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週刊三題  作者: 長岡壱月
Train-18.September 2013
89/500

(4) 君の息吹

【お題】野菜、遊び、子供

 よく分からないけれど昔から在るという理由で受け継がれているもの、というのは自分達

が思っている以上に多いのかもしれない。

 それは個人で言えば色々な生活習慣・趣味の類だろうし、集団や社会全体で言えばそれら

は慣習と呼ばれるものになるのだろう。

「お母さん、これな~に?」

「何~?」

 静江は、リビングのテーブルの上にちょこんと顎を乗せてきた我が子を見遣ると、何だか

妙に微笑ましくて愛おしくてフッと笑っていた。

「これはね、精霊馬っていうの」

「せーれーば?」

「馬じゃないよ、キュウリだよ?」

「こっちはナスビだよ?」

 とても似通った顔立ちの男の子と女の子が、彼女の両側に顔を出してそう輪唱のように訊

ねてくる。

 流石に八歳には難しいか……。

 静江はまたくすっと笑い、目の前のそれ──短く折られた割り箸が刺さった胡瓜や茄子を

ちょんと指で撫でてやりながら言う。

「もうすぐお盆でしょ? これはね、天国のご先祖さま達がこっちにやって来る時の乗り物

になるの。こっち──胡瓜の方が馬で、こっちの茄子は牛ね」

 世代の差、というか生まれ育った環境の差か。

 四速歩行に見立てた胡瓜と茄子を、子供達は不思議そうに眺めていた。

 精霊馬。お盆の時期、先祖の霊を彼岸から送り迎えするとされる供え物。胡瓜の馬は足の

速さを連想して彼岸から現世へ、茄子の牛はどっしりと多くのものを乗せられると連想して

現世から彼岸へ、それぞれ行き来するとされている。

 静江はこの子達にも分かるよう、できるだけ噛み砕いて話した。

 かつて暮らしていた自身の田舎ではこうした古くからの風習は残っていたが、今の時代、

何より今自分達が住んでいるような小奇麗な都会のアパートでは趣も何もないかもしれない

なと思う。

「……ふーん。じゃあお母さんは皆においでおいでする為にこれを作ってたの?」

「ええ。そうよ」

 それでも、二人は決して無関心という訳でもなかった。

「陸と空も作ってみる?」

「……!」「うんっ!」

 このくらいの歳の子にとってはちょっとした「工作」程度なのだろう。静江が予備の胡瓜

と茄子、そして折って先を丸く磨いておいた割り箸の欠片を渡すと、二人の我が子は嬉々と

してかのじょに倣い精霊馬を作り始める。尤も、四足になるよう割り箸を刺すだけではあるのだが。

「……」

 今年で三年目になる。三回目になる。

 静江は子供達を見守りながら、ふいっと己が心が暗がりに足を踏む込むような心地を覚え

ていた。

 殆どの人にとって──というと少々失礼、不謹慎になるのかもしれないが──お盆はそう

特段に感傷的になる行事ではないのではないかと思う。見えもしないかこに怯えるかのように、

あれやこれやと手間を取らせる空気に包まれる……。

 実際、自分も以前はそうだった。

 だが──三年前のあの日、自分は知った。悟った。

『で~きたっ』

 子供達がそう言って、嬉しそうに新しく精霊馬をテーブルの上に置く。

 息子の陸は茄子の牛を、娘の空は胡瓜の馬を。

 それでも四つ足のバランスがちくはぐで、しっかりと立っていないように見えているのは

ご愛嬌か。静江は「よくできました」と二人の頭を撫でてあげ、自分の分も含めた四つを部

屋の片隅にあるサイドボードの方へと持っていった。子供達もちょこちょこついてくる。

 引き出しには、詰められた諸々の小物。四脚の下には更に小さな小物入れが数個。

 ……だが何よりも、そこには置かれていた。

 ぽん。茄子と胡瓜の精霊馬。

 それら四体を、静江はその天板に置かれたあるものを囲み見つめるような格好で飾る。

「これで……お迎えできる?」

「ええ。きっと大丈夫よ」

