(1) 鋼樹からの風景
【お題】陸、迷信、枝
──遥か昔、人は大地に足をつけて生きていた。自然と共に生きていた。
それは時折耳にする昔々の話だ。しかし大人達がその手の話をする時というのは、決まっ
てあまりいい顔をしないことが多い。
不利益、諦観、既に過去のこと。
確かに今の自分達には、もう無用な時代なのかもしれない。
「……」
それでも。モリノは今日もまた大地を見下ろしている。朝日がゆっくりと差し込んでくる
眼下遠く、そして広大な緑の絨毯に注ぐ自然の営みを眺めている。
やはり……心が洗われる。居住区の仲間達の大半がこの自分の日課に小首を傾げ、或いは
眉を顰めて諌めてきたりもするが、モリノは彼らの何と勿体無いことかとつくづく思う。
足元には灰色の、金属質の足場が延びている。
頭上には透明の、よく見ればドーム状の防壁が覆っている。
モリノ達は大地というものを知らない。そもそも「自然」と呼べるものと接触する機会す
ら皆無と言っていい。精々食糧プラントで見ることのできる作物くらいか。
遥か昔──そう、今は違う。
この時代、人々は自然とは隔絶した世界で生きていた。
天高くそびえる巨大な金属の塔。しかしてその全景はまるで鋼鉄の樹のようにあちこちか
ら枝分かれし、その収容領域を広めることに寄与している。
《楽園》──人々には、そう呼ばれているこの金属の街。
遥か昔、ご先祖様達が自然と袂を分かってから程なくして建てたという巨大都市。
そんな鋼の樹の上で、自分達は何代にも渡って暮らしてきた。
眼下に広がる木々を森を、睥睨するように、ずっと昔から。あたかも、忌み嫌うように。
(どうしてなんだろう……? 世界はもっともっと、広い筈なのに……)
朝日に照らされる遠景の一面の緑を、モリノはそのまま暫く眺めていた。
故に圧倒的なこのスケールを思えば思うほど、そうして疑問は募っては押し込み押し込め
られ、募っては押し込み押し込められていく。
「おーい、モリノ~!」
「朝ごはん出来たよ~!」
そうしていると、幹──区域内から見知った顔の男女二人が姿を現し、こちらに呼び掛け
ているのに気が付く。共に長い付き合いの、コバヤシとヨモギだ。
「……うん。今いくよ!」
モリノは振り返って返事をし、立ち上がった。
無数に延びた金属の梢の一つから青年が一人、仲間達の下に駆けていく。
それは歓迎されない。それは抱いてはいけない。
それは、安寧に反するものだから。
「ああ。やっぱり崖の方に行っていたのか」
コバヤシとヨモギの三人になって所属する住居区に戻り、食堂に顔を出すとこれまた同じ
く付き合いの長い友がモリノ達の分の席を確保してくれていた。
タチバナ。筋肉質なコバヤシとは対照的な、怜悧な眼と痩身の青年である。
配給される今日の朝食を受け取ると、モリノ達はそれぞれ彼の前と隣の席に座った。コバ
ヤシとモリノが前者で、ヨモギが後者だ。
食堂内は殺風景だった。……いや《楽園》全体がそうなのである。
全面が銀色の金属質。継ぎ目で膨らんでいる箇所、辛うじて装飾のようなモスグリーンの
線が走っているが、これも本来は広く複雑な区内の順路を示す為のものでしかない。
「あまり行かない方がいいぞ。一応開放されているにしても、誰が見ているものか」
