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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-19.October 2013
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(3) 相棒(とも)と

【お題】灰、犬、新しい

“子供が生まれたら犬を飼いなさい。

 子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。

 子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。

 子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。

 そして子供が青年になった時、

 自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう(英国の諺)”



 赤ん坊の頃とは言わないが、彼の家には物心つく頃にはその傍らに犬がいた。

 当時存命だった祖父が譲り受けた仔犬だった。ご近所で生まれた仔犬達、その内の一匹を

引き取ってきたのだという。

 幼い彼にとって、その仔犬は新しい「家族」だった。まだ彼は、人間と犬を別の生き物だ

と淡々と割り切れるほど大人ではなかった。

 何てことはない。血統書付きでも何もないごく普通の雑種犬だ。

 だが彼には心地よかった。ふわふわした毛並み、構ってやると尻尾を振って手を顔を舐め

てくる愛らしさ。

 妹と共に、彼はこの仔犬を精一杯可愛がってやった。

 初めての経験なので手探りでの躾が続いたが、それでもこの仔との日々の散歩はいつしか

彼の日課になっていた。

 

 ……だが、歳月を経るに従い、彼は異変に気付く。

 いや厳密には大人になっていったのだろう。多くを知ってしまうようになったのだろう。

 彼も幼児から少年へと成長していた。同じく仔犬も成犬へと成長していた。

 その眼である。愛犬が自分を見返してくる、その眼がしばしば警戒の色を帯びているのに

気付いたのだ。

 思い返す。そういえば、散歩に連れて行っても中々言うことを聞いてくれなくなった。

 リードは離さないようにしっかり握ってはいるものの、どちらへ歩いていくか、その主導

権は彼には無いように思われた。

 少なくとも、愛犬の方はこちらに従う様子はなかった。

 仕方なくぐいっとリードを引っ張り、進路を示してやるしかなかった。

 その度に、愛犬は酷く不機嫌な眼でこちらを見る。

 