「そっかぁ。じゃあ、お父さんも来るかなぁ?」

「……」

 小首を傾げる空と、にこっと笑う陸。

 天板に置かれていたのは──とある男性を写した写真立て。今は亡き、夫。

「そうね。天国にいるなら、きっと……」

 静江はまだ無邪気な我が子らの眼差しに答えて微笑むと、そう写真を見つめながら言う。



 夫・海之との出会いは、まだ静江が就職間もない頃のことだった。

 短大を卒業後、田舎からこの街に出てきた彼女は、まだ右も左もよく分からないまま一生

懸命に働いていた。

 ──尤もこれといって突出した特技がある訳でもない。資格こそ幾つかは取った身だが、

自分より優秀な人材など世間を見渡しさえすればいくらでもいる。

 最初は小さな会社の下っ端から、工場のライン作業員、喫茶店のウェイトレスなど。

 彼が姿をみせたのは、その店が偶然にも彼やその同僚らがよく利用する場所だったからで

あったらしい。最初は利用客のサラリーマン数人と応対する店員、それだけであった。

 だけど……何度か顔を合わせ、言葉を交わす内に、自分達は好きになっていった。

 告白、というか携帯番号を渡されたのは、彼の方からだっけ。同僚さんがにやにやとしな

がら、彼が心なし緊張しながらそのメモを渡してきたあの日のことを、自分は今でも確かに

覚えている。

 それから外でも合うようになって、付き合うようになって……結婚して。

 本当に自分でいいのだろうかと思ったことはあった。だけど妊娠が分かって、更にその子

が双子だと分かった時には、不安は差し込んだ光に打ち払われていた。

 自分と、彼と、陸と空。

 家族四人。これから慎ましくも幸せな家庭を……そう願っていた、それだけなのに。

 彼は──突然死んだ。

 死因は、脳溢血。営業先のビル、その螺旋階段を上っている際に足を滑らせ、そのまま一

階近くまで転げ落ちていったのだという。

 最初、訳が分からなかった。

 あまりに突然で、あまりに理不尽で。涙が零れているという自身の認識以上に、身体の心

の奥底から沸き上がる──。


「……っ」

 色彩を失いかけていた静江の瞳が、ふとその生気を取り戻した。

 電車の中。とすんと、空が転寝をして自分の腕にもたれ掛かってきたのだった。

 一方陸はというと、窓の外を流れていく景色を眺めて嬉しそうに鼻歌を歌っている。静江

は我が子らの様子を再確認して、車内の行き先表示を見上げた。

「空、そろそろ起きて。陸も座ってなさい。そろそろ着くわよ?」

 は~い。

 寝惚け眼と笑顔。二人が自身の両側に控え、ややあって電車がそのスピードを落としてい

くのが分かる。運転手の独特なイントネーションによるアナウンスが聞こえた。乗り始めこ

そビル建ち並ぶ街中だったが、小一時間経った今ではその景色はすっかり田園風景のそれへ

と変わっている。

 日傘を差しつつ、我が子らがはぐれないようにこまめに気を付けてやりつつ、静江は駅を

下りると人気の疎らなその緑の中を行った。

 こうしてみると、やはり街というのはごくごく一部の世界なのだと知れる。

 だがそれでも、自分達は望んであの場所を選んだのだ。我が子という新たな生も、あの人

の死も、あそこで……。

 田園風景と畦道は、暫くすると林道と緩やかな坂道になっていった。

 目的のものは、この先に在る。

 此処は街の郊外、一県跨いだ先にある田舎。彼の……故郷。

『──』

 勾配の土地に林立する墓地の一角で、親子三人は下で借りた水桶と柄杓、束子で夫(父)

の墓石を洗った後、静かに手を合わせた。控えめに燻る線香の煙とプラ袋に入ったままの饅

頭が、ぽつねんと彼女達の足元に鎮座し上っていく。

 ……沸き上がった自分の悲痛は、押し込まれた。掻き消されたというべきか。

 彼の葬儀の場で、代わりにそれを実行に移した人がいる。義母──彼の母親だ。

 彼女はわんわんと泣き、真っ赤に泣き腫らした眼で自分達を睨むと叫んだ。


“これも貴女のせいよ、海之を返しなさい! 私の、海之を返して!”