「……。分かってるよ」
半透明の黒いフレーム、レンズの内側からタチバナの視線がこちらを覗く。
モリノは静かに応えながら、カチャンとこれまた金属のスプーンで淡白な色と味のスープ
を口に運んでいた。
多分彼も解っているのだろう、何度も繰り返されてきたやり取りだった。
それでも口を挟まずにはいられないというのは──友人としての心配か、はたまた連帯責
任を思っての冷静なる保身が故か。……配給される食事よりもずっと濃い感触が、ねとりと
体内を撫で過ぎていく。
──《楽園》は徹底して管理された社会だ。
とはいえ、内部に住む大多数の住人はそれを不条理だとは感じていない。何故なら此処に
いる限り、衣食住が保障されているからである。
服は標準装備の物が一律支給されるし、食事も一日三回、規定の時間帯内に食堂に赴けば
無料で提供される。住居も幾つもに分かれた区域から出生時に振り分けられるものの、個室
のプライバシーや環境など、その質は決して低くはない。
加えて……労働する・しないが自由であるというのが大きいのだろう。
成人した住人には、必要最低限(とされる)通貨がこれまた毎月支給される。
住人はその額の中でのんびり暮らすこともできるし、《楽園》の各部署に勤めることで更
に余剰の通貨を受け取ることができる。
しかし、これはタチバナの受け売りだが──実はこれも上層部の巧みさで、実はベースの
支給額よりも出回っている物資の方が総合的に少し割高に設定されているのだそうだ。
だから自由であるにも関わらず、事実、現役世代の殆どが勤務を選んでいる。
「本当に気を付けてよね……? “外”は危険がいっぱいなんでしょう?」
「危険ってお前……。まさか本当に信じてるのかよ? 外には化け物がうようよしてるって
いうおとぎ話。そりゃあここの高さから落ちればひとたまりもねぇがよ」
いや……そういう「物」欲だけではない。
此処では何だって買えるのだ。通貨さえあれば、他人とは違う衣食住を堪能できる。
装備だって自由自在。オーダーメイドの専用装備も注文もできるし、配給レベルではお目
に掛かれないような高級料理に舌鼓を打つこともできる。更には居住区の選択権すらも売買
されていると聞く。
やはり巧みなのだ。
自由を宣言されておきながら、その実、自分達は己の欲の為にこの機械仕掛けの《楽園》
を回している。回せさせられている、のではなく……。
「だ、だっておばあちゃんが……。そ、それにもしそんな奴らがいないんだとしたら、私達
がそもそも何で《楽園》に集まっているのか説明がつかないじゃない」
「む。それはぁ、その……」
そう何度か、タチバナがパンからスープ、細切れ肉を混ぜたサラダ、そしてパンと順繰り
に食事を淡々と口に運んでいるのをモリノが見遣っている間も、コバヤシとヨモギは軽く言
い合っていた。
大人しいながらも、何処か意固地な彼女の眼差しにコバヤシが口ごもる。
そうなのである。折りにつけモリノを衝き動かすのは、その「何故」であった。
確かに此処に居さえすれば、そうそう日々に困ることはない。
だが何故、ご先祖様達はこれほど巨大な塔を造り、閉じ篭らなければならなかったのか?
それは本当に、俗に伝えられているような「化け物」が──脅威が現れたからなのか?