 原因は──祖父だった。

 幼い頃は何かあればお小遣いをくれるおじいちゃんだとしか思っていなかった。そもそも

家族だ。疑うということ、そんな考え自体が当時の彼には備わっていなかったと言える。

 ……ある日彼は、少年は見てしまった。

 祖父が愛犬の横っ腹を蹴っていた。儂の言う事を聞かないと腹を立て、蹴っていた。

 なのに吠えない。代わりにぐっと痛みを堪えるようにして四肢で踏ん張り、ぎろりとこの

老人を睨み返す。そしてそれがまた彼の逆鱗に触れ、繰り返し蹴りが飛ぶ。

『何してるんだよ、爺ちゃん!』

 少年は覗いていた物陰から飛び出し、堪らず祖父の身体に突進する。

 見られていた、その事に祖父は驚いたらしい。

 だがその程度、子供の重さ程度では彼の怒りの感情を消すことはできず、遂に少年は見せ

付けられることになる。

『躾けとるに決まっとるだろ。このアホ犬が、てんで儂の言うことを聞かん』

『だからって蹴るなんて……爺ちゃんの方が分からず屋じゃんか!』

『なっ、何をぉ!?』

 むんず。家族だと思っていた。

 ぐいっ。少年は思い知らされた。

 祖父が射殺すような形相でこちらを睨み、頭ごと鷲掴みにして、少年を──実の孫にその

拳を振るったのだ。


 かくして、少年に見える世界は激変する。

 或いは……それが大人になるということなのか。

 ようやく知ることができた。理解が及び始めた。

 円満などあり得なかったのだ。我が家族も、他の家庭とまた同じく、多くの軋轢と対立、

憎悪を互いに抱えながら一つ屋根の下で生きている。

 その渦の中心にいたのは、母と祖母だった。よく云う嫁姑争いのそれである。

 祖母は母が嫌いだった。息子──少年の父よりも次男を長女を可愛がり、息子のやること

なすことが気に食わないという女性ひとだったのだ。本質的に我がままなのである。齢と力さえ

あれば、下の者は自分に従って当然──旧態依然の魂の持ち主だった。

 加えて、そんな祖母を祖父は諌めることなく甘やかし、同じような振る舞いをしていたの

が何よりも罪深かろう。

 同じ魂、旧き世代の性質が故なのかもしれない。

 だから少年の母が祖母に歯向かうと、祖父が激怒した。嫁のくせに生意気だと。

 更に少年の父もまた、そんな両親(祖父母)に歯向かえなかった。性格の不一致自体は認

識していた。だがそれは妻が我を張らなければ済むと言い続けた。己の妻よりも、不遇の扱

いを続ける両親を選んだのだ。

 ……気付けなかった筈はなかったのに。

 なのに、少年は愛犬を殴る蹴るする祖父、その現場に出くわすその時まで、そんな家族の

対立がまるで解っていなかったのだ。

 子供だったから無理もない? いや……そんなものは、言い訳でしかない。逃げ口上だと

彼は当時を思い出して語る。

『子供の出る幕じゃない』

 そう大人達が示し合わせたように彼の前では口を噤み、隠していたことも大きかったが、

その“裏切り”の代償は──死ぬまで消えないだろう。



 決して消えない。争いにくしみは。

 それは真理なのである。実際、母と祖母の仲違いが収まるまでには実に数十年もの歳月が

費やされていた。

 先ずは祖父が死んだ。肺癌だった。ヘビースモーカーだったから当然だろう。

 次に祖母が倒れた。脳梗塞だった。元より我がままな女性ひとだ。リハビリという面倒を彼女

は嫌った。故に身体は知性はどんどん衰えていき、遂には寝たきりとなる。

 最後に笑ったのは、母だったのだろう。

 仕事へ行くのに支障が出るからと、母は少しでも早く施設に放り投げようとした。

 それをぎりぎりまで止めたのは、嫌な顔をしたのは、父とその姉弟達だった。

 見捨てるのか……? だが彼女はキッと積年の恨みを叩き返すように言う。

『あなたはいつだってそう。お義母さんの味方ばかりして。何で私ばかり耐えなきゃいけな

いのよ!? あなた誰の味方? それでも父親なの!?』

『仕事に行けなければ医療費だって払えないんですよ? そちらが代わりに払ってくださる

ならともかく』

『気楽ですよねぇ。たまに顔をみせて機嫌を取ってお小遣いを貰ってるだけで。普段の介護

なんて何一つ手伝ってこなかったですものね?』

 だから少年──その時は既に青年に成長していた──は、自身意図することなくそんな母

の憎しみを受け継いでいた。

 知ったからだ。

 祖父母の時代錯誤の人格破綻、故にそれぞれに歪んでしまった息子ちちははの性根、何より

そんな人間達の血を引いている──自分自身が許せなかった。

 だからだろうか? 泣くことはなかった。

 祖父の葬儀の時、出席者らは泣いていた。棺の中で青白くなったその遺体に、彼らが最後

の挨拶をしている中、青年は遠巻きに壁に背を預けてこの瞬間すら疎ましいと感じていた。

『──』

 なのに、何故だ?

 何故母さん、あんたまであの男の為に泣いている……?


『あんたは学校行ってて見てないけどね、最期はお義父さんも安らかだったよ。ありがとう

ありがとうって言ってね……。ああ、誰だって死に際はこうなるんだって……』

 後日、母はそう青年に語っていた。清々した──ような表情かおには、少なくとも見えなかった。

 何故……? 青年は大いに内心戸惑った。

 あんなにあの糞ジジイを恨んでいただろう? 糞ババアを邪魔者扱いしているだろう?

なのに何で、何で──“許せる”?

 青年は考えた。必死にぐるぐると記憶と感情と理性を総動員して考えた。

 重ねてきた歳月の差、なのだろうか? 自分もいつかは、自分に敵意を向けていた人間を

許せるのだろうか……?