 思えばあれが切欠だったのか、それとも以前から抱かれていた敵意なのか。

 参列者や義父がぎょっとする中、自分は悲しみと怒り、その両方が入り混じる彼女の形相

に何一つ答えることができなかった。

 哀しんでいるのは自分も同じだ。でも……血の繋がっているのはお義母の方で……。

 結局、その場は義父が彼女を力づくで押さえ込み、家の奥へと引っ張って行ってくれた事

でそれ以上の騒ぎにはならなかった。

 だが、それで全てが終わる筈もない。

 以来、自分は義母と顔を合わせる度に嫌味を小言を言われるようになった。──怨嗟をぶ

つけられるようになった。

 返して。

 実際、彼も線が細く丈夫な男子ではなかったのだろう。

 それでも内心に在るのは彼女から浴びせられる口撃に感じる理不尽で、申し訳なさで。

 だから、自然と足は遠のいていた。法事やこうした季節の墓参りでもない限り、自分達母

子はこの地を訪れることはなくなっていた。

 一年目は、馬鹿正直に盆始めに訪れ顔を合わせてしまい、散々嫌味を言われた。

 二年目は、用心して人気のない夕方に来てみたが、待っていたらしい彼女に捕まり、遅さ

を含めて散々憎しみをぶつけられた。

 そして今年、三年目。

 なので、今回はわざと日をずらした。義父から盆の一日いっぴに彼女が熱心に参っていると聞い

たこともある。実際、三度目の正直か、今年は顔を合わせずに済んだようだ。

 ……“逃げ”だとは分かっている。

 それでも、では馬鹿正直に顔を合わせて互いに不快になって、何が残るのだろう?


『すまないね、静江さん。あいつには落ち着く時間が必要なんだと思う。執着心が強いのは

昔からのことなんだがね……。これは私の携帯番号だ。こっち方面で何か相談があれば掛け

てきてくれ。……あいつが聞いたらまた“裏切り”だの何だのと発狂しかねんがね。まぁそ

れはこっちで気を付けるよ』


 まだ義父の方が冷静な人であったのが、せめてもの救いと考えるしかないのか。

 それでもかれの死を切欠に、多くのものを自分は失った、奪われた気がする。

 生前、彼が使っていた私物の多くを義母の強烈な圧力により返却──することになった。

眼前の通り、墓も自分達に住む街には作らせて貰えなかった。彼女が頑として手放したがら

なかったのだ。一時はお骨を分けることも──ひいては子供達すら自分が引き取るとまで言

い出したが、そこまでくると流石に義父は珍しく彼女を叱りつけ、止めさせた。

『──いい加減にしないか! 海之は私達の子だ。だが陸と空はあの子と静江さんの子だ。

お前のものじゃないんだぞっ!』

 申し訳なかった。

 もっとあの人と分かち合っていれば……子育てに専念と方便を使わず、保育所に預けて当

時の仕事を続けていれば、その負担を減らせていたのだろうか?