確かめたかった。認めたくなかった。
自分は、自分達は、《楽園》の部品なんかじゃない──。
「……どちらにしても、俺は勧めない。少なくとも此処に留まること以上のメリットを、出
ることで得られる確証は何処にもないだろう?」
「そ、そうだよ。外に見たいなら、コバヤシ君みたいに“採掘場”勤務に変わればいいよ」
「あ~止めとけ止めとけ。確かにあそこは外っちゃ外かもしれねぇし給金も高ぇけど、身体
を鍛えてないとしんどいぞ? 大体、景色もザクザク切られた岩肌ばっかで、防御ドームに
包まれてるのはこっちと同じ。地下連絡路がある所為でお世辞にも“外”って感じはしねぇ
しな……」
ふと、タチバナが再度モリノを一瞥すると、言った。
見れば食事は奇麗に片付き、こくこくと頷いて同意してくるヨモギを余所に食後の茶と洒
落込んでいる。一方で話を振られたコバヤシもそう声のトーンを落とすと、フッと何処か遠
い目をしてみせている。
それから暫くは、四人が四人ともこの話題に触れることはなかった。
同じく朝食を摂っていた、周囲の他の住人達が遣ってくる視線も気にし、取り止めもない
雑談で以って誰からともなく茶を濁す。遅くならない内に、腹ごしらえは済ませてしまう。
疑問を表に出すべきではない。
《楽園》に従順である限り──自分達が《楽園》から見捨てられることはない。
「……ごちそうさま」
ややあって、モリノ達は食事を終えた。手を合わせた後、四人は空になった食器をトレイ
ごと運び、厨房内の洗い場へと繋がる返却口にそれらを流す。
「ふぃ~食った食った」
「ふふっ」「……」
「じゃあ、そろそろ行こっか」
自室に戻った後、モリノ達はそれぞれの仕事場に向かっていった。
ちなみに語っていた通りコバヤシは採掘場の作業員。タチバナは資料館の司書で、ヨモギ
は託児所の保育士である。
「──よーし。じゃあ今日も打ち合わせ通り、各班開始してくれ」
『了解!』
一方のモリノは、そんな友人達とはまたもっと別な場所にいた。
電灯付きのヘルメットと多数の工具を詰めた革の腰鞄、そして黄色いと橙のつなぎ姿。
元より無数の金属で造られ、覆われている《楽園》──モリノはそんな機械仕掛けの内部
を、日々点検・修理する整備隊に属しているのである。
隊長の挨拶と合図で以って、モリノら隊員達は一斉に散って行った。
薄暗く狭い中、金属むき出しの足場が複雑に立体交差しながら延々と続いている。これら
がこの巨大な塔の内部を縦横無尽に走っているのだ。
いわば体内──血管、内臓。やはりこうして“裏側”を目の当たりにするにつけ、此処は
《楽園》ではないのだなと、モリノは何度も内心で再確認する。
通常、点検は二・三人を一班に分けた上での虱潰し方式を採っている。そうでもしないと
恐ろしく広いこの塔を網羅するには時間が掛かり過ぎるからだ。
この日もモリノは、他の──それこそまさに数の力で《楽園》の体内を調べ回っていく隊
員らの一人だった。脚立に乗る彼をサポートする年下が一人、ライトを照らし、自分は自分
でじっと辺りを検めている先輩が一人。二人とは今までにも何度か顔を合わせている。
「……異常なし」
手袋越しの感触と工具の軽い打撃、何より目視で。声を出しながら、モリノは淡々と職務
を遂行していく。
大半は特に問題はなかった。隊員達による日頃の仕事の賜物なのだろう。
それでも時々、ねじが緩んでいたり配電が解けかけている箇所などがあった。緩んでいれ
ばしっかりと締め直し、解けかけていれば灯りを頼りに結び直す。
此処《楽園》において、勤労は必ずしも義務ではない。
実際、成人しても最低限の配給だったり仲間達からカンパを受けたりすることで「自由」
を満喫している住人達も、いない訳ではない。
それでも……働く意味があるとすれば、それは物質以外の理由なのだとモリノは思う。
目立とうとも目立たなくとも、誰かの役に立っているのだという誉れ。
他人がそこにいる。そんな彼らから労いだの何だのを受けるといった自存の確認。
そして、更に自分は──。
「……遠退いたぞ」
はたと、先輩の方の隊員が小さく声を掛けてきた。
モリノも耳を澄ませてみる。確かに他の班の気配が遠くなっている。作業の為に点してい
る灯りも散在して遠い。
「モリノさん、今の内に」
「うんっ」
更に後輩隊員が脚立の下から言って、モリノはごそごそと動き出した。
