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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-2.May 2012
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(4) とある園の追想片

【お題】鍵、鏡、公園

 子どもは時代を映す鏡だと云う。

 だとすれば、私の見てきたあの子達は果たしてどんな未来を描くのだろうか? 果たして

彼ら一人一人に輝かしい未来は訪れたのだろうか?


 私が配属されたのは、とある小さな公園だった。

 その化粧室──トイレ用の小屋に設えられた一つであった。

 しかし幸か不幸か、私の持ち場は園内を見渡すことのできる位置にあったのだ。

 内側の個室以外、外とこちらを隔てる壁は存在しない。所謂吹き抜けという状態である。

 故に私は(少々斜めからの視界ではあったが)その時々の子ども達の、或いは随伴する親

御達の息遣いを見聞きすることができた。

 周囲は似たり寄ったりの建物──団地と云うらしい──で囲われ、私達の見守るこの敷地

すら申し訳程度の緑しかない。そこにぎゅっと押し込めるように敷き詰めた土の上に、どう

にも無機質な金属細工が点々と載せられている(正直言うと未だに私は彼らが苦手だ)。

 それでも、子ども達は元気だった。

 無邪気に駆け回り、無愛想に佇んでいる彼らに乗って上下に運動したり、揺られて笑って

いたり。もっと積極的な子は盛られた土そのものを捏ね回し、泥まみれになりながら嬉々と

していたのを覚えている。

 ──正直を言って、私は彼らにはなれない。

 むしろ一時の休息にやって来る大人達の世話話を否応無く耳にしてしまう、コテコテと塗

りたくった彼女らの顔を映し出してやる、そんな役回りが主な仕事だった。

 それでも……私は満足、するつもりだった。

 漏れ聞こえてくる子ども達の元気な声。時にはその姿を私に映してくれて……。

 ただ無言で水に手を通し、淡々と過ぎ去られるのが常であろうこの類の持ち場において、

もしかしなくても私は僥倖に逢えたのだと、今になってこそ頓に思うのだ。


 それは即ち“今”はそうでないということ。

 変化の兆しがあったのは、一体何時頃であっただろう?