 どだい推測でしかなく、むしろ邪推ではあるのだろうけれど。

 それでも隙あらば、後悔の念が自分を全方位から押し潰そうとしてくるかのようで……。

「……」

 静江はそっと目を開けた。

 既に両脇の子供達は祈りを終え、しゃがみ込んだままきょろきょろと辺りを、或いはじっ

と心配そうにこちらを見上げ見つめている。

「……そろそろ、帰ろっか」

 双子でも幼子でも、感受性は女性の方が強いのだろうか。

 見上げている娘の頭を優しく撫でてやりながら、静江は苦笑を漏らし、言った。

 夕暮れ色が深くなっている。地元の人達だろうか、ぽつぽつと気付けば同じく墓参りに来

たらしき姿が見受けられるようになった。

 並ぶ墓標。中には到底自分達には建てられぬような、大きく立派なものもある。

 地獄の沙汰も金次第。

 お布施を積めば、少なくとも遺された者達にとっては、確かな償いになるのだろうか?

「お母さん?」

「……。大丈夫よ。さ、行きましょう?」



 それは墓参りを終えた次の日の朝のことだった。

「ほらー、二人とも朝よ、起きなさ~い!」

 カーテン越しにサァッと朝日が差し込んでいる。静江はエプロン姿で朝の雑事を済ませな

がら、まだ部屋で眠っている子供達を起こしに向かった。

「う~ん……?」

「すぅ……」

 ちょっとばかり、違和感はあった。

 いつもは無駄に元気な我が子達。それが今朝に限っては中々起きない。タオルケットの上

から揺さぶってやるが、陸は眉を顰めて何かと闘っているような感じだし、空は空で妙に安

らかというか、嬉しそうに寝息を立てている。

「ほらほら、いくら夏休みだからってだらけないの。宿題は涼しい内にやっておかないと暑

いんだからねー?」

 むぅっとなり、静江は二人が腹に纏うタオルケットを引き剥がす。

 ごろん、ごろごろ。それでようやく陸と空は目を覚ましたようだ。

 敷布団の上で共に寝惚け眼、大きなあくび。ぼやっとした目のまま、二人は片眉を上げて

自分達を見下ろしている母を暫し見つめる。

「おはよう」

「……。おはよー」

「う~ん? お父さんはー……?」

「えっ?」

 だから、今日もいつもの日常だと思っていたから、ふと空がそう零した言葉に静江は存外

敏感に反応してしまっていた。

「空。お父さんの、夢でもみていたの?」

 いや、昨日の今日なのだ。夢枕云々以前に、この子達の夢に──記憶の中に呼び起こされ

ていても何の不思議もない筈。

「うん。陸もいたよ」

「ねー?」

「えっ……?」

 なのに、この子達はさも当たり前といったような、にっこり笑って見合わせる顔。

 静江は今度こそ動揺した。空だけでなく、陸もあの人の夢を? 兄(妹)と共にあの人に

会うという夢を?

「お父さんがね、お馬さんに乗って来たの。キュウリのお馬さん」

「それで僕も空も、二人でお父さんをお迎えしたんだー」

「……」

「あ、そうだ。陸も聞いたよね?」

「うん、言ってたー。お母さんにもよろしくって。“ただいま。少しの間だけど、ゆっくり

していくよ”だってー」

「ッ──!?」

 次の瞬間、静江は思わず駆け出していた。

 向かった先は、リビング。その片隅に配置してあるサイドボード。

 息が荒くなっていた。それが駆け出したからか、それともはたと湧いた興奮が故か。

「……ぁ」

 少し目を凝らして、彼女は気付いていた。写真の中の夫が笑っている。

「お母さーん?」

「どうしたのー?」

 とてとて。パジャマ姿の子供達が、後を追って部屋に入ってくる。

 それでも次の瞬間には、振り返った静江は微笑んでいた。

 拭われた暗がり、差し込んできた光を全身に受けるかのよう。彼女は二人が背中に腕にと

くっついてくるのをそのままに、再び亡き夫の写真を愛しげに見つめる。

「……おかえりなさい。あなた」

 ぽつりと、小さく穏やかな声で。

 先日、自分達が作った胡瓜の精霊馬が、子供部屋の方を向いて立っていた。

                                      (了)

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