覗き始めたのは、近くの空調配管の一つ。痩身ならば一人くらいは通れそうな大きさだ。
モリノはその中へと、他の隊員達に気付かれないように進んで行った。
点検の為ではない。修理すべき箇所を見つけたからではない。──これこそが、彼が整備
隊に勤務する最大であり本当の理由だった。
普段の生活では決して覗けない、知ることのできない《楽園》の内部構造。
だが整備隊に所属していれば、こうして隙を見てそれを調べることができる。
一旦二人がその場を離れ、少し隣でごそごそと動き、灯りを向け始めた。勿論これは周囲
に気付かれない為のポーズである。
左右上下に何度も折れ曲がる配管の中を、モリノは進んでいった。
出口──穴という穴から下を覗けば、また内部構造の何処か。しかしそれらの柱の何処か
には、必ず英字と数字の組み合わせが刻まれている。要するに管理を担当する者達にとって
の目印、地番である。
これだけ複雑な内部なのだ。随分と時間は掛かってしまっているけれど、そのお陰で無闇
に迷う手間が少なからず減っている。
(……。外だ……)
それから、どれだけ中を這いつくばっていっただろう。
既に通ったことのある地番、そうでない地番を整理しながら進んでいくと、ふと視界と身
体の自由が開けた。
這い出す。そこは《楽園》──鋼の樹の遥か高く、途中の幹だった。
どうやら配管の出口に来れたらしい。左右上下にも何本か同じような穴が確認できる。
それでも、そこはまだ完全に“外”ではない。ほぼ毎朝足を運ぶ、あの梢の向こうよりも
ずっと近くに、それでもまだ遠目に内と外を隔てる透明なドームが広がっている。
「……」
この先だ。この先に、今もこうして目に映っている緑の大地が──正真正銘の外の世界が
広がっている。
憧憬のような、或いは執念ともいうべきか。
暫くの間モリノは、そんな梢から見下ろすのとは距離感も趣も違う景色を眺めていたが、
やがて腰鞄の底から携帯型の端末を一つ、取り出して忙しなく操作を始める。
『──モリノ、そろそろ戻って来い。他の連中との距離が開き始める』
「分かりました。すぐ戻ります」
しかしそんな時間はそう長くはない、長く取る訳にはいかなかった。
元いた場所から、先輩隊員からの無線が届いた。
相変わらずノイズが酷い。傍受されないよう周波をとっかえひっかえしている所為もある
にせよ、これが“秩序”と辛うじて繋がっている証なのだと思うとぐわんと自分が落下して
いくような錯覚に陥りそうになる。
端末を腰鞄の底にしまい直し、再びモリノは来た道を戻っていった。
その画面には……びっしりと記録された、3Dのパイプ群と塔の全体図が映っている。
そして事件は起こった。
それは、彼らがその決意をしてから何度季節が巡った頃だっただろう。《楽園》内で生ま
れ育った彼らには既に縁遠いものでこそあったが、資料館の蔵書を紐解くにちょうど事件の
起こった時期は秋であった。かつて、人々が自然と共に棲み、その恵みを最大限に受けてい
た季節であったという。
「おはようさん……って、どうした? そんなに一塊になって」
「あ、ああ。おはよう」「実はだな……」
時刻は明朝。まだ《楽園》の住民の大半がまどろみにある中、同内の各所を見張る役目を
持つ監察局の面々は一足早くその職務を始めようとしていた。
薄青の制服に腕を通し、襟を整えながら入ってくるその仲間に、既に集まっていた面々が
何処か気まずそうに振り向いて言う。
「A-0区の映像がダウンしてるみたいなんだよ。真っ暗でさ」
「真っ暗? 他のカメラは?」
「それが全部なんだ。五台とも同じことになってる。それに場所が場所だから……」
「ああ……」
同僚達の説明に、彼はようやく納得した様子をみせた。
A-0区画。それは《楽園》の正面ゲート──最も“外”に近い場所だ。
まさか好きこのんで出て行こうとする輩はいないと思うが、特に警戒が必要とされている
区域の一つである。このままでは上層部からお叱りの一つや二つは避けられないだろう。
「参ったなぁ。あそこは立ち入り禁止区域だろ? 確かめに行こうにも一旦上に通さないと
いけないし……」
「ああ、それだったら」
「少し前にサタケが行ったよ。だから、そう長くは掛からないと思うんだけどね」
「そっか……。ならまぁ待ってみるか」
それでも、彼らは当初、そう深刻には考えていなかった。
カメラに不具合でも起きたんだろう。全く、何の為の整備隊だ……?
