。
「ご安心を。仮に反撃があろうともこちらは万全のバックアップを致します」
「そもそも皆さんに書き込みで使用していただく機材およびアカウントは、こちらで用意し
たものとなっています。ネット上である限り、そちらへの実害は極めて少ないものと考えて
おります」
「……捨てアカってことですか」
馬場は呟いて、黒服達は声に出さずとも首肯していた。
なるほど。見えてきた。確かにこれは相応の金を出さないと食いつかない類の仕事だ。
「馬場さん達参加者の皆さんにはそれぞれ幾つかのアカウントを使い分け、選定されたター
ゲットへの批判をお願いしたいのです。主に拡散は別口の方がやってくれます」
「書き込みは一件につき二千円。批判に有効打である限り、上限はありません」
「ッ!?」
「但し……貴方が、我々が関わっていることを口外すればそれまでの支給額は全て没収され
るのでそのつもりで」
思わず驚いて声を詰まらせてしまった。そして理解した。
ああ、これが先輩の言っていた守秘義務というやつか。確かにサクラだとばれてしまって
は元も子もなかろう。文字通り共犯な訳だ。……契約書には、サインしたのだし。
「……分かりました」
「ご理解いただき感謝します。これで面談はおしまいです、ありがとうございました」
「後日、実際のターゲットやマニュアルなどを通知・郵送しますので、準備が整い次第早速
始めてください」
最初の内は、勿論後ろめたさがあった。だが……そんな感覚がどんどん麻痺していくのが
自分でも分かった。
高揚感の類であったのかもしれない。自分(達)は正しいことをしているのだという自負
が芽生えていたのだろうか。
必要なものが一通り送られ、馬場は早速パソコンに向かいだす。
ターゲットは、ご丁寧に飲酒運転をネット上で自慢する馬鹿どもだった。
おそらくは彼ら自身、この直撮りの写真が見も知らぬ他人──外側の人間達に見られてい
ることなど想像していないのだろう。あくまで“身内”だけで共有する笑い話、それ以上で
もそれ以下でもない。
……腹が立った。先日も飲酒運転で下校中の子供の列に突っ込んだ男がいたではないか。
確か後日のニュースで、その男は一審の懲役刑が下った筈だ。控訴したかどうかまでは見
ていないが、未来ある子供達の生命を奪っておいて果たしてそんな程度で足りるのか。
気付けば猛烈にキーボードを叩いていた。
批判。飲酒運転という違法行為への、それらが起こす数々の悲劇の例、そして何よりもそ
うした愚かさを恥ともせずただ仲間内の娯楽にしている、その人間としてのレベルの低さ。
数分おきにページを更新すると、自分以外にも同じく彼らを非難する書き込みが続々と加
わっていた。
高揚していた。同志がいる。それがおそらくは自分と同じく雇われたサクラであるにして
も、あの面談で語られたことに同調したことには変わりはない。
裁きは何も法律だけではない。金だけではない。
“こういう奴らが人間の屑っていうんだよな。氏ねよ”
“想像力が足りない。本当に馬鹿にまでネットが浸透してるんだな”
“身元分かったぞー! ××県○○市の△△□□って男だ。残りの面子も調べてみる”
“サンクス。RTしとくぜ!”