 ……そう。豊かになった頃だ。

 時は移ろい、人々の生活が物質で満ち満ちるようになった頃だったと思う。

 ただそれはあくまで“モノの充足”であったのだが……今となっては、いや当時に戻れた

所で私の言葉は彼らに届くことはなかっただろう。

 その頃を境に、子ども達にも変化が起き始めていた。端的に言うと「外に出て皆で遊ぶ」

という図式が崩れ始めていたのだ。

 勿論、いきなり全くのゼロになった訳ではなかったが、その変化はじわじわとしかし確実

に私が映し出す視界にも影響を及ぼした。

 それまで金属質の彼ら──そうそう、総じて遊具と人は呼ぶそうだ──に群がっていた子

ども達は彼ら自身で遊ぶ事を止め、団地の部屋の中に閉じ篭りがちになった。

 テレビゲェム、というものが広まったからだそうだ。

 わざわざ外に出てゆかなくとも部屋に娯楽がある。そうなれば私達の下に出向くことは少

なくなるのは必定であろう。時の大人達の中にはその向きを「けしらかん。もっと泥に塗れ

て遊ぶべきだ」と言う者もいたが、私はそんな評論をすること自体、ナンセンスだと思う。

 子どもというものは、大人とは違う生き物だ。いや……彼らに成る途上の亜種とでも言う

べきなのか。

 彼らの遊びとは、あくまで彼らの意思で行われる。大人がこうしろと言ってしまえば、間

違いなく子ども達の「芽」は摘まれてゆくだろう。

 ……ああ、分かっているよ。

 遊具きみ達だってある意味そうした大人達の「枠」欲しさの為にそこに植え付けられたのだ

ものね。歳月が経っても、こういう勘違いは変わらないものだと思う。


 語り口を戻そう。

 とにかく、子ども達は変わっていった。特にある程度知恵のつく年端になる程に。

 金属質──時を経る毎にこれまた大人達の「安全志向」とやらでプラスチックや木製に挿

げ替えられていったが──のその膝元は、どだい彼ら自体で遊ぶものではなくなってしまっ

たように私には映っていた。

 もっと厳密な表現を用いるべきならば……“集合場所”として。

 おお、子ども達が集まってきたと、私が映した視界越しに内心期待の眼を向けていても、

次の瞬間には皆、俯いてじっと各々に手にした小さな画面に目を落とし出す。

 時折何やらそこでやり取りをしているのは分かったのだが、子ども達はもう私にはついて

ゆけない遠くの世界に行ってしまったかのように思える。

「──中々の言い草じゃないか。歳を取った証拠だね」

 ふと気付くと、見知った顔が私達の持ち場に足を踏み入れて来ていた。

 着古したカーキ色の作業着(清掃服らしいが)に、両手に下げた大き目のポリバケツ。

 中には多数の雑巾やモップが突っ込んであり、彼はそう私にニコニコと笑い掛けて一言を

紡ぐとそのまま“日課”に掛かり始める。

 ……歳を取ったのはお互い様だよ。私はそう言った。

「だろうねぇ。俺も随分と歳を喰っちまった。でもよ? あの頃は良かったって言っても昔

には戻れないんだ。それでも嘆くばかりってのは、自分で時代に乗り遅れましたって白状し

ているようなもんだろう? 何か、悔しいじゃないか」

 そんな言葉に、私は黙り込んでしまっていた。

 自分も彼も、確かに歳を取っている筈だ。

 同じ場所で長く子ども達の変化を映し続け、或いはそんな私達の持ち場を、特に誰かに感

謝される訳でもなく定期的に磨き、汚れを落としては、とぼとぼと去ってゆく。

 あまりにも……報われないではないか。

 そう、私は口にはできなかったが思った。

 現在きょうだってそうだ。

 身を凝らしてみれば、外の痩せ細った土の上にいるのは子ども達ではない。むしろ大人達

が目立つのである。

 ある者は、スーツ姿のまま昼間からベンチに横になって微動だにしない。

 またある者は身なりすら不精になりかけつつ、ダンボールの小屋の中でひがなぼうっと外

の景色を眺めている。

 もしかしたら──あの中に、昔あの頃の風景の中にいた子ども達の未来が混じっているの

かもしれない。

 私はハッとそう思い当たると、胸が苦しくなった。割れてしまいそうだった。

 笑顔が好きだった。私があの日ここに配属されたのも、人々の豊かな未来の一助となるべ

くの目的があったのではなかったか。

 なのに……今、この年老いた街にはもう子ども達の元気な声は、響いてこない。私の視界

には長らく映ってこない。

 代わりに見えるのは、こうした疲れた人々ばかりだ。

「仕方ないさ。坂道を上り切ったら、あとは落ちるだけだってね」

 ガチャガチャと、彼の腰に下がっていた鍵の束が小気味よい重奏を立てた。

 彼曰く此処だけではなく、他の広場の管理室を戸締りするものなのだという。そんな地味

な作業を、彼は黙々と髪が薄くなるまで続けてきたのだ。

 どうして……君はそこまで諦めていられるんだ? 此処にいるままでは辛いだろう?

 私は思わず問うてしまっていた。口にしてすぐに後悔した。

 何故ならそれは、何も彼一人に向けられた言葉ではないとの自覚があったからだ。間違い

なく、その問いには他ならぬ私自身も含まれている。

「……自分が辛いからと外に出て行ったら、他の誰かがもっとしんどくなるからね。まぁこ

の歳になってしまった以上、土地への愛着ってものも大きいんだろうけども」

 少なからぬ猫背をピクッと震わせてから、彼はややあって答えた。

 沢山の皺が寄った顔で微笑みながら、そっときつく絞った濡れ雑巾で彼は一人一人丁寧に

私達を磨き直してくれる。

 くすぐったい。だけど、冷たい筈なのに温かくて気持ちいい。

 彼にはついぞ面と向かって言えなかったが、私はこの一時が内心楽しみであったりする。

 やはり──人は、誰かと寄り添って生きていくのが一番なのではないのか。

 かつて大人達がその子らの豊かな未来を願い、彼は土と緑と金属の遊技場を作った。

 しかし遊技場は徐々に電子のゲェムに役目を譲り、ひっそりと佇む日陰者となる。

 それだけならまだいい。なのに……今ではあるだけで“子どもが大怪我をする”と邪魔者

扱いしている街も多いと伝え聞く。

 大人達──いや、過去の子どもらよ。そんなに急いて何処に行こうというのだ?

 セカイは確かに、私が認識するよりずっと広いかもしれない。

 だが空は、同じ一つの屋根の下に続いている。

 そんなに慌てなくても、探さなくとも、君達が落ち着ける場所はきっと──。

「はいよ。綺麗になったぞ」

 俯き加減の私に、彼が声を掛けてきた。

 フッと、意識の外にあった清潔感が私を包み込んでくれる気がする。

 そうなのだ。私はヒトではないが、寄り添う相手がいるではないか。

 

 ──ああ。いつもありがとう。

 

 だからぼそりと、私は恥ずかしかったが口にしていた。

 せめて私のできる事を……仕事を遂げて微笑む彼を、磨かれたその身に映し出して。

                                      (了)

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