そんなことをめいめいに思いながらただ漫然と、正面のマルチモニタの一角で黒画面を映
したままのA-0区画のカメラ映像を見上げている。
「──本当にいいんだな? 引き返すなら、まだ間に合うぞ」
監察局の制服を着た男が一人、そう重ねて訊ねていた。
場所はA-0区画。彼の名はサタケという。
最も“外”に近い場所というだけあって、内部は居住区域や官庁区域などとは明らかに異
質な、必要な機能だけを捻じ込んだ無機質さが充満している。薄暗い辺り一帯、剥き出しの
配管が天井を通る無骨な造り。何よりもそこには……とてつもなく巨大な鉄扉が下ろされた
ままになっている。
「今更何言ってんのさ。退くもんか」
「この為に……自由の為にずっと頑張ってきたんだ。諦められるかよ」
「それにもう、金を受け取った時点であんたもホントは共犯なんだぜ?」
そんなサタケの言葉に対するのは、数十人ほどの集団──《楽園》の住人達であった。
風体も勤め先も、多くは居住区すら同じではない。
だがそれでも一つだけ共通点があった。
それは……“外”に出てみたいという好奇心、使命感、渇望。
サタケを顰めさせたその一言を放ったのは、他ならぬコバヤシだった。
普通では先ず突破することも、侵入することも困難な、この地上に最も近しい区画。だが
それを彼らは様々な人間に金を握らせることで解決していた。コバヤシ達、重労働組の強み
である高給がここで活かされている。
「コバヤシ、あまり脅さないようね? サタケさんにはこれから先があるんだから」
更にそんな、意地悪くにししっと笑うコバヤシを諌めたのはモリノだった。彼こそがこの
集団──“外”を目指す住人同盟の心優しきリーダーであったのだ。
言って、モリノはちらと天井を見上げた。
室内をぐるりと囲むように見下ろしている監視カメラ。それらには今、全て真っ黒な布が
被されている。整備隊に入り、何年も掛けて配管を通じた抜け道を調べ上げた彼による、そ
つのないスマートな初動の結果だ。
彼らはこれからの自由──と不確定さに備え、たくさんの装備を携えて来ていた。
食料は勿論、嘘か真か「化け物」に出くわした時の為に武器・弾薬も。それらを大きな鞄
に詰めて、彼らはめいめいに背負っている。
モリノ達が暗幕でカメラを無力化し、サタケが目視に向かうと見せかけて連絡路を開け、
彼ら残りの輸送メンバーを中に通す──。
執念以外の何物でもないな……。そうサタケは内心、彼らが恐ろしくも羨ましくも思え、
未知に目を輝かせている横顔を暫し眺める。
「……じゃあ開けるぞ。何度も説明したし分かっていると思うが、一度“外”に出たらもう
《楽園》には戻れないと思え。おそらく、手動でロックを解除できるのは今回きりになる
だろう。事態が伝わればメインシステムからの自動制御に取って代わる筈だからな」
サタケが四枚のカードキーと金メッキの鍵を取り出して言った。
モリノ達一行が静かに、力強く頷く。
覚悟はとうにできている。“外”に出ることは《楽園》にとっての禁忌──知恵の実を食
すことである。
それでも自分達は確かめたかった。証明し、刻みたかった。
見下された安寧の中でまどろみ、没個性な歯車として消えていきたくなかった。
未知なるものへの好奇心、真実を暴くという正義ないし使命感、そして自由への渇望。
理由の散在さとその程度は人それぞれであったが、モリノ達の意志はそれらの点において
等しかった。
振り向いて、サタケが先ず金メッキの鍵を硝子蓋の中にある穴に差し込んだ。
開け方などない。カチ割る。
差し込まれた鍵を捻ると、すぐ上のパネルがスライドして開いた。それは数値入力の装置