 無意識に頬を撫でている。かつて祖父あのおとこに引っ叩かれた所だ。


 ……まだ俺には無理そうだ。

 憎い。ずるい。

 逃げるんじゃねぇよ。散々手前らの好き勝手ばかりして、こんなに俺の心をぐちゃぐちゃ

に捻じ曲げておいて、逃げるんじゃねぇよ……。



 愛犬が死んだ。老衰だった。

 青年が学生になってその生活の折り返しを迎える頃には、既に愛犬は目に見えて年老いて

いた。両目はすっかり白内障で濁り、身体も痩せ細った。かつては急かされた散歩に行く体

力すらなく、一日中ずっと軒下で眠っているばかりの日々が続く。

『──なんで起こしてくれなかったんだよッ!?』

 そう遠くない日に来る。分かっていたけれど、それでも突然だった。

 ある日の休日、起きてみると我が家の中がどうにも慌しい。問うてみると……何と愛犬が

明朝、冷たく動かなくなっていたのだという。

 心臓も止まっていた。瞳孔もだらりと開きっ放しだった。それで両親は愛犬の遺体を斎場

へと運び、火葬してきたのだという。

 青年は涙目になってそんな両親に食い付いた、問い詰めた。

 だって、あんた寝てたから……。

 母のそんな無神経な言葉に、彼は暫く泣き喚き続けた。何度となく両親を責めた。

 どうして看取らせてくれなかった!?

 ずっとずっと、俺はあいつと一緒だったのに──。

 両親が困っているのがちゃんと視界には入っていた。だけど、感情が身体を勝手に動かし

ているような、そんな錯覚。

 だけど不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ……何かつっかえが取れたような。

 思い出す。かつての祖父の葬儀。

 自分は泣かなかった、どうしても泣けなかった。

『……』

 嗚呼、そうか──。

 大切な誰かだからだ。そう自分が思っていたからだ。

 肉親にはそうなれなくて、ペットにはそうなる。それって薄情? いや同じ「家族」なら

ば当たり前? 少なくともこの事実に今、自分は妙に納得してしまえている……。


 歳月は、更に進んでいく。哀しむ暇も怒れる暇も省みられることなく、時は進んでいく。

 男性の傍には二匹目の愛犬がいた。先代──あの一匹目の死から数年後、偶然近くの山の

中で彷徨っている所を保護した野良仔犬であった。

 雑種。でもこちらは雌で、黒系ではなく白系の毛並み。体格もあの彼より一回り小さい。

 保護した手前、青年はこの仔犬を飼うことにした。

 忘れた訳ではない。今だって悔いている。もっと早く気付いてやれば、もっと上手に愛し

ていれば、あいつはもっと幸せに生きてくれたんじゃないか? 自分のように憎しみに囚わ

れて半生を過ごすことはなかったんじゃないか?

 だが……それでも記憶はそっと彼を癒す。在りし日々はふと蘇る。

 確かに警戒心の強い孤高の犬へと為ってしまった先代だったが、自分には他の家人ほど牙

を見せなかった。特に晩年には、年老いてしまったこともあろうが、自分が傍に座っていて

も吠え立てることもなく寄り添ってそのままにしてくれた。撫でさせてもくれた。

 庭先に眠ったその亡骸の上には、気付けば大きく朝顔が育ち──。

「……」

 秋空の下、男性は二代目と散歩をする。さらさらと畦道に繁茂する芒が鳴っている。

 ハッハッと浅く呼吸を整え、愛犬はそんな秋草を嗅いでいた。ゆっくりと白いもさもさな

尻尾を振らせている。

 一休みか……。男性は暫しそんな愛犬の様子を見下ろしていたが、やがて自身も同じくよ

っとその傍らに腰を下ろして同じ視線を作った。

「……?」

 きょとん。愛犬が不思議そうにこちらを見ていた。

 もう二度とあいつみたいな半生を遅らせはしない──そう強く決意して目一杯可愛がり、

躾けるべき所は躾けるようにしたつもりだったが、今度は妙に人間臭く人懐っこくなり過ぎ

た……気がする。

 飼い主の、人間のエゴを言えばそれまでである。結局自分は血の通う命を使い潰して飼育

のノウハウを得ている、残酷な人間ではないのか……?


 だが、多分そうやって学んでいくしかないのだろう。俺達は馬鹿だから。

 あの日の憎しみの火は今も燻っている。一方でこうしてペットを愛でることもする。

 そして、どちらもそれが人間というものなのだ。

 だからこそ自分達は常日頃自覚してその火消しに努めなければいけないし、一方的な愛も

正しくはないのだと戒め続けなければならない。


 秋の匂いをかぐ。豊穣であり、あっという間に過ぎ去るその日々に身を委ねる。

 あの愛犬ともと、この愛犬ともと。

 限られたそれぞれの時間ときを、自分達は生きる。

                                      (了)

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