“おいおまいら、早く所轄に電凸しろよ”
嗚呼、そうだ。
こういうクズどもがいるから、無関係なのに、幸せになれる筈だった誰かが割を食う──
その生命まで失わなければいけないなんて理不尽が罷り通るんだ……。
──だが、思いもしないことが起きた。
馬場達がこのターゲットらを“炎上”させて数日後、そのメンバーの一人である青年が突
如自殺したという報道が各所で一斉になされたのである。
ネット上でも賛否両論、少なくともユーザー達が揺らいでいるのが分かった。
当人の一人を自殺にまで追い込んでしまったことに後ろめたさを感じる、或いは同情する
声があった。
逆にむしろ「逃げやがった」と非難をし、一層彼と残りのメンバーの晒し上げに躍起にな
る声も少なくなかった。
或いは「いや……実は誰かに殺されたんじゃないか?」といった陰謀論を持ち出す者まで
出始めた。
連日、メディアは繰り返しこの一連の事件を報じていた。
事件の流れをおさらいし、昨今珍しくなくなってしまった“炎上”についての解説を挟ん
で先ず一通りのVTRとする。あとは、言いたい放題という意味では、ネットも既存メディ
アも大して変わりはない。
あーだこーだ。
様々な“炎上”に品が倫理がないと難癖をつけるだけのベテランご意見番、法的な規制が
やはり必要なのだと熱心に語る警察出身者や弁護士、専門家の類。或いはそうした意見すら
表現の自由を侵害するのではないかと、番組内の空気を読みつつトーンダウンで慎重意見を
述べるジャーナリストなコメンテーター。
「…………」
だが結局“死人に鞭を打つ”ことに変わりはないだろうと馬場は思った。もうやめてくれ
と彼は内心悲鳴を上げて彼らを止めたいとさえ思った。
自殺報道を知ったその日から、馬場は部屋に引き篭もりがちになった。
バイト先へも、シフトを減らしてくれるように頼んだ。普段の仕事に勤しむ気には到底
なれなかった。
……殺したのだ。自分が、あの青年を。
現実に警察が乗り込んできた訳ではない。誰かに指弾された訳ではない。いわば今回あの
バイトに加わった皆が犯人である筈だ。……だが、それで馬場の罪の意識が紛れることはな
かったのである。
毎日のように悔いた。カーテンを閉め切った部屋の中で、昼夜頭を抱え膝を抱えて苦悶し
続けた。もしかしたら──いやもしかしなくても、そんなこのポーズすら往生際が悪い以外
の何物でもないのではないかと思った。それだけ自分がやったことは、もう取り返しがつか
ないことだと思った。背筋が、全身が震え続けていた。心の熱が奪われる心地がした。
金は……届いた。それもたんまりと。思えば随分と手を変え品を変え批判コメントを繰り
返したものだ。
ほんの一ヶ月にも満たない期間だ。その間自分は正義感に酔い、そして今は自身の罪悪感
でもって今にも押し潰されそうになっている。
違うんだ。ただ俺は、もう少し遊ぶ金が欲しかっただけで……。
それが醜い言い訳であることは解り切っていた。それでも何度も何度も口に出し心の中で
呟かなければ正気を保っていられなかった。少なくとも発狂してしまいそうだった。
(こんな……こんなのを、俺は望んでた訳じゃない……)
誰か、助けてくれ。
だけども誰かにもし口外すれば? 約束の通りこの報酬は没収される。
だが……構わない。どんどん思考が正常ではなくなっていく。そうだ、こんなことをして
大金を得ても、自分はちっとも嬉しくない──。
鹿島は、自宅兼仕事場で複数のパソコンとファックスを動かしながら、その日も忙しなく
原稿作業をしていた。
彼女はフリーのジャーナリストである。
尤もそう言えば聞こえはいいが……現実は厳しい。情報の大部分は大手メディアが握って
いるし、そこから右に倣えという現状はいかんともし難い大壁なのだ。
確かに稼ぎは正社員時代よりも下がった。自分からそのパイ配分を降りたのだから。
だが、実を言うとさほど後悔はしていない。
やりがいだ。今の方が、ずっと自分の心が頷く仕事ができる──。
「うん……?」
そんな時だった。ふと鹿島はパソコンの一つに新着メールが届いているのに気付いた。
いつものように用心深くそのメールを見てみる。スパムの類か? それならまだいいが、
古巣からの邪魔だとすればもっと面倒である。
「……誰だろ。知らない名前……」
題名には『拝啓 鹿島智子さん』とだけあった。
少なくとも相手はこちらの事を知っている。
そんなに名を挙げたかな? 少し嬉しいような恥ずかしいような。