のようであり、横向きの溝が上に一本・下に三本と走っている。サタケはカードキーを下内側
から順番に通し、暗証番号を打ち込んでいった。
最初は八桁、次は十桁、その次は十二桁……。
それでも彼は四つ全てを暗記してきているらしく、入力に迷いはない。そして三つ目──
下部最外の溝挿入と入力が終わると、遂に目の前の巨大な三重の鉄扉が一つまた一つと持ち
上がり始めたのである。
「……あとは正面の防御ドームを薄めてやるだけだ。だが完全には消えないし、時間が経て
ばすぐに元の厚みに戻る。今の内に突っ切れ」
モリノ達は頷き、駆け出した。
住人達を拒み続けてきた鉄扉が、今まさに従順にその口を開けている。暗がりだった内部
に、明朝の光が差し込んできた。
嗚呼……これが“外”の景色か。待ちに待った、本当の大地。遠くに在った自然。
「よし、通った!」
サタケが最後、四つ目の暗証番号──実に十五桁を入力し終わっていた。
短く歓声。同時に目の前の、四方十メートル分ほどの透明の壁が、ぐにゃりと薄くなって
いくのが見える。
「モリノ」
コバヤシらが自分を見ていた。彼もそんな仲間達に頷き、だんっと地面を──冷たい金属
ではない本物の地面を蹴る。
A-0区の扉の前で、サタケはぎりぎりまでモリノ達を見送っていた。
やがて《楽園》全体に警報が鳴り響く。赤色灯が回転しながら明朝の空中都市を照らす。
再び三つの鉄扉が下り始めていた。サタケの言う通り、メインシステムが自分達の行動を
察知して動き始めたのだろう。
それでも彼らは間に合った。
間一髪、皆が“外”に出て三十秒ほどの後、遂には透明の外膜すらもまるで凹んだ部分に
水溜りができるように、本来の厚みへと戻っていくのがみえた。
「……さようなら。僕達は、行くよ」
彼らに去来したのはどんなものだったのだろうか。
一度だけ、モリノ達は束の間、長く暮らした《楽園》──鋼の大樹を見上げると、再び地
面を蹴って駆け出していく。喜色を浮かべて、森の中に消えていく。
「──モリノがいない?」
「うん。いつもの場所にもいなくって……あとコバヤシ君も」
《楽園》内は騒然となっていた。
眠気残る中で突如鳴り響いた警報。飛び起きる各居住区の住民達。
そんな中、タチバナは例の、最寄の梢から戻ってくきたヨモギからそんな報告を聞く。
まさか。彼は思った。
まだ情報が錯綜している。真偽も定かではない。
だが話によると、複数名の住人がこの《楽園》から逃げ出したらしい。そしてそんな非合
理的なことをやってのけそうな人物を……自分達は知っている。
「まさか、モリノとコバヤシが?」
「そういえばモリノって、毎日のように崖の方でぼうっとしてたっけ……」
「そうだよ、きっとあいつだ! だってモリノは整備隊所属だろ? 《楽園》の
中身ならここにいる誰よりも詳しい筈だ!」
住民達が、それぞれの部屋から何処からともなくこのホールに集まってきてそう口々に叫
び始めている。
戸惑い、だが徐々に推測から確信へ。憤り──非難へ。
タチバナは静かに眉を顰めていた。
あの馬鹿野郎……。
口にこそ出さなかったが、言うほど自身怒ってはいなかったが、もっと違う選択ができた
筈だろう? と、もう会えないだろうあの友らを思い浮かべて彼は心の中で呼び掛ける。
「くっそ、馬鹿なことしやがって……!」
「ど、どうする!? このままじゃこの区に懲罰が来るんじゃ……?」
「ッ……。追い掛けるぞ! 力づくでもとっ捕まえて──」
「よさんか。落ち着け、若造ども」
そんな時だった。皆に半ば狂気が滲み始め、内少なからずがモリノ一行の後を追おうとし
た所へ、ぴしゃりと言い放つ声が響いた。
タチバナらも含めて振り返る。そこには老年の住人達数名──この区画の長老衆がこちら