だが鹿島はすぐにまた警戒の態度を解きはしなかった。少し間を置き、ウィルス防止プロ
グラムが動作し最新であることを確認してから、クリックして文面を開く。
『突然のメールを失礼します。私は◇◇市に住む馬場史明という者です。今回は貴女がネッ
ト上の炎上事件に関して精力的に活動されているジャーナリストだと知り、コンタクトを取
らせていただきました』
「……」
依頼かオフレコか。鹿島はその書き出しに目を細めた。
確かに、自分はそちら方面の記事を多く書いている。自身IT関連の知識に一家言あると
自負しているし、大手メディアが拾い上げきれないネットの海の様々な情報は自分達フリー
ランスにとって格好の漁場でもある。
ネットの炎上事件──。彼女はすぐに今、巷を騒がせているあの事件を思い浮かべた。
事の発端はネット上に公開されていた飲酒運転を自慢するとある若者達の写真。それがあ
る時瞬く間に人々に知られ、近日あった同類の危険運転致死罪の判決もあって怒涛の批判を
押し寄せさせ、その結果として吊るし上げられた若者の一人が自殺してしまったというもの
である。
鹿島自身、この手の事件は辟易していた。だが同時に伝えねばならないと強い使命感を新
たにせずにはいられなかった。
確かに愚かである。だがそれで一方的に責められる、ましてや自殺までさせてしまうのは
本当に「正義」なのか? もっと民主主義・法治国家として、彼らには然るべき処罰を下す
それだけで自分達はブレーキを掛けなければいけなかったのではないか。
啓蒙、といえば少々上から目線だが、思うのだ。
ネットリテラシーという安易な横文字だけではない。自分達は技術の波に翻弄されてしま
っている。理性的な行動、感情的な思い、それらの使い所を間違っている。それらを社会全
体で共有し、より善い方向へむき直ることを求められているのではないか……。
「……っと。続き続き……」
ハッと我に返り、鹿島は冒頭以降の文面にも目を通していった。
そして──思わず目を見張り、固まった。
『今回は他でもありません。現在巷で持ちきりになっている○○市の飲酒運転の若者グルー
プの炎上事件とそのメンバーの自殺、その重大な事実について是非お話をしたいからです。
もし宜しければ折り返し連絡ください。××××─××─×××× 敬具』
「──告発者か」
とある高層ビル内の一室。
そこで黒服の男達が、家具もろくにない殺風景な室内で佇んでいた。
「名前は馬場史明・二十六歳フリーター。先程、とあるフリージャーナリストへ面会の申し
出をメールしたことを確認致しました」
「馬場……今回の参加者の一人だろうが……。覚えはあるか?」
「……いえ。なにせ人数が多いですので」
一々覚えてはいないと言いたいのだろう。部下の一人の返答に、オールバックの髪をした
リーダー格の黒服は特に何も返さずに視線を手元に落とした。
告白者が出た。口外するなとあれほど念を押したのに、やはりヤられて口走ってしまう阿
呆はほぼ毎回何人か出てくる。
彼は分厚い資料の頁をぱらぱらと捲った。今回の参加者達のリストだ。
馬場──あった。なるほど真面目そうだが報われない、そんな相をしている。
「……ちょうどいい。今回の人身御供は彼にするとしよう」
言って、部下の黒服達に資料の馬場の頁を見せる。そこに書かれていた登録ナンバーを手
帳に控えると、彼らは言葉少なく小さく頭を下げ、部屋から出て行った。
「……。尽きませんね、この手の馬鹿は」
「仕方ないさ。我々も分かっていてこうして使い捨てているんだ」
程なくしてこの青年は当局に逮捕されるだろう。同年代の青年を自殺に追い遣った──脅
迫の黒悪、もとい一連の口撃の代表者として。
機材がこちら持ちということは、逆に証拠を握ることもできる。
全ては「こちら」のリスクを可能な限り拭い、未然に亡き者にする為に在るのだ。
体のよい不埒者を見つけてきては“炎上”させ、人々の注目をそちらに向ける。その間に
自分達を雇っているお偉い方は目的の「政治」を進める。
国家機密法、良好文化促進法、新自由交易条約──雑言を可能な限り排し、円滑に速やか
に成立させるべき課題は山積している。
「……消えぬさ」
ふぅっと一度深く煙草を吹かし、彼は呟くように言った。
「愚かさとは必要なんだよ。この世界が善意以上に悪意で動くものである限り、そこには必ず
“敗者”が存在するんだからな」
(了)