へ近付いてくる姿があった。
「よ、ヨモギの婆さん……」
「おばあちゃん!」
特にその面々を引き連れたリーダー格、顰め面の老婆が放つ威圧感には目を見張るものが
ある。だが彼女の出現に住人達の多くが竦み上がる中、ヨモギ──実の孫娘だけは少しばか
り反応が違っている。
「おばあちゃん……! モリノ君が、コバヤシ君が……!」
「ああ、分かっとるよ。ともかく、お前は子供達を頼む。不安だろうからね」
先程からぼろぼろと泣いている彼女に、ヨモギ嫗は一度声色を優しく抑えてそう促した。
集まっていた人々がちらほらと戻っていく。
だがそのさまを見送り、確認してから、彼女はまた先の厳しい表情に戻って言う。
「モリノとコバヤシは諦めな。監察局が動き出した。もう二人は“外”に出てしもうとる」
「じゃから、今から追い掛けても脱走者を増やすだけじゃ」
「……分かるな? 下手に庇い立てすれば、懲罰どころでは済まなくなるぞい」
住民達は押し黙った。時既に遅しということなのか。
《楽園》は従順な者には優しいが、反抗的な者には冷徹だ。今の時点でもう彼らの出身区
画である自分達へのペナルティは避けられない。その上で、できる限り皆全体の被害を抑え
よう──無関係であると上層部に印象付けろと彼女達は言っている。
「あの二人を、見捨てるのですか?」
「……儂らだけのことではなかろう。他にも脱走者はいるそうじゃないか。だとすれば他の
居住区でも同じような自衛策が採られるじゃろう。……それでもお前さんらは“悪目立ち”
したいかえ?」
中年の住民が一人、おずおずと訊ねた。それをヨモギ嫗は愚問と返す。
皆が、ばつが悪そうに互いを見合っていた。
それ以上誰も、モリノ達を連れ戻そうとは言い出さなくなった。タチバナやヨモギのよう
に、彼らはそこまで二人の友ではないし、何より情と利が釣り合わない。
「全く……上層部は馬鹿じゃよ。正しい歴史を教えなくなれば、きっと過ちは繰り返される
とあれほど言うたのに。儂らが現役の頃は、こんなことは一度もなかった」
「? それは、どういう……?」
ぼやき。いや、語りたかったのか。
嫗の呟きに逸早く反応したのは、タチバナだった。
彼女がちらりと、しかしギョロッとした眼でこちらを見返す。やはりその気でいたのだろ
うか。彼女は思いの外、簡単にその真意を教えてくれた。
「お前さんは頭がいいから何となく気付いておるやもしれんが……。訊くが何故、儂らの名
は総じて山川草木から取られておると思う?」
「……よく言われるのは『自然と共に在った日々を懐かしんだ名残』ですね。ですが、貴女
が今この場でそれを訊ねてくるということは、きっと本当は違うのでしょうね」
「うむ、そうじゃ。儂らの姓名はそんな生易しい憧憬ではない。彼らに“敵”ではないと、
せめて名でだけでも伝え、殺されまいとした、儚き抗いの産物なのじゃよ」
住民達の間にざわめきが起こった。タチバナも黙したまま、じっと次の言葉を待った。
殺されまい……?
自然と共にあった日々──即ち“過去”を懐かしむ心理ではないと彼女は言う。
まるで語られるその口ぶりは、あたかも先人達が“今”に必死であったかのような……。
「──かつて人は、大地から拒絶された。儂らはやり過ぎたのじゃ。切り倒し過ぎた、掘り
返し過ぎた、殺し過ぎた……。故に動物は人を好んで襲って喰らうように、植物は人を殺す
毒を撒き散らすように進化していった。……居場所を失ったのじゃよ。《楽園》という名は
その意味で正しくさえある。もうこの大地には、人が生存できる場所は此処をおいて他には
無いのだからの……」
(了)




